menu

脚本家を養成する
シナリオ・センターの
オンラインマガジン

シナリオ・センター

シナリオのヒントはここにある!
シナリオTIPS

シナリオや小説についてなど、創作に役立つヒントを随時アップ!ゲストを招いた公開講座などのダイジェストも紹介していきます。

脚本は設計図 /脚本家 坂口理子さんに学ぶ

2016.07.25 開催 THEミソ帳倶楽部「媒体に合わせたシーン作りのコツ」
ゲスト 坂口理子さん(シナリオライター)

シナリオ・センターでは、ライター志望の皆さんの“引き出し=ミソ帳”を増やすために、様々なジャンルの達人から“その達人たる根っこ=基本”をお聞きする公開講座「ミソ帳倶楽部 達人の根っこ」を実施しています。そのダイジェスト版を『月刊シナリオ教室』(今回は2016年11月号)よりご紹介。
今回のゲストは、連続ドラマ・単発ドラマ・長編アニメーション・舞台台本など、媒体を問わず幅広く活躍している出身ライターの坂口理子さん。、脚本を手掛けた作品を例にしながら、今までどのようにシナリオを執筆してきたのか、具体的に語ってくださいました。坂口さんのお話をお聞きすると「シナリオはあくまでも映像を作るための設計図なんだな!」と実感できますよ。

最後まで書こう

私はシナリオ・センターではすごく出来の悪い生徒でした。でもシナリオ・センターに来ると、誰かが「コンクール出した!」って言っていて、「ああ、私は出さなかった。次は出さなきゃ」って思えた。書かなくなっちゃったら、その時が終わりだと思っていました。だから書き続けようと心掛けていました。

作品は下手でも何でもいいので、最後まで書くこと。途中でイヤになることってあるじゃないですか。書いてるうちに「これ面白いのかな、わかんなくなってきた」って。

書き上がっていない作品が死屍累々と積み上がっていくと思うんですけど、私はそれをやめて、とにかく最後まで書こう、気に入らなくても、後で戻って直せばいいんだからと。

それで駄作だったらしょうがない。短い作品でも長い作品でも、最後に「終わり」って書くまでやめない。そう決めていました。

デビューするまでは、コンクール前に急に頑張り出すタイプでした。8月31日に夏休みの宿題をするタイプ(笑)。考えている時間の方が長かったかもしれません。ああでもないこうでもないって、コンクールの1カ月くらい前から考え始めて、残り1週間でワーッと。書く時は朝までって時もありました。

仕事をしていると、帰ってから書くといってもせいぜい4~5時間、そのペースで毎日続くわけないので、平均でいうと2~3時間ですかね。

月9の連ドラとスタジオジブリ

受賞するまでのノウハウはシナリオ・センターで学べると思うんですが、いざコンクールで受賞をしても、その後はどこからも何の連絡もなくて、「受賞はしたけれど……」ということも多く、私もご多分にもれず、そんな状況でした。

そんな中で、当時やっていたフジテレビのワークショップに呼んでいただきました。

そこでは、各シナリオ学校やプロダクションから推薦されたライターの卵が20人くらい集まって、半年くらい、各プロデューサーとグループを組んで作品を作っていきました。

その中で、ヤングシナリオ大賞の受賞者と作品を作っていたプロデューサーさんが、私と山崎宇子さんに声を掛けてくださいました。「2人で月9を書いてみないか」って。

チャレンジャーな方ですよね、いきなり月9(笑)。まぁ、大変だったんですけど、書いては直し、書いては直し……。そこから、「次のクールもやらないか」とか「手伝わないか」というように声を掛けてもらって、そういう感じでつながっていきました。

もうひとつ私がラッキーだったのは、スタジオジブリの長編アニメーション映画『かぐや姫の物語』に参加させていただいたことです。これは信じられないような話です。

私のデビュー作品は、「創作テレビドラマ大賞」のコンクールで受賞した『おシャシャのシャン!』という作品です。映像化されてNHKで全国放送、あるお正月明けの平日の夜に1回だけオンエアされたんです。

