映像を意識しよう
林海象です。27歳で映画監督になり、今年60になりましたから33年間映画監督をやっています。
23歳くらいの頃は夢も希望も家庭もなく、一縷の望みはシナリオ・センターでした。なぜかというと学費が一番安かった。今もそうかな、親切な値段で(笑)。
映画監督になりたいって言っても、世間の理解はなかなか得られなかった。普段は土木作業員とかいろんな仕事をやっていましたが、映画のことを話す相手がいなくて……。週に1回シナリオ・センターへ行けば、脚本も学べるし映画の話ができる仲間がいて、それが楽しくて通っていました。
今、京都に住んでいますが、全国各地を回って『ハヤシネマ』の上映会をしています。今日は、上映先の山形から『ハヤシネマ』の車をスタッフに運んでもらってやってきました。
『映像を意識してシナリオを書いているか』というテーマで、話をしたいと思います。まず映画はどこから来たのかというと、130年くらい前にフランスのリュミエール兄弟が「写真を回すと動くじゃん」みたいなところから始まって、最初は工場とか汽車なんかを撮っていたんですよね。その頃の人にとっては魔法です。
画面からいなくなった人はどこに行ってしまったんだろうと思ったり、走ってくる汽車を見て逃げ出したりする(笑)。今の人とは全く違う反応ですよね。もちろんセリフはありません。そのうち生演奏がつけられたり、日本では独特の『活弁』という、セリフを補う人が活躍するようになりました。
今日は、活弁付きで初期の映像を観ていただきます。最近は若手の活弁士も出てきまして、中でも非常に力がある坂本頼光(さかもと・らいこう)さんにお越しいただきました。
さて、『国士無双』と『ジャックと豆の木』を見ていただきましたが、ペラ2枚で1分ですから、20枚シナリオと同じか、ちょっと長いくらい。短い中に起承転結があって、セリフが物凄く上手い。
この時代は『一筋、二抜け、三動作』って言われていました。第一は物語。第二は撮影の技術、昔のカメラは性能が悪かったですから。三番目の動作が芝居。話があって見られて、最後は芝居だということです。
今日の話のテーマは、映像から考えてシナリオが作られていくのか、シナリオから考えて映像を作るのかってことですが、この時代は同時です。面白いから撮ってみようぜっていうところから撮っている。
今のホンより、ずっと軽いトーンで、映像とシナリオがそんなに離れてなかった。僕も自分でシナリオを書きますが、初期の映画というのは、撮りたいから撮ったし、撮れる人がシナリオを書いたっていうことです。
映画とはなんでしょう。物語を視覚化したものです。ではシナリオとはなんでしょう。映画のための設計図。あくまで設計図なんです。例えば、家の設計図は家が建たなかったから意味がないですが、シナリオは全部映画化される訳じゃない。
僕はしょっちゅうシナリオを書いているけど、30年くらい前に僕が書いたシナリオが今、ここにあるんですね。掃除をしている時に出てきて、ある会社に「映画化しない?」って聞いたんですけど、映画化されないとゴミなんですよね。いいシナリオなんですけど(笑)。
シナリオって初めて読んだ時は、すごい変って感じたと思うんです。普通の人にシナリオを見せて、面白いから読んでみてって言っても、よくわからない。映像化しないと意味をなさない。
ただ、これがないと映画が出来ない。映画を作る上での航海図とも言えます。船がどこに進んでいくのか。全部が自分の居場所を確認できるものですね。