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【 特撮ヒーロー番組 を書きたいかた必読】
ウルトラマンシリーズはいかにして作られたのか

2016.09.05 開催 THEミソ帳倶楽部「新しいヒーローを求めて/ウルトラを超えろ。金城哲夫賞を斬る!」
ゲスト 大岡新一さん(円谷プロダクション社長 ※当時)

シナリオ・センターでは、ライター志望の皆さんの“引き出し=ミソ帳”を増やすために、様々なジャンルの達人から“達人たる根っこ=基本”をお聞きする公開講座「ミソ帳倶楽部 達人の根っこ」を実施しています。そのダイジェスト版を『月刊シナリオ教室』(今回は2016年12月号)よりご紹介。
ウルトラマンシリーズ放送開始50周年という節目の年・2016年。円谷プロダクションでは、『ウルトラマン』のような永久不滅の作品を新たに生み出すべく、「ウルトラを超えろ。」をキャッチフレーズに、「円谷プロダクションクリエイティブアワード 金城哲夫賞」を創設。企画書と第1話の脚本の募集を行いました。
それを記念して、円谷プロダクション社長(※当時)大岡新一氏をお招きして公開講座を実施。その模様をご紹介。円谷プロのポリシーや製作姿勢、「ウルトラマン」シリーズの魅力、また『金城哲夫賞』創設の意義や目的などについてお話しいただきました。既に募集は終了してしまいましたが、「特撮ものを書きたい!」というかたは、今の時代にはどんなヒーローが求められているのか、是非考えてみてください。

円谷プロとウルトラマンシリーズ

ウルトラマンの放送がスタートしてから50年という節目の年に、「金城哲夫賞」を立ち上げさせていただきました。

私は1969年、21歳のときにキャメラマンを志望して円谷プロに入りました。『帰ってきたウルトラマン』では助手として携わり、しばらくして『レッドマン』という1話2分半位の作品を初めて一本立ちして撮りました。

その後フリーとなって『ウルトラマンタロウ』の特撮を2年ほどやらせていただいて、1980年くらいから『ウルトラマン80』の特撮キャメラマンをしました。昭和最後の実写作品です。この特撮のミニチュアはかなりの評価をいただいてます。

しかしながら『~80』の後16年間は、ウルトラマンの製作ができませんでした。空白の時期です。78年に『スター・ウォーズ』が公開され、「今さらミニチュアの特撮ものはないだろう」という空気感になりました。トレンドから外れていってしまった。経営的な問題も諸々ありました。

途絶えていたウルトラマンシリーズは、95年に満を持して企画が立ち上がり、翌年から『ウルトラマンティガ』がスタートします。

私はずっとフリーでキャメラマンをしていましたが、『~ティガ』で円谷から呼ばれて、全体の技術的なところを見てくれということで撮影監督や特技監督を担当し、その後の『ウルトラマンコスモス』では技術監督を務めました。その後、円谷プロに製作部長として復帰したのですが、7年前に経営破たんという事態になりました。その厳しい状況の中、円谷プロの社長を引き受けて今に至ります。

近年は『~ギンガ』、『~ギンガS』、『ウルトラマンX』を製作し、現在は『~オーブ』という作品を放送しています。『~オーブ』は各方面から評価をいただいていて、人気があります。放送はテレビ東京系で土曜朝9時からです。配信もやっていますので、ぜひご覧になっていただければと思います。

『ウルトラマン~』が出来上がるまで

ウルトラマンシリーズは、どのように作られるのか、その流れをサーフェスだけご紹介します。

まず、どういった出口か、どういった予算かを前提に企画を立ち上げます。この段階で、脚本家にも入っていただいています。プロデューサー、監督、脚本家で、次のシリーズはどういう世界観で作るかを相談します。時代設定は近未来なのか現代なのか。主役であるヒーローはどういったキャラクターなのか。敵対する怪獣はどういったキャラにするか。そういうことを決めていきます。

