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脚本家・森下佳子さん流・面白いドラマの作り方

2015.05.25 開催 THEミソ帳倶楽部「新井一生誕100年機縁シリーズ(3)~森下佳子さん編~」
ゲスト 森下佳子さん

シナリオ・センターでは、ライター志望の皆さんの“引き出し=ミソ帳”を増やすために、様々なジャンルの達人から“その達人たる根っこ=基本”をお聞きする公開講座「ミソ帳倶楽部 達人の根っこ」を実施しています。そのダイジェスト版を『月刊シナリオ教室』(今回は2015年9月号)よりご紹介。
今回も、シナリオ・センター創設者新井一生誕100年を記念して行った模様をご紹介。新井一と縁のある出身ライターの方々に、ご自分のシナリオ作法について、お話をしていただく機会を設けました。題して「新井一生誕100年機縁」。今回のゲストは『JIN‐仁-』(TBS)『ごちそうさん』(NHK朝ドラ)など数々のヒットドラマを執筆し、ご登壇当時、好評を博し話題となった『天皇の料理番』(TBS)の脚本を手掛けた出身ライターの森下佳子さんにお越しいただきました。ドラマ『天皇の料理番』はどのようにして生まれたのか等々、シナリオ作りの神髄をお話いただきました。面白いドラマを作るヒントが満載です!

彼の夢はみんなで叶えた夢

ドラマの『天皇の料理番』には原作があり、ドラマ化も3度目です。昔、TBSの日曜劇場で『天皇の料理番』をやったところ、当時非常に強力だった裏番組を抜いて、初めて結果を残せた……と、ある方から聞きました。

今年はTBS開局60周年ということで、もう一度そういう心掛けでやってみたらどうだろうということと、話自体も非常にシンプルで力強いのでよいのではないか、ということで、この企画に決まりました。

原作ものをやる場合、初めに読んだ時のファーストインパクトがとても大事です。

読み返せばいろんなことが見えてくるんですけれども、まずは大掴みの印象ですね。例えば好きか嫌いかとか、この主人公ちょっとムカつくなとか(笑)、この人、もうちょっとこうだったらいいのにとか……。

こぼれ落ちたものというのは後で拾うこともできるんですが、初めの出会いは一度しかない。その印象を大事にすることを心掛けています。

この『天皇の料理番』の主人公、秋山篤蔵は実際にいらっしゃった方で、非常にヤンチャでエネルギッシュなんですね。ドラマの冒頭でも、おもらしをしたり、川べりで用を足している人を突いたりしていましたけど、原作を読むと、もっとひどいことをやっている(笑)。現実にここまでヤンチャな人がいるんだなあという感じです。

その一方で、それだけのエネルギーが溢れかえっていることが彼の才能で、ドラマで一番見せていきたいと思ったところです。

何をやっても飽きっぽい人が、夢を見つけて、夢に向かって進んでいく話。もちろんお料理に対する天賦の才もあったとは思いますが、一番の才能は、何かに向かって走って行けるエネルギー。

それが間違った方向に行くと、ひどいイタズラになったりするわけで(笑)。私としては、そういうところが非常に面白かった。綺麗で立派なだけじゃない、エネルギーはいい方向にも悪い方向にも振れますから、その両方を見せていけたらいいなと思いました。

これはサクセスストーリーです。主人公が夢に向かって進んでいき、階段を昇っていく。実は私はこういう話はちょっと苦手で……(笑)。

サクセスした人はいいかもしれないけれども、みんながみんなサクセスにたどり着くわけではない。本人のやる気や巡り合わせ、環境、健康、そういったいろんな条件が揃った場合だけだと思うんです。

この主人公は、人に優しいとか人徳があるとかではまったくない(笑)。ただただ、エネルギーがあるだけ。そんな人が成功していくのは面白いけれども、共感することは難しいと思いました。

じゃあ、どうしたらいいのか。誰かが夢を叶えていく過程では、後押しをする人間が必ずいると思います。

スポーツの世界では顕著ですが、例えば高橋大輔選手のお母さんが、衣裳にひとつひとつスパンコールを縫い付ける人でなかったら、彼はあそこまでいっただろうか、とか。コーチの方もそうだと思うんですが、周りの人の人生をすべて背負って、最終的に花が咲くものなんじゃないかなと。

花を咲かせるために水やりをする方の人だったら、私は苦も無く共感できると思いました。毎日ご飯を食べさせている子どもがいい成績をとったら、そりゃ嬉しいじゃないですか。