それをたまたま高畑勲監督がご覧になっていて、それがちょうど『かぐや姫~』の脚本をどうしようか、考えていらっしゃった時期だったようです。

プロデューサーとやいのやいの言い合って、決まらなくて困っていたのかもしれません。高畑監督から、「この人どうですか?」みたいな感じで候補に挙がったらしいんです。

デビュー前なので、知らないのが当たり前なんですが、「作・坂口理子」と書いてあるけど、聞いたこともない名前だと。「この人誰だ?」って散々調べて、どうやらシナリオ・センターの出身者らしいということが分かり、まずシナリオ・センターに電話がかかってきた。「『おシャシャのシャン!』を書いた人の連絡先を教えてほしい」ということで。

私のところには、まずシナリオ・センター事務局の方から、上ずった声で「スタジオジブリから連絡があって!」って電話がかかってきたんです(笑)。それですぐにジブリの西村プロデューサーから私宛に電話がかかってきた、という感じです。

スタジオに来てくださいと言われて、私は元々スタジオジブリのファンだったので、完全にミーハー心で行きました(笑)。それで打ち合わせをしているうちに、そのままやりましょうということになったのが、映像化の2年前です。

『かぐや姫~』の脚本自体は、2009年のうちに上がっていました。そこから絵コンテ書いて、プレスコという声を録る作業、そこからアニメーションに入っていく、という流れです。その最初の作業が脚本なんですね。私と高畑監督と西村プロデューサーの3人で。

当時はスタジオで『借りぐらしのアリエッティ』を作っていた時期かな。パーテーションで小さく区切ったスペースに、「かぐや姫準備室」と書いた紙がペタッと貼ってあって。それが『かぐや姫~』の始まりでした。

人とのつながり

私のコンクール受賞作の、たった1回のオンエアが、このご縁につながったわけです。皆さんも、コンクール作品がその後につながることもあると思いますので、ぜひオンエアを目指していただければと思います。

例えば「城戸賞」をとると、キネマ旬報に掲載してもらえるんですね。それを読んだプロデューサーさんから連絡をいただくこともあります。

私は小説も書かせていただいてます。シナリオ・センターでリンダ・パブリッシャーズさんをご紹介いただき、「WOWOWシナリオ大賞」で受賞した『フロイデ!~歓喜の歌でサヨナラを~』という作品を、「小説にしたらどうでしょうか?」と提案しました。

シナリオの形ではなく、小説になっていると、この先もしかしたら日の目を見るかもしれない。シナリオだけだと映像化しないとあとには残らないので。小説にしていくことで自分の持ち駒が増えるし、「こんなの読んでください」と映像作品の原作として提案することもできます。

ただ小説の書き方にはだいぶ苦労しました。でも試行錯誤しながら書いていくことで、すごく勉強にはなりました。

もうひとつ、舞台の脚本も書かせていただいてます。『おシャシャのシャン!』の後、当時はNHKで勉強会があって、そこで知り合ったプロデューサーさんが「舞台の演出を頼まれてるんだけど、書いてみないか?」と声を掛けてくれました。何作か書かせていただいているうちに、他のご縁もつながっていきました。

いずれにしても、人間関係から生まれていったものです。高畑監督が『おシャシャ~』を見てくださっていたというのは特別な飛び道具ですけど、あとは大体人とのつながりです。「今度こういうのをやるけど、良い人いない?」とか、「女性ライター探してるんだけど」、「急ぎでやってもらえる人いないか」とか(笑)。人と人とのつながりで動いているような気がします。

作品だけが独り歩きすることはなかなかなくて、その作品を観た人が紹介してくれたり、担当した人が紹介してくれる……。ドラマ作りも映画作りも、信頼できる人と縁をつないでいくことだと思うので、くれぐれも人間関係は大切にした方がいいと思います。

シナリオはあくまで設計図

脚本作りでは、人と関わることが大事です。ホン打ちに行くと5人くらいから多い時は10人くらいの人が集まって、ああでもないこうでもないとやり合います。

小説なら、自分と編集者さんだけで完結できるんですが、脚本ではいろんな人の意見を聴く、あるいは聴いたふりをする(笑)。それができない人は難しい。だから人と話したり、みんなでワイワイやるのが好きって人が脚本家には向いていると思います。

あとは、打たれ強くへこたれない人。ホン打ちではみんないろいろ言いますけど、言った後にすぐに忘れたりするので、聴いたふりをして結局直さなかったりします。それでスルーできちゃうこともあります(笑)。もちろんそれが良いとは言いませんが、それぐらい図太い方が長く続けていけるかもしれません。