そうして構築した世界観から、複数のシナリオライターにプロットをいくつか挙げてもらって、2クールだったら25~26本のプロットをザーッと書いてもらう。その中で、半年間のドラマの流れをどういう風に作っていくか、関連企業の意向も踏まえて調整します。

当然、予算や時間が厳しく関わってきますので、みんなが思い描くものに近づけるにはどうすればいいか。そういうことを踏まえて積み上げていき、脚本家の方に書いてもらいます。

テレビシリーズが始まる時には、ある程度のホンのストックを作ってクランクインするんですが、月に4~5本は放送していくため、すぐに追いかけられる状態になるですね。ホン作りって一番時間がかかって、一番汗をかかなきゃいけないところです。

スケジュールの香盤を組むときは、監督と脚本家との相性を考えてローテーションを組む。日程にはめて放送に支障がないかどうかを考える。雨が降った場合の予備日も入れ込んで、半年間のスケジュールをザックリ組んでおきます。そのうえで、ひとつひとつの絵コンテを作りながら、最終的に日々の香盤を組んで撮影していくことになります。

ホンができるのと前後してキャスティングをし、特撮の方はヒーローや怪獣、セットデザインなどの造形をしていく。

ロケハンして、いい場所が見つからなければホンを直すこともあります。特撮班はロケ場所に合うようなデザインを考えます。ビル街なのか山なのか、水があるのか宇宙の話なのか……みたいなことを考えて、セットプランを上げて、意見交換し、その後撮影をします。

編集をして仕上げますが、最終的な編集権は本編監督にあります。特技監督の主張も入れながら一本化していき、最終的な責任はプロデューサーが担います。

ホン作りの時間を抜いて制作に4ヵ月はかかる。以前の円谷プロでは、放送に間に合わせなきゃということで、監督が芝居を撮る本編班と、特技監督が指揮する特撮班の2班体制で、スタッフは大体150人から200人くらい。どれだけお金がかかるか、想像していただければわかると思います。

『~ギンガ』以降はこれをやめて、1班体制で作っています。シリーズ全体の本数が少ないので、なんとか乗り切れています。

ウルトラマンに込める他者への理解と共存

円谷プロは、円谷英二が起こした特撮の映像製作会社です。円谷プロが目指しているのは、「子供から大人まで、日本中、世界中の人々の心を躍らせ、長く愛される作品とヒーローを作り続ける、グローバルエンターテイメントカンパニー」です。

映像製作をするには当然お金がかかります。テレビは視聴者からお金は取りませんので、放送してもリターンはない。じゃあどうするか。二次展開で商品化する。株主でもある玩具メーカーのバンダイから発売されるソフビなどの玩具を買っていただく。あるいは出来上がった作品をパッケージ化して買っていただく。作品をより広く知ってもらうと同時に収益を上げていく。次の作品を作り続けるために必要なことです。

またライブ展開もしていて、今年も夏休み期間に池袋サンシャインシティで「ウルトラマンフェスティバル」を約40日間、開催しました。業界的には「タッチポイント」と言いますが、ウルトラマンと子供たちが直接触れ合える場所を作り出して、ビジネスにつなげています。国内だけではなくて、海外でも同じようなビジネス展開をしています。

最近の円谷プロがウルトラマンに込めている思いについてお話しします。「他者への理解と共存」、この2つは似て非なるものですね。

初期作品『ウルトラセブン』の頃と相通じるテーマだと私は理解しています。ウルトラマンは宇宙から地球を救いに来たヒーローだという設定でスタートしました。

では、ヒーローたるゆえんって何だろうと。倒すべき相手がいないと、ヒーローにはなり得ない。相手方は怪獣、『~セブン』だと宇宙人。本当の意味での正義ってどこにあるのか。ウルトラマンが正義なのか、地球人が正義なのか。怪獣や宇宙人にも、それぞれ生きるための正義があるはず。

