menu

脚本家を養成する
シナリオ・センターの
オンラインマガジン

シナリオ・センター

シナリオのヒントはここにある!
シナリオTIPS

シナリオや小説についてなど、創作に役立つヒントを随時アップ!ゲストを招いた公開講座などのダイジェストも紹介していきます。

脚本家・監督になるまで、なってから /中村義洋監督に聞く

2016.05.18 開催 THEミソ帳倶楽部「『殿、利息でござる!』を撮って
ゲスト 中村義洋さん(映画監督)

シナリオ・センターでは、ライター志望の皆さんの“引き出し=ミソ帳”を増やすために、様々なジャンルの達人から“その達人たる根っこ=基本”をお聞きする公開講座「ミソ帳倶楽部 達人の根っこ」を実施しています。そのダイジェスト版を『月刊シナリオ教室』(2016年9月号)よりご紹介。
今回は、映画『殿、利息でござる!』の公開を記念して実施した講座の模様をお届けします。ゲストは同作の脚本も手掛けた中村義洋監督。この企画の成り立ちからホン作り・キャスティング、そして脚本家・監督になるまでの足跡や、影響を受けた映画・人物についても語っていただきました。

ドラマ企画から始まった『殿、利息でござる!』

ここ10年くらい、ほぼ100%の割合でオファーをいただいて映画を作っているのですが、今回の『殿、利息でござる!』については珍しく例外です。

僕は、『アヒルと鴨のコインロッカー』はじめ、仙台で何本か映画を撮ってるんですが、その関係で地元テレビ局のKHB(東日本放送)さんとは親密な付き合いがあるんですね。2011年の東日本大震災の後、KHBさんでドラマを作りたいということになりました。信じられないかもしれませんが、地方局には報道部門しかないところもあるんです。

KHBはテレ朝系列のテレビ局ですが、ニュースの時間になるとスーパーJチャンネルの仙台版が流れて、昼間は情報番組だけだったかな。KHBの中には、ドラマがやりたくて入社したのに話が違うじゃないかって思っている人もいて……。そこで、KHBでドラマを作って日曜夕方とかに1時間枠を取りたいと。それで、僕に「協力してください」と声がかかったんです。

KHB局内に創立40周年記念の委員会が立ち上がり、予算は2000万~3000万くらい、「震災から5年」というテーマに沿って、色々な企画が集まりました。その中に、ある農業高校で津波に流された牛が戻ってきて、その牛がコンテストで優勝しちゃうという話があった。これは面白いねってことになって。

でも、そのコンテストって「いい肉になるかどうか」ってことを競うコンテストだった(笑)。牛は何もやんない。ただポージングしてるだけ。そのシーンが絶対にクライマックスになるはずなのに、ポージングしてるだけじゃ困ったなと(笑)。まぁでもそれも面白いかなって僕も動き出していたんです。

一方、委員会に入れなかった局員が『無私の日本人』の原作本を企画候補として推薦したものの、時代劇だしお金かかるからって却下されていた。それが、うちの妻を経由して「この原作本を監督の近くに置いておいてください」って裏ルートで回ってきたんですよ(笑)。それでちょっと読んでみたら、僕は一発で打ちのめされちゃった。

僕は外部の人間なので委員会に立ち入ったことは言えない立場ですが、時間をかけて交通整理をしながら、最終的にはKHBの社長のもとにこの原作を持って行きました。同時に文春さんにも権利の確認をしておきました。

社長に本を渡して、「やるかやらないかだけ、決めてください」「やるとしたら、ドラマの3000万とかいう金額では無理です。やらないんだったら、この企画はよそでやります」と言った。「これをやらないとしても、牛の件はちゃんとやりますから」って(笑)。まぁ、脅しですよね。後から社長にも「脅しだった」と言われましたけど(笑)。

そうしたら、その翌日、社長から電話がかかってきた。本を読んで「これはやるべきだ」と思ったようで即決してくれました。

牛の取材をやりながら、その一方で松竹のプロデューサーにも連絡を取っていました。その人はテレビの時代劇をよくやっていた人なので、内容は言わずに「最低いくらかかる?」と訊ねました。何の企画か言ったら、松竹に取られちゃうから(笑)。で、色々とデータを集めていたら、松竹から「いい加減何をやるか教えてくださいよ」って言われて。それで、KHBさんを連れて松竹に行ったんです。

