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脚本 の勉強をするなら/周防正行監督に聞く

2014.09.16 開催 THEミソ帳倶楽部「映画『舞妓はレディ』を撮って」
ゲスト 周防正行さん(映画監督)

シナリオ・センターでは、ライター志望の皆さんの“引き出し=ミソ帳”を増やすために、様々なジャンルの達人から“その達人たる根っこ=基本”をお聞きする公開講座「ミソ帳倶楽部 達人の根っこ」を実施しています。そのダイジェスト版を『月刊シナリオ教室』(今回は2014年12月号)よりご紹介。
今回のゲストは映画監督の周防正行監督。お越しいただいたときは、周防監督の新作映画『舞妓はレディ』が公開された直後でした。ミュージカル映画に初挑戦した周防監督。どのようにして映画『舞妓はレディ』が出来上がっていったのか、また、脚本の勉強はどうやればいいのか、等々お話いただきました。

発想から20年かかった理由

映画『舞妓はレディ』の企画が生まれてから、こうして公開するまでに、20年以上の時間がかかりました。

そもそもなぜ舞妓を題材にしようと思ったのか……。

『ファンシィダンス』、『シコふんじゃった。』と、2本続けて日本の伝統文化の中の男の子の話を描いたんですが、それなら今度は、女の子が伝統文化の中で活躍するというのはどうだろうと考えました。

そんな折に、京都の花街で舞妓のなり手が少なくなっているという話を聞き、舞妓という職業があるじゃないかと思い付きました。「そうだ、京都行こう」ですよ(笑)。

舞妓といえば、だらりの帯で京都の街中を歩いている可愛くて美しい白塗りの女の子という漠然としたイメージしかないまま、とにかくお茶屋さんを訪ねるというところからスタートしました。

一見さんお断りの世界ですから、いろいろなツテを辿って、お座敷をいくつか回ってみたわけです。

なぜ20年かかったか。お座敷を取材して、その世界のあり様というのがおぼろげながらに見えてくると、「これは、わかる訳ないな」と感じました。

禅宗の修行僧や学生相撲だって、深い意味では理解するのは大変だとは思いますが、とにかく見た瞬間から面白い。面白いから取材をしたのですね。ところが今回は逆で、舞妓という発想が先にあって見に行ったわけです。

お座敷に、仕出し屋さんから懐石料理が届き、芸妓さんと舞妓さんが来て、軽くお話ししながらお酒を飲み、ご飯を食べ、しばらくすると舞妓さんや芸妓さんが踊るのを見て、ちょっと喋ってお開き。「これの何が楽しいんだ?」って……(笑)。

初めての場所だし、取材だし、こっちは硬くなって緊張している。向こうもどう対応していいか分からなかったのかもしれませんが、ちょっと困ったなと思いました。あの世界のすごさや面白さを僕自身が感じられなかった。

そうしているうちに『Shall we ダンス?』を思いついてしまって、そっちに行っちゃったんです。

今でも覚えていますが、山形の酒田で、「舞娘株式会社」という、若い女性を募集して舞妓さんに仕立てて派遣するという会社組織があると聞き、取材に行ったんです。

その道中のこと。僕は同行したスタッフに、『Shall we~』のプレゼンをしたんです。もう完全に舞妓より社交ダンスの方に気持ちが行っていたわけです。ということで、最初の舞妓さんの映画化の機会を逸してしまいました。

その後、取材という形ではなく、純粋なお茶屋遊びに僕を誘ってくれる人が現れて、時々京都へ行くようになりました。そうしたら取材の時とは違って、いろいろな体験をすることが出来たんです。

見えてきたお座敷の粋な世界

今思い返して何がターニングポイントだったかというと、草刈と結婚して最初の彼女の誕生日を、お茶屋さんでお祝いしたんです。

草刈のキャラクターもあったと思いますが、えらい盛り上がったんですよね。草刈が芸妓さんと飲み比べを始めて、芸妓さんが女将さんに「素人相手に何やってんの」と怒られる(笑)。

草刈も興が乗ったのか踊り始めるし、そんな盛り上がりの中で、舞妓さんがシャチホコっていう芸を見せてくれたんですね。さすがに驚きました。京都の花見小路を歩いている可愛らしい舞妓さんが、いきなり裾を股に挟んでシャチホコのように三点倒立をする。