その感情は持ちやすいし、共感しやすいので、そこをガッチャンコして、「夢は一人で叶えるものじゃない」「彼の夢はみんなで叶えた夢なんだ」っていう形にしようと考えたんです。こうしてドラマの大きな構造が決まりました。これが企画主旨ということになりますね。

ドラマには刑事ものとか教師ものというように、いろんな種類がありますが、全部まとめて「ドラマは変化である」。これ、今でもシナリオ・センターの教室で口を酸っぱくして言われていることだと思います。

今回のドラマでは、「変化」というのは主人公の成長しかないんですね。これはドラマにする時に怖いところで、他に布石が打てない。

実際にベースとなった人もいる話なので、なかなかぶっ飛んだ設定にはしにくい。つまり主人公の成長を延々と見せていく他ない。そうなると初期の人物設定がすべてとなります。ここで失敗すると、取り返しのつかなくなることがあります。

主人公と家族の人物設定

ということで人物設定の話をします。

篤蔵さんはとにかくエネルギッシュな人です。原作では特に癇癪持ちな面がクローズアップされています。でもドラマでは「またキレちゃって」とか「考えなしで」というように、引かれてしまう可能性が高い。演じる方もテンションを上げるのが結構大変です。

でも、篤蔵さんの場合は癇癪持ちの設定はどうしても変えられなかったんですね。なぜかというと、実際の2番目の奥様の俊子さんが今わの際にこう言い残したそうです。

「あなたはまっすぐで素晴らしい人ですけれど、ひとつだけ心配なことがあります。それは癇癪持ちのことです」と。その欠点が周りの人をハラハラさせたようです。

戦後日本が占領された後、アメリカにどういう統治を受けるかということになって、天皇陛下の戦争責任問題が起きました。

宮内省にそれを回避したいという思いがあった中、GHQをもてなすことになりました。その時、篤蔵さんがした中で最も偉大なことは、「自分の癇癪を抑える」ってことだったんです。これが、この原作の一番面白いところでもあり、ふざけたところでもあるんですけど(笑)。

接待だけですべてが決まるというものでもないでしょうが、彼がその場で癇癪を起こしていたら、もしかしたら戦争責任は回避できなかったかもしれない。癇癪を抑えることが、彼の80年くらいの人生の中で一番ドラマチックなシーンであったと……。ですから、彼が癇癪持ちであるという設定は、どうしても外せなかったんですね。

ドラマ上、観ている人が「また?」とか「もう!」と思うくらいやらないと、このラストシーンまで持っていけないと思いました。それで、ドラマの中で篤蔵さんはいっぱい癇癪を起こしてくれています(笑)。

篤蔵さんはこの癇癪持ちの性格のまま料理の腕を上げていって、その料理が日本を救ったり外交を成功させたりすることで、彼の成長を見せていくことができます。

こういった成長物語の場合、成長の初めにある親というものを設定しなければいけません。原作にはそれほど詳しく書かれていないので、こういう時に私はどうしているかというと、お父さん似にするか、お母さん似にするか。お父さんとお母さんのハイブリッドにするか。もしくは全否定するような家族設定にするか……。

篤蔵さんの場合は、癇癪はお父さん譲り。人と視点がズレていたり、変な理屈をこねる面はお母さん似ということにしようと。

お兄さんは非常に優秀な人物として描かれています。お父さんは真面目だけれどもちょっとしたことで癇癪を起こし、お母さんがズレたことを言い、2人が言い合いをするような家庭で育って、お兄ちゃんは「キレちゃいけないんだな」ということを学んだ。

正しいことって何だろう、揉め事が起こった時に裁定する基準って何だろうというところから、彼はああいった人格になっていったのではないか。お兄ちゃんについては原作の通りなので、そういうふうに落としどころを作って、自分で納得しました。

長男は出来た人格だし、次男は暴れん坊。そうなると三男は非常に練れた現実的な性格になっていったんじゃないかと想像しました。4番目も男で、お母さんが男腹だったんでしょうが、「篤蔵もお兄さんも、おそらく昔このくらい太ってコロコロしていたんじゃないか。

この家は料理人を出すくらいで、食べ物的には気を使って恵まれた状況にあったんじゃないか」という意見が出て、その表現として、四男は食いキャラになりました。

妻は「支える」がキーワード

篤蔵さんの妻ですが、実際には奥様は3人いらっしゃって、俊子さんは2番目の奥様です。

ドラマ上、3人の奥さんを短期間で次々に出すというのは難しいし、感情移入してもらいにくい。というわけで、2番目の奥様に全員の要素を集約しています。

3人それぞれ個性はあるものの、結局皆さんがしたのは、篤蔵さんを支えたということ。それで「支える」というキーワードが出てきました。

他の2人には申し訳ないんですが、俊子さんは最後に「癇癪が心配です」と言い残してインパクトがあったので、俊子さん中心にさせてもらいました。他の人がしたであろう苦労も全部背負わせて。

