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映画『 カツベン! 』ができるまで/周防正行さん,片島章三さん

2019.12.20 開催 THEミソ帳倶楽部「映画『カツベン!』を語る―活動弁士のエンタメ作品『カツベン!』ができるまで―」
ゲスト 周防正行さん(映画監督_画像中央)、片島章三さん(脚本家・監督補_画像左)/司会進行:柏田道夫さん(シナリオ・センター講師)

シナリオ・センターでは、ライター志望の皆さんの“引き出し=ミソ帳”を増やすために、様々なジャンルの達人から“達人たる根っこ=基本”をお聞きする公開講座「ミソ帳倶楽部 達人の根っこ」を実施しています。そのダイジェスト版を『月刊シナリオ教室』(今回は2020年3月号)から。
今回は、映画『カツベン!』公開記念で実施した講座の模様をご紹介。ゲストは、監督を務めた周防正行さんと、これまでチーフ助監督として周防作品を支え、本作では監督補と脚本を担当された片島章三さん。『カツベン!』の制作エピソードや本作の主人公である活動弁士についてもお話しいただきました。日本映画史の勉強にもなりますので、監督志望の方は必読です!

活動弁士は日本独自の文化

――周防監督にとっては『舞妓はレディ』以後5年ぶりの作品となりますが、準備はいつ頃からしていたんですか?

〇周防さん:『舞妓はレディ』のあと、実は別の作品を準備していましたが、それを流して3年前から『カツベン!』の製作に入りました。

――脚本の片島さんがずっと温めていらした企画だそうですね。

〇片島さん:最初に興味を持ったのが20年くらい前です。

もともと無声映画が好きだったんですね。僕は熊本県出身で、昔は市内にもそれほど映画館がなくて、たまに父親に映画に連れて行かれると戦争映画で、姉に連れて行かれるとミュージカル映画ばかりで面白くなくて、映画少年というわけではありませんでした。

ところが中学1年くらいの時に、チャップリンの無声映画をリバイバルで観まして、面白かったのが興味を持ったきっかけです。

――チャップリンは、何を観たのですか?

〇片島さん:『モダンタイムズ』『街の灯』『キッド』の3本立てでした。

――あの頃の無声映画は、文字があってほぼ音楽が流れていて、弁士はいないんですよね。

〇片島さん:それが20年位前、たまたま観たテレビの情報番組で活動弁士を紹介していたんです。

日本では無声映画時代には活動弁士の語りがつきもので、当時は俳優さんや監督さんよりも花形で、大スターだったと。弁士が自分で台本を作るので、同じ映画でも弁士によって内容が変わるし、お客さんの目当ては贔屓の弁士で映画を観る事だったという話に興味を持ちました。

活動弁士って日本独自の文化なんですね。その時は知らなかったけども。その後、澤登翠さんという、関東で第一人者の方の活弁で無声映画を見て感銘を受けたんです。まるで3D映画を観ているかのように立体的に内容が入ってきて、いつか活動弁士の映画を作れたらいいなと思いました。

――澤登さんの舞台ではどんな映画を掛けていたんですか?

〇片島さん:おそらくグリフィスの『散り行く花』だったと思います。

――澤登さんにはお会いになったんですか?

〇片島さん:実際に澤登さんや片岡一郎さん、坂本頼光さんに取材し出したのは、周防監督が監督してくださるということが決まって、映画の企画が実際に動き出してからです。

それまでは図書館に通って、こつこつと調べていました。無声映画時代に実際に弁士をやっていた方は、もうほとんどいないわけですから、資料で調べて、あとは想像でホンを書きました。

第一稿を書いた後、関西で活動されている弁士の井上陽一さんに何度か取材しました。まだ、片岡さんや坂本さんの存在を知る前です。

そうやって直したものを、周防監督が『舞妓はレディ』の仕事を終えた頃に「こういうホン書いたんですけど、読んでもらえませんか?」とお見せしたわけです。

――ホンを読まれて、監督はどういう風に思いましたか?