中には「そういう下品な芸は止めなさい」という女将さんもいて、許されている芸舞妓と、そうでない芸舞妓がいるらしいです。この映画でシャチホコを撮ってしまったので、映画を観たお客さんから、やれと言われて困ってしまう芸舞妓もいるのではないかな。

とにかくシャチホコを見た時に「こういうこともアリなの?」と驚いた。

その後も京都へ誘ってくれた人と一緒にお座敷を回っていると、最初に取材していた時のような、決まりきったルーティーンとはまったく違う、お茶屋の世界が見えてきた。これはラッキーでした。「こりゃ楽しい!」と。

でも僕はお酒が飲めないし、お座敷遊びの神髄や、「舞妓とは」「芸妓とは」という日本文化の根っこの部分を語れるほどには到底なれないと思いました。自分のお金で30年40年遊び続けない限り、この世界のことを分かったなんて言えないだろうと。

だけど少なくとも「僕が感じる楽しさ」を発見できた。だったらそれを描けばいいじゃないかと発想を転換し、ミュージカルにつながるイメージができてきました。あのお座敷の粋な感じ、京都ではスイと呼びますが、これを伝えようと思いました。

ただし、お座敷をリアリズムで撮ってもその楽しさはなかなか伝わらない。そこにあるのは、芸妓さん、女将さん、お客さんの長年の付き合いから生まれる呼吸であったり、積み上げてきた遊びの歴史が背景にあって生まれるユーモアだったりするわけです。これを映画で伝えるのは難しい。

でもその時、「お座敷ってミュージカルだ」と思ったんです。お茶屋遊びには必ず歌と踊りが付いてくる。シャチホコだって、いきなりではなくて、ちゃんと手拍子と歌があって披露されるものです。だったら歌と踊りを全編に繰り広げて、京都を伝えるというやり方もあるかもなぁと気が付いた。それがこの映画の1番のポイントだった気がします。

20年経ってしまった理由は、さっき話した最初のつまずきと、舞妓映画は何年かに一度は作られるので、タイミング的なことです。ただし、この20年の間に、僕はシャチホコ以外にもネタを積み重ねてきました。

中でも、すごく印象的で、絶対に撮りたいと思ったのが、映画の中にある「ムーンライト」のシーンです。富司純子さん演じる女将さんが舞妓時代の初恋の思い出を語るシーンですが、これは僕が京都のある女将さんから聞いた実話です。

彼女は舞妓時代、お座敷が終わった後にだらりの帯ではない普通の着物に着替え、伊丹空港からビジネスマンに混じって深夜便に乗り、初恋の映画スターに会いに行っていたと。ホテルのラウンジでお話をして、朝一番の折り返し便で京都に戻り、一睡もせずに稽古をしたというんです。

僕は「うわぁ、いい話だな」と思いました。

絶対に映画で使いたいと思ったし、非常にこだわりがありました。シナリオにしたときに、プロデューサーから「このシーンは要らないんじゃないか」とも言われましたが、「このシーンがないならこの映画はできない!」と頑張りましたね(笑)。

結局、今振り返ると、そういった印象的なエピソードや体験が、シナリオにダイレクトにつながっています。だから、この映画には20年という月日が必要だったのではないかなと思います。

※You Tube
映画『舞妓はレディ』予告編
シネマトゥデイ

シナリオ以前に始まったオーディション

『舞妓はレディ』というタイトルは、実は自分で考えたものではないんです。

『シコふんじゃった。』でたくさんの映画賞を受賞して、大学時代の友人や先輩がお祝いの会を開いてくれました。その時に次回作について訊かれ、大体のあらすじを話しました。

「田舎から出てきた訛りの強い女の子が、酔狂な言語学者に京ことばを教えられ、1年かけて舞妓さんになる話」と説明したんです。

するとひとりの先輩が、「じゃあタイトルは決まったね、『舞妓はレディ』だ」。

ですから、ミュージカルありきで出た企画ではなくて、『舞妓はレディ』のタイトルを踏まえて取材を重ねていく中で、ある転換期が来て、歌と踊りがくっついてきた。

そうしたらまるで『マイ・フェア・レディ』のパロディであるかのような様相を呈してきてしまった(笑)。自分としてはオマージュはあっても、パロディをやるつもりも、やったつもりもありませんが。