脚本は、そうやってたくさんの人の手を経て作品になります。設計図でしかないんですね。

『おシャシャ~』の時には、受賞作が決定稿になるまでに3カ月くらいかかりました。12稿くらいまでやったかな。で、決定稿にしましょうということで台本に印刷してもらって、自分としてはもう完成だって思ったんですけど、作品作りはここからが始まりでした。

台本が各スタッフに渡り、役者さんに渡り、そうして作品が作られていきます。コンクールに応募している時はやっぱりそれが理解できていなかった。

コンクールだと、作品を書いて出したらゴール、でも、ほんとはそこがスタート。脚本家の仕事はそこまでかもしれないですが、作品はそこからみんなが作り上げるものです。設計図だなって思いますし、もしくは料理で言えばレシピみたいなものかもしれません。

こういう風な料理の仕方をすれば美味しくできるんじゃないかと思って書いても、その通りには料理してくれない。シェフ、つまり監督もいますし、オーナーであるプロデューサーもいる。

でもその結果、思いがけず美味しいものができることもあります。棟梁は設計図とは違う家を建てた、けどそれも素敵だった、とか。もちろん「やっぱり変な家だったなあ」と思うこともあります(笑)。

そういうことも含めて、作品は人の手を経て完成するんだという実感があって、そこがコンクール作品と一番違うところです。

脚本家を目指している方でない限り、一般の人は完成した作品を観てああだこうだ言うわけです。皆さんの目に触れるのはレシピではなく、出来上がった料理なんです。

ところが、Yahooで酷評されたりします、「脚本が悪い」って。いくら「そう書いてないのに!」って思っても、それは視聴者のあずかり知らぬところなんですね。その辺が辛いところでもあり、脚本の宿命でもあると思います。

でも、そういうことをまったく知らないまま現場に入って傷つくよりは、わかっていた方がいい。違うものなんだってことを知っておいてほしいと思います。

脚本が作品になるまでの基本的な流れは、まずプロットを書きます。ハコ書きを出す人もいます。私はハコ書きは苦手なのであんまり出さない。ハコにはしますけど、人様にお見せできるようなものではないので(笑)。

で、初稿に入ります。ここからは色々なパターンがあります。例えば『おシャシャ~』は制作までに時間もあったし、こっちもこれしかやっていなかったので、12稿くらいで決定稿になりました。

決定稿の前に準備稿とか、白本というのが出る場合もあります。NHKだと、青本とか緑本とか、いろんな段階があってから決定稿になったりもします。その過程はテレビ局や映画会社によってそれぞれですが、忙しくなってくると、3稿で決定稿とかもあります。

この設計図を書くのが脚本家の仕事として求められること。肝に銘じておかなきゃいけないのは、あくまで設計図であって、それ自体が作品ではないということです。

受賞作『おシャシャのシャン!』の映像化

『おシャシャのシャン!』は大鹿村という村で行われている村歌舞伎を題材にしたものです。改稿を重ねるうちに受賞作とは違う作りに変わっていきました。他にも主人公が変わったりといろいろありました。

ある村で230年続いている伝統の村歌舞伎があって、原田芳雄さん演じる花形役者が、冒頭で倒れてしまう。さぁどうする、というところから始まるお話です。

その冒頭で注目していただきたいのは、村長室でみんながどうするか相談しているシーン。自分ではちょっとコメディーっぽく書いたつもりだったんです。「朋代ちゃん、重雄はどうだった?」「それが……」「いかんのか」「ぎっくり腰だったみたいで」。ここで私は、「えっ、ぎっくり腰?」チャンチャンって、オチのつもりだったんです。

たぶん、ちゃんとディレクターと打ち合わせしてたはずなんですが、深刻なまま行っちゃうんです。オチてないじゃんって(笑)。

この深刻な音楽は何なんだと思いながら。で、「ここだったんですね、ディレクターが落としどころだと思ったのは!」というズレがあった、というのを経験しました。

でもそこが『演出』なので、笑いにしろ泣きにしろ、脚本の段階では違うけれど、映像になってみたらここの方がよい、と判断されることが、というのはその後色々と勉強させていただきました。

映画『かぐや姫の物語』と高畑勲監督

『かぐや姫の物語』では、アフレコの時にはアフレコ台本というのがあります。皆さんが見てらっしゃるのは私が書いた準備稿です。コンクール作品と同じように、柱とト書きとセリフという形式で書いてあります。

