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映画監督 石井裕也さんに聞く/映画プロデューサーと映画監督と脚本家の関係

2013.04.27 開催 「石井裕也さん 映画監督の根っこ~映画『舟を編む』を撮って~」
ゲスト 石井裕也さん(映画監督)

シナリオ・センターでは、ライター志望の皆さんの“引き出し=ミソ帳”を増やすために、様々なジャンルの達人から“その達人たる根っこ=基本”をお聞きする公開講座「ミソ帳倶楽部 達人の根っこ」を実施しています。そのダイジェスト版を『月刊シナリオ教室』(今回は2013年8月号)よりご紹介。
ゲストは映画監督の石井裕也さん。アジア・フイルム・アワード第1回「エドワード・ヤン記念」アジア新人監督大賞受賞など、海外の映画祭で高く評価された石井監督は、『川の底からこんにちは』で商業映画デビューし、ブルーリボン賞監督賞を最年少で受賞。その後も『あぜ道のダンディ』『ハラがコレなんで』を発表。『舟を編む』が公開を記念してお越しいただきました。当時29歳の才気あふれる石井監督の映画作りの源泉について、ダイジェスト版をご紹介。

映画とダブる「継承」と「贈与」

原作の小説『舟を編む』が出版されたのは2011年の9月です。その後2012年に本屋大賞を受賞しましたが、映画化の企画というのは、受賞前からありました。

プロデューサーからは「原作権が取れたら、お前と(松田)龍平で行くぞ」と言われていました。脚本家については、プロデューサーの頭の中では、最初から僕以外の誰かを立てたいと思っていたようですね。

プロデューサーは激情型人間で、ロマンチストなんです。〝『舟を編む』の縦軸が「継承」なら、横軸には「贈与」がある〟と企画書に書き、製作の現場にも、その「継承」と「贈与」の概念をダブらせようとしました。

つまり60歳以上のベテランスタッフを布陣し、そこに僕と松田龍平をぶち込んで「日本映画の歴史をお前たちが受け継げ!」ということでした。

脚本の渡辺謙作さんは僕よりも年上で、プロデューサーの元で何本か映画を撮っている先輩です。これは僕の邪推かもしれませんが、謙作さんが本作に登場する「西岡正志」的なポジションで、僕が「馬締光也」だったのではないかと思っています。

そういうドラマ性を映画作りに持ち込もうとしていたように、僕は感じました。

そうやって仕組まれたドラマの中で、僕らが泳がされたようなところがあります。謙作さんは映画のパンフレットのインタビューで「初めは石井が嫌いだった」って言っていますけど(笑)、これも西岡と馬締の関係性に似ている。

僕は脚本を事前に細かくやっておきたいタイプで、「現場で適当に変えればいいや」というのは自分の中では許せないんです。逆に謙作さんは「そんなの現場でやれよ」と言う。僕が「一緒にやってるんだから最後までやってくださいよ」というふうに馬締を演じ、謙作さんが「お前こまけぇんだよ、ま、やるけどさ」と西岡を演じていた……(笑)。

完全にプロデューサーにノセられたなと思いますね。

「言葉」は人間に似ている

原作を読んでみて、辞書作りという非映画的なモチーフなので、最初は少し心配しました。馬締は27歳、僕が29歳なので、ほとんど同い年。人生を賭けて辞書作りに挑み、15年後に有言実行するという彼の人生は、僕には地味どころか壮大で冒険的に見えました。「これは映画になるぞ」と、そこがフックになりました。

原作は小説ならではの「言葉」の表現がありましたが、それをどう映像で見せていけばいいのか。僕は、逆説的ですが「言葉とは何か、ということを映画で表現することは不可能だ」という判断をしました。でも、言葉の隣にあるものを描いていけば、おのずと言葉が浮かび上がるんじゃないかと、そういうアプローチ方法を考えたんです。