そうしたら今度は逆に松竹から脅しをかけられた。端的に言うと、「あなたたちは、どのくらいの規模でやるつもりなのか?」って。

まず最初に、どんな映画館で見たいかって聞かれて、KHBの朴訥な仙台の人たちは「MOVIX仙台でしょうか」って言うわけ(笑)。

つまりシネコンですね。シネコンでやるからには、ちゃんと作らなければならない。これは宿場の話で、日本にはあまりオープンセットはないし、ちゃんとやるには3億はかかる。製作費を回収するために宣伝をすると、さらに3億かかる。つまり6億から7億かける作戦になるんですよ、どうするんですか?って。

僕はそうなるだろうなとは思っていたけれど、あとはKHBさんに判断をお任せして。でも、もうその時点で社長が目の色が変わっていたんです。「やる」と。松竹は「やるんですか」と驚いていました。そんな流れがあって、そこからやっと脚本を書き始めました。

「こういう人間になりたい」9人の農民たち

映画を観て、「こんな人間になりたいな」って思うことあるじゃないですか。たとえ映画館を出てから5分間だけでも、それが映画の影響力というか。

磯田直史先生の原作『無私の日本人』に登場するのは、「すごいことをして、なおかつ子々孫々まで名前を出さない」という人物たちです。僕が常々「こういう人が本当は偉いんじゃないか」と思っていた、まさにそのことが描かれていたんですね。

磯田先生にお会いした時に2つ注文があって、そのひとつが「『無私』という言葉だけは残してください」ということでした。ただ、『無私の日本人』というタイトルではお客さんが入らないので、なんとかしなきゃいけない。

作品の中に、9人の男たちが交わした「慎みの掟」というのが出てきます。「他言しない」とか「上座には座らない」とか。そこで、最初はタイトルをこの『慎みの掟』にしようと思っていたんです。「無私」という言葉を入れる約束を破って(笑)。

でも松竹さんが、「これでもダメだ」と。で、『利息でござる』になって、その後『殿、利息でござる!』になりました。『慎みの掟』だったら、海外の映画祭とかで上映する時に『Rule of~』になるだろうから、それはちょっと面白いんじゃないかと思ってたんですけど。「掟」という言葉の厳しさと、「慎み」という言葉のイメージが全然逆なのも面白いと思って。

最初に松竹さんに話を持っていった時、返す刀で「コメディーで」とオーダーされたんです。それを聞いて、僕はウッとなりました、全然コメディーじゃなかったんでね。

『超高速!参勤交代』が公開された後だったし、そういうことかと思って。でも、伝えたいことをエンターテイメントに乗せて一般の人に伝えると考えれば、全然アリだなと。このことを聞いたのが脚本を書く前だったので、それは良かったです。

磯田さんの原作では、実際にあった出来事に何も足していないし、何も嘘をついていない。『国恩記(こくおんき)』という書物の直訳と、「現代ならこうだろう」という磯田さんの雑感。小説というよりは解説文という感じ。

僕がいい原作本と出会った時には、テーマと文体に惹かれます。

「このまま、面白いままで終わってくれ」と祈るような気持ちで読み進めます。もし最後に「これは違うな」と思ったら、無理にその作品を面白くしようとはせずに、そのオファーは断っています。

今回の原作では、後半に萱場杢(かやばもく)という頭の切れる仙台藩の役人が出てきます。それを読んで、「敵がいるのか、これはいい!」となりました。その敵が吹っ掛ける難題が面白かった。これだけでも十分なのに、最後に殿が出てきたからウワーッと思って。完ぺきだなと思いました。

実話をエンターテイメントに

今回は主人公を描くのが特に難しかった。9人の傍にいた村のお坊さんが、事の顛末を「国恩記」に書き残している。この作品の主人公は穀田屋十三郎ですが、原作では、途中から十三郎が全然出て来なくなっちゃう。これがキツかった。

