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シナリオや小説についてなど、創作に役立つヒントを随時アップ!ゲストを招いた公開講座などのダイジェストも紹介していきます。

脚本の書き方 ~脚本家・岡田惠和さん流~

2015.07.07 開催 THEミソ帳倶楽部「新井一生誕100年機縁シリーズ~岡田惠和さん編~」
ゲスト 岡田惠和さん

シナリオ・センターでは、ライター志望の皆さんの“引き出し=ミソ帳”を増やすために、様々なジャンルの達人から“その達人たる根っこ=基本”をお聞きする公開講座「ミソ帳倶楽部 達人の根っこ」を実施しています。そのダイジェスト版を『月刊シナリオ教室』(今回は2015年11月号)よりご紹介。

今回も、シナリオ・センター創設者新井一生誕100年を記念して行った模様をご紹介。新井一と縁のある出身ライターの方々に、ご自分のシナリオ作法について、お話をしていただく機会を設けました。題して「新井一生誕100年機縁」。今回のゲストは『最後から二番目の恋』(CX)、『泣くな、はらちゃん』(NTV)『さよなら私』(NHK)、『ど根性ガエル』(NTV)等、数多くのドラマを執筆して第一線を走り続けている岡田惠和さん。“岡田ドラマ”はどのように生まれているのか、シナリオ・センターでの修行時代にも触れて、お話いただきました。

最初に越えなければならない壁

こういう風に、シナリオの書き方や創作理論をお話しすることは滅多にないんですが、それは、自分でもあまりよくわからないからなんです。

インタビューなんかでは、それなりに答えたりするんですが、大抵後悔するということもあって、こういう公開講座はめちゃ久しぶりです。母校の45周年、新井一先生の生誕100年ということもあって、今日は覚悟を決めて来ました(笑)。

僕がシナリオ・センターに通っていたのは、26歳くらいの頃です。当時は青山通りの反対側の南青山にありました。

なぜ入学したのかというと、個人的な歴史があるんですね。遡って話すと、僕は中学校前くらいからサッカーをやっていました。

大して強いチームじゃなかったんですけど、僕はすぐに耳年増になる傾向がありました。自分の頭の中ではすごいサッカー理論があるのに、練習はしないっていう……(笑)。

自分が思っていることと、実際にプレーできることがどんどん乖離していって、そのうち基礎から追いつくのが辛くなってきて、プレーヤーでなくなっていきました。

高校からバンドをやり始めたんですけど、そこでもまったく同じような状態になって、バンドをクビになったんです(笑)。文句とか理屈ばっかりで技術が追い付かなくて、「それよりも練習してくれ」って言われました。

次に、小説を書きたいと思った時期があって……それもすぐに偉そうになって、でも自分では実際に書きゃしないっていう……。そういう感じで20代半ばまでウダウダとやっていました。その頃ですね、シナリオ・センターに入ったのは。

もうこういう繰り返しは嫌だという覚悟があって、シナリオ作家養成講座では、休まずに宿題を提出して、皆勤賞をもらいました。ゼミでも、必ず20枚シナリオは持っていきました。書かずに評論家みたいになるのは絶対にやめようと思いました。

テレビドラマや映画を観て、ああでもないこうでもないと言うよりも、それがたとえ観客としてどんなに面白くなかったり、すごいと思えないものであっても、そこには何らかの成立している理由があって、学ぶべきことがあるはずだと。ドラマを見て批判的なことを言わないようにしようと決めたんですね。

ゼミでは、書いたものをみんなの前で読んで、本人は一切釈明せずに言われ続けるわけですが、僕はゼミでは結構評判が悪かったみたいで、そんなに褒められなかった。

すごい天敵が一人いて(笑)、「軽い」とか「ユルい」とか言われ続けていましたね。まぁ今も言われてるんですけど(笑)。その当時の、ゼミで言ったり言われたりする感じが、一番自分の中で鍛えられたことですね。

