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映画『十字架』 /五十嵐匠監督と関顕嗣プロデューサーに聞く

2016.02.12 開催 THEミソ帳倶楽部「映画『十字架』が出来上がるまで」
ゲスト 五十嵐 匠さん(映画監督/写真右)、 関 顕嗣さん(映画プロデューサー)

シナリオ・センターでは、ライター志望の皆さんの“引き出し=ミソ帳”を増やすために、様々なジャンルの達人から“その達人たる根っこ=基本”をお聞きする公開講座「ミソ帳倶楽部 達人の根っこ」を実施しています。そのダイジェスト版を『月刊シナリオ教室』(今回は2016年7月号)から。
今回は、シナリオ・センター出身の五十嵐匠監督と映画プロデューサーの関顕嗣さんが手掛けた映画『十字架』の公開を記念して実施した公開講座の模様をご紹介。
五十嵐匠監督は『SAWADA 青森からベトナムへピュリッツァ―賞カメラマン沢田教一の生と死』で毎日映画コンクール文化映画グランプリを受賞。その後『地雷を踏んだらサヨウナラ』『長州ファイブ』『みすゞ』『HAZAN』『半次郎』等の映画を撮影。『十字架』は重松清氏の同名小説の映画化で、監督10作品目の映画となります。
同映画のプロデューサー関顕嗣さんもシナリオ・センター出身です(シナリオ・センター8週間講座修了生)。映画『四月怪談』で脚本デビューし、脚本だけでなく監督としても数多くの作品を手掛け、現在は主にプロデューサーとして活動されています。
この公開講座ではお2人に、映画『十字架』を通して、映画作りの実際をお話しいただきました。

原作『十字架』(重松 清 著/ 講談社文庫)との出会い

〇五十嵐監督:今日この教室のドアを開けたら、真正面に新井一先生のパネルがあって、大変懐かしく思いました。

僕が教わっていたのは大学生の時で何十年も前のことです。僕の先生は、新井一さんとジェームス三木さんです。

ジェームス三木さんから教わったことで今でも覚えているのは、「最初の柱の○を書いたら、必ずエンドマークまで書く」ということ。アタマ書いたらケツまで書く。途中で嫌になったり止めようとしても、とにかく最後まで書く……これだけは覚えています。

僕は「脚本・監督」に憧れがあって、なんとか自分で脚本・監督ができないかと思っていました。共同脚本でも構わないんですが、シナリオはよその人には任せられない。映画監督というのは、自分で脚本が書けないと監督はできない、というのが持論です。

今回の重松清さんの原作は5年前に遡ります。本屋で平積みになっていて、装丁がいいなと思って偶然手に取ったんです。イジメの話だなんて全然知らずに、家に帰って夜中に読んだら、なぜかわからないけれども涙がボロボロ出てしまった。この原作を映画にして一般の観客に届けたら、僕と同じように涙を流す人がいるんじゃないかと直感しました。 

一番すごいなと思うのは、「共感」です。

それぞれの登場人物に共感できる。映画を観た方はわかるかもしれませんが、イジメ自殺をしたフジシュンという生徒の弟がいますよね。あの弟が大人になって「もし僕が天国に行ったら、兄貴をぶん殴ってもいいですよね?」と言う。そのシーンなんか、とても共感できます。

最初に僕ができることは何かというと、脚本を書くしかない。

それと同時に、自分で資金調達の筋道をつける。劇場用の映画は今回で10本目ですけれども、10本とも全部、自分で企画を立ててお金も引っ張ってきて、自分で監督をしています。

僕が映画化したいと思う作品は、よそから見るとマイナーなので、なかなか企画が通らない。どこに持っていっても通らない。

今回の『十字架』も相当数の映画会社やプロダクション、テレビ局に持って行きましたが、全部ダメでした。「震災があって世の中が暗くなっている中で、イジメの映画なんて誰が観るんだ?」「暗いのはコリゴリだ」「明るいエンターテイメントが求められているから、これは無理だ」と言われました。

