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映画が生まれた時代 /林海象映画大学2018

2018.12.21 開催 THEミソ帳倶楽部「林海象映画大学2018 映画が生まれた時代」
ゲスト 林海象さん(映画監督)

シナリオ・センターでは、ライター志望の皆さんの“引き出し=ミソ帳”を増やすために、様々なジャンルの達人から“達人たる根っこ=基本”をお聞きする公開講座「ミソ帳倶楽部 達人の根っこ」を実施しています。そのダイジェスト版を『月刊シナリオ教室』(今回は2019年1月号)から。
今回は、シナリオ・センター出身の大先輩・林海象監督をお招きし、2016年に行った「林海象映画大学」の第2弾として、「映画が生まれた時代」についてお話しいただいた模様をご紹介。大学教授でもある林監督が、実際に行っている講義をもとに、映画の誕生と創世記について語っていただきました。そもそも「映画」は、もっというと「映像」はどのように生まれたのか、を知ることは映像作品を作りたいかたにとって、大切な勉強になるのではないでしょうか。

映画誕生以前

今日は、いつもは大学で教えている授業をここでやってみたいと思います。

普段の授業は、映画や脚本を一緒に作ったりする実習形式が多いんですが、200人くらいの学生に向けて話す講義というのもあります。僕が担当しているのは「映像文化史」(全4回)というものです。その第1回が『映画創生記』でして、それをもとに、今日は映画が生まれた時代について話したいと思います。

皆さん、映画が生まれたのはいつ頃か知っていますか?映画というのは、何年前からあるんでしょうか? 130年から140年ぐらい前です。ということは人類の歴史と比べてみると、ものすごく最近ですよね。当たり前ですが、映画誕生以前のほうが、ずっと長いわけです。

映画に近いもので昔からあったものというと、絵画ですよね。絵がいつ出来たかというと、皆さん、ご存知のように教科書に出てくる『ラスコーの洞窟壁画』が2万年前で、『アルタミラの洞窟壁画』が3万2千年前です。

さらに、この前(2018年発表)、6万5000年以上前の壁画が出てきたんですよね。6万5000年前って、どんな昔なんだっていう感じですけど、ものすごく昔から「絵」というものは存在していて、「絵」と同じくらい昔から「言語」というものも生まれて発達していった訳です。

写真の発明と歴史

ずっと「絵」だったものが、やがて「映像」になっていくわけですが、一番最初は、小さい穴、ピンホールに光を通すと、反対側に逆さまになって映るという「カメラ・オブスクラ」という原理が最初です。

これは、壁にあいた穴から入った光が反対側の壁に届くと、外の景色がさかさまに映るのと同じです。その発見の記録があります。天井のレンズから入ってきた光が、外の景色をテーブルに映し出したんですね。

僕自身の映像初体験は小学校の時です。京都に住んでいたんですが、台風が来たんです。昔の家だから雨戸を閉めるんですが、起きたら障子に何かが映っているんですね。それでジッと見ていたら、雨戸の向こうにある庭が、障子に真っ逆さまに映っていて、お母さんが雨戸を開けると消えてしまう。

ピンホールの原理です。焦点が合うと、そのままの形が逆さまになって見えるんですね。その衝撃がすごく鮮やかに残っています。

時代が進むと、「カメラ・オブスクラ」の箱がもっと小さくなり、持ち運べるサイズになりました。小さな穴の代わりにレンズが付き、箱の中に入ってきた光を擦りガラスに写し、そこに映った景色を写し取ると、本物そっくりの絵が描けるため、画家たちが写生用に使っていました。

この「カメラ・オブスクラ」の技術を使った時代が結構続くんですが、その次に出てくるのが「写真」です。映した先を、ガラスに感光させると「写真」になる。フィルムの原理なんですけど。原版が現存する最古のものは『ル・グラの窓からの眺め』という写真です。この時の感光時間は、8時間から10時間くらいかかったそうです。

次に出てくるのが、1830年に登場した有名な「ダゲレオタイプ」です。レンズを通して感光させるという、ほとんどカメラですね。ルイ・ジャック・マンデ・タゲールという人が考え出しました。人類は見たままを絵に描くのではなく、写し取るという発明をしたわけです。