テレビでも映画でも、観ている人の傍に行って説明したくなる時があるんですよ、「ここ、そういう意味じゃないんだよ」みたいに。

人は、どうやったらそんな解釈ができるんだろうかって思うようなことは山ほどあるけど、でも、それがお客さんや視聴者なんです。自分が視聴者になってみると勝手なことを言うわけで……。そこにあまりストレスを感じなくなったのは、ゼミで鍛えられて、覚悟が出来ていたからだと思います。

物書きになりたい人って、基本、傷つきやすいじゃないですか(笑)。書いたものを悪く言われたくないから誰にも見せない……って、何に向かって書いているのかわかんない状態になるじゃないですか(笑)。だから、それが脚本家として最初に越えなくてはいけない壁じゃないかなと思います。

僕は今でもそういう傾向がありますね。なんとなく脚本家の傾向を見ていると、「脚本家になりたい」っていう男子と女子は、真逆な感じがする。

女性は、何かを乗り越えて一段上に行こうとする野心がある。だから女性脚本家って、みんなパリッとしてる(笑)。意志が強いというか、そこを超えてきた感じがします。男性は、普段から「いえ、僕はだいじょぶなんで」って感じが多いので(笑)、タイプが違いますよね。

キャラクターの個性はセリフから

キャラクターですけど、どういう風に作ろうかって、実はそんなに考えていないんです。

基本的には、1シーン1シーンを面白くしたいだけです。「こういうことを言ったら面白いな」とか「困るのにな」と思うことを最優先させていくので、頭の中で登場人物のキャラクターを固定化する、というところからは入らない。

何らかの状況に置かれた時に、どんな行動をとるかで人物のキャラクターが出来上がっていくと思います。「この人はこういう人です」というのをまずは取っ払う。

とかく年齢や職業で「こんな感じだろう」って考えてしまうのが一番の落とし穴です。看護師でも学校の先生でも主婦でも、ひとりひとりみんな違います。

外側から固定化すると、記号的になって、面白味がなくなっちゃう。自分とか世の中にあるイメージを、「本当はそうでもないんじゃないか」と疑うところから、まずは始めます。

セリフはシナリオライターの生命線です。台本って、基本的には場面と動きとセリフしか書いていないわけで、その中でも脚本家の個性が出るのはセリフなんです。違う脚本家が同じシーンを書いても、絶対に同じセリフにはならない。

僕はセリフのキャッチボールからキャラクターの個性が出て来るんじゃないかなと思っています。人の会話って、ひとつのテーマに向かって正しく話し合ったりしないと思うんですよね。

Aということを言いたいんだけれども、上手く伝わらずに誤解されて、なかなか言えなかったり、話が違う風になっていったり……というようなところを、楽しんで書かないと。必要なテーマだけセリフにしていくと、書くのがしんどくなってくるんじゃないかな。

あと、セリフの中の文法も、僕は1回書いてからわざと壊す。

「私はこう思います」とは人は言わないので、文法をわざと間違えさせたり、言いかけたら別の人が食い込んできて最後まで喋れないとか。そこで人の気持ちの交流とかキャラクターを出せるかが勝負だと思っています。

極論すると、ドラマの中でどういう展開にするかというのは、他の人と話し合っても作れます。でも、それをセリフにしていくのは僕らの仕事。そこが一番楽しいところでもある。

シナリオ・センターに通っていた頃だったかな、人ってどんなふうにしゃべっているのかと思って、喫茶店で隣の若いカップルが話しているのを、カセットテープに録音してみたことがあるんです。

ケンカしてたので、面白いなと思って。家帰って再生してみたら、ほんとに何のことだかわからない。当事者同士は第三者に分かるようには喋っていないからですね。例えば「あん時のあんたのあれが」みたいに、リアルな会話ではそうなります。

だけど、僕らはそれを第三者にも分かるようにしなきゃいけない。そこのギリギリのところでのせめぎ合い。キャッチボールや回り道を繰り返すことによって、会話が視聴者という第三者にも伝わるようにしたい。

まあ、色々なタイプがあると思うんですけど。セリフを書いていると、どんどん長くなって終わらなくなる感じですね。

僕はカオスみたいなシーンが好きなんです。みんながバラバラなことを言ったりとか。それによって色んなことが散りばめられる。とにかく、ひとつのシーンでみんなが同じテーマで同じ方向を向くっていう風にするとつまんなくなる気がします。