もう少し具体的に言うと、馬締くんは言葉の知識量は蓄積しているのに、それをうまく使えない。つまり言葉を描いているのではなく、言葉にならないものを描いている。

原作では導入部分で「犬」という言葉の説明をしたりして、読者に言葉の面白さを喚起させ、「言葉って改めて考えると面白いぞ」と思わせたところでドラマに入っていく。映画ではそれはできません。ドラマから入らざるを得なかったんですね。

言葉とは、ということを突き詰めて考えてみると、人間に似ている、ということに気付いた。曖昧さ、不完全さ、そういうところが極めて人間的なんです。原作は「言葉ニアリーイコール人間」というところでドラマを作っていたんじゃないかという考えに至りました。それで、うん、いけるかもって思ったんです。

『舟を編む』のシナリオ作り

辞書作りをどう見せていくかとか、作品の裏テーマに関しては僕が考えて、謙作さんは人間ドラマを作ることに力を注いでいました。

今回に関してはプロットもハコ書きもなかったですね。謙作さんからいきなり初稿が渡されたという形でした。僕自身は今回ほとんど脚本は書かなかったんです。一度謙作さんの筆が止まった時に、「僕ならこうする」というような、シナリオにもなっていないようなものを書いて渡したことはありますが。

それでも大体20稿くらいまでいったかな。決定稿になるまでに、かなり変わりました。

第1稿では、辞書作りの工程とか人物のキャラクターがよく見えなかったですね。最初は馬締と香具矢のキスシーンとかありましたよ(笑)。でも、そういうことじゃないんじゃないかなぁって。

つまり、今回は言葉の話だということもあり、肉体的な接触が重要なポイントになると思っていました。馬締と西岡が無駄にボディタッチを繰り返すちょっとアブない感じは、狙いでやっています。

逆に馬締と香具矢の接触は、最後の1回だけでいいと。あの夫婦は、あまり向き合わなくていいんじゃないかと思っていたんです。横並びで同じ方を見ているという。普通の恋愛ではなくて、あの2人はお互い自分のやりたいことに向かって進んでいる中での結婚ですから。……というようなザックリしたヒントを謙作さんに言うと、「なるほど」と面白がってくれましたね。

途中、物語が15年くらい飛びます。その間のことを描かないのには意味があると思ったので、原作の通りにしました。ただし、前半と後半の分量の比率には結構悩みました。

僕は29歳なので、馬締がどのように辞書作りに人生を捧げ、傾倒していくか、その姿こそ重要だと思っていました。対して謙作さんはちょうど15年後の馬締に近い年齢なので「いやいや大切なのは後半だろう」と。

僕が6対4、ないしは7対3でもいいと話したら、謙作さんは「違う、5対5だ」。撮影後に編集してみたら2時間40分以上あったので切っていったんですけれども、切ったのはほぼ後半のシーンでした。これは僕のエゴイズムかもしれないですが。

馬締が辞書の編集に関わるようになって、いろいろ恋も絡んで、ようやく舟を漕ぎ出す。その15年後に辞書編集部に入ってくるみどりという人物は、馬締が一度経験したことを繰り返しているんです。

映画的には終わっていることなんですよね。みどりの立ち位置は難しく、最初は原作に引っぱられて分量を多くとったんですが、馬締の目線で映画を通してみたら、余分に感じた。ですから、この部分をかなり削ることになりました。

僕はあまり取材が好きな方じゃないので、辞書編集部には1回しか行ってません。時間があまりなくて急ピッチで脚本を作っていたので、同時並行でロケハンをして。現場で脚本を変えたところは、ほんのちょっとはありましたけど、現場で変わるのはマズい脚本だと思います。

色々な方法を試してもいいけれど、最終的には脚本に戻っていけるような、そんな脚本を作ることが重要です。自主映画の時は、まったく逆のことをやってましたけど、あの時は自分に脚本能力がなかったってことなんじゃないかと思います。