でも最初は露光時間がものすごくかかった。映画『龍馬暗殺』でも、そんなシーンがありました。カチャっとフタを開けてから、だいぶ待つんです。10分とか20分くらい経ってから閉めるみたいな感じでした。

アニメーションと映画の誕生

次の段階はアニメーションです。最初は、ちょこちょこ絵(静止画)を動かして、1つの穴から見ると、あたかも動いているように見える原理を発明したのが、「フェナキスティスコープ」や「ゾートロープ」と呼ばれるものです。

「フェナキスティスコープ」(1832年)はプラトーが発明しました。人間の目の残存現象を利用した、動く絵が誕生しました。「ゾートロープ」(1834年)も同じような仕組みです。これをもとにして、のちに「テアトル・オプティーク」(1892年)というのを、エミール・レイノーが考案し、作品制作も行っていました。

さて、「写真」の発明によって本物そっくりなものを写し取れるようになりましたが、次にそれを動かそうと思ったわけですね。写真を一コマ一コマ撮って再生したら動くんではないかという考えで作られたのが、自由型のカメラです。

連続写真が撮れる「写真銃」(1882年)というものが、エティエンヌ=ジュール・マレーによって考えられました。映画の原理ですね。

でも「連続写真」のままだと、まだ動いていない。そこでアメリカのトーマス・エジソンが、連続したものを動かしましょうと、1894年に「キネトスコープ」を発明しました。ただ、これには弱点があって、1人しか見ることが出来ない。言ってみれば「のぞきからくり」ですね。まだ一度に大勢で見ることは出来なかったわけです。

当時は互いに連絡とか取ってないと思うんですけど、ほぼ同時期のフランスで、エジソンと同じような発明をしたのが、リュミエール兄弟です。もともと兄弟で写真工房をやっていました。エジソンは「映画の父」と言われていて、リュミエール兄弟は「映画の母」と呼ばれています。

リュミエール兄弟の「シネマトグラフ」は、ほぼ同じ原理なんですけど、やり方が違います。「キネトスコープ」と何が違うかというと、レンズと光で映写するシステムなんです。

今、映画をなんて言いますか?「シネマ」ですよね。エジソンは、いろんな分野でほかの人に勝っていますが、この分野ではリュミエール兄弟のシステムが勝ったというか、採用された訳です。リュミエール兄弟が、自分たちの工場から出てくる人を撮った映像が『リュミエール工場の出口』(1895年)です。人類史上、初めての映画です。

この時代の人たちが、自分たちが映っている映像を見ると、どういう反応が起こると思いますか? 自分はここにもいるけど、画面の中にもいる……。映像という概念がない訳ですから、びっくりなんてものじゃないです。手品というかマジックを見ているような衝撃だということは想像できます。

フランスにリュミエール美術館というのがあります。そこへ僕も行ったんですが、そういったことが書かれています。その後、リュミエール兄弟は世界各地に行って記録映画を撮影し、人々に見せています。

昔の人は普通は海外に行けないですから大変な反響で、それを見せると、悪魔の発明じゃないかと言われたくらいでした。『ラ・シオタ駅への列車の到着』(1895年)という映像は、画面の中で蒸気機関車が走って来るだけなんです。でも本物が来たのと勘違いして、客席から逃げる人もいたと言われています。

記録映画を見た人々の反応が大きくて、リュミエール兄弟は映画の娯楽性に気がつきました。「ウケる」ということが、わかったわけです。兄弟は日本にも来ていて、武道の映像を撮っています。

いろんな国の景色や習慣を撮影したことで人気を博したんですが、それだけだと、だんだん飽きてきます。そこで、どう変わっていくかというと、映像に物語が加わっていきます。

ジョルジュ・メリエスという手品師が、映像にストーリーをつけて見せるということを始めたのが、1902年の『月世界旅行』という作品です。まだ字幕もついていなくて、音楽は生演奏などでつけていましたが、映画の原点となる作品です。