具体的に動き始めたのは、『終の信託』という映画が終わってからです。プロデューサーから「次は『舞妓はレディ』をやりましょう」と言われていました。

舞妓見習いということは10代の女の子で決まりですから、すぐにオーディションをしますと。まだシナリオもなかったのに(笑)。

まぁ、「訛りの強い舞妓志望の女の子が言語学者に出会って舞妓になる」というシンプルなストーリーラインはあったので、あまりシナリオの心配はしませんでしたけど。逆にオーディションでいい子が見つからなければ、この映画はやらないというくらいの強気な姿勢で臨みました。

映画を観ていただければ、主演の上白石萌音さんが、どんなに素敵な女の子かってことはわかると思いますが、半年かけたオーディションでは、かなり悩みました。

普通にしていれば地味で目立たないんだけど、歌は素晴らしい。歌っている時に、彼女の幸せな気持ちが伝わってくる。「今ここで歌えていることが楽しくてしょうがない!」というような素直な気持ち。そこにすごく惹かれました。結局、それが決め手になりました。

実は、僕は、彼女にそれほど演技力があるとは思っていなかった。彼女の良さは歌と踊りでそれは間違いないけれど、芝居は苦労するだろうと踏んでいました。でも映画のためにも彼女のためにも現場で粘ろうと思っていたんです。でも全然粘る必要なんかなかった。

僕は彼女にホンを渡した時に、「このホンは、もうすぐ60歳になろうとするオヤジが書いた15歳の女の子の姿にすぎない。本当の15歳の気持ちなんて僕にはわからない。

だから、15歳のあなたが『こういうセリフは言わない』とか、『こういう行動はしない』と思うところがあったら、自分で考えて演じてほしい」と言いました。

後々取材の時に彼女に言われて驚いたんですけれど、彼女は、それを聞いてすごく気が楽になったというんです。「ホンの通りじゃなくても、自分がこの女の子のことを考えて、自分が思う通りに演っていいんだ」と。

そんな気持ち、撮影中には知らなかったんですけどね。僕は驚いて、この子は本当に賢くてシッカリした子だなと思いました。

それから、この作品は撮影の都合上、順撮りできなかったんです。成長物語なので、本当なら順撮りにしたいところだったけれど。

だから、京都弁が話せるようになったシーンの後に、まだ訛りが丸出しのシーンを撮るというようなことも多々あったんです。なにしろクランクアップが竹中直人さんの男衆の歌ですから。それくらいバラバラだった。

僕は上白石さんに「順番に撮れなくて申し訳ないんだけど、撮影をする時には必ずその前後のシーンのことを考えて、どういう気持ちでいるのかを確認してほしい」、「なおかつ、そのシーンが全体の中でどういう位置にあるのかを自分で考えてきてほしい」と頼みました。

それもちゃんと考えてきてくれた。驚きました。こんなに経験のない子が、ここまでできるんだ、って。

こういう彼女の頭の良さを、僕はオーディションでは、まったく見抜けなかった。実はものすごく能力の高い女の子だったんです。オーディションって怖いなと……(笑)。

シナリオはエピソードの取捨選択から

シナリオは、オーディション中はまったく出来ていなくて、彼女に決まった後に「さぁ書こう」と。撮影がその半年後くらいから始まることになっていました。

第1稿では、竹中直人さん演じる男衆(おとこし)に、舞妓になりたい女の子の幼なじみの男の子が、田舎から押しかけてくるという展開でした。舞妓見習いと男衆の弟子を中心に、物語を考えていました。

主人公は『マイ・フェア・レディ』でオードリー・ヘプバーンが演じたような跳ねっ返りの生意気な女性というよりは、上白石萌音さんの持ち味を生かした、素直なヒロイン像を思い浮かべました。

ところが、何を考えてもこれまでの舞妓映画の二番煎じになってしまいそうな気がして。修業の形態なんかどう撮っても同じだし、とはいえまったく見せない訳にはいかない。物語の流れは決まっていて、踊りと歌を交えるという目論見はあったものの、どんなエピソードを、どう積み重ねていけばいいのか、困り果ててしまいました。