磯田さんにお会いした時にも文句言ったし(笑)、なんで穀田屋十三郎を主人公にしたの?ってのがあって。菅原屋徳平治でも浅野屋甚内でもよかったじゃないかと。映画を観た方はわかると思うけど、本当にすごいのは山崎努さんの演じた先代の浅野屋なんですよ。原作でも後半はほとんど浅野屋親子の話だし、十三郎はアイデアを言い出しただけじゃないかと。

一時期、主役を変えようかという話も出たし、オムニバスにしようかという案もありました。

穀田屋十三郎が10分、千葉雄大くんの演じた千坂仲内で10分とか、それぞれの人物を順に描いていくっていう。これを考えるのに、1ヶ月くらい苦しんで、やっと十三郎でいけるんじゃないかということになって、2年前の5月末に第1稿が出来た。それで、夏にはキャスティングをしてたかな。十三郎を阿部サダヲさんにするのは最初から決まっていました。

磯田さんから「これは人が変わる話なので、変わる過程をじっくり撮ってほしい」と言われました。まったく異存はなくて。もうひとつ珍しい原作者だなと思ったのは、「女性を出さないとヒットしないだろうから、女性を出してください」という注文でした。

でも、この原作の元となった「国恩記」には女性はひとりも登場しない。江戸時代の書物には、ほとんど女性が出てこないんです。女性を記録に残さないという考え方だったのかな。でも、実際にはガンガン登場していただろうってのが、僕と磯田さんの結論で。

3億円を捻出した9人のうちのひとりが女性だっていいじゃないかと思ってたんです。記録には残せないから、男性の名前で残っているとか。でもいろいろ考えた結果、居酒屋のおかみを竹内結子さんにやってもらいました。

僕は元々時代劇や時代小説が好きなので、脚本はなんとなく自然に書けちゃう。後は専門家の方にダメ出しをしてもらって書き直したという感じです。

『必殺仕置人』をはじめとした昔の「必殺シリーズ」が大好きで、あの自由さ、なんでもアリなところがたまらない。だから、僕もあまり深く考えないで書いてました。「この程度は大丈夫だろう」って。

今回、フィギュアスケートの羽生結弦選手に殿をやってもらったのが話題になりました。他のキャストが豪華になってきちゃったので、ちょうど25歳くらいで超越するオーラを持つ人が見つからなかったんですよ。そこでキャスティングプロデューサーや助監督、色んな人で話し合った。

たぶん皆が羽生結弦を思い描いていたと思う。でもそれを口に出したらバカにされんじゃないかって(笑)、誰も言い出せないままウ~ンって悩んでて。とうとう誰かが「羽生選手は……」って言い出して、「だよねー!」ってなった。

地元テレビ局のKHBさんを通して話を持って行って快諾してもらいました。彼が出てくれれば宣伝にもなるし、役としてもピッタリ。この殿さま登場シーンのために、他の演者の撮影スケジュールを調整して臨みました。そんなこともあり、あのシーンを撮り終えた後、軽い打ち上げをしました。やり遂げた感があって(笑)。

原作を読み終わって一番先にイメージしたキャストは、山崎努さんです。アタマとケツで、まったく印象が違うという人物ですね。で、9人のうち原作でほとんど書き込まれていなかったのが、遠藤寿内と穀田屋善八。この2人をイジろうと思って。

忘れがちなんですけど、このお話は実話です。自分にはまったく儲けがないのにお金を出すって、現代人の感覚からするとよくわからない。僕もわかんないし。原作の中で、「俺はこれくらいの額しか出せない」って言ってる人がいて面白かった。

映画で西村雅彦さん演じる遠藤寿内は、人気取りのためにお金は出す、けど儲けにならないなら出さない、けどケチって言われたくないからお金を出す、っていう人間的なキャラクターになっています。「絶対にこういう人もいただろうな」という、お金を出し渋る人、私利私欲でケチと思われたくない人を遠藤寿内に込めた。

そうして書いた第1稿を山崎努さんに送ったら、「寿内が面白い」と絶賛されて、「寿内がやりたい」って(笑)。それじゃ困ると説得して。その後、勘違いや早とちりで参加した、きたろうさんが演じた穀田屋十兵衛を加えました。そういう人も絶対にいたと思うので。