〇周防さん:素直に面白いと思い、「これは絶対に映画にしたほうがいい」と話しました。でも自分で撮るつもりで読んだわけじゃないんです。

脚本を読んだ時は、監督というよりは、映画ファンとして面白いなと思いました。僕自身は、若い頃から活動弁士というのをまったく無視していたんです。

フィルムセンター(現・国立映画アーカイブ)に通って、ほぼ無音状態のサイレント映画も随分観ましたが、その中で小津安二郎の『生まれてはみたけれど』なんて観ちゃうと、「音、いらないじゃん」と。サイレント映画なんだから、サイレントで観るべきだと。活動弁士の存在は知っていたけど、余計なものだと思っていたんですね。

でも片島さんの脚本を読んで、あの時代、世界中で本当に無音の状態で観ていた人はいないよなと思ったんです。欧米でも音楽はずっとあったわけだし、エジソンが発明した『キネトスコープ』は箱を覗いて動画を観るんですけど、横にチューブが出ていて音楽が聞こえるという装置もある(チューブから音楽が聞こえたかどうかは不明)。

その後、リュミエール兄弟が『シネマトグラフ』を作ってスクリーンに投影して観る方式が主流になりましたが。初期の頃から映画監督は映画を撮る前提として、映画は無音で観られるものじゃないって知っていた。

それで活動弁士って何かということを改めて考えてみたくなった。片島さんの脚本は、第一に、みんなが忘れている活動弁士の存在を思い起こさせる点、第二に、活動弁士たちの物語を活動写真のように撮る、という点が面白いと思いました。

――活動弁士が、当時8000人もいたとは知らなかったです。日本だけ発達したのは、落語とか講談があったからなんでしょうか?

〇片島さん:そうですね。やはり古くから日本独自の話芸が存在していたことは大きかったと思います。人形浄瑠璃もありましたし。

〇周防さん:江戸時代から影絵を見せるものがあって、それにも語りが入っている。紙芝居にだって語りがあるわけですし、無声映画に限ったことじゃない。無言で動くものがあったから説明をつけたという自然発生的なことだと思います。

考えてみたら『キネトスコープ』にしろ『シネマトグラフ』にしろ、横に人が立っているわけです。映画がこの世の中に生まれたその日から、誰かが説明しているんです。

監督に影響を与えた活動弁士たち

――企画から映画になるまでの経緯は?

〇片島さん:最初はアルタミラピクチャーズのプロデューサーの桝井(省志)さんに見せて、いくつか要望に添ってホン直しをしました。

ところが、いろいろ動いてもらっても、なかなか実現できなくて、規模を小さくしようと話を畳んだりしました。何とか企画を通したかったので、自分が監督でなくても映画を作れるならと思い、脚本を読んでいただいていた周防監督に、監督していただくことになりました。

――時代劇を撮るのは大変なことですからね。大正14年の設定でしたが、最初からその時代で執筆を?

〇片島さん:そこは結構あやふやで。主人公は少年時代に活動映画を観て、それから10年くらい経って……というのはあったんですが、具体的な年代は決めてなかったですね。

――じゃあ、子ども時代から始まるという構成は最初から変わらなかった?

〇片島さん:変わらないですね。「子ども時代に活動弁士に興味を持った男の子が弁士を目指す」という流れにしたいなと。ただそのまま弁士になるのは、あまりにストレートで単純すぎるので、ニセ弁士のアイディアを考えました。

昭和20年代に『君の名は』というラジオドラマをやると銭湯から人がいなくなったという話から着想しました。大正時代の活動写真は、その後のラジオドラマよりも遙かに大人気だったはずです。

それこそ地方に巡回興行が来たら村が空っぽになるに違いないなと。活劇をやりたかったので、ニセ弁士が興行している間に泥棒する、という設定ならできると思いました。

――撮ることが決まったあとの、周防監督からの直しの要望は?