とりあえず、節分に仮装をする「お化け」の夜で始まり、「お化け」の夜で終わる、そう決めました。出てくる芸妓さんが芸妓の格好をしていないというところから始まるわけです。邪道かもしれないけれどもすごく特徴的で魅力的な夜ですから。それに、花街、特に関西では節分の夜に「お化け」を催すことが定着しているんですね。

僕も京都の花街の「お化け」を見て知っていました。女将さんが緋牡丹お竜の姿になっている写真も見たことがあります。カッコよかったですねぇ。芸妓さんたちが、様々な扮装でお座敷を回るんですよ。

するとご祝儀がたくさんもらえる。稼ぎ時ですね。お客さんも、普段とは違う彼女たちの姿を見られて面白い。ベテラン芸妓が舞妓さんに扮して出てきたりすると、すっごく笑えるわけです。そういうことで、「特別な夜に始まって特別な夜に終わる」って枠を先に決めちゃったんです。

その後何をしたか。20年間僕がパソコンの中に貯め込んできた全部のエピソードをひとつひとつ見直した。花街には季節によっていろいろな行事があるので、それを並べて、僕が聞いたり体験したエピソードを当てはめて書き出していったんです。

そこに上白石萌音っていう女の子のイメージを当てはめ、どういうエピソードが彼女にとってふさわしい物語を紡ぎ出すことができるか考え、要らないものを落としていく。

本当は使いたかったけれども泣く泣く落とした話もあります。例えば「無言参り」なんかもそう。

お百度参りのように、八坂神社と御神輿のある御旅所の間を、七度往復して願い事をするんですが、その間、誰と会っても話してはいけない。舞妓見習いは、初めに「電信柱にも挨拶しなきゃいけない」と言われているのに、挨拶できない。

すると怖ーい姉さん芸妓に会ってしまう。挨拶しない訳にはいかない。どうしようと思っていたら、姉さんの方が無視した。つまり姉さんも無言参りをしていたと。誰のことを想っていたんだろう……という、結構好きなエピソードだったんですけれど、長すぎたので最後の最後に落としました。

このように、京都の行事と、僕が体験したすべてのことを並べて選んで、捨てていって、という作業ですね。それをやりながら、一方で歌も作らなきゃいけない。これがすごいプレッシャーでした。

歌に触発されてシナリオが膨らむ

それから、これも自分で決めた縛りなんですが……あぁ、そうだ。今回のシナリオは全部自分で決めたルールに沿って作ってるんだ!

今話しながら気付きましたが(笑)、各主要キャストは、必ず1曲、歌ってもらうことに決めていました。だから、登場人物にどういうシチュエーションでどういう歌を歌ってもらうかを考えていくと、シナリオのエピソードも必然的に固まってきたんです。

竹中直人さんは男衆だから、『男衆っていうのはなぁ』という歌になる。その世界観と僕が書いた詞を、京都出身のシンガーソングライター、種ともこさんと作曲家に送る。

すると種さんが京都弁にこだわった上で、歌える詞にしてくれる。それにまた僕がオーダーを出して……っていうやり方です。

そのやりとりを見て作曲家が曲を作る。そうやって曲が上がってくると、僕のシナリオのイメージも膨らみました。初めは歌がプレッシャーだったんですが、逆に歌作りがシナリオの助けになった。不思議な体験でした。

『ティ・アーモの鐘』という曲があります。これもイメージを伝えて種さんに預けていたんですが、このシーンはシナリオがうまく書けなくて捨てようと思ったんです。そこに種さんの詞が返ってきた。これを読んだら面白くてしょうがなくて。この歌があるなら、この歌に乗ってシーンを書こうと。

なおかつ、このシーンの場所はなかなかイメージできず、ロケハンも大変でした。製作部が随心院に案内してくれて、「ここなら1日中ロケできます」って言うんです。

そんな理由なの?安易だな……と思いつつも話を聞いてみると、小野小町ゆかりの場所だという。使えるじゃないか!となって、シナリオに小町伝説を取り込んで書き換え、この場所で撮ることに決め、ここだけだと場所の広がりがないので、知恩院の三門も使わせてもらうことにしました。ミュージカルだから、途中で場所が飛んだっていいかって。

そうしたら、知恩院のお坊さんが「奥に素晴らしい鐘があるんです」と案内してくれた。「鐘の中には入れませんよね?」「どうぞ」「えっ、いいんですか?」「どうぞどうぞ」(笑)。

