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脚本家 坂口理子さん×プロデューサー西村義明さん:映画『メアリと魔女の花』を語る

2017.07.24 開催 THEミソ帳倶楽部「西村義明×坂口理子 映画『メアリと魔女の花』を語る」
ゲスト 西村義明さん(スタジオポノック代表取締役/プロデューサー)、坂口理子さん(シナリオライター)

シナリオ・センターでは、ライター志望の皆さんの“引き出し=ミソ帳”を増やすために、様々なジャンルの達人から“達人たる根っこ=基本”をお聞きする公開講座「ミソ帳倶楽部 達人の根っこ」を実施しています。そのダイジェスト版を『月刊シナリオ教室』(今回は2017年10月号)から。
今回は、2017年に公開された長編アニメーション映画『メアリと魔女の花』(監督:米林宏昌さん)のプロデューサー西村義明さんと、脚本を担当したシナリオ・センター出身の脚本家 坂口理子さんにおいでいただいた模様をご紹介。『メアリと魔女の花』『思い出のマーニー』の製作エピソードや、実写とは異なるアニメーションならではの特色、アニメと実写の脚本の違いについて語っていただきました。アニメの脚本を書きたいかた必読です。

アニメーションのキャラクターの描き方

〇西村さん:僕と坂口さんの出会いというのはシナリオ・センターでしたね。

〇坂口さん:私が『かぐや姫の物語』という高畑勲監督の映画脚本を書かせていただいた時に、最初にシナリオ・センターに問い合わせてきたのが西村さんでした。その時のご縁で今回『メアリと魔女の花』もお声掛けいただきました。

『メアリ~』は、米林宏昌監督と西村義明プロデューサーとの3人で打ち合わせをしていました。スタジオポノック設立前のときは、ずっと喫茶店で話していて、喫茶店の人に追い払われながらやってましたよね(笑)。

『かぐや姫~』のときは高畑監督とですが、『メアリ~』も少数でじっくりやることができてよかったです。

〇西村さん:脚本と演出との関係って、非常に曖昧なものだと僕は思っています。

アニメーションの場合、絵で描くという自由と、一方で制約もある。才能豊かな役者さんが演じて、優れた演技によって傑作と化した実写映画はあるでしょうが、アニメーションでは微細な芝居を前提に脚本は書くのは極めて難しい。絵描きが表現できる芝居かどうかの判断が根っこにあって、だからこそ、脚本家と絵描きの共同作業は大切だと思っています。

今は脚本家と映像の作り手が分業で脚本を作るケースがありますが、それをしていたら、今回の映画は出来なかったと思います。

 〇坂口さん:脚本と監督が一緒だから成立したという映画はたくさんあると思います。私の場合は脚本だけなので、どこまで監督とコミュニケーション取れるのかというところがあって、全然違う風にとられることもありますし。

今回のアニメーションについては西村さんに言われて、なるほどって思ったことがあります。

思いをこめた「……」ってあるじゃないですか。役者さんだったら、そこでしっかり思いをこめてくれて、すばらしい演技をしてくれると思うんですが、これを何ヵ所も書いた時に、西村さんに「坂口さん。これ、書いてもアップになるだけです。アニメの線が太くなるだけですから」って言われました。

確かにって思いました。アニメのキャラクターにそこまでの演技というのは要求できない。その代わり何か動きというかアクションで見せていくしかない。そこが一番違うなって思いました。感情をこめさせるのが難しいですね。

〇西村さん:基本的には2Dのアニメーションというのは、紙に書かれた絵です。紙に書かれた目と口と鼻。そういうパーツ、記号の集積で人物造形をしている。

そこに感情移入させたいと思った時に、ただ人物の佇まいだけを見せて、「ほら、可哀相でしょう」と言っても、記号を超えたものには成り得ません。極めて写実的なキャラクター造形を成した場合は別として、人物造形そのもので繊細な人物を設定するのは基本的に難しいんです。