〇周防さん:僕は片島さんの世界に入って、片島さんの世界観を大事にして作ろうと思っていたので、ほとんど脚本のシーン通りに撮りました。こういうのを足してほしいと言ったのは、飲み屋で永瀬正敏さんが活弁の将来に懐疑的なことを言うシーンくらいじゃないですかね。

――ああ、これからは活動弁士の時代じゃなくなるっていう……。

〇周防さん:インテリには活動弁士の存在が嫌われていたんですよね。弁士が全部説明してしまっていたら、映像は何も発展しないだろうと。

でも日本映画に弁士がいないっていうのは、ありえなかったんじゃないかなって。日本人にとって、語りを付けないという選択はありえなかっただろうと。でもね、本当に活動弁士は日本映画の発展にマイナスだったのかって考えた時、そんなことはないと思うんです。

小津安二郎監督も溝口健二監督も、その中で育ったわけですから。小津さんは反面教師にしたかもしれない。「説明はゲスだ」って言っていた人ですからね。説明って活動弁士のことを言っていたのかなって思うくらい。小津さんの無声映画は今の活動弁士の方も説明が難しいって仰っている。

一方で溝口さんは、無声映画時代、ありとあらゆる手法を取り入れていて、最終的にはトーキーの世界で長回しにたどり着いた。伊藤大輔監督は「俺の映画の説明は洋画をやっているヤツが向いている」なんて言っていて、活動弁士の喋りを最初から想定しているんですよね。

又聞きなので、自信がないんですが、この映画の最後で言葉を引用した稲垣浩監督は、「活動写真ファンの時には活動弁士は素晴らしいと思っていた。自分が映画監督になったら、こんなに邪魔な人はいないと思った。トーキーになったら自分の台詞がいかに活動弁士に影響されているかわかった」と言っていたそうです。活動弁士は監督それぞれに、大きな影響を与えている。

永瀬さんが演じた山岡秋聲のモデルは徳川夢声さんなんですが、彼は活動写真に語りを入れることにだんだん懐疑的になって、どんどん言葉少なになっていったそうです。

淀川長治さんなんてビックリしたそうですよ。関西ではスキマないくらい言葉で埋め尽くすのに、東京に来たら時々しか説明しないって。それは徳川夢声さんのことで、彼は肝心な時に肝心なことを言って、邪魔になってないとインテリに評価が高かった。

活動弁士も喋って、ただただ自分が目立てばいいという気持ちでやっていたわけではなく、きちんと映画と向き合っていくようになっていくんですね。そこに触れておきたかった。要するに活動弁士の存在によって、欧米と日本では全く違う環境で映画監督が育っているわけです。これは映画史を勉強している人に研究してほしいくらい、重要なテーマだなと思います。

※YouTube
東映映画チャンネル
映画『カツベン!』予告1 2019年12月13日(金)公開!

映画は世界中で誰かが発見したことの連続で発展した

――映画の中で出てくる無声映画は、バンツマ(阪東妻三郎)の『雄呂血』は有名ですが、ほかの作品は新たに撮られているんですよね?

〇片島さん:そうですね。実在のフィルムは『雄呂血』だけで、『金色夜叉』や『ノートルダムのせむし男』などは再現で、無声映画を元ネタにオリジナル編も4編作りました。僕も日本の無声映画をたくさん観てきたわけではないので、劇中で取り上げた無声映画は手元にあった映像資料からチョイスしました。

主人公が子どもの頃に観ているのは、『目玉のまっちゃん』の映画を元ネタにした『怪猫伝』と『後藤市之氶』です。

でも『目玉のまっちゃん』と呼ばれた尾上松之助は、主演作が1000本以上と言われているのに、5本くらいしか残っていなくて、それも完全版ではないんです。元ネタと言っても、スチール写真が残っているだけとか、タイトルしかわからない中から作っていきました。

――映画の中の映画の面白さがありました。

〇片島さん:無声映画をどうやって作っていたかを見せたいっていうのもありましたが、なかなかいい資料もなくて……。

そんな中で周防監督が40年くらい前のテレビ番組で『あゝ、にっぽん活動大写真』という映像資料を持ってきてくださったんです。『日本映画の父』と呼ばれる牧野省三さんがどういう風に立ち回っていたかを、息子で監督のマキノ雅弘さんの話を元に再現したドキュメンタリーでした。

目玉のまっちゃんが「イロハニホヘト」って適当なセリフを言っていたり、今だったら「よーい、スタート」って言うところを「おいっちにのにのにのさん」って言っていたりしていたそうなんですよね。

――撮影中は、本当に適当なセリフを言っていたんですか?