後で聞いたらそのお坊さん、『ファンシイダンス』の大ファンだって!(笑)。随心院の小野小町伝説、お坊さんの案内で見つけた知恩院の三門と鐘、それと種ともこさんの詞。これらのおかげで、あのシーンが出来ました。今までこんな作り方したことないです。

花街のシーンはオープンセットだったので、京都ロケは本当に京都らしい場所にしようと思っていました。全てうまくいったというわけです。

歌い出しのタイミング

方言については、津軽弁は最初から決めていました。これは直感的な僕の好みです。

上白石萌音さんを選んだ時に、鹿児島出身ならば鹿児島弁も面白いという安易な発想で、「鹿児島弁と津軽弁のバイリンガル」と言わせたい、それだけでした(笑)。こういうシナリオの作り方でいいのかって気もするけど、そういうノリの映画だったのかな……。

流れはシンプルですから、それぞれのシーンを楽しく見せること。歌と踊りがあるので、それぞれのエピソードを面白く撮らなきゃしょうがないだろうと。エピソードが面白ければ、歌も面白くなるはずだと。そういう考えでした。

鹿児島出身だから「西郷」って苗字にするとか、かなり適当なアイデアで攻めましたね(笑)。富司純子さんも劇中で歌を披露していますが、お願いしたら「歌わせていただきます」と。東映京都で名だたる監督と仕事をされてきた、品格のある女優さんです。それなのに、冒険というか、新しいことにも挑戦する、まさに本物の女優だなと思いました。

冒頭の緋牡丹お竜のシーン、最初から書いてはいましたが、富司さんは許してくれるんだろうかと心配になって。だからシナリオを渡した時も、一切そこには触れずに交渉しています。撮影中も触れなかった(笑)。

完成してからの試写で、富司さんがそのシーンを観て笑っていたというスタッフの証言を聞いて、良かったーと思って。こちらが勝手に大御所扱いをして遠慮していてはダメなんだなと。

歌に関しても本当に一生懸命ヴォイストレーニングをしてくださって……。富司さんに歌ってもらえたというのは、すごく大きいことだったと思います。

シナリオを書く時に気を付けていたのは、いつ、どういうタイミングで歌い出すのかということ。冒頭の萌音ちゃんの歌い出しのところは、変な細工をしないで、彼女の実力に賭けました。歌がセリフの代わりだと思って。

役者さんにオファーする時には、歌が上手い人を選んだのではなく、登場人物のキャラクターに合うと、僕が思った人に声を掛けたわけです。

田畑智子さんの歌なんか初めて聞いた時にすごく感動したし。それぞれがどの程度の歌唱力を持っているかは打ち合わせの時に知りました。役者さんは、その人の個性と役柄を考えて歌ってくれるはずだから、歌手のようにうまくなくても観客は楽しめると思ったんです。

ただし、多くの人がまだ知らないヒロインの上白石さんには、それは当てはまらない。そういう点ではハンデがあったのですが、彼女の歌の魅力なら大丈夫だろうと思ったから、この映画の歌い出しは彼女に任せたんですね。

舞妓さんになる子の動機って、実際はとっても単純なんです。単に綺麗な格好をしてみたいとか。舞妓さんは芸妓さんの見習いですから、「襟変え」をして芸妓になっていくんですが、今は舞妓で辞めていく子も多いそうです。そういう現実もある。

だけど舞妓になるための辛い修業を、なぜ続けられるのか。これは撮った後に思い至ったことなんですが、それは、将来の自分があるべき姿が見えたから。

つまりロールモデルを見つけられれば、ああいう素敵な人になりたいと頑張れる。私も姉さんのような素敵な舞妓さんになりたい、ということです。若者が成長する時に必要なのは、周りにどれだけ素敵な大人がいるかってことなのかもしれません。

楽しいシーンを重ねて作った映画なので、テーマをどう感じとってもらえるか難しいとは思いますが、僕は無意識のうちに、舞妓だけではなく、カッコいい花街の女の人をテーマに選んでいたのではないかと思います。