例えば、実写で夏木マリさんがボサボサ頭でたばこをふかしていたら、「ああ、こういう女の人、田舎の床屋さんとかにいそうだな」とか、具体性をもって見せることができるかもしれませんが、アニメーション映画の場合は、そうはならない。それっぽい単純な記号的人物になってしまい、面白みに欠けてしまう。

豊かな人物を表現するには、人物を豊かたらしめる物語状況を設定するしかないんです。ある状況に対して、その人物はどう反応するのかということで性格を描くわけです。逆説的にいうと、状況が変化しないものは、なかなかアニメーション化が難しいと思っています。モノローグとか説明セリフで伝えるしかないから。

〇坂口さん:それにアニメーションが耐えられるかってことですよね。

〇西村さん:脚本技術の習得段階で「私は、あの時、あの人のことを思っていた……」ってモノローグばかり書いていたら、授業ではダメを出されますよね。様式としてはあり得ますよ。モノローグを多用すると様式が生まれるってことはあります。でもモノローグに頼って脚本を書いたら、たぶん、皆さん、すぐにダメだって言われると思います。

今回『メアリ~』も、どうしようもなくて独り言を使った部分がありますが、独り言っていうのは基本やりませんよね。「あー、この水、冷たい」って言うとか。そういう独り言を言っている人いますけど、喫茶店とか行くと(笑)。

でも普通の人間が電車に乗っていて「あー、今日も満員」って言う訳ないってことです。でも今日も電車が満員で、その人が満員電車をいつもどう思っているか、その状態を伝えるには、どうしたらいいのか。

『思い出のマーニー』という原作では、主人公がほとんどしゃべりません。内面に問題を抱えていますが、人物の心情はセリフではなく、地の文で語られます。

原作中に、主人公が義母と和やかに話したあとに、急に腹が立って、ドンドンドンってすごい勢いで階段を駆け上がっていく描写があるんですが、こういうのが厄介です。原作では客観説明で主人公側の理由を語るんです、地の文で。それを映画で芝居だけで表現したとしたら、何がなんだかわからなくなる。

〇坂口さん:心の中は描けないですから……。

〇西村さん:さっきまで話していたのに、なんで急に荒れ狂っているんだろうってなる。原作は心理的な病を扱っていて、そういう女の子が自分を取り戻す話です。といっても、いきなり荒れて階段を登っていったら、観客は置いてけぼりをくらって、嫌悪すら抱きかねない。

共感できなくて嫌いになった人物を、途中から好きになるっていうのは、それが主眼の映画なら挑戦しようがあるけれど、それにしたって、状況が変化しないのならば、「実はわたしは」とモノローグや説明セリフを使うことになる。「実はこの子は」と観客が理解を深める物語内の機会が設定されないとすれば。

だから『思い出のマーニー』が映画化されるとなったときに、一瞬どうしようと思いました。この子はどこかに行っても状況が変化する訳じゃない。何が問題なのか自分でも言わない、自分でもわかっていない。多くの場合、思春期の問題って、何が問題なのか自分すらわかっていないことが多いから。

〇坂口さん:答えがないからこその悩みみたいなことですね。

〇西村さん:児童文学でも、とりわけ思春期というのは作家の好奇心を駆り立てて、多くの物語があります。

思春期の葛藤って特徴がありますよね。自分はどうして生きているんだろうとか、ひとはなぜ死ぬんだろうとか。自分はどこから来て、どこへ行くのだろうとか。アイデンティティの問題に直面しているわけです。それが思春期の象徴なのかもしれませんけど、それをどうやってアニメーションで表現したらいいか。

児童文学ではよく〝影〟が出てくる。何かに追われるんです。影に追われたのが『ゲド戦記』で、『バケモノの子』って映画にも影が出てきますよね。もうひとりの自分を出して、その自分との対峙の末に自己を確立させるべく描く。他と隔絶された自己との対話の末に、成長し、解放へと向かっていく。『思い出のマーニー』も、もう一人の自分との出会いでもある。