今回初めて自分以外の人が書いた脚本で撮ったわけですが、やってみて、自分が書かない方がいいと思いましたね。他の人が書いたとしても、電話したり会ったりして、僕自身も十分に納得した上でホンが出来ているわけですから。

「こういう考え方もあるんだ」「こういう目線もあるんだ」という発見があって、自分にとって糧になったし、面白かったです。中には自分でホンを書かないとダメだという監督さんもいるかもしれませんが、僕はその辺はあまり気にしないです。

また、今回は自分にとって初めての原作ものでもありました。多少は、原作者の気持ちを考えますね、人間として当然の感情として。でも、自分の全能力と才能を出し惜しみせずに出す、という意味では、オリジナルも原作ものも同じです。

自分で脚本を書く場合は、必ずハコを立てます。結構緻密に作るほうです。PCで、例えば「馬締、辞書について悩む」とか「西岡が馬締をちょっと見直す」というように1行ずつ柱をバーッと書いていきます。全部書いて流れを決め、その間を埋めていくという作業。そうするとシーンの骨がわかりやすくなるので、とっちらからないんです。

物語の構造やアイデアについては、プロデューサーをはじめ、周りの優秀なスタッフたちが相談に乗ってくれるので、僕は自分にしか出せない作品のテーマを大事にしています。

※You Tube
Asmik Ace 映画『舟を編む』予告編より

『剥き出しにっぽん』から『川の底から今日は』まで

僕は浦和で育ったんですが、浦和在住の同世代の子どもの中では映画館に行っていた方だとは思いますが(笑)、それでも年に1回とかでした。特別な映画少年でもなんでもなかったですけど、小説は好きでした。

大阪芸大の映像学科に進んだんですが、それも……なんとなく、ですね。フィルムとデジタルの違いすらわからなかった。でも誰にでもありますよね、「なんかやりたい」「ここで埋もれてたまるか」というような自己顕示欲。特に浦和の人にはあるんですよ(笑)。

それが、僕の場合はたまたま映画というものに向かったのかもしれません。大学では脚本の基本やドラマツルギーなどを学びました。

一番最初に撮ったのは、緑の体液を垂れ流している未亡人が、子どもに芸をさせてお金を稼ぎ、パンを買うという15分くらいの作品。僕が主演の未亡人を演じました。

ぴあフィルムフェスティバル(PFF)に出品した『剥き出しにっぽん』は大学の卒業制作作品です。16ミリで撮って400万くらい掛かりました。仲間とバイトしてお金を集めたりして気合が入っていました。脚本は破たんしていたし技術もなかったけれど、気合が伝わって評価されたんじゃないかな。

登場人物の虚飾をどんどん剥いでいく、それを映画にするというのがこの作品のテーマでした。その日の天気とか体調で自分が面白いと思うものが変わるので、ロケに向かう道中でセリフや芝居を変えたりしてたんです。でも、さっきも言ったように、天気や体調で変わるような脚本はダメですね。

PFFのスカラシップで撮ったのが『川の底からこんにちは』です。シジミ取りをする人はあまり豊かじゃないって勝手に思い込んでいたんですが、取材してみたら漁協の人たちは外車を乗り回してるし、皆さんお金持ちだったんです。

そこで取材根性が発揮されて、色々言質取りの取材を重ねました。でもシジミって地味じゃないですか。そういうところに光を当てたいという気持ちがあって。モチーフとしては良かったと思います。

 

こう生きてるから、こういう映画が出来た

作家の開高健さんが、著作の中で哲学者ベルクソンの言葉を「笑いというのは、人が機械化するかされるかして硬直した時に起こる、人間性を奪い返すための試み」と訳していた。これにすごく惹かれたんですね。