サイレント映画の興隆

サイレント映像に物語に加わり、そこに字幕や音楽がつけられるようになると、さらに映画は盛り上っていきます。

やがて、モンタージュやカットバックなどの、映画ならではの映像的手法が編み出されます。D.W.グリフィスによる『イントレランス』(1916年)や、セルゲイ・エイゼンシュタインによる『戦艦ポチョムキン』(1925年)などが作られます。

いくつかのカットを積み重ねることによって人の想像力をかきたてる手法ですね。これらは今の映画でも受け継がれています。

『戦艦ポチョムキン』の乳母車に乗った赤ちゃんが階段を落ちて行く、いわゆる「オデッサの階段」シーンなどが有名ですが、その後多くの作品が、この作品を真似しています。

チャップリンとキートン

そして、無声映画史上の大スターが出てきます。チャーリー・チャップリンとバスター・キートンですね。もっとほかにもいますけど、この2人は何といっても有名ですよね。

チャーリー・チャップリンは『成功争ひ』で1914年に映画デビューします。山高帽、ちょびひげ、だぶだぶズボンがトレードマークです。1921年に発表された『キッド』は乞食役のチャップリンが子供を拾って育てる話ですが、非常にシナリオの勉強になる作品です。

一方、バスター・キートンは1917年に映画デビューしました。チャップリンが人情味の溢れるストーリーを得意としましたが、キートンはスプラスティックな喜劇で、『キートンの蒸気船』(1928年)をはじめとして動きに特徴があり、偉大なる無表情とも評されました。

チャップリン、キートンと、あと、ハロルド・ロイドの3人が三大喜劇王と言われています。この3人の映画は、今見ても皆さんが笑えるくらいの作品ですから、当時の興行収入も大変なものでした。

トーキー映画&カラー映画の登場

さて、映像は出来た、ストーリーもついた、次に人間が欲しがるのは何でしょう?音ですよね。1927年に公開された『ジャズ・シンガー』は、歌うところだけなんですが、音がつきます。初めて映画の中の人が声を出した作品です。

翌年、1928年にアメリカで公開された『ニューヨークの灯』には全編に音がついて、トーキー映画の時代が始まります。もちろん日本も、この流れをすごい速度で追いかけるわけですが、日本では、その頃「活弁士」が音をつける「活弁」で映画を見ていましたので、それがなくなるというので大きな騒動にもなりました。

音がついたのに続いて、白黒映画がカラーになっていきます。1932年に発表されたウォルト・ディズニーの『花と木』は世界初の3原色テクニカラー映画です。これはアニメーションでしたが、実写の3原色テクニカラー初の長編映画は、1935年の『虚栄の市』です。色のつけ方が絵画のように鮮やかでした。

そこから遅れて16年後に日本初のカラー映画が上映されます。木下恵介監督、高峰秀子主演の『カルメン故郷に帰る』(1951年)です。これは、今の映画と比べると、少しやりすぎだと言われるかもしれないくらい鮮やかな色合いでした。でも今見ても非常に楽しい作品ですし、高峰秀子さんも素晴らしいです。当時大ヒットしました。

映画は進化しているのか?

こうして絵が動くところから始まり、字幕が入って、声が入って、白黒からカラーになって、音楽がついて、物語の視覚化というのが完全に出来るようになりました。

さて、映画は120年が経って、進化しているのでしょうか?100年前の映画を、まったく情報のない中学生に見せても、ちゃんと笑ってくれますからね。すごくウケるんです。

先ほど、最初の映画、ということで説明した『ラ・シオタ駅への列車の到着』は、100年以上前の作品です。蒸気機関車の迫力に観客が戸惑って逃げたという映画でしたね。画面を右上から左下に斜めに横切るように、汽車がすごい迫力で近づいてきます。

最近の映画で『マッド・マックス 怒りのデスロード』(2015年)という作品があります。ご覧になった方いますか?同じようなシーンがあります。ぶっ飛んだ改造車が、砂漠を飛ばしていくカーチェイスのシーンでは、車をやはり右上から左下に向かって、斜めに同じようなアングルで写しているんです。