思春期って、心理的に引きこもったり、内にこもる場合が多い。お母さんにも言わないし、親父にも何も言わない。無口になる。内面が分からない。だからこそ挑み甲斐がありますが、思春期を扱うのは、アニメーションに限らず、とても難しいとは思います。

〇坂口さん:アニメーションはいちばん難しいかもしれませんね。実写だったら表情だったり、ちょっとした母親との言い合いだったり、そういうもので表せるかもしれないですが。

〇西村さん:マンガの場合は術がありますよね。マンガって文字を扱うのが前提になっているので、説明として許容される範囲の心理説明ができる。モノローグは、少女マンガでは様式として確立されていますから、わからせたいことは、わからせるべく語ることもできる。

実写とアニメの脚本の違い

西村さん:脚本で成立するものが、実写とアニメーションでは違うと思います。坂口さんは実写をやられてきて、今、アニメーションやって、実写とアニメーションの脚本は何が違うと思われますか?

〇坂口さん:私自身は、そんなに器用じゃないんですが、要求されるものが違うということはわかりました。西村さんと2本作ってきた中で言うと、「ト書を詳しく書き込んで」って言われたのが新鮮でした。

アニメーションの場合は草木一本からアニメーターさんが書くので、その草木が、どういう風にそよいでいて、どういう雰囲気なのかっていうところまで書き込んでくださいって言われたので、どういう家で、どういう風になっていてということを、実写の脚本以上に書きました。

実写だったら「暗く鬱蒼とした森」くらい書いておけば、そういう森を探して撮ってくれる。それをキャスト全員が共有できるんです。アニメーション映画の場合は、ゼロから起こさなきゃいけない。

そういう意味では、シナリオ・センターで習ってきた書き方とは違うけれど、小説的な表現まで含めて、みんなに設計図がよく見えるような書き方を鍛えてもらったなと思います。

ただ、これを実写でやってしまうと「そこは監督が考えることだから」って言われることもあります。「そこまで脚本で指定しないで」とか、「役者の演技に任せたい」と。それは確かにその通りで、そこが違うかなと思いました。

〇西村さん:脚本家にとって難しいだろうなと思うのは、プロデューサーや製作委員会が多数参加する中での、脚本の良しあしの判断。これってなかなか難しい。

例えば、もうちょっとなんとかなりませんかって言われたのが、『メアリ~』で空を飛ぶシーン。脚本には最初「ホウキを取って空を飛んでいく」って書いてあって、「これだとワクワクしないでしょ」って話になった。

「ここは絵描きを信じてください」って言って理解が得られない場合は、例えば「そこには赫赫然然な世界が広がっていました」という説明を、脚本で書いていただくことになります。「美しい雲海が広がってた」のか、「ゴミ溜めの海が広がっていた」のか。

でも例えば「美しさ」の描写について、どこまで書けばいいのか。美しさの基準は違うし「これ、美しいってだけじゃ、わかんないんだよね」みたいなことを言う人も結構いるようですし(笑)。

〇坂口さん:そうですね、脚本家はいろいろな場面に出会うと思います(笑)。

〇西村さん:そういう時に、どう立ち向かうんですか?

〇坂口さん:「ここはしっかり描いていただきますから」って言ったり、「演技にゆだねます」と言ったり。でも「もっと書いてくれ」と言われたら、「では、そこは私の主観で書きますので、異議は唱えないでくださいね」って。脚本ではこう書いたので、じゃあそれ以上のクオリティを見せてねと、逆に挑戦的になるかもしれません(笑)。

〇西村さん:普段の脚本会議ってもっと人数多いと聞きましたけど。

〇坂口さん:そうですね。多い場合だとプロデューサーがいて、プロデューサー補がいて、ディレクターがファーストからサードくらいまでいて、脚本家も2~3人もいる場合もあります。そういう意味では、『メアリ~』の場合は、それを具現化する人が近くにいて、安心して脚本を書けたっていうのはありますね。