何度も言われるとつらい。酒が進む、家族が泣く(笑)。どうしようもない状況でした。

それでもたったひとつ自分ができることと言えば、作品に近づくこと、つまり脚本を書くこと。ホンを書くと、なんとなく気が晴れる。何かやっている感じになる。

それと同時に、イジメを調べ始めました。図書館に通って、本や新聞でこの2年間のイジメ自殺事件について調べるわけです。そうすると腹の中で醸成していく。そうして脚本を書いていく。

一流の作家の作品を脚本にするのはすごく難しいですね。今回は特に、20年にわたる物語を2時間にしなければならなかった。ちょっとずつ摘まむだけではダイジェストであって、作品にはなりません。大きい手術をしなければならない。

原作者が何と言おうが、映画は自分の作品であるから、自分の思うように書く。その代わり、その作品の幹は触っちゃいけない。枝とか葉っぱを映画用に直す。

プロダクションに行って断られて、家に帰ってシナリオを直す。また断られて家帰ってシナリオを書く。ある大きい映画会社では取締会まで行ったんだけど、最終的にダメでした。

悶々として2年間過ごしている間にも、どんどんイジメ自殺で中学生が死んでいく。これって一体何なんだろうって……。

ひとりが熱くなると周りに人が集まる

〇五十嵐監督:そうこうしているうちに、思いのある人が集まってきました。人からの紹介で、関プロデューサーとの出会いがあって。関さんは低予算の作品をたくさん手掛けられていて、僕がこの企画を持っていったら興味を示してくれたんです。

それから、僕が以前『HAZAN』という映画を撮った時にお世話になった、茨城県筑西市の市長に、関さんが掛け合ってくれたんです。「ここで全部撮影させてくれませんか? その代わりお金を出してほしい」と。

筑西市は「イジメゼロ運動」というのをやっていて、少しずつ市民が興味を示してくれるようになりました。僕の故郷のねぶたと同じで、ひとりが熱くなると周りに人が集まってくる。この企画を知った役者さんたちや思いのある映画人たち、イジメに対して意見を持っている人たちが集まってくれた。そうするとだんだん、ひとつの形になってくる。

今度は子供の役者を集めなければいけない。茨城中から中学1年から3年までの子供を800人集めて、重松さんの原作の感想文を書いてもらいました。「400字詰原稿用紙2枚に、本の感想とあなたのイジメ体験を書いてください」と。僕はその全部に目を通して、その中から少しずつ2クラス分の生徒を選んでいった。

子役でやれば楽なんですが、僕はあまり興味がないんですね。『地雷を踏んだらサヨウナラ』の撮影でカンボジアのアンコールワットに行った時、子供たちの目を見たらすごく綺麗だった。そういう目の子供たちを集めて、スクリーンに投影したいと思ったんです。だからあえて素人を集めて、土日にワークショップで芝居の稽古をさせて、そこに小出恵介くんと木村文乃くんを入れたわけです。

映画を撮るのは生易しいことじゃない。日本映画界で映画監督という職業は成立しない。1本くらいは誰でも撮れるけれど、それを職業にするのは相当大変なことです。でもものすごくホンが足りないので、脚本が書ければ監督や作家、テレビへの道も広がります。

今の子供たちはコミュニケーションが苦手だからセリフが下手です。スマホでLINEとかやってるから、相手との会話がない。みんな優しいから、ぶつかるのがこわい。

そうするとセリフが書けない。映像で育ってるから短いセリフは得意なんだけど、90分、120分の映画の脚本を書くのはとても大変なことです。だからコマーシャルの監督は今いっぱいいますが、長いものは撮れない。

僕の作り方は、自分が書いた脚本で映画を撮るという、その落とし前はつけているつもりで今までやってきました。

※You Tube
シネマトゥデイ
小出恵介、木村文乃ら共演の人間ドラマ!映画『十字架』予告編より

思いのある人が集まった映画

〇関プロデューサー:僕は今まで低予算の作品を主に手掛けてきました。劇場公開してペイラインを獲っていくっていうやり方で。五十嵐監督のこれまでの作品は、割と予算に余裕があるような印象があったので、「僕と一緒にやるってことは、末端に来るってことですよ」って話したのを覚えています。