ただ、お互い理解し合えないから戦いが起こる。最後にはヒーローであるウルトラマンが戦って勝ちます。ヒーローと呼ばれているけど、本当に戦いに勝てばそれでいいのか? という疑問。それが根底にあるということを、理解していただければと思います。

とはいえ、基本的にはエンタテイメント作品なので、「正義とは何か」とか「ヒーローとは何か」ということを大上段で訴えかけることはしません。メインのターゲットは子どもです。子どもたちが後年見るチャンスがあった時に、「子どもの頃にに見たあの作品テーマはこういうことだったんじゃないかな」とわかってもらえるように、内々に秘めて進めていきたい。ある意味、非常に高度なやり方かもしれません。

『ウルトラセブン』は結構怖いというのが、当時テレビで観た子どもたちの印象だったようです。世代的には今はもう50歳を過ぎている人たち。改めて見直して、『~セブン』のファンになったという方も多い。そういう意味で、『~セブン』はウルトラマンの作品群を象徴する作品じゃないかと思っています。

金城哲夫の根っこと沖縄

金城哲夫は1938年沖縄県南風原町に生まれ、76年2月26日に37歳という若さでこの世を去りました。沖縄は当時まだ返還前で、パスポートが必要な外国でした。

東京の玉川大学文学部に入学。その後、円谷プロ立ち上げの年に入社し、企画文芸の責任者になりました。20代の若さで『ウルトラマンQ』『ウルトラセブン』を企画。金城哲夫と、もう一人ウルトラマンをデザインした成田亨の存在が、一連のウルトラマンシリーズの礎を築いてくれたわけで、その能力とパワーには頭が下がります。もちろん彼ら以外のスタッフ、キャストの汗と涙がなかったら、いまに続くシリーズはないと思います。

私が製作部長として円谷プロに戻った時、最初に行ったのは、沖縄の金城家を訪ねて金城さんの奥様にご挨拶をさせていただくことでした。金城家の2階に金城さんの書斎があって今も資料が残っているんです。直接お会いしたことはなかったんですが、しばし佇んでいるうちに感じるものがありました。

金城哲夫という大功績者の名前を、もう一度伝え直さなきゃいけない。これが金城哲夫賞を立ち上げた発端です。50年という節目で、皆さんに応募いただいて素晴らしい才能と触れ合い、その作品を何とか映像化に結び付けられれば、ひとつの目標を達成したことになるでしょう。

金城さん脚本を務めた『ウルトラセブン』の「狙われた街」や「ノンマルトの使者」などは今も人気があります。評論家の中には、金城さんの作品には、太平洋戦争末期の沖縄戦の経験が込められているんじゃないかとおっしゃる方もいます。

金城さんの盟友と言われる沖縄出身の脚本家 上原正三さんによれば、「金城が戦争を意識して書いたということは聞いたことがない」ということですが、根っこにはあったのではないかと思います。

金城さんは円谷プロを退社し沖縄に戻ったあと、沖縄国際海洋博覧会のセレモニー等の構成や演出を担当しました。博覧会自体は、内地のビジネスが先行して、沖縄の人々の立場に立ったものではなかったとの意見もありますが、彼は内地と復帰後の沖縄の架け橋として力を尽くされていたと聞きます。

反戦を前面に出していたわけではなく、逆に表に出さずにホンに落とし込んでいった。そこが彼のすごさです。地球の平和を守る強く優しいヒーロー像や、単純な勧善懲悪にとどまらないストーリー、世界観、物語作りはもちろん、プロデューサー的な役割をも担い、今に続くシリーズの原型を作り上げた。それは類まれな行動力があったからです。

上京していた高2の時、当時占領下でパスポートが必要な沖縄に東京のクラスメイトを連れて行き、地元の高校生たちとの交歓会を開いた。すごい行動力です。その前後には「金星人と握手する会」というグループを立ち上げたそうで、そのくらい一般の枠にはまらない発想力があった。