問題になっていることに対して、人それぞれ温度も違えば、興味のない人だっているし。そういう風に、ひとりひとりのことを考えたい。何か、「これを言いたい」というのがあったとしても、良いことを言う人がいて、それを拝聴している人がいる、というシーンになると嘘っぽくなる。

あとは作家の「照れ」の問題だと思うんですが、良さげなセリフを思いつくとする。そうするとそれに対してツッコみたくなる。恥ずかしくなってくるというか……。「これ良いセリフでしょ」って言ってる自分が恥ずかしくなってきて、それも否定したい。そういう風にしていくと、会話やシーンがどんどん広がっていくんじゃないかと思います。

だからあまり逆算して書くことはしない。例えば、僕が何か言う、誰かが混ぜっ返す、そうすると腹が立つ、みたいなことを時系列で考えます。あんまり「このシーンではこれを言わなきゃ」って決めない。

でも、単に人が喋っているだけではどうにもならないので、必要なセリフをいかに恥ずかしくなく、「言いました!」って感じにならないように仕立てたいと思っています。

友達とでも、女子会でも、喋ってることって脈絡ないし、みんな人の話は聞いてないし。それが会話のリアルだと思うので、なるべくそこに近づけたい。けど、第三者にもわかるようにしたいということです。

明日以後のことはわからない

僕はハコ書を作らない人と言われているみたいですが、それは、ノープランという意味ではないです。

プロデューサーとの共同作業として脚本を作っていく時に、先に「こうなります」っていうハコとか綿密なプロットとかを出さないというスタイルにしています。

書いていくうちにどうなるかわからないという感じがあるのと、あまり決め込んじゃうと逆算で作ってしまって、何かの魅力を失くしてしまうんじゃないかという恐れがあるからです。

でも、シナリオ・センターを出て仕事を始めた最初の頃は、ガチガチに作ってました。「好きに書きたいんで」って言っても許してもらえる状況ではなかったですし……(笑)。でもそうやってハコを作って、がっちり構成を決めるという経験がないと、本当の一筆書きみたいには書けないと思います。

今でも、人には見せないメモの中に、一応漠としたハコとか構成はあるんです。でも人に見せたら「そうなればいいのか」とか「そうしなきゃいけないのか」っていう風になってしまってはつまらない。

ドラマの場合は、書いているうちに「この人面白いな」とか「この組み合わせが楽しいな」と思うようになったりして、どんどん変わっていきます。最後にどういう後味の結末を作るかということだけは、10話を書き始める前に一応決めますけど、それすら、そうならない可能性もある。

今書いている『ど根性ガエル』は最後にどうなるかは一応決まってるんですけど、「最後にこうなるから、この辺はこの程度に抑えて、あとに取っておくか」という風にはなりたくない。作品のタイプもあるんですけどね。サスペンスでそれをやって、「犯人はいませんでした」って訳にはいかないので(笑)。

俳優さんたちで、先のことを聞きたがる人って結構いるんです。男優さんに多いんですけど、「先を知らないとできない!」とか言ったりして。

でも実際、人間は「明後日どうなるから今日はこれくらいにしておくか」って生きてないですよね。だから絶対に教えない(笑)。どうしてもっていうときには、時々嘘を教えたりします(笑)。

女優さんは覚悟があるのか、そういうところはあまり気にしないですね。もちろん、「過去にこういうことがありまして」ってことを後出しするのはズルいなって思いますけど。明日以降のことは、登場人物はわからないという前提で書いてます。

力量が問われる電話のシーン

電話のシーンって、書いてて本当につまらない。AとBが2人で電話をしていてどっちを映すかは、必ずしも喋っている方を映す必要はないんですけど、喋っている人を交互に映すだけというのは芸がないなと。画として面白くないなあって気がするんです。

今は携帯の時代なので、下手したら電話のシーンばっかりになっちゃうんですが、脚本家としては、どう見せるかっていうのが問われるところです。簡単に、A、B、A、Bってやっていくと、読んでいても飽きますよね。