〇西村さん:絵が浮かんでない時に、脚本にGOを出せるって、なかなかわからないんです。脚本を作る作業に監督が関わっていない映画もたくさんありますよね。監督を決めずに脚本が進む場合もあって。脚本が優秀だった場合はいいけど、演出家がイメージできない場合、どうすれば良いのかって。

それで完成した脚本が、製作委員会やプロデューサーから制作会社に渡る。監督はそこに不在なんですよ。そうすると、監督が入った時に絵コンテ上、「これ、全然。絵として成立しないよ」とか「ここからここまで、どうしてこの時間軸で行けるんだろう」とかって思ったとしても、変えられなくなるのも想像に難くない。

〇坂口さん:なかなか戻ってはいけなくなりますね。

〇西村さん:そういうものと戦っていらしゃるんでしょうね。

〇坂口さん:私は制作者が身近にいる非常に恵まれた環境で書くことができました。企画の段階から、「なぜ今、メアリをやるのか」を話せたのはとても幸せだったなと思います。

〇西村さん:企画の段階から脚本家に入っていただいてやるのは僕の理想です。でも多くの企画は、今は漫画原作や有名原作じゃないと通らないという時代になっているのも事実でしょう。

子どもたちに向けたアニメーション

〇坂口さん:でも、そんな中で『メアリ~』を西村さんが企画としてやろうと思ったのは、どうしてなんですか?

〇西村さん:企画意図は簡単でシンプルです。これは誤解を与える言い方かもしれませんが、アニメーション映画というものを、子供たちに取り戻したかった。

『かぐや姫の物語』と『思い出のマーニー』が終わって、スタジオジブリの制作部が解散し、僕は家で娘と過ごす時間が多くなった。で、娘に聞かれたんです。「パパの映画、好きなんだけど、なんで悲しい映画ばかり作るの?」って。ドキっとしました。

僕は子供が大好きで、子供に何かを伝える仕事がしたいと思ってアニメーション映画の道を志した。でも、気づくと昔と今では状況がいろいろと変化していたんですね。

高度経済成長があって、団塊世代と団塊ジュニアがいて、その成長と共にスタジオジブリも大きくなった。つまり団塊ジュニアが新社会人になって働き出した段階で、観客層が広がったんですね。結果としてこのボリュムームゾーン、団塊世代と団塊ジュニアというベビーブーム世代を巻き込んだ。

でもそれから先のアニメーション映画って、どういうところに行くのかなって思っていたら、自分を棚にあげて言うことになりますが、大人が楽しめるアニメーション映画が潤沢に登場してきた。一方で子供が楽しめるものは、一部のプログラムピクチャーズと海外のアニメーションしかなかった。これは一大事だと思いましたよ、本当に。

今一度、原点に立ち返って、子供たちに向けたアニメーションを作ろうと思ったときに、僕の好きな児童文学作家のケストナーが言っていた「大事なのは何が悲しいかじゃなくて、いかに悲しいかなんだ」って言葉を思い出しました。脚本を作っていくと、設定ばかりを考えることもあります。何をどうする、こうやるとこうなるって。これは「何が」を作るための装置ですね。

でも子供たちにとって大事なのは、「いかに」だっていうこと。それは脚本、演出家が共有しながら作っていきたいところでもあります。大人にとっては取るに足らないことでも、子供にとっては一大事なんだということ。

〇坂口さん:そうですね。『メアリ~』のシナリオは純粋に今の子供たちに向けて作りました。私もケストナーの児童文学が好きなんですが、『飛ぶ教室』の中で、「子供の涙が大人の涙より小さいなんてことは絶対にない」と書いています。