ここで注目していただきたいのは、ト書です。「姫の顔、メラメラと揺らめき立つ」というト書きは、わずか3秒のシーンです。

実は、ト書は少し小説的に書いてくれと言われてました。これは高畑監督独特の方針なのかもしれません。脚本を読んでいただくと、簡潔に書かなきゃいけないはずのト書が、小説的になっているのがわかると思います。

次に「〇屋敷の外・山」っていう柱。すごいザックリしたシーン割です。この後のわずか6行のト書が、どのようになったのか。高畑監督が「ここがこうなるんですよ、十二単がバラバラッてなって……」と言われたのを、私が書き留めていったシーンで、監督の頭の中には、こういうシーンが浮かんでいたというのがわかるところです。

たったこれだけの、6行だけのト書が、迫力あるシーンになる。さきほどとは逆に、レシピに書いてないけれども、監督の頭にはこういうものがあったんだと実感したシーンです。

今でもよく覚えているのは、このシーンを書く時に、高畑さんは「十二単をこうバーッと振り撒いていくんですよ、いや十二単ってのはそう一枚一枚脱げるもんじゃないんですけど、ここは嘘でいいと思うんです」って熱っぽく語られていました。

2年後に映像を観て「これがやりたかったのか!」と納得しました。ト書がここまで膨らむという例です。

高畑監督の頭の中は、なかなか計り知れないものがあって。「こうなんですよ!」ってすごいイメージをおっしゃってくださるので、「それはト書で書くとこういうことですか?」「いえ、違います」というようなやりとりをしながら、アウトプットしていきました。

監督が身振り手振りで説明してくださったんですけど、まさかあんなシーンになるとは想定していませんでした。想像を遥かに超えるものがきたな!と。もちろん、監督がおっしゃったことをできるだけ上手く言葉にしようとは思っていましたけど、そんなことではとても追いつかない豊かな映像が監督の中にはあったのだな、と実感しました。

アニメ特有の「動き」

私は、この『かぐや姫~』が初めてのアニメーションでしたし、アニメーションを書く時の作法も何も知らずに書いたんですが、高畑監督はそれを面白がってくださった。

ひとつだけプロデューサーに注意されたのは、「坂口さん、『……!』とか書いて感情を表そうとしても、アニメは絵だから、顔をアップにしても線が太くなるだけですから」って言われました。

実写だったら、顔がアップになるように書いておけば、役者さんのプルプル震えるまつげとかが映し出されて、感情が伝わります。でも、「アニメでアップにしても絵が大きくなるだけで感情を伝えるのは難しい」って言われたのは印象的でした。

それを表現するには、動きで見せるとか、あるいは、心象風景とか、動きのある表現の方が、アニメは得意なんです、と。その得意不得意をわかった上で書くと、面白いと思います。

「ト書を細かく書いて」という指示も、そういうことだったのかなと。絵コンテとか、キャラクターデザインをする方にイメージが伝わりやすくなるということです。

セリフに関しては、割と私が書いたものを「いいですね」と言ってくださることが多かったんですが、やはりアニメの監督ですので、絵のことに関しては思い入れがあるのだなと思いました。

高畑さんが物語の流れを重視される方だったので、いわゆる普通のアニメの書き方からは逸脱していたかもしれません。アニメには、特異な動きと不得意な動きがあります。

自然表現、例えば湖面がキラキラ光に反射しているシーンは実写で撮れば綺麗だけど、アニメでやってもその画面だけで感動する人は少ない。それより、絵で面白く見せるとか、動きで面白く見せるシーンをどんどん入れてほしいと。動きのことは、よく言われました。

それと、脚本上は全然意味がなくても、ちょっとしたシーンを入れる。例えばかぐや姫が成長していく過程で、カエルを追っかけるのをやろうっていうことになって、あれはたぶんカエルを真似する動きが面白いから。とにかく動きを重視して、話と関係ないところでも動かしていいんだよと言われました。

ドラマ『いとの森の家』の幸せな体験

『いとの森の家』は開局60周年記念ということで、NHK福岡放送局から依頼をいただき、「地域発ドラマ」として書かせていただきました。全部福岡で撮影されました。糸島という、海も山も綺麗な場所でのオールロケ。