原作ものを扱う時には、こういうことはよくあります。主人公に対して立場が同じ人、例えば奥さんや師匠、友達のように、役割が同じ人をひとりにまとめるという作業はよくやります。

俊子さんのことを「非常にいい奥さんだった」と彼自身が言っているんですけど、どういう奥さんだったかは今ひとつわからない。だからドラマでは、「いい奥さん」の要素を全部集めて煮詰めたような奥さんにしています(笑)。

作為的なものも絡んでくるんですが、カップルって似ているか正反対かだと考えやすいじゃないですか。篤蔵さんが自分のことしか見えない人だとしたら、俊子さんはとにかく人の役に立つのが嬉しいという人で、そうなるように育てられてきたし、家の役に立たなきゃいけないと思って生きている。

かといって家のために生きているというわけではなく、彼女は人のために生きることを前向きにとらえている人である、というところに落ち着きました。

原作では篤蔵さんは結構いろんなところで修行しているのですが、全部やっていると12話では全然足りない。

師匠は大きく言うと2人いるんですが、合体して宇佐美さんというひとりの師匠にしています。元となったおひとりは仏のような方で、もうひとりはノートを机の中に隠して鍵かけちゃうような人です。なので、中に仏のような心を持ちつつ、基本的には神経質で簡単には教えないぞというようなキャラクターに設定しています。

原作には、師匠に教わった内容はあまり書かれていなくて、真心がどうとか、魂が食らうだとか、篤蔵さんが後年になってからいきなりいろんなフレーズを言い出している。彼がどこでそれを得たかはわからない。

でも秋山さんご本人が書いたエッセイの中に、何十年にわたる料理人生活で得た言葉としていっぱい出てくるんですね。なのでドラマ上では篤蔵さん自身が「これを学びました」と言うのではなく、逆に師匠から与えられた言葉にしようと考えました。つまり篤蔵が料理に対するセオリーを与えられた瞬間は、師匠を使って描くこととしました。

あと主な登場人物では友達ですが、これは割と原作から忠実にいただいています。

料理へのやる気がなくて絵を描いている男。やる気はあるんだけど不器用で平凡な男。どちらとも篤蔵とは正反対な部分があるので、バランスがいいなぁと思います。あまり似ていない方が、セリフを書く時に弾みやすいです。

ステージごとのミッション

この辺りまで決まると、あとは物語としての構造はとっても単純です。

彼が料理人としてA点に行き、B点に行き、C点に行き、最後は宮内省大膳寮というところにまで行くんですけれども、そのステップアップを描いていけばいい。ただ、基本的にはずっと同じで、何かわかっていないことがあって、わかるようになって、ステップアップしていく。

若干飽きる可能性もあるので、せめてそのステージが変わっていく時に、彼が体得していくものは変えていかなければならないというミッションが発生します。そのミッションの作り方が大事なところです。

一番初めの華族会館で彼が叩きこまれたのは、自分が出来ることをする「真心の精神」でした。次のバンザイ軒で体験するのは、お客さんや世間を相手にするということ。

華族会館では、相手は厨房の中の上司で、お客さんなんか見えてなかったので、自分は歯車の一部でしかなかった。歯車として優秀であればそれでよかった。それがいきなり客の前に立たされる。そうして学んだことが、バンザイ軒編での意義になるかなと思います。

この後、パリに行って異文化の中に放り込まれます。同じ厨房のイジメでも、日本人のイジメとは毛色が違います。人種差別もあり、当時の日本は日露戦争に勝ったために恐れられていて、その裏では嫌われていたという状況。風当たりがすごく強かった時代でした。

料理人の在り方も、日本とフランスでは全然違います。当時の日本は、料理人の名前で料理店を選ぶなんてことはまずなかった。

が、フランスでは料理人の名前で店が選ばれていく。シェフの名前はほとんど芸術家とイコールで、それほど料理人の地位が高かった。パリで仕事をする中で、彼は料理って何だろう、芸術の根幹にあるものは何だろうということを学んでいく。そうして最終的に宮内省大膳寮を背負うような料理人になっていきます。

ステップアップする過程で何を学んでいくのかは、サクセスストーリーを描いていく上で絶対に忘れてはいけないことです。あくまで厨房の物語を厨房の中だけで勝負していくという方法も取れなくはない。

けれど、私は初めにこの原作を読んだ時に、これは料理の話だけでなく、周りの人たちが支えた軌跡でもあると思いました。ですから、周りの人たちの話も入ってくる。そことの兼ね合いを見せていかなければいけないと思いました。