25歳で脚本家デビュー後は、『吉屋チルー物語』という脚本を書いて、沖縄でパイロット映像を製作したそうです。結局お金にならず、大変な借金を背負った。でも、自分が「やりたい」というモチベーションを大切にして、突き進む人だったのではないでしょうか。

金城哲夫が構築したフォーマット

作品フォーマットの構築も金城さんの大きな功績です。『~マン』『~セブン』では、「巨大な宇宙人が宇宙から飛んできて、巨大な怪獣と戦って地球を救う」という、今まで類を見ない奇想天外な作品にトライしました。

現場の監督やスタッフもこんな作品はつくったことがないわけです。後年、私はいろんなスタッフから話を聞きましたが、試行錯誤の連続で、「ホンに書いてあっても、それはできない」というようなこともしょっちゅうあったらしい。それを現場の意見を聴きながらブラッシュアップしていく。

アイデアが枯渇すると、スタッフと酒を酌み交わす。フッといいアイデアが湧いてくると、家に帰って徹夜でホンを書き上げたなんていうエピソードも随分聞きました。地に足の着いたモノづくりの中で、新たなフォーマットが出来ていったんだろうと思います。

つまり宇宙人がいて、怪獣が襲って来る、地球を守るために科特隊、もしくはウルトラ警備隊が出動して戦うけれども勝てない、いよいよって時にハヤタがウルトラマンに変身して戦う、というフォーマット。これを凌駕する作品はなかなか出てこない。だから金城哲夫賞を立ち上げたんですけどね。

金城哲夫は、ホンを書くことにプラスして、人的な調整力があった。当時の『ウルトラマン』の企画メモに、TBSと円谷プロの合意事項が記載されています。企画立ち上げにあたって、作品の方向性を取り決めたんですね。

・子供向け番組であることを確認し、ナレーションおよび会話は平易であること。

・ストーリーはシンプルであること。特に次の3点にユニークなアイデアを発揮する。

1.怪獣がいかに出現するか。

2.怪獣がどんな形をし、いかなる特性を持っているか。

3.科学特捜隊がどうやっつけるか。

・内容はインターナショナルであること。日本にしか通用しない習慣・状況設定はしない。

・巨体を持て余してビルを破壊するだけしか能がない怪物は、もはや怪物ではない。

・ウルトラマンは、科特隊が絶体絶命のピンチに陥った時、ハヤタ隊員からウルトラマンに変身して活躍する。

・いつどうやって変身するかにお客さんの興味は集中する。

・長時間ウルトラマンであることはできない。

・ショッキングなシーンは歓迎するが、生理的嫌悪感を持つようなシーンは避ける。

『ウルトラマン』は本当は1年間やるつもりだったようですが、撮影が押して放送が間に合わなくなって39本で終わり、この後、東映の『キャプテンウルトラ』を挟んで、半年後に『~セブン』がスタートしました。

次は『~セブン』の確認事項です。1967年の10月1日放送開始なので、その3カ月前くらいの企画書の一部です。

・大人の鑑賞に堪えるものを。ただし、これまでの圧倒的な支持を受けてきた低年齢層の理解の範囲を超えないこと。

・作品としての『ウルトラマン』の怪獣に代わる要素として、新たに宇宙人を設定する。これは単なる空想の産物ではなく、子供たちに親近感とリアリティを支える魅力ある存在に仕立てる。ただし滑稽さを避け、怖いものであることが必要である。

・アクションのみに頼らず、心理的なサスペンスと意外性、知力と知力の戦いを重視する。

・セブン自身も弱点があり、ダメージを受けることもあり得ることを確認し、ウルトラマンの能力をあまり広範囲に広げない。

・主人公ダンは隊員アンヌから好意を持たれるが、宇宙人である彼にとってその愛は受け入れることはできない。彼は宇宙平和への愛に変えて、力いっぱい地球を守る。アンヌとダンの関係は、強い友情あるいは淡い慕情の域にとどめる。