なるほど、無邪気にやっている場合じゃないと。笑いというものを、人間性を奪い返すための試みとして取り入れたいと思いました。人間的じゃないところには笑いは起きない。

人間を描くためにどうすればいいかを、我々は日夜考えている訳で。人のことを笑うってことは、その人を認め、肯定することでもある。そういう解釈で映画を作りたいなと思いました。

こういうと誤解されるかもしれませんが、僕は映画を映像より音声として捉えているところがあるんです。リズム、音楽として。

たとえば『川の底からこんにちは』の社歌や『あぜ道のダンディ』のダンス。そこに登場する人物たちって、笑わないし、絶対に歌ったり踊ったりしないようなキャラクターです。

そんな人たちが、歌ったり踊ったりするようになるまでを描く映画だという意識で撮っていました。一生懸命になれずに生きていた人たちが、一生懸命になっていく姿、一生懸命な姿、それを撮れればいいなと。

この間インタビューで「コミュニケーション能力に問題のある登場人物ばっかりですね」と言われまして……(笑)。でもコミュニケーション能力に問題のない人なんかいないし、変わってない人もいないじゃないですか。

むしろそういう人に向けて映画を作っている意識もあるので、それは別に間違ってないんじゃないかなと思っています。

僕が物心ついた頃には、バブル景気が終わっていて、信奉すべきものが何もない時代でした。それまで人々が後ろ盾にしていたお金がなくなって、何か信じられるものを探しているという空気の中で育ったんです。

その「何か」が映画に結びつかなきゃいけないんじゃないかと、ラジカルな姿勢で考えていた時があります。「一発逆転してやる」と、以前は夢を見ていたんですね。

でも今は、特に夢とか目標はないんですよね。「こういう映画を撮りたいから、こういう風に生きていく」というよりも、「こう生きてるから、こういう映画ができた」という順序の方が正しいような気がしています。生きていくうちに何か大切なものを見つけたら、それを映画にしたくなるだろうし、そういう姿勢でいいんじゃないかと思っています。

自分が何を面白いと思っているか、ツボを自覚していることは強みになります。僕が映画を観て面白がる5カ条というのがあって、「人間味を感じること」「風刺が効いていること」「作家の良識、まなざし」。あと2つすごく重要な要素があったけど忘れました(笑)。

最近では映画のスタッフはフリーの人が多いので、作品ごとに一期一会というところがあります。縁があって集まったチームで意見を出し合って一緒に撮っていると、「あー、みんなで作ってるなぁ」と思って、熱くなります。映画ならではの幸せですね。

僕自身、一生懸命になれることって実はすごく少ないんです。でも映画を作っている時は本気になれる。キツいけど、楽しい。皆さんも脚本家を目指すなら、自分でそう実感できるくらいまで、フルパワーでやったらいいんじゃないかなと思います。

出典:『月刊シナリオ教室』(2013年8月号)より
〈採録★ダイジェスト〉THEミソ帳倶楽部――達人の根っこ
「石井裕也さん 映画監督の根っこ~映画『舟を編む』を撮って~」
ゲスト:石井裕也さん(映画監督)
2013年4月27日採録

次回は5月14日に更新予定です

プロフィール:石井裕也(いしい・ゆうや)

埼玉県出身。2005年に大阪芸術大学の卒業制作で監督した『剥き出しにっぽん』で、ぴあフィルムフェスティバル(PFF)でグランプリと音楽賞を受賞。自主制作作品『反逆次郎の恋』(2006)、『ガール・スパークス』『ばけもの模様』(ともに2007)が海外の映画祭で高く評価され、香港で開催されたアジアン・フィルム・アワードで、アジアで最も期待される若手監督に贈られるエドワード・ヤン記念アジア新人監督賞を受賞。第19回PFFスカラシップを獲得して撮りあげた『川の底からこんにちは』(2009)で商業映画デビューを果たし、ブルーリボン賞監督賞を歴代最年少で獲得。その後の作品に「あぜ道のダンディ」「ハラがコレなんで」(ともに2011)など。

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