 オールロケがすごく贅沢なんだなと知ったのは、連ドラをやってからです。スタジオで撮影を済ませる方が、テレビ局としては効率がいい。『おシャシャ~』もオールロケでした。

しかも『おシャシャ~』の場合は脚本の頭から順番に撮っていくという「順撮り」という手法でやったんです。普通は、同じ柱のシーンがあるとしたら、3話分くらいをまとめて撮るんです。

『おシャシャ~』に関しては脚本の順番に撮って、しかも原田芳雄さんをはじめとする錚々たる役者陣の皆さんを2週間くらい村に缶詰にして……という贅沢な作り方でした。大歌舞伎の坊ちゃん役の尾上松也さんが村にやってくるという、その設定どおりに撮ったので、松也さんがだんだん馴染んでいく様がよくわかります(笑)。

『いとの森の家』も、美しい景色にかなり助けられました。原作は児童文学で、子供時代の思い出だけが描かれているんですが、ドラマでは大人時代を入れてくれということと、おハルさんという人物の過去を入れてほしいという注文がありました。

ちょっとこの物語を解説しますと、おハルさんというのは、子供たちにすごく人気がある不思議なお婆さんです。実在の人をモデルにしているんですが、村の中ではちょっと浮いた存在で、「あの人に近づくと死が寄ってくるよ」なんて言われるような人。

主人公の女の子たちもやはり、おハルさんに惹かれて家に通うようになり、「死ぬってどういうこと?」とか、「人に命を奪われるってどういうことなんだろう」ということを学んでいく。それでドラマの広告で「命のレッスン」というキャッチコピーがついたんですね。

おハルさんは死刑囚を訪ねて、面会や手紙のやり取りをしています。なぜそのような活動をしていたのか。実はおハルさんは日系の移民で、アメリカで収容されていた過去がある。その収容所で犯してしまったことへの贖罪の意味で活動をしていた。

主人公の女の子が大人になって、おハルさんの足跡をたどるというのが後編のドラマです。たどっていくと、おハルさんが最期を迎えたホスピスに行きつきます。そこの老医院長が、「おハルさんはこういう人でした」って語ってくれるシーン。

私は最初、筆を緩めていたというか、ここまでおハルさんを演じる樹木希林さんに言わせるのはどうなんだろうと。ドラマとしてどぎつくなってしまうと思って、掘り下げて書いてはいなかったんです。

それを樹木さんがご覧になって、「もっと書いてください」って言われました。つまり「もっとちゃんと深く書いてちょうだい」ってことです。そこで樹木さんからいただいた助言でここまで直しました。

「私は人を殺めたのも同然です」という厳しい言葉が書いてあると思います。オンエアされた映像を見てビックリしました。このセリフ、完全に樹木さんのものになっていた。間にちょこっと他の人のセリフが入るとはいえ、要はこれ、長ゼリフです。セリフは変えていないけれども、自分が書いたセリフじゃないような気がしたんです。完全に樹木さんのものになっているという得難い体験でした。

このドラマは、放送文化基金賞の奨励賞をいただきました。樹木希林さんは演技賞を受賞しています。

途中でセリフを切って「おハルさん、唇を震わせて」とかト書きを書きたくなるんですけど、できない。これはもう役者さんに任せきって成功だったなと。このことで脚本は設計図なんだなと改めて実感しました。

この演技にしてください、っていうことまでは、脚本では書けない。もし書いてあったとしても、そういうふうになるとは限らないし、それはホンだけではできないことだと思いました。

受賞した時に樹木さんに「私、セリフ変えてないわよ」って言われて(笑)。確かに変えてなかったんです。「普通にやったわよね」って言われて、いえいえ普通じゃなかったですって(笑)。こんな不思議な、幸せな体験ができたのは、脚本の面白さだと思いますね。

舞台台本のト書と演出

意外と今、新人が舞台を書く機会は多いんじゃないかと思います。舞台自体も増えていますし、事務所が若手の役者を舞台で鍛えようという時に、新人作家を舞台に投入しようというのも多くなっています。その他に、自分で書いて上演することもできます。

シナリオ・センターに通っている方は、どちらかというと映像をやりたい方々だと思いますが、舞台にも脚本は必ず存在しているものなので、やっておいて損はないです。

私もまったく舞台のノウハウがないまま始めたので、よく「映像的だ」って言われます。「こんなのどうやって舞台化するんだ」なんてブーブー言われて、すいませんって言いながらやっています(笑)。