〇周防さん:「イロハニホヘト」って言っていたのは、マキノ雅弘さんの『映画渡世 天の巻 地の巻』に出てくる牧野省三さんのエピソードなんです。自分で芝居小屋を持っていたので、そこでかけている芝居を映画にしていたんですが、暗いと映らないから、外に出てやった。

その時、役者さんはセリフもしゃべるんだけど、新しく加わった人とか子役とかはセリフを覚えられないから「『イロハニホヘト』って言うとけ」ってことで(笑)。

とにかく1日1本くらい撮っていたそうなんです。まだいろいろなアングルから撮って編集するなんてことは思いついてもいない。ワンカットで撮っていて、カメラを回し出したら、止めるすべがない。途中で犬が入ってこようが、子どもが通ろうが、止めようがない。今思えば無茶なんですけど、当時の人にしてみれば、そのまま撮影し続けるしかなかった。

さらにカメラのレンズも暗いし、フィルムの感度も悪い、本当にピーカンじゃないと撮れない。チャップリンが持っていたスタジオもグラス・ステージって言って、ガラス張りの温室みたいな感じで太陽光線で撮っていたんですね。

――当時の人は本当にエネルギッシュですね。

〇周防さん:僕らは今、当たり前に映像を見られていますけど、写真が動くっていうことが、当時の人にとっては、どれだけの驚きだったか……。

牧野省三さんは、ある時、ワンカットで撮っていたら、フィルムが落ちちゃったんで、「ストップ」って言って、役者さんをそのまま止めておいて、同じ形から撮影を再開したんですよ。そうしたら、たまたまトイレに行った役者さんがいて、牧野さんは、せっかちだから戻ってくる前に、そのまま撮っちゃった。それでフィルムを回してみたら、その人だけ消えるわけです。

牧野さんのスゴいところは、失敗したと落ち込むのではなく、これで突然人を消すことができると発見した。逆に、途中から役者さんを入れたら急に現れる。そういう風にして彼は忍者映画を発明し、ヒットさせたんです。

フィルムを繋げて編集するなんて、最初は誰も考えなかった。映画は世界中で誰かが発見したことの連続で発展したんです。そこらへんまで考えて、観ていただけるといいですね(笑)。

自分で書いたシナリオで撮る時と
他の人が書いた脚本で映画を撮る時

――同じ活動写真なのに、弁士によって全然違うっていうのも面白い。

〇周防さん:そういうのを片島さんは、脚本の中に笑えるエピソードとしてわかりやすく書いた。そういうところが上手いと思いました。

――片島さんは、もともといろんな監督さんの助監督をされていて、『ハッピーウェディング』で監督デビューされましたが、脚本は勉強されていたんですか?

〇片島さん:脚本の勉強をしたことはないです。僕は最初コマーシャルの制作会社にいて、その後ドラマの世界で助監督や制作をするようになりました。

最初に映画の仕事をしたのは『私をスキーに連れてって』(1987年)ですね。エキストラ集めなどをしていました。2本目が『マルサの女2』(1988年)で、この時メイキングを撮影していた周防監督と初めてお会いしました。

〇周防さん:『マルサの女2をマルサする』のメイキング映画で、僕、片島さんを撮っていますよ(笑)。ぜひ観てください、若き日の片島さんを。

――助監督さんから見ると、監督によって作り方もいろいろな違いがあるのでしょうね。

〇片島さん:確かに監督によって違いはありますが、周防監督はじめ、矢口史靖監督、三谷幸喜監督など、作家性が強くて自分で脚本を書く監督が多かったので、その影響があったかもしれません。

脚本を書かない監督もいらっしゃいますし、中にはあまり演出もこだわらない監督もいて、本当にいろいろです(笑)。僕は監督自身が書いた脚本で映画を撮るほうが、作家性を感じて惹かれるほうです。

――周防監督は、今までご自分で書かれたもので撮って、他の方が書いた脚本で映画を撮るのは初めてですね? 違いがありますか?