瑛太さんが演じた篤平治は、原作ではなんのてらいもなく「実は私に考えがあります」って十三郎に言います。本当に無私の精神で口にしている。

映画の中の篤平治は、自分では他人から頭がいいと思われていると思ってるけど、実はそうでもなくて、バカにされて悔しかったからなんとなくアイデアを口にした、それをみんなが真に受けてお金を出し始めちゃったから、後に引けなくなって悩む……という風にしました。クランクインの2週間くらい前にバーッと直したんです。

自分で一番気に入っているシーンは、やっぱりラストですね。あれがやりたかったので。

最初に企画が立ち上がってからクランクアップまで、大体2年半から3年かかり、インしてから撮り終えるまでは2ヶ月くらいかな。

※You Tube
シネマトゥデイ
映画『殿、利息でござる!』予告編より

自分が面白いと思うことをぶつけていくしかない

小さい頃から映画は好きでした。好きな洋画ベスト10の中にM・ナイト・シャマラン監督の『サイン』があるんですけど、あちこちで酷評されたりする作品ですが、とにかく視点がいい。宇宙人が来ているのに牧師さん家だけで展開するんです。自分だったらこうするだろうっていう描き方が徹底している。最近の『ヴィジット』も本当に面白かった。

クエンティン・タランティーノも好きです。『パルプ・フィクション』とか『レザボア・ドッグス』とか。何で俺はこれ思いつかなかったんだろうって観た後に悔しくなる。

今は僕も商業的な考え方になっているけど、以前は面白ければいいじゃないって。「こんな映画があったっていいじゃないか」という思いがあった。ナンニ・モレッティの『親愛なる日記』なんかは完全にそっち系です。

大学に入ってからはすぐに映画を撮り始めました。僕は完全に伊丹十三監督の影響を受けてます。伊丹監督は映画のメイキングを撮ったり、「撮影日記」とかで映画撮影の裏側の部分を世の中に発信した人。作品自体も大好きで、脚本は伊丹さんの真似から入りました。

で、大学1年の時に撮った短編が、いきなり崔洋一監督に褒められたんです。東京学生映画祭で崔監督が審査員をやってたんですね。それで「行けるな」って気になっちゃった、「俺、ちょっと周りと違うな」って(笑)。

ところがぴあフイルムフェスティバル(PFF)に出しても全然通らない。そのうち傾向と対策を考えて、通るような作品作りをし始めちゃった。

そんな中で観たのが、ウッディ・アレンの『ハンナとその姉妹』。冒頭の10秒を観ただけで号泣しました。なんでかというと、その自由さですね。ウッチ・アレン本人だけが面白がっていて、自分が面白いと思うものを全面に出して人に気を使ってない。

今となっては珍しいことじゃないけど、チャプター形式になっていて、第1章は「なんて綺麗な女なんだ」みたいな文字が出て、ある女性のバストショット、それからもう1回ナレーションで「なんて綺麗な女なんだ」って言ったんです。でも僕はそれをくどいと思わず、やりたいことがあるんだったら形式は何だっていいんだと思って泣きました。お酒も飲んでたんですけどね(笑)。

もうぴあはいいやって思って、コントを書いたりしてたんですが、5年生の時に何か純粋に撮りたくなって、『五月雨厨房』というのを撮り、PFFに送ったら準グランプリになった。

だから「認めてもらいたい」「褒められたい」って気持ちじゃダメなんだと。自分が面白いと思うことをぶつけていくしかないと悟りました。

卒業後は崔監督から助監督をやらないかと声を掛けられました。『マークスの山』とかキツかったですね。助監督はチーフ助監督について色々な監督の現場を回るので、他の監督にもつきました。

そのうち、自主制作に戻りたくなってきた。元々崔監督には「プロの現場がどういうものかを知るために助監督をやってみろ」と言われて入ったので、辞めようと思ってチーフ助監督に電話したら、「辞めてもいいけど、次は伊丹監督の現場だよ」と言われて。「それやってから辞めます」って答えました(笑)。それが伊丹監督の『スーパーの女』でした。