脚本家によってはセリフを両方ワーッと書いて「適当にカットバックしてください」って書く人もいますね。そこは演出に任せる場合もあるけど、せっかくなので、2人が単に受話器を持って真面目に話しているだけじゃなくて、喋っている時に違うことをやってたりとか、話聞かないで相槌だけ打ってるとか、日常の中で自分がイメージできることを散りばめるチャンスだと思うんですね。

例えばコンクールに出すシナリオでも、そういうところをちゃんと考えているなあって感じられる作品はポイントアップするんじゃないかと思います。

ツールの変化だと思うんですけど、僕が勉強していた時は家電(いえでん)の文化で、その後携帯電話が日常になっていって、ドラマを書いていく上で、脚本家としてどこまでそれを再現するのか悩んだ時期がありました。

昔は電話を取って「もしもし」って言わなきゃ相手が誰だかわかんなかったから、芝居に間がありました。声を聞いて驚く、みたいな。今は基本的には鳴ったら誰からかわかるので、「どなたですか?」ってことはない。

それと、相手に連絡が取れないってこともなくなった。トレンディドラマの初期にあった、待ち合わせの誤解で2時間噴水の前で待ってたら雨が降ってきて(笑)……みたいなことは今はもうないわけです。昔のドラマにあったアポなしで家を訪ねるシーンなんて、今ではありえないじゃないですか。

どんどん状況が変化していって、これからは今までとは違うシーンが増えるだろうなという予感があった。人との関係もどんどん変わってきているし、これからも変わっていく。

それをどう面白く見せるか、書き手も戦わないとヤバいなっていう気がしてます。今は、メールだけで人と人が会わなくてもドラマが出来るくらいの世の中になっています。でもメールの画面だけを映していてもつまんないじゃないですか。だからずいぶん悩みました。

メールで絵文字、あるじゃないですか。最初に知った時、これはすごいなって思ったんです。当時取り掛かっていたドラマの台本に、本気でセリフの後に絵文字を入れようと計画したことがありました。そうすれば役者は、気持ちを間違わないでセリフ言えるんじゃないかって。「ありがとう」の後に、汗かいてる顔文字を書いておけば、そういう芝居をするんじゃないかって(笑)。

今では当たり前ですけど、絵文字ってある意味、シナリオライターの天敵なんじゃないかって思うくらいの表現方法です。僕らはその「ありがとう」がどういう芝居になるのかってところを一生懸命考える。そのために状況を作ったり、いろいろ書いたりする。でも、汗の顔文字一個書くだけでわかっちゃうんだよなあ、みたいな(笑)。そことも戦っていかなきゃならない。

人物設定と距離感と乗り物

ドラマでチャレンジしているねって、よく言われるんですが、別に取り立てて斬新なものをやりたいとは考えてないんです。ジャンルみたいなこともまったく気にしてない。

ただ自分の中では2種類あって、トリッキーなものと、もうひとつはちょっとユルいもの。

トリッキーな方でいうと『泣くな、はらちゃん』は最近の自分の中では到達点だったかなと思います。あの作品はオリジナルなんですけど、みんなに「『泣くな、はらちゃん』の原作はどこで売ってるんだ?」って訊かれました。逆に勝ったなって感じがありましたね。

『最後から二番目の恋』はタイトルもそうであるように、最初の企画は40代の恋愛ドラマでした。40代の女性と50代の男性を書いていくうちに、恋愛の話ばっかりしていると気持ち悪いじゃないですか(笑)。

それよりも人生を占めていることっていっぱいある。その中のひとつに、もちろん恋心もあるけど、18の子と同じ分量ではない。そうやって自分としてこうかなって思うように書いていったら、ちっとも恋にならない感じになりました。

一番最初は、お題として「小泉今日子さんと中井貴一さんの恋愛もの」って言われたんです。それから他のいろいろな俳優さんが出てくださることになった。飯島直子さんとか坂口憲二くんとか内田有紀ちゃんとか、でも役は決まってなかった。

最初は貴一さんの別れた奥さんが飯島さんで、貴一さんの弟が坂口くんで、その恋人が内田有紀ちゃんで……って、ノーマルに考えたんですけど、そうすると、なかなかみんなが一同に集まらないので、面倒くさいなと。バラバラのシーンばっかりになっちゃって、つまんない。