〇周防さん:それは違いますよ! まあ、ラク!(笑)。だって脚本書くのって大変じゃないですか(笑)。片島さんが立派なのは、これだけたくさん助監督をしている中で、脚本を書き続けてきたっていうことです。だから絶対に実現させるし、ホンは面白いのに映画はねって言われないように頑張ろうと思いました。

ラクっていうのは置いておいても、これは、皆さんわかると思うんですけど、自分でシナリオを書けば、何を考え、何を捨て、何を残してこうなったかっていうことを分かっているんですよね。実はシナリオに書かれていないことがいっぱいある。でも人が書いたホンだと、なんでそのシーンじゃなきゃいけないのか、そこに辿り着いた道筋がわからない。

自分で書いたシナリオなら、なぜそういうシーンにしたのか、明確な根拠があって、役者さんに「だから、こうしてほしい」って言いやすいんですけど、そうじゃないと言いにくいよなーって思いました。

だから、片島さんには通常の助監督としてではなく監督補として、ずっと現場で僕の横に付いていてほしいってお願いしました。その世界のことを誰よりも深く考え続けてきたわけだから、たくさん相談しました。せっかく初めて人の脚本で映画を撮るので、片島さんの世界の中で演出することで、いつもと違う自分の演出っていうのが出てくるかもしれないと楽しみでした。

現場で発見することも多くて、それは結構冷や汗をかきました。これっていくらなんでも書き間違いなんじゃないのって思ったシーンも、本当なんだ!?って思ったり……。壁を破ったら映画館のスクリーンを破って客の前に出ちゃうシーンとか。え、壁、そんなに薄いの?って思ったり(笑)。

タンスのシーンを読んで面白がっていたのに、壁への突進は唐突に思えて、結局はこの映画はこういうこともありの映画なんだって納得するまでに時差があった気もします。リアリズムをどこに置くかっていう問題ですね。

サイレント映画時代のアクションをやるって考えれば、なるほどねって思うんですけど。この映画の中で片島さんが何を大事にしているのかっていうことを、現場で理解していった感じでした。

――脚本が出来上がった段階で、ご自分の中でも撮る画のイメージが出来てきますよね?

〇周防さん:でも、自分でホンを書いていれば、僕の場合、画のイメージがあって、それ脚本に書くので、全部わかるんですけど、他の人が書いたものは、イメージの無いところに、文字から映像を立ち上げるので、ぴったりイメージできたとは思えないですね。

――そうですよね。両方の部屋から引き出して使えるタンスのシーンは、引き出しがあっち行ったりこっち行ったり、面白かったんですが、まずは美術さんに説明していくわけですね?

〇片島さん:最初、全然理解してもらえなかったです。実はおじいちゃんの家に、同じようなタンスがあったんで、そんなに変だと思っていなくて。でも周防監督だけは最初からわかってくださっていました。

〇周防さん:このシーンは、最初のホンからあって、面白いので絶対に撮ろうと思っていたんですが、美術監督から思わぬ反撃を食らいまして。「えー、いいじゃん。面白いんだから」って言ったら、片島さんから「いや、それ本当にあるので」って聞いて、それもビックリで。面白いシーンだと思いました。少なくとも壁をぶちやぶるのよりは、全然素直に理解できました(笑)。

――脚本家ってホンを監督に渡して、あとで見ると、スゴく嬉しい時と、本当はこう撮ってほしかったということがあると思うんですけど、今回それはありましたか?

〇周防さん:ここで言わせるってスゴいなあ!(笑)。

〇片島さん:さすがだなと思ったのは、俊太郎と梅子が2人で語る『火車お千』という活弁のシーン。10年後再会して言葉で何か言い合うんじゃなくて、活弁のセリフを通して、俊太郎の気持ちを表現できたらと考えていました。

とはいえ、梅子ちゃん役の黒島結菜ちゃんは活弁士役ではないので、活弁の練習をしていなかったから大丈夫かなと思ったんですけど、2人の気持ちを吐露し合うようなシーンになっていて、ラブシーンっぽくて、ありがたかったですね。

――あのシーンは良かったですね。

〇周防さん:えー!(笑)。あのシーンこそ、そんなに深く脚本を読めてなかったなと大反省して、現場で焦りまくって、ドキドキしながら撮ったんです。こんなラブシーンは撮ったことないから、最高のラブシーンを撮ろうと思って撮ったので、そう言っていただくと嬉しいけど、自分でホンを書いてないって、こういうことなんだなと痛切に思いました。