この『十字架』について、最初に監督は「イジメをテーマにしていますけれども、癒しの作品なんです」とおっしゃった。重松さんの原作の癒しの部分を映画にしたいと。

大体監督さんってのは嘘つきなんですけど(笑)。

で、原作本をみたらすごく分厚くて、低予算映画をやっていると、沢山の作品を手掛けなきゃいけないので、今回のお話は忘れようとしていました。でもその後、監督から書いたホンや手紙をいただいたりして、その熱意をひしひしと感じました。

僕は元々はシナリオライターで、受け仕事ばかりやっていました。その後ディレクションをやらせていただきましたが、その時も自分の企画は一度もやったことがなかった。いつも受け仕事をこなしていくという、五十嵐監督とは逆のことをしてきました。

シナリオライター時代、僕はプロデューサーが嫌いで嫌いで(笑)。なんてひどい連中だ、ホンを読めないじゃないかと。僕が何稿も書いているのに、プロデューサーは「ここで主人公が死んだらどうだ?」とか言い出す。死ぬわけないだろうと(笑)。それでも1回殺してみる。そうすると何となくつながる。しかし段々ぐちゃぐちゃになり、自分のやりたいことは表現できずに終わる。

今僕はプロデュースをやっていますが、あの時のどうしようもない輩たちとソックリになってきちゃって……(笑)。

今進めている企画でも、僕はドラマをひねりたくなって、監督に「この女の子、最後に実は生きてた、っていうのはどうですか?」って言っちゃった。

そうしたら監督は「ん?」という顔付きになって、「作り手の気持ちはわかるけど、どう見せていくかが僕の仕事なので」と言いました。テーマというのは壊してはいけないと思いました。

話は戻りますが、五十嵐監督の強い思いが伝わってきて、僕はもう一度『十字架』の原作とシナリオを読みました。

それでも僕の中で、これがペイラインを超えるかどうかがわからなかった。でも監督がそこまでおっしゃるし、僕としても撮ってみたいと思いました。そこで茨城県の筑西市に行ってみたら監督の評伝があって、何とかお金も集められそうだということになりました。

僕のプロデュース作品は十数本になりますが、筑西市に行った帰りの車の中で監督に言われたのが、「関さん、あなた詐欺師にならなきゃダメだよ。映画のプロデューサーは詐欺師なんだから」と。つまり映画でお金を儲けさせるというのは何の根拠もないんです。でもその根拠を作るのが僕の仕事なんです。

『十字架』はイジメというテーマに確実に切り込んでいる。監督は癒しと言ったけれども、本心は違って、イジメに対してまっすぐに見つめている。だから、僕もそこに行ってみようと思いました。先ほど監督が「思いのある人が集まってくれた」とおっしゃっていましたけど、まさにそういう映画でした。

エイベックスさんからleccaさんの曲のタイアップをいただいたんですが、最初にタイアップのお願いに行った時、僕は絶対に無理だろうと思っていました。たぶん興味ないんでしょ、なんて。

でもプレゼンをすると、担当者が妙にしつこい。彼は「関さん、仕事には2つあります。ひとつはどうやって稼ぐかという仕事。これは僕の日常業務。

もうひとつは、もしかしたらという仕事。ペイラインを忘れて、後でやってよかったなと思える仕事。そういう奇跡的な仕事ってなかなかできない。この企画はどっちですか?」と訊ねました。

僕は「後者です」と答えそうになって「待て待て、それを言ったら終わるな」と思ったんで、「これは稼げる仕事です」と一生懸命ロジックを組み立てて話しました。でも最後には心が折れまして、「もしかしたらこれは後者かもしれません」って言っちゃいました。

すると、そのエイベックスの担当者の目がキラキラっとして、「そうですか、じゃあやってみましょう」って。彼は企画に合う人をセレクトしますと言って、leccaさんを挙げてくれたのです。映画には、ビジネスで走る作品と、思いで走る作品があるのだなと…。