・極端な残酷なシーンは極力避ける。

企画書にここまで具体的に目指す骨子を書いて、何人かの脚本家がいる中でブレないように共有していく。これも金城哲夫の大きな功績です。

今のシナリオ作家も個性的な方が多いですが、50年前はもっと野心的な人たちがたくさんいらっしゃったはず。その才能を買ってお願いするわけですが、だからといって自由気ままに書かれてしまっては修正ができない。

だから「こういった要件を押さえてくださいね」ということを具体的に示した。我々もこれを踏襲しようとしています。

リアルヒーローと架空のヒーローの狭間で

彼らの根っこにあるのは情熱です。あの時代に金城哲夫が、成田亨が、飯島敏宏が、実相寺昭雄がいた。そういう人たちがあの時期に奇跡的に集まって、大いに熱を持って汗をかいて作品を作った。だから後世に価値を認められる作品であり続けるのだと思います。

3・11の震災直後に関連会社と一緒に「ウルトラマン基金」というのを立ち上げて、1カ月経つか経たないかくらいに、石巻や南三陸を、ウルトラマンや怪獣と共に訪ねました。大震災の後にウルトラマンや怪獣のショーをやるのはどうなのか、家が流されてどうにもならない状況のところに行くわけで、正直、最初は抵抗感もありました。いろんな意見もありましたが決行したんですね。

通常より短いバージョンで、小学校の校庭や、普段はありえないようなところでショーをやりました。子供たちが集まってきて、まだ仮設住宅もない時で、そこに親御さんも来て、おじいちゃんおばあちゃんも一緒に来てくれる。

ヒーローがピンチになると、MCのお姉さんが「がんばれー」っていう声を投げかけて、子供たちもヒーローに大きな声で「がんばれー」って言ってくれる。親御さんたちが笑顔になってきて、おじいちゃんおばあちゃんも笑顔になる。「大変だから控えよう」じゃなく、ウルトラマンや怪獣と一緒に行ってよかったと、心から思いました。

ヒーローとしてウルトラマンが認知されていると改めて感じたし、僕らは逆に子供たちに元気をもらって被災地から東京に帰ってきた。

ウルトラマンはあの大震災で何もできなかった、助けに来なかったじゃないかという声が、海外のネットに挙がりました。確かに自衛隊や消防・警察、一般ボランティアも含めて、大勢復興に向けて立ち上がった。

それがもしかしたら子供たちにとってのリアルヒーローかもしれない。架空のヒーローとリアルなヒーロー、その狭間が3・11以降のヒーロー像であり価値観なのかもしれない。そのあたりにヒントがあるのかもしれません。

新しいヒーローを作る、ウルトラを超えるというのは、並大抵のことじゃない。超えようと思ってもなかなか超えられない。

今の時代背景における次のヒーローとは?
10年20年、そして50年後まで生き続けられる作品とは何だろう?

というところで、ぜひ皆様に広く考えていただいて、円谷プロという製作会社のプラットフォームを使っていただき、逆に利用していただくつもりで作品を生み出し、世の中に出て行ってほしいと願っています。  

〈採録★ダイジェスト〉THEミソ帳倶楽部「新しいヒーローを求めて/ウルトラを超えろ。金城哲夫賞を斬る!」
ゲスト:大岡新一さん(円谷プロダクション社長 ※当時)
2016年9月5日採録
次回は9月23日に更新予定です

プロフィール:大岡 新一 (おおおか・しんいち)

1969年、撮影助手として円谷プロに入社、。1972年退社。その後フリーとしてTV、展示映像、劇場映画等の作品に撮影および特技監督として参加。2004年製作部長として再び円谷プロに入社。TVシリーズ『ウルトラマンネクサス』『ウルトラマンマックス』『ウルトラマンメビウス』など製作統括。2008年代表取締役社長に就任し、TVシリーズの監修を務める。2017年からは円谷プロダクション取締役相談役に。

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