伊丹監督の現場は、他の監督とまったく違いました。崔監督は主題があって、それをどう撮るかという撮り方。これが普通で、僕も今そういう風にやってます。伊丹さんは、フレームを据えて動きをつける。絶対的に伊丹さんの理想の芝居がある。

津川雅彦さんや宮本信子さん、大滝秀治さんにはそれができる。崔監督は、現場の広さや天気や相手の芝居によって役者の芝居が変わって、それが面白かったら、それをどう撮ろうか考える。撮り方が両者まったく逆でした。

「自分を出そう」という発想からは何も生まれないと思う

僕は、自分の作品では鈴木謙一さんとコンビを組んで脚本を書くことが多いんですけども、鈴木くんとは学生の頃からの付き合いです。僕の2つ下の後輩です。学生時代に自主映画を撮っていた頃、彼がカメラマンでした。だから、それ以来ずっと先輩後輩の間柄です。

僕のデビュー作は99年の『ローカルニュース』で、鈴木謙一くんと2人でお金を出し合って16ミリで撮った作品です。

最初は監督の仕事がなかったので、脚本の仕事ばかりしていて、監督としては「ほんとにあった!呪いのビデオ」シリーズの仕事だけでした。ホラーは、観るのは好きだったけど、やるのはまったく考えてなかった。でも2004年から2005年くらいまでは来る話が全部ホラー。ある時、「もうホラーが来ても断ろう」と決断しました。

最近『残穢-住んではいけない部屋-』という作品を撮ったんですが、昔さんざんホラーをやっていたのに、ちゃんとホラーを撮ったと言えるのはこれだけかもしれません。僕が普通に撮ると能天気で幸せな世界になっちゃう。そういう資質なんだと思います(笑)。

中田秀夫監督の『ラストシーン』って作品があります。映画撮影の裏側の話なので、全然ホラーじゃないんですが、何だか怖い。すごいなぁと思って。だから明るいところで幽霊が出て怖いっていうのもアリなんじゃないかと思って撮ったこともあります。けど、お客さんは怖がりに来てるのに、それじゃダメだなと。自分でも向いていないと思いました。

1年くらい経って、『ルート225』の仕事が来ました。全然肩の力が入らなくて楽なんですよ。いかに、ホラーで自分に負荷をかけていたかと気づきました。

よく「自分を出せ」と言われますよね。でも僕は、自分は自然に出るものだと思うんです。「自分を出そう」という発想からは何も生まれないと思う。ただ面白がって書いたり撮ったりしていくうちに自然に自分が出れば、それが一番いいんじゃないかと思います。

僕のここ10年くらいのフィルモグラフィーを見てもらえばわかると思いますが、全部原作ものです。オリジナルで発信していくのを止めて、僕にやってほしいと言われるものを返していく。

オリジナルでやりたいことは今でもいっぱいあるけれど、仕事をひとつ引き受けたらそれが第一優先になるので、この10年間考える時間がなかったんですね。オリジナルをやっていると錯覚するくらい大好きな原作の仕事だけを請けているっていうのもあります。

共同脚本でのホンの作り方

ウッディ・アレンの話に戻りますが、学生時代にインタビューを読んでいたら、「共同脚本だけれども、もうひとりが1行も書いていない」って書いてあったんです。初期の作品は大体そうだったみたいです。

打ち合わせをして、ウッディ・アレンが持ち帰って書き直して、次の日にまた意見を聞いて……を繰り返していたと。それでも十分「共同脚本」だなと僕は感じました。

自分が鈴木くんと一緒にやっていた作業と同じだったんです。その後、橋本忍さんの『複眼の映像』を読んでいたら、やはり小國英雄さんは何も書かずに意見を言っていただけだったと知り、昔からこの方法でやっていたんだなと思いました。

『残穢』は丸々鈴木くんに任せたんですけど、他も大体その手法で共同脚本しています。全体の構成を立てたりセリフを書いたりするのは僕で、それを鈴木くんに投げるという形。