「映っているものがすべて」

僕の映画との出会いは、小学校2年生で観た『モスラ対ゴジラ』。

怪獣映画にハマって、『若大将』に行って、色気がついてきたら関根恵子(高橋惠子)さんの大映シリーズに行って……。

その頃からテレビで淀川長治さんの日曜洋画劇場を見るようになり、名画座通いをしながら日活ロマンポルノもこっそり観に行って。そういう感じで、高校生くらいまでは普通の映画ファンでした。キネマ旬報を買い始めたのが高校2年生だったかな。

大学に行って蓮實重彦先生に出会いました。それまでは、どう生きるかとか、自分が何者であるかを探すために映画を観たり本を読んだりしていた。だから、映画の中に哲学的なものを探していたし、映画監督というのは非常に立派な人でないとできないと思っていたんですね。映画を作るなんてことは考えたこともなかった。

ところが蓮實先生の授業では、「映画は見るものです。まずは映っているものを見なさい」と教えられた。蓮實先生のフランス文学の授業も受けていましたが、先生は授業の初めに「テキストに何が書いてありましたか?」と訊ねる。

すると学生たちは、書いていないことを答えるんです。僕らは行間を読めと教えられてきて、それが文学だと思っていたから。

すると蓮實さんは「それはどこに書いてありますか?」。みんな絶句する。そうすると蓮實さんは「行間には何も書いてありません」という決め言葉を言うんですね。

映画についても、「映ってないものを見ようとしていませんか?」と。「まず映っているものを見なさい。映っているものがすべてです」。

作り手にとってもこんなに重要なことはない。映っているものがすべて。本当にその通りなんです。どんなに能書きを垂れたって、映っているものがすべて。そこでしか映画は成立しないんだってことを、後年になって嫌というほど感じました。

さて、学生だった僕は、映っているものがすべてなら、哲学的な背景とか、思想的な背景なんか関係なく、自分の好きなものを撮ればいいんじゃないの?という発想になって。

それから、どんな映画も見るのが恐くなくなりました。映っているものがすべてなんだから、作者が何を訴えようとしているとか気にせずに、映画を見ることができるようになりました。

シナリオを読むようになったのは、高校2年の時に山田太一さんのテレビドラマ『それぞれの秋』を見てからです。えらく感動して、すごいなぁと思って。

本屋で『それぞれの秋』のシナリオを見つけ、山田太一という名前を知りました。山田さんの書いた作品を調べたら、僕の大好きな『二人の世界』もあって、「えっ、あれも山田太一なの?」と。

それで僕は山田太一マニアになったんですね。その後は小津安二郎監督作品の脚本を読んだり、そうすれば後は芋づる式ですよね。自分の見た映画のシナリオを片っ端から読むようになりました。

自分が好きな映画を何度も何度も観て分析

僕は、今までの映画はすべて自分でシナリオを書いています。

何度か他の方が書いたホンをいただいて読んだことはありますが、なかなか面白いものに出合えない。一度だけプロデューサーに「これを書き直していいんだったら監督します」と言ったことがあります。

書き直して準備をしていたら、プロデューサーから「シナリオライターが、これは自分のシナリオじゃないと言っているので、直す前のシナリオでやってくれないか」と……結局、その映画を降りました。

僕の書いているシナリオって、極端にいえば演出ノートなんだと思います。書きながら演出を考えているんです。書く時に、そのシーンの具体的なイメージを頭に思い浮かべて書き写している。

そうやって何稿も何稿も書いているうちに、シーンについての考察を自分で深めているんですね。だから現場で演出できる。他人のシナリオを一読して、「さぁ演出して」って言われても、僕はできない。

もし他人のシナリオでやるとしても、なぜそういうシーンになったのかを辿り直さない限り、演出できない。

自分の書いたシナリオなら、どうしてこの部分が書かれていなくて、このシーンがこう書かれているのか、その道筋がわかる。だからこそ演出できるし、さっき言ったように、ロケハンしながら、その場所に合ったシナリオも作れちゃうんです。

それってほとんど監督の作業でしょ。僕は、シナリオライターというより、演出するためのメモ作りをしているという気がします。

『舞妓はレディ』は最終的に3~4稿くらいまで直しました。お茶屋さんの世界を描くのに、どういうスタイルで撮るのが一番いいのか。例えばリアリズムで撮るやり方もあったと思います。