アニメーションでは、さきほどの『かぐや姫~』のシーンのような、実写ではとても撮れないようなことが表現できます。一方舞台は、映像では撮れるけど、舞台ではどうやってやるの?っていう想像力を掻き立てるようなことができるのです。

『銀河廃線』は劇団ユニット・テトラクロマットの第1回公演です。キャッチコピーが「あの夜、僕は汽車から降りた」。お察しの通り、「銀河鉄道の夜」をモチーフにしています。それを現代的に解釈しました。

引きこもりのジョバンニと、ろくでなしのカンパネルラが出てきます(笑)。原作では純粋な2人の少年が銀河鉄道に乗って、カンパネルラは実は亡くなっていて、夢が覚めると彼は運河に落ちて亡くなっていて……っていう、要は銀河鉄道とは幽霊列車で、それをモチーフに書きました。

トキという役がジョバンニですね。カンちゃんがカンパネルラ。エリという女の子がザネリ。原作ではザネリは意地悪な男の子がですが、それを女の子にして、彼女は男の子同士の友情に嫉妬して、自分が湖に飛び込んでしまう。

原作でもザネリもジョバンニに意地悪をして、ふざけて運河に落っこちて、そのザネリを助けるためにカンパネルラが亡くなってしまう。この作品でも、湖に飛び込んだエリを助けようとして、カンちゃんが亡くなってしまうという展開です。

エリを助けたあと沈みかけたカンちゃんを、トキが助けようとするんだけど、結局、トキはカンちゃんの手を離してしまう。その封じていた記憶が甦るシーン。「舞台はいつしか湖の中になる」から始まるシーンで、ト書は「トプンという音と共にトキが落ちてくる」。

ありえないじゃないか、どうやって舞台でやるんだと思うでしょう。トキが真実に気が付いて、自分の真っ黒い記憶を思い出して、罪の意識におののいて、どんどん自分の深層心理の中に沈んでいってしまう。

それをカンちゃんが呼び戻す。トキを呼ぶカンちゃんの声が入って、ト書は「トキの腕をつかんだのはカンちゃん。2人、水面へ上昇していく」。それで、カンちゃんが「違うよ、お前が俺の手を離したんじゃない。俺がお前の手を離したんだよ」ってところで、もう1回過去に戻るんです。

映像なら、パッと戻れますが、どう舞台でやるのか。「水面の中から上を見上げるカンちゃん」「カンちゃんとトキの手がつながるが、離れる」。

映像だったらアップにすればちゃんと見せることができます。だけど舞台でこのト書を演出家はどうしたか……。

台本には書いてないですが、演出家は人形を使おうと考えた。人形を動かしていた黒子たちは他の出演者です。人形が溺れる様子っていうのは演技なので、俳優さんに演ってもらいました。

人形と手をつないでいて、離れてしまう瞬間を印象的にするために、皆が手を離す動きをした。やっぱり役者さんじゃないと、余韻のある手の動きはできないので。

この演出家とはこの後も一緒にやっているんですが、私が好き勝手に書くので、いつも怒られます。ちなみに、この『銀河廃線』の最後のト書きは「そこに銀河がある」です(笑)。

第2回の『花の下にて』では、西行法師がゾンビを作ったという話を基にしました。実際に『撰集抄』という古典に、西行法師が高野山にいた時に寂しくなって、荒れ果てた野で人骨を集めてゾンビを作った時のレシピが書いてある。

その話が面白いと思って、そのレシピで(笑)蘇った人斬りが……という話にしました。これもト書の中に「そして、骨になる」って書いてあります(笑)。このト書をどうするんだと、ワイワイ言いながらやりました。

演劇っていうのは、「どうするんだ」から始まり、演劇ならではの手法を使うことによって、思いのこもった表現ができるんです。脚本家の思いもよらないところで表現してくれる。それが面白いところだと思います。

3回目は『風は垂に吹く』という、どちらかというと『銀河廃線』のようなファンタジックな作品です。今回は「そこに雲が広がる」って書きました(笑)。今回はグライダー、エンジンのない飛行機の話です。