100年経って、どうでしょう? 今の映画にも、まったく同じコンセプト、同じ構図がある、ということです。手法は違いますけど、やっていることは同じなんですね。

あるいは『月世界旅行』と『インターステラー』(2014年)を比べてみましょうか。

もちろん現代の作品のほうがリアルになっています。ですが、『月世界旅行』で到着した月は書き割り、『インスターステラー』で太陽系を超えて到着した惑星はCGで、CGも絵ですから、やっていることは同じ、ということですね。

話は、より入り組んだ話になり、リアリティもありますが、基本的なベースは同じなんです。100年前から語り継がれているストーリーです。少しは発達していると思いますが、まだ大きな一歩、というところではないのではないでしょうか。ある意味で、まだまだ先があるということです。

映画フィルムのデジタルリマスター化

そして映画の世界で今、何が行われようとしているか。何をしようとしているかをお話ししたいと思います。さきほど『カルメン故郷に帰る』のお話もしましたが、これは現在はデジタルリマスター版で見ることが出来ます。今はいろんな作品がデジタルリマスターされています。

僕は京都に生まれまして、昔ですから、いろんなところに映画館があった訳です。立命館大学付属高校に進学して、映画研究会に所属というか、自分で作ったんですけど、立命館大学に入学して3日で行くのをやめてしまいました。

それで東京に出てきてアルバイトをしながら作ったのがデビュー作の『夢みるように眠りたい』です。34年前に作られた映画なので、今、デジタルリマスターをしようとしているんですね。さらにクリアなものにして、違う表現になるんじゃないかというのを試してみようと思っています。

映画は過去の芸術遺産ですが、ネガが劣化すると色が変わったり、傷がついたりしまいます。ですが修正すると、公開当時、見えていた色で見えるんです。

映画は人類が作りだした、最も新しい芸術的な表現なので、人類全体の財産だと思います。ところが、その財産であるはずのフィルムが、大事に保管されてはいるものの、だんだん経年劣化してきているんです。それを守るために、文化財フィルムの複製やデジタルレストアをはじめ、名画のリマスター・復元作業を行っているのが、イマジカ・ラボです。

僕のデビュー作品『夢みるように眠りたい』も、デジタルリマスター作業に取り掛かっていて、イマジカラボと一緒に作業をしています。今プロジェクトとしてクラウドファンディングでの募集をしています。ご賛同いただける方は、参加していただけるとうれしいです。

〈採録★ダイジェスト〉THEミソ帳倶楽部「林海象映画大学2018 映画が生まれた時代」
ゲスト:林海象さん(映画監督)
2018年12月21日採録
次回は10月26日に更新予定です

プロフィール:林 海象(はやし・かいぞう)

京都府京都市生まれ。シナリオ・センター出身。映画監督、映画プロデューサー、脚本家。東北芸術工科大学教授。映画では『二十世紀少年読本』『ZIPANG』『彌勒』、テレビドラマでは『私立探偵 濱マイク』シリーズや『黒蜥蜴-BLACK LIZARD-』他、作品多数。2019年、監督作品『BOLT』が「第22回上海国際映画祭」のパノラマ部門(受賞対象外の話題作品)の正式招待作品として上映。2020年、監督デビュー作である『夢みるように眠りたい』が、「英国映画協会が選ぶ、1925~2019年の優れた日本映画95本」の1本に選出。また、映像のみならず舞台の世界でも活躍の場を広げており、2019年には舞台『ロストエンジェルス』の演出を、2020年には舞台『かげぜん』の演出を手掛けた。

こちらの林海象監督の記事や動画も併せてご覧ください

■記事
「物語を作る 力は生きる支えと具体的な武器になる/林海象監督に学ぶ」

「ト書と箱書きの重要性~「Theミソ帳倶楽部 林海象映画大学」より~」

「映画監督になりたい /林海象監督が語る創作と人生」

■動画(面白いドラマの作り方を紹介 シナリオ・センター公式チャンネルより)

映画監督 林海象さんの根っこ【Theミソ帳倶楽部】

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過去記事一覧

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