最近では、企画の最初からは呼ばないで、第1稿が上がったくらいからスケジュールを空けてもらうようにしています。で、だんだん彼の出番が増えてくる感じです。ずっと横にいてもらって直したりとか。

脚本を書く時は、最初に構成というか、ハコを作ります。箇条書きの小バコをケツまで通して、そこに詳細を上書きしていく。どんどん分厚くしていく感じですね。

脚本家の林民夫さんと組む時は、共同脚本じゃなくて、すべて林さんにお任せします。『ゴールデンスランバー』の場合は、林民夫さんと鈴木謙一くんが共同脚本として名前が挙がってますが、これは2人に意見を言ってもらったという形です。

林さんのホンは強いんですよ。「ここ変えてください」ってお願いすると、「いいですよ。ただし、ここを直すとこっちとこっちも変わります」という感じ。ガチッと決まってる。

いい意味で強いので、頼もしい。林さんが書いたホンを読んで、ん?と思っても、もう一度読んでみるとジワッときたりとかね。

僕は作品の重要なテーマをセリフで言ったりするのは恥ずかしいと思っちゃうタイプなんだけど、林さんや斉藤ひろしさんはその入れ方が上手い。後からわかるんですよ、編集している時とかに「いやぁ、やっぱりこのセリフ入れて正解だったんだね」って。僕が彼らに勝てないなと思う部分です。

自分が書いた脚本を監督する場合、ト書にちょっと演出が入ってくるかな。僕が脚本家時代に、中田秀夫監督に「ここに1行増やして、○○『……』を入れてくれる?」って言われたことがあって。アップを撮るのを忘れちゃうからって。カット割りに必要だからって。自分も今はそれ結構やっちゃってますね。

理想は、現場で脚本を変えないこと。でも、大概何かが足りないと思ったりするので、そういう場合は現場で台本を直します。結構周りにも負担がかかるので、きっちり、迷いなくホンを終わらせてから現場をやりたいなと思ってるんですけどね。

自分でホンを書く時に筆が止まっちゃうのは、キャラクターが定まらない時だけ。天才はそこをクリアできてるんでしょうね。よく「キャラクターが勝手に動き出す」って言うじゃないですか。僕なんか、なかなかそんなこと起きない。3~4本に1回かな、そんな瞬間は。書ける時は書けるんだけど、止まる理由は大体キャラクターですね。

思いついたことを書き留めるノート、今のは2011年から使ってます。『白ゆき姫~』くらいから全部入ってる。4~5本分のハコとかアイデア、何の映画を観たかとか、興行収入の推移とかも書いてあります(笑)。

ファーストインプレッションを大切に

監督として脚本家に求めるのは、締め切りを守ること。僕はホントに守ります。

皆さんがプロになったら自分だけが苦しんでるんじゃないかと思うかもしれないけど、その間、監督やプロデューサーもちゃんと仕事してる。

「この日にホンを上げてくれれば読む時間を確保できる」っていうのを、おそらく脚本家の人はあまり想像できないんじゃないかな。読むのだって結構大変なんですよ。読むための時間を空けてあるんだから、それに間に合わせてくれないと困るんです。

あとは、脚本家にももうちょっと現場に出てきてほしいなと思います。今現場でどんなことが起きているのか知ってほしい。知らないと相談できないんだよね。予算がどうとか、ロケ場所が台本にハマらないとか。効率よく直しができない。

だから、準備に入ったらロケハンに一緒に回ってくれてもいいくらい。もうちょっとだけ現場を知ってくれると、時間のロスがなくていいのにって思います。

映画の現場で一緒に仕事したいと思うのは、明るい人ですね。脚本家は内向的でもいいんだけど、スタッフは明るい人がいい。『残穢』の時は雰囲気から入ろうと思って、あえて暗い人を集めたりしたけど……(笑)。

映画を作る上で大切なのは、お客さん感覚に戻ること。努力しないとできないんですよ。撮影して編集の段階まで来ると、同じシーンを何十回も見てることになる。1本の映画として通して見ても、次のシーン次のシーンが完全に頭に入っている状態です。

自分でホンを書いてたりもするし、現場でも役者に「このくらいの間(ま)でお願いします」って注文したりしてる。それが上手くいってるかとか、編集で直したところがきちんとなってるかとか、そういうことばかり気になっちゃって……。