私は『メアリ~』のインタビューで「子供向けに作っていく場合に、どういう苦労がありましたか?」みたいに聞かれたことがありました。そういう苦労はまったくないんですよ。私自身が子供の頃に面白いと思ったことを書いていたので、たぶん子供はわかってくれるはずだ。むしろ、大人はわかってくれないかもしれない……くらいなつもりで書いていました(笑)。

〇西村さん:僕はこの映画を振り返ってみて、子供が自分の目で見ているっていうことを、もう少し描く必要があったかなっていう気持ちはあります。

〇坂口さん:我々脚本を目指す人間って文字で勝負するしかない。すると子供の視点って何なんだろうとか、あるいは誰に向けて書いているのかとか、誰に見てもらいたいのか。それを文字の力だけで格闘していくのが、一番難しいところです。

でも意外な反応が返ってきたりする。すでにプロでお仕事をされている方もいると思いますが、予想外の反応というのは時に痛みとして跳ね返ってくることもある。だから、そもそも自分の思いなんて人には伝わらない、そう思ったほうがいいのかもしれない。ならばそこから始めてみたらどうか、上手く言えないですけど。

厳しめの言い方をしていますが、でも楽しいからやってるんです。そもそも文字で伝えられることは制限があって、どんなにいっぱい話しても行き違いがあったりする。それでもメアリが幸運だったのは、とことん話し合って、大人になってしまった人たちが、子供たちのために一生懸命作ることができた。これは意義があったと思います。

プロメテウスの火と魔法の力

〇西村さん:坂口さんと話し合ったことで覚えているのは、メアリという女の子は変わりたいと思っていたけれど、変わることを放棄した時に、本当に変わることができる。冒頭の彼女は自分の容姿とか嘆いてばっかりです。それがある決断をした時に鏡が割れて、彼女は自分を見る鏡を見失ってしまう。

なぜ変われたかというと、自分じゃない誰かがいてくれたからです。他人のために行動するっていうのは、1つの解として正しいだろうと。他人のために動こうとした時に、メアリには違う力が、敵側とは違う魔法の力が生まれた。それは何か。メタファーの1個1個を具象化してみると、ちゃんと集約されるんですよね。

今回僕は「プロメテウスの火」をやろうと思いました。力に翻弄される話です。ネタバレになりますが冒頭で大爆発を起こし、それが繰り返される。「プロメテウスの火」の解釈はいろいろあります。具象化すれば具象化したで力を持つし、しなければメタファーとして完結する。でも、監督は具象化しました。これは監督の一種の覚悟だと思いました。

〇坂口さん:脚本上は、そこまで明確には書いていません。脚本を書いている時の捉え方としては、魔法らしきもの。例えばダイエット薬でも、皺とりの注射でもいい。それも魔法のひとつだと思うんです。

そんなことから始めて、そういうものを網羅した力という意味で、言葉に想いをこめることは出来る。そこから先は監督の領域で、覚悟をもって絵にしていかなきゃいけない。特にアニメーションの場合は、具体的に絵を選択していくっていうことになると思うんですけど。

〇西村さん:そう、選択ですね。魔女の花がなぜ青いかというと、ウランの青さですよ。物語の冒頭のシーンは70年前という設定ですけど、70年前といえば原爆が投下されている。

〇坂口さん:そこは監督の賭けであり監督の領域ですが、でも、そうなるかもしれないっていう覚悟を持ってないと、脚本家の仕事としては成立しない。

 

コンクール作品なら、自分のための秘密の花園でいられる。でも世に出る作品はそういう訳にいかない。「脚本ではそんなこと書いてません」って言っても、「だって、そういう話になってる」って言われる。でもそれはそれとして受ける鼻っ柱の強さを失わないでいてほしい。

好きだから趣味で楽しくやっていきたいというのもライフスタイルとしてはありです。でももし、皆さんが何か書いて世に問うてやっていこうとした時には、あれ、こんなこと書く意図はなかったけど、でも脚本家が書いたって言われてるってことはままあります、大きな作品になればなるほど。