スタッフや役者を追い込むのが仕事

〇五十嵐監督:『地雷を踏んだらサヨウナラ』を撮っていた頃、僕は今より20キロも痩せていて、ギラギラしてました。

出資者を探していたときも、どうしても曲げられない一線があった。ベトナムやカンボジアに通っているからこそわかることがある。地雷原を歩いたり、公安に捕まりそうになったり……。それなのに机に座っているお前に何がわかるんだ!って。

守りたいものがありました。泰造さんの田舎に行ってお母さんに会ったり、お墓に手を合わせたり、泰造さんの好きなものを食べたり。そうすると僕の中ではどうしても、苦しまなきゃダメなんじゃないかという気になったのかもしれません。

僕がシナリオを考えるのは2か所です。

ひとつは、歩いて考える。

もうひとつは、映画館。香港映画とか頭を使わないものを観ながら、頭の中では『十字架』のことを考える。その後喫茶店に行ってメモ帳に書き留めて、最終的には部屋のパソコンで打つ。

昔からそうです。例えばカンボジアで雨が降ったりすると、ぼーっとコーヒーを飲んだりしながら紙切れに書いたり。要するにいっぺんにまとめて書くことができないんです。

『地雷~』の時は、先輩の軽井沢の別荘をひと月2万で借りて、2カ月こもったんですよ。すごい寒くて。でもその2カ月間が作品に現れるというか。苦悩すればするほど、それが作品にはいい形で出てくる気がします。

映画はクランクインの前までがものすごく大切。インすれば転がっていくので、それまでにどれだけ色々なことを突き詰めて考えているかが勝負。そこで油断すると、クランクインしてからすごく困っちゃう。苦しんでおいた方が後で楽になる。

1人で考えていることは所詮10とか20でしかない。映画って、あとの80はスタッフの力だと思うんです。本来、監督は誰でもできる。でもコンサートのコンダクターのようなもので、誰にでもできるわけではない。

スタッフの最高以上の力を出してもらわなきゃいけないから。監督の最高の力なんて、たかが知れてます。スタッフが、彼らの力をより多く出せるように追い込んでいくのが監督です。

だから僕は、助監督にも最初から100のことをやらせようとしない。110とか120のことを言って、彼らから返ってくるのが100であればいいなと思ってやっています。

役者もそうです。頭で考えているような芝居は面白くない。僕が「こういう風に芝居するだろうな」と考えていることを、裏切ってほしい。違う役者さん同士をぶつけて化学反応を起こしたい。そうやって追い込むのが監督の仕事です。

現場でスタッフの前でワーッとやっている五十嵐と、もうひとり、すごく上から客観的に見ている五十嵐がいる。この客観的なほうはスタッフには見せません。

頭からケツまでは、監督と脚本家が一番よくわかっている。その一部の切り取ったところで芝居をさせた時に、役者連中はそれで満足する。でも監督は違う。頭からケツまで感情を追っているから、「キミ、このシーンは違う」と全体を把握して言わなきゃいけない。そこが難しいなと思いますね。

編集で大切なのは感情の流れ

〇五十嵐監督:僕は2年間かけてイジメについて調べました。新聞に2行くらいで「イジメ自殺があった」って出るじゃないですか。

でもその裏にはものすごいことが起きている。今回はテレビじゃできないことをやってやろうと。首吊りもきちっと見せる。批評には「描写が壮絶だ」と書かれましたが、現実はもっとひどい。

今回は映倫の審査を通りましたが、本来なら「R」がつくと思うんです。裸にして性器を靴で踏まれたり……というような、結構ひどい表現があるのでね。でも、映倫の審査員は「これはRにすべきじゃない」と言ってくれた。

R指定にしたら中学生が観られなくなっちゃうから。だから、みんなが観られるようにG指定にしてくれたわけです。問題意識はそれぞれにあるんじゃないかと思います。

重松さんの原作と、ラストは決定的に違います。主人公に家族がいて、子供はサッカーをやってます。作り手側としては考えるわけです。自分にもし子供がいて、サッカーをやっていたら、どういうシーンを作れるのかなって。それで、原作にはないラストのシーンを作りました。

編集で脚本通りつなぐと、どうしてもなじまない時がある。シーン1から順番通りつなぐと、途中でダレたり意図が変わってしまうことがある。だから僕は編集マンに好きにつないでもらう。脚本通りじゃなくていいよ、と。