片島さんて不思議な助監督で、監督からもプロデューサーからもスゴく好かれているんです。それってあんまりないことで(笑)、ものスゴく仕事がしやすい。あまりにいい人なんで、それで次々に助監督の仕事がきてしまう(笑)。

世界中に叫びたくなるものを映画にする

〇周防さん:僕が脚本も書かなきゃと思った理由は、「監督したい」とプロデューサーに話す時に、アピールするものが何もないと困ると思ったからです。映画監督はそもそも自分でホンを書かなきゃいけないと思っていたわけではなく、自分で書かないと監督になれないって思ったから。

監督になってからは時々「こういうホンがあるので、撮ってみませんか」って言われて、その時はホンが面白いと思わなかったから断っただけなのに、あの人は自分のホンじゃなきゃ撮らないと思われているようで……。

それが今回、桝井さんが「撮りませんか?」って言ってくれたので、これで僕は、他の人の脚本でも映画を撮るということをハッキリ示せたんでよかったと思います(笑)。

――シナリオの勉強方法で役立つことは?

〇周防さん:シナリオを勉強にする時に一番いいのは、自分の大好きな映画を分析しつくすこと。

僕は小津さんの映画が好きなので、脚本を書き始めてしばらくは、脚本をすぐ横に置いておいて、行き詰まると読んだりしていました。脚本家は野田高梧さんですけど。

ファーストシーンは、なんでこうでなければいけないのかとか、いろいろ考えて……。自分が好きなんだから何度でも見られるじゃないですか。徹底的に見て、構成を真似て、テーマを変えて書いてみたりすることが勉強になる。

『Shall weダンス?』を書いた時は、ビリーワイルダーの『アパートの鍵、貸します』を何度も観ました。それと出来た映画がどう似ているかは別にして、たぶんこういうタイプじゃないかなと思った映画をピックアップして面白いものを徹底的に分析しました。これって、とてもいい勉強法だと思います。最近はあまりやってないですけど。

――片島さんは、そういった勉強法は何かありますか?

〇片島さん:特にないんです。今、スゴく深い話を聞いたなと(笑)。僕は、あまり全体像を考えずに頭から書き始めるほうで、設定したキャラクターが勝手に転がっていくのを追いかけていって、最後に考えてもみなかった着地点についたりします。

――では書くときのキッカケは?

〇片島さん:ふとした時にストーリーのごく一部分を思いついて、それを膨らましていくのが、僕のいつものやり方です。物を考える時はだいたいサウナで考えるんです。他にすることがないんで集中して考えられる。

今回の映画では、無声映画のオマージュ的なシーンをやりたいと思っていました。キートンの映画に出てくる、壁が倒れて窓にスポっとハマって助かるシーンをやりたいと思って書いていたんですが、十何年思い続けていたことが、美術打ち合わせが始まって10秒くらいでなくなりました(笑)。

――最初に監督を手がけた『ハッピーウエディング』では国井桂さんと共同脚本でした。国井さんはシナリオ・センター出身なんです。

〇片島さん:そうですね。これは最初に出来上がった脚本があって、それを僕が入って直させてもらいました。

――次の企画は考えていますか?

〇片島さん:これまでたくさん企画を考えたり、ホンを書いたりしてきたので、やりたいことはいろいろあります。僕はこの『カツベン!』を通して、声フェチなんじゃないかと気づいて、声に関する映画を、ぜひ実現させたいと考えています。

――『カツベン!』は小説版もありますね。脚本を書いたあとに書かれたんですか?

〇片島さん:そうです。初めて書いた小説です。こんなに大変だとは思いませんでした。小説と脚本とこんなにも違うものかと実感しました。

脚本は、説明するようなセリフは削って削ってって考えていきますけど、小説は映像がないんで、説明しないと読む人にはわからない。大正時代の話ですし、ましてや活弁の世界の話で、活弁だけでなく興行の世界のことも考えなくちゃいけない。

映画が出来上がってから書き始めたので、一度、自分の中で終わったことを、また資料を引っ張り出して、再構成して考えることになったので、余計に大変でした。

――成田淩さんの口上も片島さんが書かれたんですか? 