そうやって私もいろいろ失敗しているから偉そうなことは言えないんですけど。ただ、一生懸命やったことに嘘はない。もしかしたら叩かれるかもしれないですけど、そこは、そんなもんだと思って、はねのけてほしい。書く人って繊細な方が多いので、そう言われるだけでへこんでしまうこともあるかもしれないけど、作品が世に出るって、そういうことなんだなって。

そういう意味で多くの人の目に触れる機会の多さを、喜びも苦しさも含めて経験させてもらえた。そこが勉強であり収穫だなって思います。

アニメーションの表現の膨らませ方

〇坂口さん:脚本上で難しかったのはピーターの扱いです。原作ではだいぶ後からしか出てこない。ピーターとメアリの2人をどうつなげるかで苦労しました。何度も書き直しましたね。

どうやってピーターに対して「私は行く」ってメアリに言わせるか。同じ時間をもっと過ごしたほうがいいから、イチゴのジャムを捕らわれた時に一緒に食べさせようかとか、そういう試行錯誤はありました。

特に思いをこめて書いたのは、ピーターを救い出すシーン。手と手を繋いでっていうところは、力をこめて書きました。手を繋ぐことって誰でも、子供でも出来ることですが、その行為が描きたかった。もちろん、それが結果的には魔法を解くことになるんですけど。とってもアナログでシンプルなことをやりたかったっていうことですね。

〇西村さん:アニメーションの表現の膨らませ方ってことで印象に残っているシーンがあります。メアリってほうきから何回も落ちるんですよ。ワーって落ちて、「イテテテ」って記号的なシーンが何回かあって。

ただ1回、ほうきがボワンって膨らんで、メアリが落ちる前にほうきがクッションになって、転がって行くシーンがある。メアリを頭から落とすというのが、監督の指示だったんですけど、そのアニメーターだけは、頭から落とさなかった。絶対、メアリを落とすもんかっていうアニメーターの気持ちが乗り移っている。その結果、ほうきのキャラクターが出来上がった。

SE上、「ン、ン」ってゴンタ君の声みたいな音が出るんですけど。それがなかったとしても、あのワンシーンがあったから、ほうきの気持ちが伝わるんです。これがアニメーションの醍醐味。アニメーターが物に対して命を宿すっていうことです。

〇坂口さん:やっぱり楽しいです、脚本は。だって大の大人がホウキで空を飛ぶとか、なかなか書けないですよね。それを書いて、それを作品に出来るっていうのは、ものスゴく恵まれているし、とても素敵だと思います。厳しいこともあるとは思うんですけど、物語を信じるのは自分ですから。

ちょっとクサいことを言うと、自分が作ったものを愛せるのは自分だけです。私は『メアリ~』の作品が大好きです。30年くらい経った時に、今、観てくれた子供たちが『メアリ~』良かったよねって言ってくれたらと思うんです。そしてそんな自信は、それが本当になるまではこっそり自分の中だけで持っていればいい(笑)。今日は言っちゃいましたけど(笑)。だから自信を持って書いてほしいと思います。

〇西村さん:脚本家を目指されている方が多いでしょうが、他のプロデューサーの話を聞くにつけ、プロデューサー全員が脚本家を見る目があるかっていうと、「あの脚本を書いたんだったら頼もうかな」とか、そんな感じが多いんです。

でも、マイケル・アーントという脚本家がいます。彼は脚本の持ち込みを5年間くらいやって実現しなくて、西海岸から東海岸に行って、高畑監督の『ホーホケキョ となりの山田くん』っていう映画に触れて、こんな映画が出来るなら僕もまだ出来るかもしれないって、また戻って西海岸で作った映画が『リトル・ミス・サンシャイン』でした。この作品はアカデミー脚本賞を受賞しました。

『リトル・ミス・サンシャイン』と『ホーホケキョ となりの山田くん』を見比べてみてください。同じようなプロットがある。そのくらい影響されている。彼はその後、『トイストーリー3』を書き、『スターウォーズ/フォースの覚醒』を書きました。くじけない人に道は開けます。