今回も全然違うシーンをトップに持ってきています。映画は生もの、そこが面白い。シーンとシーンが化学反応を起こして、引っ張り合ったり拒絶反応を起こしたりもする。

〇関プロデューサー:今だから言えますけれども、脚本はすごく長かった(笑)。

僕自身シナリオライターだったこともあって、いつも映画を撮り始める前に演出部を入れて脚本勉強会をやるんですが、五十嵐監督の場合はちょっと怖かったんで(笑)、やらなかったんです。監督の思いがあるので、撮ってもらってから編集で削っていけばいいのかなと思いました、監督に下駄を預けて。

最初に全部つないだ時は、正直「ヤバイ」と思いました(笑)。
あと20分、いや30分くらい切った方がいいと。
僕は天然ボケを装って(笑)、監督に「もう1回編集しますか?」って聞いたら「やります、時間をください」と。

それで2回目に見たら、時間軸も変わり、テーマもはっきりしていて、これは五十嵐マジックだなと。そこはすごく尊敬します。

〇五十嵐監督:シーンとシーンをつなぐのは難しいですよね。一番大切なのは感情の流れですね。それをどう決着をつけるか。いろいろな登場人物が出てくる中で、観客が誰に感情移入しているかが、今回は特に大事だったんじゃないか。そこを意識してつなぎました。

でも原作者の重松さんの反応が怖くて……。試写に5人くらい取り巻きを連れていらして(笑)、ドキドキしていたら、観終わった後に抱きついてきてくれました。「3回泣きました」って。すごい嬉しかったですね。

僕はそもそもこの原作を映画化したいと思った時に、友人経由で重松さんの連絡先を聞いて打診したんですよ。そうしたら重松さんは僕の『地雷~』とか『長州ファイブ』を観ていて、いいですよって言ってくださった。完成したのはそこから3~4年は経っていましたから、そういう面でも嬉しかったです。

インタビューして脚本に入れ込む

〇五十嵐監督:僕は実在の人物を扱うことが多いのですが、大体その人物は亡くなってるんで、まず墓参りから始めるようにしています。お墓に手を合わせて「撮らせてください」ってお願いする。それから自分がその人に近づく作業をする。その人物と一緒に生きていた人にインタビューしたりする。

『地雷~』の一ノ瀬泰造の時は50人くらいにインタビューしました。泰造は若くして亡くなっているので、彼の日記の中に出てくる仲の良かった人たちに片っ端から話を聞いて。アンコールワットで泰造が出会った人たちも訪ねて、それから脚本を書きました。

泰造は、死ぬ年にカンボジア戦線から一時帰国し、新宿に帰ってくるんです。その時に赤津さんという人の下宿に泊まった。赤津さんはこう言っています。

「死ぬ年の泰造は少しおかしかった。酒を飲んだらすごく話す男だったのに、カンボジアに行くたびに無口になっていった。その日、夜中に起きたら、泰造が窓から月を見ていた」。

僕はそのシーンを脚本に入れているんです。人の死に直面すると、人は無口になっていく。沢田教一もそうです。ベトナムに通って死体を見ているうちに、言葉が少なくなっていく。写真を撮る対象も、子供と女の人になっていく。そういうリアルを脚本に入れる。

今回の『十字架』でも、脚本の中に大津事件などの、実際に起きた事件での先生のコメント、保護者のコメント、全部入れています。

例えば、イジメ自殺で少年が死んだ1週間後に保護者会があって、校長先生が保護者に向かって「わが校の伝統を汚してしまって申し訳ない」と謝るんです。保護者は「あんた、何言ってんだ。亡くなった子供に黙とうを捧げるのが先だろう」って言う。これも脚本に入れました。

そういうのが、『十字架』のリアルさに入ってくるんじゃないかと思います。実在の人物とか実際の事件をやるときには、徹底的に調べる。調べたものをセリフにするまで少し寝かしておく。脚本を書きながらそれを見返して、物語に入れていく、というのが僕のやり方です。

