ドラマ企画から始まった『殿、利息でござる!』
ここ10年くらい、ほぼ100%の割合でオファーをいただいて映画を作っているのですが、今回の『殿、利息でござる!』については珍しく例外です。
僕は、『アヒルと鴨のコインロッカー』はじめ、仙台で何本か映画を撮ってるんですが、その関係で地元テレビ局のKHB(東日本放送)さんとは親密な付き合いがあるんですね。2011年の東日本大震災の後、KHBさんでドラマを作りたいということになりました。信じられないかもしれませんが、地方局には報道部門しかないところもあるんです。
KHBはテレ朝系列のテレビ局ですが、ニュースの時間になるとスーパーJチャンネルの仙台版が流れて、昼間は情報番組だけだったかな。KHBの中には、ドラマがやりたくて入社したのに話が違うじゃないかって思っている人もいて……。そこで、KHBでドラマを作って日曜夕方とかに1時間枠を取りたいと。それで、僕に「協力してください」と声がかかったんです。
KHB局内に創立40周年記念の委員会が立ち上がり、予算は2000万~3000万くらい、「震災から5年」というテーマに沿って、色々な企画が集まりました。その中に、ある農業高校で津波に流された牛が戻ってきて、その牛がコンテストで優勝しちゃうという話があった。これは面白いねってことになって。
でも、そのコンテストって「いい肉になるかどうか」ってことを競うコンテストだった(笑)。牛は何もやんない。ただポージングしてるだけ。そのシーンが絶対にクライマックスになるはずなのに、ポージングしてるだけじゃ困ったなと(笑)。まぁでもそれも面白いかなって僕も動き出していたんです。
一方、委員会に入れなかった局員が『無私の日本人』の原作本を企画候補として推薦したものの、時代劇だしお金かかるからって却下されていた。それが、うちの妻を経由して「この原作本を監督の近くに置いておいてください」って裏ルートで回ってきたんですよ(笑)。それでちょっと読んでみたら、僕は一発で打ちのめされちゃった。
僕は外部の人間なので委員会に立ち入ったことは言えない立場ですが、時間をかけて交通整理をしながら、最終的にはKHBの社長のもとにこの原作を持って行きました。同時に文春さんにも権利の確認をしておきました。
社長に本を渡して、「やるかやらないかだけ、決めてください」「やるとしたら、ドラマの3000万とかいう金額では無理です。やらないんだったら、この企画はよそでやります」と言った。「これをやらないとしても、牛の件はちゃんとやりますから」って(笑)。まぁ、脅しですよね。後から社長にも「脅しだった」と言われましたけど(笑)。
そうしたら、その翌日、社長から電話がかかってきた。本を読んで「これはやるべきだ」と思ったようで即決してくれました。
牛の取材をやりながら、その一方で松竹のプロデューサーにも連絡を取っていました。その人はテレビの時代劇をよくやっていた人なので、内容は言わずに「最低いくらかかる?」と訊ねました。何の企画か言ったら、松竹に取られちゃうから(笑)。で、色々とデータを集めていたら、松竹から「いい加減何をやるか教えてくださいよ」って言われて。それで、KHBさんを連れて松竹に行ったんです。
そうしたら今度は逆に松竹から脅しをかけられた。端的に言うと、「あなたたちは、どのくらいの規模でやるつもりなのか?」って。
まず最初に、どんな映画館で見たいかって聞かれて、KHBの朴訥な仙台の人たちは「MOVIX仙台でしょうか」って言うわけ(笑)。
つまりシネコンですね。シネコンでやるからには、ちゃんと作らなければならない。これは宿場の話で、日本にはあまりオープンセットはないし、ちゃんとやるには3億はかかる。製作費を回収するために宣伝をすると、さらに3億かかる。つまり6億から7億かける作戦になるんですよ、どうするんですか?って。
僕はそうなるだろうなとは思っていたけれど、あとはKHBさんに判断をお任せして。でも、もうその時点で社長が目の色が変わっていたんです。「やる」と。松竹は「やるんですか」と驚いていました。そんな流れがあって、そこからやっと脚本を書き始めました。