イメージと違っていた二宮金次郎
〇柏田さん:五十嵐監督が、この作品を撮ろうと思ったきっかけは、どんなところだったんでしょうか?
〇五十嵐さん:僕は今まで実在した人物を題材にして映画を撮ってきました。アンコールワットで亡くなった戦場カメラマンの一ノ瀬泰三を主人公にした『地雷を踏んだらサヨウナラ』(1999年)。
『アダン』(2005年)の田中一村は奄美大島で亡くなった画家で、あとは『みすゞ』(2001年)は詩人の金子みすゞです。
実在の人物を描く場合、他人の人生を映画にするという、非常に傲慢な行為でもあります。特に僕の場合、既に亡くなった人物を採り上げるので、実際にどんな人だったのか、もうわからない部分もある。ということは周辺取材、その時代を共に生きた人を訪ねたり、その人がいた場所を自分でも行ってみたりという、作家としての作業が必要になります。
2015年に重松清さん原作の『十字架』を、舞台になった茨城筑西市(旧・下館)で上映した時に、筑西市の人がやって来て、「この下館は200年前に、ある人が復興させた場所なんですが、あなたはご存じですか?」と聞かれたんです。僕は知らなかったんですが、その答えが二宮金次郎でした。
僕は、薪を背負っているイメージしかなかったので驚いて、いつもやっている自分のやり方で、二宮金次郎が生まれた場所、小田原市の栢山(かやま)に行ってみました。そうしたら、そこに『尊徳記念館』や移築された生家もあり、二宮が油を取るために植えていた菜の花畑もあって、貧乏な頃、お金がなくても治療してくれた村田医院というところもまだありました。
『尊徳記念館』の横には銅像があるんですが、薪を背負って本を読んでいる姿ではなく、片方の手に帳面、もう片方には筆を持った尊徳像でした。身長が180センチ以上、体重も90㎏以上の大男の銅像なんです。イメージとすごく違っていて驚いたのが、最初に映画にしたいと思ったキッカケでした。
〇柏田さん:筑西市の方は映画にしたいという思いで、監督に二宮の話をされたんですか?
〇五十嵐さん:当時はNHKの大河ドラマにしたいと思っていたようです。でもドラマは、女性が登場してこないとなかなかむずかしいということで、いい返事は返ってこなかったようです。そこにちょうど僕が行ったわけです。
〇柏田さん:監督自身が二宮に興味を持たれた訳ですね?
〇五十嵐さん:幼い頃の二宮尊徳の銅像が有名なのは、明治時代に日本政府が勤勉なイメージを利用したからです。働きながら勉強する姿を「修身」の教科書に載せたんですね。その姿も二宮尊徳ですが、僕が興味を持ったのは、青年期の革命家の二宮です。自分のやりたいことを突き進んでいるというのが、今まで描いてきた人たちとダブるところがあって、興味深いと思いました。
※YouTube
シネマトゥデイ
映画『二宮金次郎』予告編