だけど、さっきも言ったようにお茶屋の世界や仕組みは、わからないことも多い。でも僕が楽しいと感じたことがあるのなら、その楽しさを伝えよう。楽しさを伝えるために、歌と踊りを使ったということです。

つまり、対象の世界をどう捉えるのか、どう伝えたいのかで、スタイルが決まる。僕のスタイルがどうかというより、描きたい世界によってスタイルを選ぶという感じですね。

他の映画監督はわからないけれども、僕の場合、その映画のビジョンが、構想の最初の段階から明確に浮かんでいることはまずない。あるインタビューで僕は、「20年前の僕は『舞妓はレディ』がこんなに幸福感に溢れた楽しい作品になるとは思ってもいなかった」と言いました。

色々なことが積み重なって最終的な作品になる。もしいいシーンが撮れたとしても、その高みにはいきなり到達できるわけじゃなくて、寄り道を繰り返して、つまらないことの積み重ねをしてきた結果なんですよ。ちょっとずつしか進まない。

ヒッチコックなら出来るかもしれないけど、少なくとも僕は一気に完成形には行けない。試行錯誤しながらです。つまらないと思ったことがヒントになったり、捨てたエピソードが戻ってきて世界を豊かにするなんてこと、しょっちゅうです。

皆さんと同時代に生きている1人の人間である僕が感じたことを大事にして、映画を作れたらいいなと思っています。ひとりの人間として「エッ」と思ったり、面白いと思ったことに近づいていきたい。

だから普段、僕は、逆説的な言い方ですが、「映画のためのネタ探しをしない」というのを信条にしています。

どうしてもネタ探しって、面白い映画になるのかどうかを考えて取捨選択してしまう。映画になりそうだったらアプローチすることになりますよね、結局そうならざるを得ないんですけど。

でも自分の映画に都合のいいように世界を見ちゃいそうで嫌なんです。だから無理してネタ探しせず、ニュートラルに気ままにやっているという感じですね(笑)。

シナリオの勉強をするなら、自分が好きな映画を何度も何度も観て分析しなさいと、よく言っています。なぜシーン1がこうやって始まっているのか、なぜこのセリフでスタートするのか。映画がどういう要素で出来ているか。その分析に沿って真似しながら、自分で1本シナリオを書いてみる。

言葉は悪いですが、最初は真似すればいいんですよ。まったく違う世界の話であっても、その好きな映画の構成要素に当てはめて。

でも、完璧に真似しようと思っても絶対に同じようには書けませんから。それが大事なんですよ。それが個性なんですから。これはやってみないとわからないので、アプローチして発見してみてください。

思い付きも追及すれば新しいアイデアにつながります。書いたシナリオを人に読んでもらって意見を聞くというのも、大事なことです。書いたものがいきなり傑作だったら、皆さん、今ここにいないでしょ?(笑)。

辛辣なことも言われます。僕だって書いたシナリオを人に読んでもらって意見を聞くのは嫌ですよ。つまらないと言われればムッとするけど、その気持ちを抑えて、なんでそう言われるのか考える。

そうやって1つ1つハードルを越えることで、更に面白くなるんだと思ってください。プロになったらもっと辛いんですから。

皆さんも、恐れずに他人の批判を浴びて、それを自分の力にしていってください。

〈採録★ダイジェスト〉THEミソ帳倶楽部――達人の根っこ
「映画『舞妓はレディ』を撮って」
ゲスト:周防正行さん(映画監督)
2014年9月16日採録
次回は9月24日に更新予定です

 

プロフィール:周防正行(すお・まさゆき)

1956年、東京都生まれ。1984年、『スキャンティドール 脱ぎたての香り』で脚本デビュー。同年、小津安二郎監督にオマージュを捧げた『変態家族 兄貴の嫁さん』で監督デビュー。1992年『シコふんじゃった。』で日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞。1996年、社交ダンスブームを巻き起こした『Shall we ダンス?』で第20回日本アカデミー賞13部門独占受賞という快挙を果たす。2007年『それでもボクはやってない』が公開され、各映画賞を受賞。2011年『ダンシング・チャップリン』が公開。単館上映にも関わらず、ロングランヒットとなり話題を呼んだ。2012年『終の信託』を監督。また、オリジナルの最新作が4年ぶりに東映で製作・配給することが決定し、2019年夏以降に公開予定。

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