打ち合わせの場で、じゃあ小泉さん以外全員きょうだいで、ってなった。プロデューサーが「坂口くんと内田さんはどっちが上でしょうか」って言うので、「リアルではどうなんですか?」って訊いたら、「同い年ですね」。で、「じゃあ双子で」ってなった(笑)。そんな感じでスタートしました。

せっかくそれだけの人が出るので、みんなにグシャッと集まって欲しかったから、他の家とか会社で集まる工夫を放棄しました。しかも隣同士って設定したことで、独特の距離感が出たと思いますね。

僕はドラマの中で距離感を考えるのが割と好きで、『最後から~』ではとにかく早い乗り物を映すのは止めようと決めました。40代50代の空気と合致するというか。

人はほとんど歩きで、一番早い乗り物は江ノ電。たまにタクシーとか、リアルで言うと小泉さんは東京のお台場らしきところに通勤しているので電車に乗っているけど、そこはあまり映さない。そうすることで、全体の空気がスローになったと思います。

この間は『心がポキッとね』というドラマをやっていて、結果が悪くてこっちの心がポキッて感じだったんですけど(笑)、あれもほぼ歩きですね。井の頭公園があって、家があって、家具屋がある。たぶんほとんど乗り物は出てこなかったと思います。

電車とか車に乗っているシーンを出すと、すごく空間が限られるじゃないですか。車を運転していて、助手席に彼女がいて会話する。そういうの、あまり好きじゃないんです。運転が嘘くさくなるし、そんな喋ってたら危ねーよ、前見ろよみたいな感じで(笑)。それに動かないから、好きじゃない。

電車も、どんな電車でも撮影できるなら楽しいですけど、リアルでは撮影のために貸してくれる電車が少なくて、京王線の先の方とか、一番大きくて笹塚駅とかになっちゃうんです。江ノ電は全面協力していただいたので、できましたけど、本数が少ないので、撮影のチャンスを逃すと、すごく待たなきゃいけないってことはありました。

僕はデビュー当時に『南くんの恋人』や『イグアナの娘』というような、設定がトリッキーなドラマを経験しているんですね。『泣くな、はらちゃん』もそうですが、設定がトリッキーだと、逆に中身はものすごく真っ当なことができる。

つまり、例えば初めて恋をすることが、こんなに胸がキュンとするということを現実世界でやると「ふざけんなよ」ってなっちゃうんですけど、マンガから出てきた主人公なら、初めて人を好きになった時に、なんでこんなにときめくんだろうってことを描けるんです。

だから、書く側としては、そういうトリッキーな設定の方が楽なんです。むしろ、そうでないリアルベースの話の中で、人が人を好きになることの切なさを描く方が、ハードルが高いと思っています。原作ものでもオリジナルでも構わないんですけど、トリッキーな設定は好きだし、やりやすいんですね。

『~はらちゃん』の時も、長瀬智也くんありきで企画を考えていたんですが、最初は音楽ものをやろうと思っていたんですよ。『スクールオブロック』という映画のようにバカなことができるのは長瀬くんくらいだなって思っていて。

でも、音楽ものはなかなか難しいよねって話になって、何か人じゃないものでできないかなって考えていた時に、プロデューサーがウディ・アレンの『カイロの紫のバラ』って映画を思い出しました。女性が同じ映画を何度も観ているうちに、スクリーンから俳優が出てきて恋に落ちるっていう話。

それをヒントに『~はらちゃん』が出来上がったんです。現実を知らないという主人公が成立したことで、逆に色んなことがやれるって思いました。彼はすべてに感動するので。

トリッキーな設定は、ビジネスとしてはリスキーな部分もあるかもしれませんが、個人的には時々やりたいって感じがしています。

「自分」は要らない

執筆についてなんですが、一度筆が止まると際限なく止まるので、とりあえず嘘でもいいから、最悪の例でもいいから書いてみるんです。そこまでやって、あとで反省(笑)、そこから直していく。