編集している間に、最初から最後まで通して見られる機会は大体6回くらいしかない。そのうち1回でもいいから、次のシーンを気にせずに、ボーっと観られる努力をします。

仕上げセンターの試写室に余裕をもって行って、ちゃんと「映画館に行く」って気持ちを作る。原作も脚本も知らない友達を連れて行って、そいつの後頭部ナメで画面を見たりして……(笑)。そういういろんな努力をして、素で見れるようにしています。「ここがタルかった」とか「ここが説明不足だった」と思った部分を直していく。その最後の判断が一番正しいと思います。

脚本を書く時もそうですね。書き上げたら1回時間を空けて、関係ない映画をたくさん見てから読み直すとか。ずっと書いてると入り込んじゃうから。

現場でも役者に色々演出するんだけど、本番に入ったら何も考えずにモニターを見る。役者によっては嘘の芝居というか、不自然に見えることもあるので、いったんボーっと見るように努力していますね。

以前あるチーフ助監督が伊丹十三監督に「脚本を書く際に何を大切にしていますか?」って尋ねたら、監督は「ファーストインプレッション」って答えた。そうだなと思っています。「この映画は絶対に面白い」っていうアイデアが出たら、それを信じること。

皆さんだとホンを書くのに早くても1ヵ月、大体3~4ヵ月はかかるでしょう。その間に「面白くないんじゃないか」って思うこともあるだろうし、考えが変わることもあるでしょう。それでも必死にファーストインプレッションにしがみついて最後まで書き上げることだと、伊丹監督は言ってました。それをしないと自分に失礼だと。

当時、それを訊いたチーフ助監督は35歳くらいだったかな。途中で止めたら、それを面白いと思った35年の自分の人生を否定することになると。35年かけて、それを面白いと思ってるんだから、心底面白いと思ったものを疑うなと。もしかして本当に面白くないかもしれないけど、それは書き上がってから考えろと。

その言葉の裏を考えると、普段の人生もちゃんと生きろってことだと思うんです。ちゃんと生きてない人が自信を持てるはずないと思う。だから、皆さんもこれだ!と思ったファーストインプレッションを大切にして、頑張ってください。

〈採録★ダイジェスト〉THEミソ帳倶楽部「『殿、利息でござる!』を撮って」
ゲスト:中村義洋さん(映画監督)
2016年5月18日採録
次回は7月29日に更新予定です

プロフィール:中村義洋(なかむら・よしひろ)

1993年、大学在学中に8ミリで撮った短編『五月雨厨房』が、ぴあフィルムフェスティバルで準グランプリを受賞。大学卒業後、崔洋一監督や伊丹十三監督などの助監督として現場に参加。1999年、自主制作映画『ローカルニュース』で劇場映画監督デビュー。その後、『刑務所の中』、『仄暗い水の底から』、『クィール』など、話題作の脚本を手掛ける。監督作品は『チーム・バチスタの栄光』『白ゆき姫殺人事件』『予告犯』『忍びの国』他多数。脚本家・監督を手掛けた作品は『アヒルと鴨のコインロッカー』『ジェネラル・ルージュの凱旋』『ゴールデンスランバー』『奇跡のリンゴ』、また2019年11月には『決算!忠臣蔵』が公開予定。

“最初は基礎講座から”~基礎講座コースについて~

シナリオ・センターの基礎講座では、魅力的なドラマを作るための技術を学べます。

映像シナリオの技術は、テレビドラマや映画だけでなく小説など、人間を描くすべての「創作」に応用することができます。

まずはこちらの基礎講座で、書くための“土台”を作りましょう。

■シナリオ作家養成講座(6ヶ月) >>詳細はこちら

■シナリオ8週間講座(2ヶ月) >>詳細はこちら

■シナリオ通信講座 基礎科(6ヶ月) >>詳細はこちら

過去記事一覧

  • 表参道シナリオ日記
  • シナリオTIPS
  • 開講のお知らせ
  • 日本中にシナリオを!
  • 背のびしてしゃれおつ