私が「城戸賞」をいただいた作品もグライダーの話ですが、中身はまったく違います。グライダーを素材にして舞台にしようよという話になりました。

シナリオは魔法だ

プロになって「誤解されないように書こう」と思うようになりました。そして「自分の思っていることというのはそもそも伝わらないものなのだ」ということを学びました。

自分の技量のなさでもありますが、そもそも伝わらないものだと思って書く、そこで打ちのめされないようにする。

自分がすごく心を込めて書いた部分も「このセリフ要らないよね」なんて言われます。でも、よく見ると無い方が良かったりします。

デビューするまでは「自分が王様で、自分がいいと思ったものが一番」です。そのプライドは忘れちゃいけないけど、設計図ができたら色んな人の意見が出てきます。自分が一番正しいかどうかなんてわからない。「このセリフ、すっごい大事だ」と思っても、そうじゃない方が良いものができるかもしれない。

思い直して「絶対これが必要」って思う分にはいいんですが、意固地にはならないように。柔軟に対応して、それでも曲げるくらいなら降ろされてもいいと思えるようだったら、それは全然いい。

でも、シナリオは構造物を作るための設計図、いろんな人の中で作っていくものです。私は叩かれて凹んで学び、「自分だけの世界」から「みんなと一緒に作る世界」に大きく意識が変わりました。

 私は、シナリオは魔法だなって思ってます。例えば私が「こういう男の人がいいな」って思うと、その人が実際に出てくるんですよね。「こういう女の人が駅のベンチに座ってたらいいな」って書くじゃないですか。そうすると実際に舞台でも映像でも、そういう女の人がベンチに座っているわけです。

これって魔法以外の何物でもないなと。魔法の呪文を書くと、それが魔法のように出来上がる。そういう職業って他にないですよね。

だから呪文を書くだけじゃなくて、皆さんもぜひ魔法の段階まで行ってほしいと思います。

でも、私がそう言ってたら、某ディレクターさんに「魔法じゃねーよ」って言われました(笑)。「その裏でどれだけ俺たちが苦労してるか!」って。「すいませーん」って(笑)。でも、今でもほんとに魔法だと思っています。

〈採録★ダイジェスト〉THEミソ帳倶楽部「媒体に合わせたシーン作りのコツ」ゲスト:坂口理子さん(シナリオライター)
2016年7月25日採録
次回は8月26日に更新予定です

※今回ご紹介した記事を映像でも!You Tubeで公開中
You Tube
面白いドラマの作り方を紹介 シナリオ・センター公式チャンネル
脚本家 坂口理子さんの根っこ【Theミソ帳倶楽部】より

プロフィール:坂口理子(さかぐち・りこ)

神奈川県横浜市出身。『フロイデ!~歓喜の歌でサヨナラを~』(09年)で第2回WOWOWシナリオ大賞優秀賞、『風に聞け』(10年)で第36回城戸賞を受賞。近年の主なドラマでは、連続テレビ小説 べっぴんさんスペシャルドラマ『恋する百貨店』(2017年/NHK BSプレミアム)、連続テレビ小説 べっぴんさん特別編「忘れられない忘れ物~ヨーソローの一日~」(2017年/NHK BSプレミアム)、『女子的生活』(2018年/NHK)、『遙かなる山の呼び声』(2018年/NHK BSプレミアム※山田洋次監督との共同脚本)他多数。映画では『かぐや姫の物語』(2013年※高畑勲監督との共同脚本)、『メアリと魔女の花』(2017年※米林宏昌監督との共同脚本)、『恋は雨上がりのように』(2018年)、『この道』(2019年)、『フォルトゥナの瞳』(2019年)などを手掛けた。

“最初は基礎講座から”~基礎講座コースについて~

シナリオ・センターの基礎講座では、魅力的なドラマを作るための技術を学べます。

映像シナリオの技術は、テレビドラマや映画だけでなく小説など、人間を描くすべての「創作」に応用することができます。

まずはこちらの基礎講座で、書くための“土台”を作りましょう。

■シナリオ作家養成講座(6ヶ月) >>詳細はこちら

■シナリオ8週間講座(2ヶ月) >>詳細はこちら

■シナリオ通信講座 基礎科(6ヶ月) >>詳細はこちら

過去記事一覧

  • 表参道シナリオ日記
  • シナリオTIPS
  • 開講のお知らせ
  • 日本中にシナリオを!
  • 背のびしてしゃれおつ