シナリオは答えがないので、何が正解かを考え始めると迷路に入ってしまう。なので、そういう時はまず自分が何をやりたいのかを考えます。悩んだ時には、何でもいいから、1回答えを書いてみる、ゼロの状態では何も進まないので。仮にそのシーンがつまらなくても、つまらないまま書いておく。そうすると、先に進んでいくうちに答えが見つかることが結構あります。

止めないこと、1行でもいいから書くこと。アイデアはどんな脚本家でも悩んでいると思います。でもいまだに、他の脚本家の作品を読むと「なんて上手いんだろう」とか「すごいなぁ」って思ったりしますし、自分のを読んで遠くに行きたくなることもあります(笑)。

自分で「これは書けたな!」って思う時に限って結果が悪かったりするんですよ。だから僕は立ち止まらずにやれているのかなとも思う。

ある先輩に、「なぜ岡田くんはそんなにたくさん書き続けられるのか、自分でわかってるか?」って訊かれて、「わかんないです」って答えたら、「ブレイクしてないからだ」って言われたんです(笑)。なるほどって思ったんですけどね。「これだ!」っていうのが、いまだにないので。

僕は世の中の一大事より、個人の一大事を書きたい気持ちの方が大きいです。悩みにも大きなものから小さなものまであるけど、小さな悩みを書く方が好きです。日本の国をどうするか!みたいなシーンよりも、パーソナルな話を書くのが好きです。

どれだけ個人の感情を多くの人に伝えられるかが勝負だと思うんです。そういう作品は地味だとか繊細過ぎるとか言われることもあるけど、たぶん書き手がその繊細さに酔わないことが一番大事。「わかるでしょ?」って感じになると、その作品は閉じたものになってしまう。描きたい人物の葛藤があるとしたら、作家がそれを脅かす対立の視点を持たないと、多くの人には伝わらないんじゃないかと思います。

僕らシナリオライターは、基本的には自分は要らない。自分がどう思うかを、あまり主人公に託さない方がいいと思います。なぜかというと、僕らは自分じゃない人間を書き続けなきゃいけないから。書き手の思いは、どうしても主人公に寄りがちになってしまうけれども、投影してしまうと、その人を肯定するために、周りの人物が悪者になってしまうんです。

人間と同じ数だけ正義があって、対立する時も、脚本家はどっちかの側に立ってはいけないと思うんです。つまり、50%と50%の正義が戦わないと対立にならない。いかに自分の考えをひとつに偏らせないことが、ドラマを豊かにするんじゃないかな。

そうすれば、どんなに小さな悩みであっても、そこに興味を持たない人にも理解できるものになるんじゃないかなという気がします。

「正しい人と間違ってる人」という構図ではなく、全員が正しいのになんで上手くいかないんだろうとか、両方正しいのに……ということが、ドラマを豊かにしていくのだと思います。

 

〈採録★ダイジェスト〉THEミソ帳倶楽部「新井一生誕100年機縁シリーズ~岡田惠和さん編~」

ゲスト:岡田惠和さん(シナリオライター)
2015年7月7日採録

次回は1月7日に更新予定です

※You Tube
面白いドラマの作り方を紹介 シナリオ・センター公式チャンネル
脚本家 岡田惠和さんの根っこ・前編【Theミソ帳倶楽部】より

※You Tube
面白いドラマの作り方を紹介 シナリオ・センター公式チャンネル
脚本家 岡田惠和さんの根っこ・後編【Theミソ帳倶楽部】より

プロフィール:岡田惠和(おかだ・よしかず)

脚本を手掛けたNHKテレビ小説『ちゅらさん』では、第10回橋田賞、第20回向田邦子賞を受賞。また同じくNHKテレビ小説『ひよっこ』とスペシャルドラマ『最後の同窓会』(テレビ朝日)では第26回橋田賞を受賞。その他受賞歴多数。
近年の主な作品として、ドラマでは『最後から二番目の恋』(CX)『泣くな、はらちゃん』(NTV)『この世界の片隅に』(TBS)、映画では『いま、会いにゆきます』『世界から猫が消えたなら』『8年越しの花嫁 奇跡の実話』など。2019年には映画『雪の華』『いちごの唄』が公開予定。

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