まず予告編を考える

〇関プロデューサー:シナリオ、ディレクション、プロデュースと歩んできて、その上で、今僕が皆さんにお伝えしたいのは、企画を立ち上げる時には、まず予告編を考えてみるんです。

どういう予告編になるんだろう? 土砂降りの雨の中、女優さんが叫ぶとか、車がひっくり返るとか。そういうシーンが欲しい。これはパッケージのポスターを作ろうという思いとは違って、映画小僧としてワクワクしたいというのがまずあります。あと、各登場人物のキャラクターがはっきりしているかどうか。これがすごく大きい。

どういう予告編になるかというのが組み立てられない企画はダメです。予告編になる拠り所には、作品の魂が必ずあると思います。それさえ掴んでいれば、ペテン師的な業界関係者や、パッケージだけ欲しがる人から何を言われようとブレないので、ぜひその核を見つけていただきたいと思います。

そして、企画を成立させるためには「お土産」を探します。つまり時流に乗っているかということです。ペイラインをとるためには仕掛けが必要で、これが「お土産」です。どの役者を呼ぶか、とか。

僕は自分がシナリオライターをしていた時に「原作を探してくれ」と言われるとすごく悔しかった。でも、今は原作がないと映画ができないと言われています。

「原作がないと、共通言語が持てない」って言うじゃないですか。監督や作家と、どういう一致点を持とうとしてるの?と。あなた方はたくさんの仕事のうちのひとつかもしれないけれど、作り手は命懸けてるんですよと。

それなのに、どういう一致点を持とうとしてるんだって、すごく腹が立ちました。でも、今はそちら側の気持ちもよーくわかる(笑)。

観たら心が揺れる作品

〇五十嵐監督:脚本家と監督はベクトルが同じじゃないとなかなか次に進めないところがある。枝葉よりは、根幹がきちっとあった方がいい。

人間性もあるかもしれません。僕は意外とフレキシブルでガチガチじゃないつもりなんですけれども、作品をよくしていくには脚本家の話をよく聞くことが大事です。「俺が監督だからこうだ」って意固地にならないように。

僕も初期の頃はそんな感じでした。最初の劇映画を撮った時、こういう性格なんでガーッと熱くなったわけです。山の上から大画面で撮ろうと思って山に登ったら、誰もついてこない(笑)。キャメラマンは下でタバコ吸ってるし、助監督もついてこない。その時の僕はガチガチだったと思うし、みんなで作らなきゃいけないのに自分1人でやろうとしていた。

翌日は撮休にして皆と話し合いました。自分はペーペーだけど、作品の内容に関しては誰よりもわかってる、だからついてきてください、と生意気にも言ったんです。スタッフも、いい作品を作ろうとするベクトルは同じです。そうすると、少しずつ固まってくる。たくさんの人の意見を聞いて、作品をよくするために貪欲に掴むべきだと思います。

実在の人物を取り上げる時には決めていることがあります。それは「嘘をつくなら調べて、わかった上で嘘をつく」ということ。実在の人物でも、どうしてもフィクションを入れなければ成り立たないときがある。

『地雷~』の時に、本物の戦場カメラマンから言われたことがあります。「あの映画は嘘っぱちだ」と。映画の中で浅野忠信はカメラを構えながら走り回る。でもそんなことをしていたら、撃たれてしまうって言うんですね。

実際には、腹のところにカメラを抱えて、スナイパーがどこにいるかを目で見ながら撮る。僕は、そのことはインタビューで聞いて知っていた。でもそんな風にやったら、観客にカメラマンのようには見えない。わかった上で嘘をついているわけです。実在の人や実際のことをやるときには、徹底的に調べて、わかった上で嘘をつく。これが僕の姿勢です。

明るい映画とか暗い映画、エンターテイメントなのかそうじゃないのか、その区別というのは、僕にはよくわからない。けれども作りたいと思う映画はあります。僕は『スターウォーズ』でも『パディントン』でも何でも観ます。観客はケーキのような映画ばかりじゃなく、時には『飢餓海峡』が観たかったりもするだろうと思うんです。