「このシーン」に向かって走る

全体の見取り図が出来ると、あとは各話に落としていくだけです。

1話を考える際にはシンプルに考えます。まず、「絶対にこのシーンに向かって走るんだ」というシーンを設定します。世間にどう思われようが、結果がどうであれ、自分の中では確実に名シーンと成り得るシーン(笑)。それに向かって45分使っていきましょうという考え方です。

例えば第5話。全体の見取り図の中で、5話でやるべきことは、俊子さんと別れることでした。これは既定路線で、どうしても入れなければいけなかった。別れのシーンがクライマックスになる。じゃあどういう別れ方がいいかって考えます。

篤蔵さんが俊子さんを振るっていうのはないだろう。俊子さんが篤蔵さんを振る。うん、こっちの方がいいなと。目標としては、振った方も振られた方も辛いというシーンにしたい。

そのために何をすればいいか。俊子さんの方は「別れたくない」という気持ちを、それまでの回で強く出してきたんですけど、篤蔵さんは子どもが出来たから養うために頑張ろうと思うけれども、子どもがいなければそのまま別れていただろうなと。

夢に向かって突っ走る、自分のことしか見えていない男の人です。「振られてもいいや」って思っている人が振られても、都合がいいだけですよね。篤蔵さんが俊子さんのことをいつのまにか好きになっていたり、その気持ちがほの見えないと、このシーンは成立しないだろうと思いました。

そうすると、今、場末のバンザイ軒にいる状況をどうやって別れのシーンに使っていくかを考えます。都合のいいことに、バンザイ軒は夫婦経営の店で、そこの女将さんと親父さんは色々ありながらも基本的には仲がいい。お客さんの顔を見ながら料理が出せる喜びもある。すると、篤蔵さんは「あ、こういう生き方もあるんだな」「こういう選択もあるんだな」と思う。

彼は「大日本帝国一の料理人になる」って言っていますけど、元々は料理が好きで料理をしているだけなんですよね。だから「石にかじりついてでも、日本で一番偉くなる」って発想はなかったと思うんです。

料理が好きで、大きな仕事が出来ていくようになるのはいいけれども、人の上に上り詰めることが本来の目的ではなかった。なので、目の前に楽しそうに夫婦経営でやっている店があって、そこで自分が働くのが楽しければ、「こういうのもいいな」って思える状況だったと思うんです。

そこに俊子のバッドニュースが飛び込んでくる。そうすると、アタフタして「店を持ったらええんですかぁ?」という流れになりやすい。バッドニュースを聞いてからの20分くらいは、そのために使うという構成になっています。

では、俊子が振るとしたらどういう振り方があるんだろう。いろんな選択肢があるんですよね。お父さんに抑圧を加えられるとか、「疲れた」っていう気持ちもあるだろうし、彼女が篤蔵さんと別れたいと思う理由なんて星の数ほどあるんですけど、その中でシナリオライターは何を選ぶかという選択をしなければならない。

私はやっぱり「環境」ではなくて、「その人の性格や性質」から出たような別れの理由が一番つらいだろうと思いました。努力ではどうにもならないし、言い訳が効かないですからね。「人のために役に立ちたい」と思う人だからこういう別れを選ぶ……っていうのが一番つらいんじゃないかと思いました。

というように書いていくわけですけれど、1回目、2回目に俊子が言っていることは綺麗すぎて嘘っぽいんですよね(笑)。「相手のことを思って」って言うけど、俊子はまだ16、17歳だろうと。

じゃあ本音を言わせてみようと考えたんですが、本音ってスルッとは出てきません。どこかでスイッチを入れなければいけない。流産したことに対する篤蔵さんの悪気のない「わからない」って一言かなと。

それを聞いて俊子の本音がバーッと出てくるわけです。篤蔵さんに嫌われるためにあえて言っていることなんですが、人間まったく思ってもいないことは出てこないので、オンエアで観ていただいたような、本音とグチャグチャに混ざるシーンになりました。

細かく考えることを楽しむ

じゃあこの別れの話をどういうところでするか。場所の設定を考えます。篤蔵さんが最初に家を飛び出した頃に、料理にいかに感動したかを、俊子に語るシーンがありました。

今度は同じ場所で篤蔵が「店を持って暮らしていこう」と、2人の夢を語ることにしようと。同じ道を通っていれば、自然とそういう話が出てくるかなと。

前の時は確か雨が降っていたんだな、それなら今度は雨じゃなくて雪がいいな。初めから雪降ってるのかな。いや、最初は降ってなかったけど、俊子さんは準備がいいから傘を持ってきていたってことにしよう。というように、シチュエーションを利用しながら作るわけです。