〇片島さん:まず自分で書いて、片岡一郎さんと坂本頼光さんという現役の活弁士の方に添削してもらって、直したりもしていますね。

――周防監督の次回作は?

〇周防さん:4年に1本のオリンピック監督と言われるのは、もういいと思っていて(笑)。せめて2年か3年に1本撮るつもりで、頑張って撮らないと。

――脚本の元となるアイディアの発想法についてお聞きしたいのですが。

〇周防さん:普通に生活していて、驚いたことがあったりすると、誰かに話したくなるじゃないですか。話して共感を得て解消できるものはそれでおしまいだけど、世界中に叫びたくなるものもある。その時、映画にするんです。

でも「ネタは探さない」って自分に言い聞かせている。映画監督は自分のセンスで、これ映画になりそうだなと思った瞬間、その対象を自分に引きつけてしまう。そうではなくて、自分のほうから対象に飛び込んでいったほうが自分の世界が広がると思います。

『シコふんじゃった。』も『Shall we ダンス?』もそうですし、「何これ?」と思って取材しているうちに、知っただけでは満足できなくて、世界中に向かって叫びたくなる。そういう時に映画になるし、そういう映画を作りながら、知らないことを知り、いろいろ考えるのが楽しいんだと思います。

――シナリオを勉強中の人に、書く時に大切なことは何か、アドバイスをお願いします。

〇周防さん:自分の中に、表現せずにはいられないっていう切実なものがなければダメです。技術を身につけて、原作だろうが何だろうがオーダーがあって、そのシナリオを書くプロを目指すのは構いませんけど、シナリオを勉強している皆さんがまず大切にしなくてはいけないのは、どうしても表現したいという切実な思い。そういう思いが人を動かすので、たとえ拙くても、そこからどんどん書き始めてほしい。

――今回の作品は、まさに片島さんの思いがいっぱい詰まっていました。

〇片島さん:ありがとうございます。オリジナルで作ろうとすると、実現しないことが圧倒的に多いんですね。でも、やはり日本映画には、作り手の思いが詰まったオリジナルの作品が、今後さらに増えていけばいいなと思っています。

〈採録★ダイジェスト〉THEミソ帳倶楽部「脚本家×監督 映画『カツベン!』を語る―活動弁士のエンタメ作品『カツベン!』ができるまで―」
ゲスト:周防正行さん(映画監督)、片島章三さん(脚本家・監督補)/司会進行:柏田道夫さん(シナリオ・センター講師)
2019年12月20日採録

※併せてこちらの記事もご覧ください。
・「脚本の勉強をするなら/周防正行監督に聞く」

・「映画『終の信託』を撮って/周防正行監督に聞く」

・「周防正行さんに聞く/映画作りの発想の原点は 自分が面白いと思うもの」

 
※色々なゲストをお招きしている公開講座の模様はこちらをご覧ください
https://www.scenario.co.jp/club/ 

プロフィール

・周防正行(すお・まさゆき)
1984年、『スキャンティドール 脱ぎたての香り』で脚本デビュー。同年、『変態家族 兄貴の嫁さん』で監督デビュー。1992年『シコふんじゃった。』で日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞。1996年、社交ダンスブームを巻き起こした『Shall we ダンス?』で第20回日本アカデミー賞13部門独占受賞という快挙を果たす。その他、『それでもボクはやってない』『ダンシング・チャップリン』『終の信託』『草刈民代 最後の“ジゼル”』『舞妓はレディ』など話題作多数。

・片島章三(かたしま・しょうぞう)
助監督として、周防正行監督作品『終の信託』『舞妓はレディ』、矢口史靖監督作品『ウォーターボーイズ』『スウィングガールズ』『サバイバルファミリー』、三谷幸喜監督作品『清須会議』『ギャラクシー街道』、黒沢清監督『叫』、山崎貴監督『Returner』など、様々な話題作を担当。2016年『ハッピーウエディング』では監督・脚本を手掛ける。2020年、『カツベン!』で第43回日本アカデミー賞 優秀脚本賞受賞。

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