坂口さんと高畑監督が共同脚本をされた『かぐや姫の物語』が「第87回アカデミー賞」の長編アニメーション映画部門にノミネートされたときに、授賞式に出たんです。そこで『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』という作品で「脚本賞」を取った人がいました。その人は、舞台上で受賞コメントをワーって喋り出したんです。

その人が非常に大事なことを言っていました。

「私は16歳のとき、自殺を図りました。自分が人と違う、変人に思われて、どこにも自分の居場所はないんだと思っていました。でも、今、私はアカデミー賞の場に立っています。この瞬間を、そのような子供たちに捧げたい。変で、人と違って、どこにも居場所がないと思っている子供に。そしてこう言いたいのです。居場所はある。必ず居場所はあるんだって」

そして、彼はこう続けました。「Stay weird,Stay different.」って言いました。

変であれ、異なるものであれ。オリジナルとは、独特ということですよね。独特とは周りと異なっているということで、つまり、変であるっていうことです。書き続けてください

それと最後に。脚本をやる道っていうのは、それぞれあって、それはもう運でしかないかもしれません。書いても文句言われたりするし、粘っても切られる人もいる。人間関係もいろいろ入り交じるんで、プロの脚本家で食っていくっていうのは非常に難しい。それでもなんとかなります。なんとかなるけど、出来ればちゃんとパートナーに食わしてもらっておくことです(笑)。

〈採録★ダイジェスト〉THEミソ帳倶楽部「西村義明×坂口理子 映画『メアリと魔女の花』を語る

ゲスト:西村義明さん(スタジオポノック代表取締役/プロデューサー)坂口理子さん(シナリオライター)
2017年7月24日採録

次回は1月27日に更新予定です

※こちらの記事「脚本は設計図 /脚本家 坂口理子さんに学ぶ」も併せてご覧ください。

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脚本家 坂口理子さんの根っこ【Theミソ帳倶楽部】より

プロフィール

坂口理子(さかぐち・りこ)
神奈川県横浜市出身。『フロイデ!~歓喜の歌でサヨナラを~』(09)で第2WOWOWシナリオ大賞優秀賞、『風に聞け』(10)で第36回城戸賞を受賞。近年の主なドラマでは、連続テレビ小説 べっぴんさんスペシャルドラマ『恋する百貨店』(2017/NHK BSプレミアム)、連続テレビ小説 べっぴんさん特別編「忘れられない忘れ物~ヨーソローの一日~」(2017/NHK BSプレミアム)、『女子的生活』(2018/NHK)、『遙かなる山の呼び声』(2018/NHK BSプレミアム山田洋次監督との共同脚本)他多数。映画では『かぐや姫の物語』(2013高畑勲監督との共同脚本)、『メアリと魔女の花』(2017米林宏昌監督との共同脚本)、『恋は雨上がりのように』(2018)、『この道』(2019)、『フォルトゥナの瞳』(2019)などを手掛けた。シナリオ・センター出身の脚本家・監督である林海象さんとタッグを組み、劇団「ヤパン・モカル」の舞台『ロスト エンジェルス』の脚本も担当。

西村義明(にしむら・よしあき)
東京都出身。米国留学後、2002年スタジオジブリに入社。『ハウルの動く城』(2004)、『ゲド戦記』(2006)、『崖の上のポニョ』(2008)の宣伝を担当。長編では『かぐや姫の物語』(2013)、『思い出のマーニー』(2014)のプロデューサーを務めた後、スタジオジブリを退社。2015年、株式会社スタジオポノックを設立。『メアリと魔女の花』(2017)、スタジオポノック初の短編映画『ちいさな英雄カニとタマゴと透明人間(『カニーニとカニーノ』『サムライエッグ』『透明人間』/2018)のプロデュースを手掛ける。

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