さらに、1本の傘で2人の人間がどういう距離で歩いていくのかと考えます。相合傘っていうのは、基本的には同じペースで歩いていくものですよね。でも、ひとりが歩みを止めてしまったら、傘を差して話をしている方は気付かない。

同じ傘の中にいても、俊子が歩みを止めたら距離が出てくる。こうすれば、この時の2人の距離感や関係を構図で伝えられると思いました。篤蔵の背中、そして置いていかれる俊子の顔。彼女が何を思って決断したかが伝えられる。

そんなに大した道具立てでもないんですよ。傘と雪、歩く、夢語る、別れる。使い古されたシチュエーションなんですけど、細かく細かく設定していくことで、そのドラマにしかないようなシーンになっていく。

新規で奇抜なことを考えなくても、ひとつひとつ掘っていけば、自分でも納得感のあるシーンが出来てくるんですね。細かく考えるのを楽しむことが大事なのかなと思います。

実は最初、「あんたなんか嫌いだー!」って言われて、篤蔵さんは呆然とする、というように書いていたんです。でもシックリ来なくて……。この人、こんなに言われっぱなしじゃないよなと。

ちょっとでも不満がたまると爆発する人が、言いたいこと言われて振られたら、爆発しない訳ないですよね。なので、言い返した方が篤蔵さんらしいや、癇癪持ちの面目躍如だと思って、言わなきゃいいようなひどいことをいっぱい言っています。

「ここまで言わなくてもいいんじゃないか」とか、議論がありました。でも癇癪持ちの部分を大事にしなきゃいけないので、これでよかったのかなと思います。

俊子に振られた後、お義父さんには勘当され、お母さんにも勘当され、コネで入った華族会館は追い出されていて、やっと篤蔵さんはゼロベースになったんです。

元々は非常に恵まれた生まれの人だったので、1回ゼロベースにならなきゃいけないなと、ずーっと思っていました。何もない中、自分の力だけで初めて這い上がっていく。これでやっと皆さんに応援してもらえる主人公になるのではないかと思います。

習ったことは非常にシンプル

企画の立ち上がりから1話ごとを書いていくところまで、ザッとお話ししましたが、振り返ってみると非常にシンプルで、シナリオ・センターで習ったこと以上のことはやっていないと気づきました。

私はシナリオ・センターに入る前はお芝居とか映画が好きで、若かったせいか、凝ったものや変わったものが好きだったんです。「どうやって作るんだろう?」と思ってセンターに入ったら、教わったことはすごくシンプルでした。「ドラマとは変化」、ただそれだけです。

そんな単純なことなのかなと思ったけれども、実際に仕事をやってみると、このシンプルなことだけでなんとかいけるというのが実感です。もちろん、そうじゃないことを求められることもあります。「絶対に見破られないようなトリックを考えろ」とか(笑)。

でも、皆さんは安心してシンプルな考え方で作品を作って欲しいと思います。

でもセンター在籍時代は、機会があればなるべくシナリオを読むようにしていました。作品を観るのはもちろんですが、シナリオが手に入ればできるだけ読んでいました。

観た人に楽しいと思ってもらえる作品を書くのが自分の使命かなと思います。それ以外にないんじゃないのかな。脚本を書くのは、上手くいっている時はすごい楽しい。

キャラクターがしゃべってくれる瞬間とか、快感ですよね。でも詰まってしまうと、パソコンを置いて逃げちゃおうと思いますが……(笑)。

この業界、シナリオライターの数が足りません。皆さんに来てもらいたいと切実に思っています。ちゃんと基礎のできている人、危なげなくホンを任せられる人というのは、どこでも求められていると思います。皆さんにも頑張っていただければと思います。

〈採録★ダイジェスト〉THEミソ帳倶楽部「新井一生誕100年機縁シリーズ~森下佳子さん編~」
ゲスト:森下佳子さん(シナリオライター)
2015年5月25日採録
次回は12月10日に更新予定です

プロフィール:森下佳子(もりした・よしこ)

住宅誌の編集者として活動後、脚本家として2000年に『平成夫婦茶碗~ドケチの花道~』(日本テレビ)でデビュー。2014年『ごちそうさん』で第32回向田邦子賞・第22回橋田賞を受賞。『JIN-仁-』(TBS)『天皇の料理番』(TBS)『おんな城主 直虎』(NHK)など代表作多数。2018年には『義母と娘のブルース』(TBS)の脚本を担当。最終回の視聴率が19.2%で、2018年7月期-9月期の民放連ドラで1位の数字となった。

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