僕は、観た後に少しだけ心が揺れるような映画を作りたい。映画を観た後に人生が変わることって、ありますよね。それを信じている。ちょっとだけでもいいから、観たら心が揺れる作品を作れればいいなと思っています。

〇関プロデューサー:シナリオライターとしては、僕は10年間シナリオの仕事をしていましたが、その間ずっと仕事が途切れませんでした。ラッキーだったんですが、シナリオライター時代の僕の合言葉は「営業」でした。

まずは「タダでいいので書かせてください」。

プロットの段階ではなかなか開発費が出ませんから。で、家に帰るまでの電車の中で大体組み立てちゃいます。ダメでもどうせお金もらえないんですから。翌朝にはメールで送る。この早さはディープインパクトです。必ず次の仕事につながります。

でも次からはちゃんとお金もらってくださいね。デビューするまではプライドなんて要らないから、早さを売りにしてみてください。

〇五十嵐監督:僕は寂しがりやなんで、1人で始めて大勢で撮って、また1人になるという映画の流れが好きです。一番苦悩するのは、最初の脚本の段階。

苦しいけど、それが映像になった時に、自分の作品がスクリーンに映し出されて、自分の書いたセリフが役者さんによって話される醍醐味は、脚本家しか味わえないものだと思います。皆さんと一緒にお仕事できることを期待しています。

〈採録★ダイジェスト〉THEミソ帳倶楽部「映画『十字架』が出来上がるまで」
ゲスト:五十嵐 匠さん(映画監督)、関 顕嗣さん(映画プロデューサー)
2016年2月12日採録
次回は5月27日に更新予定です

プロフィール

■五十嵐 匠(いがらし・しょう)
大学在学中より自主映画を制作。その後、四宮鉄男監督に師事。1983年からフリーの監督として活動。ピュリッツァー賞受賞カメラマン・沢田教一の軌跡を追ったドキュメンタリー『SAWADA』(1996年)が高い評価を得る。1999年にはフォトジャーナリスト・一ノ瀬泰造をモデルにした劇映画『地雷を踏んだらサヨウナラ』を監督。以降、実在の人物の生涯を描く劇映画を多数監督するほか、テレビドラマやドキュメンタリーも手掛ける。主な作品は『みすゞ』(2002年)、『HAZAN』(2003年)、『アダン』(2005年)、『長州ファイブ』(2007年)、『半次郎』(2010年)など。
監督最新作は、シナリオ・センター出身であり講師でもある柏田道夫脚本の映画『二宮金次郎』。2019年6月1日から東京都写真美術館ホールほか全国で順次公開予定。

■関 顕嗣(せき・あきつぐ)
1981年ぴあフィルムフェスティバル入選。映画『四月怪談』(1987)で脚本を担当。その後、映画『当選確実』(1991)『エンジェル~僕の歌は君の歌~』(1992)などの脚本を手掛ける。また映画『F・I・S・H』(1998)で長編監督デビュー。脚本家・監督・プロデューサーと経験を積み、それぞれの役割で活躍。2018年、映画製作会社、株式会社FREBARI代表取締役。プロデュースを手掛けた近年の作品は、『ユダ』(2013)、『赤々煉恋』(2013)、『思春期ごっこ』(2014)、『夢二~愛のとばしり』(2016)、『殺る女』(2018年)、『ニート・ニート・ニート』(2018年)など。

2019年5月24日(金)開催・五十嵐匠×柏田道夫
映画公開記念「Theミソ帳倶楽部 時代劇映画の根っこ 編」

映画『二宮金次郎』の公開を記念して、五十嵐 匠監督と、脚本を執筆された柏田道夫講師をお招きして、時代劇映画の作り方の実際に迫ります。
どのようにして歴史上の人物、二宮金次郎を映画化したのか、五十嵐監督とともに、企画から関わっていた柏田講師にお話しいただきます。企画、スポンサー集め、本打ち、取材、ロケハン、撮影、そして上映まで、映画製作の舞台裏を垣間見ることができます。
仲間とインディペンデント映画を作ってみたい、映画製作の舞台裏を知りたい、監督と脚本家の本打ちのリアルを知りたい方まで、是非お越しください。
詳細・お申し込みはこちらからお願いいたします。

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