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脚本家に向いている人 とは/脚本家・ジェームス三木さんに学ぶ

2015.02.13 開催 THEミソ帳倶楽部「新井一生誕100年機縁シリーズ(1)~ジェームス三木さん編~」
ゲスト ジェームス三木さん(脚本家・作家)

シナリオ・センターでは、ライター志望の皆さんの“引き出し=ミソ帳”を増やすために、様々なジャンルの達人から“その達人たる根っこ=基本”をお聞きする公開講座「ミソ帳倶楽部 達人の根っこ」を実施しています。そのダイジェスト版を『月刊シナリオ教室』(今回は2015年6月号)よりご紹介。
今回は、シナリオ・センター創設者新井一生誕100年を記念して行った模様をご紹介。新井一と縁のある出身ライターの方々に、ご自分のシナリオ作法について、お話をしていただく機会を設けました。題して「新井一生誕100年機縁」。その第1回目のゲストはシナリオ・センター前身の新井教室出身の大先輩脚本家・ジェームス三木さん。軽妙洒脱なジェームスさんの話術に、会場は笑いの渦に包まれました。この文章を読むと「どんな人が脚本家に向いているのか」がよく分かります。でも、たとえその要素が当てはまらなくても諦めずに、ジェームス三木さんのお話を参考にしてみてください!

シナリオ・センター0期生

私は、新井一先生にシナリオの書き方のすべてを教わりました。

シナリオ・センターができる前のことですが、シナリオ作家協会のシナリオ研究所というところに、確か19期生として入ったんです。同期には寺内小春さんとか高橋正圀さん、重森孝子さんなんかがいて、楽しくやっていたことを覚えています。

そのうちに学生運動が盛んになってきて、シナリオ研究所にも、ゲバ棒を持って来るヤツなんかも出てきた。シナリオの勉強どころじゃなくなって、シナリオ研究所が閉鎖されたんです。

みんな困っていたら、講師だった新井一先生が、「私塾を開くから、みんなそこに来い」って言ってくださって。それがシナリオ・センターの始まりというわけです。

だから私は、シナリオ研究所時代の新井ゼミからずーっとですから、シナリオ・センターの0期生ということになります。

新井先生の最初の挨拶がすごく印象に残っています。「洗濯の『あらいはじめ』と覚えてください」。

初めはペラ5枚から書かされました。「黒い犬のいる風景」という課題で、私は突飛なことを書きたいと思ったので、「黒い犬に見えたのは実は赤い犬で、その人は色盲だった」という話を書いたんですね。それが新井先生にすごくほめられましてね。意表を突く考え方だと。それがとてもうれしかったのを覚えています。

私がシナリオ研究所で学んでいた頃は、TBSのプロデューサーだった大山勝美さんが講師でいて、「シナリオはロゴスとパトスの衝突だ」と言っていました。ロゴスは理性、パトスが感情や情熱。

映画監督の篠田正浩さんは「第六感を描け」ってよく言ってましたね。視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚の五感の他に、第六感というものがあると。非常に怒りっぽい人でね、居眠りしている生徒がいると、「出てけー!」と怒鳴っていたのを覚えています。

馬場当(まさる)さんという映画『復讐するは我にあり』などを書いていた脚本家は、「映画は企画が流れることが多いから、先に金をもらうことが大事だ」と言っていました(笑)。そんなふうにいろいろな先生がいて、それぞれに面白かったです。

ドラマは2通りしかない

ドラマというのは時間芸術です。芸術の中では、音楽に一番近い。彫刻とか美術と違って、時間の中で動いているでしょう。時間の中で物事が変化する。

新井一先生が口を酸っぱくして言っていたのは、「ドラマとは変化を描くことだ」。人間の心の変化もあれば、周りの環境の変化もある。いろんな変化がありますが、変化を描くのがドラマだと。

ドラマとは一体何でしょう。ドラマって、ギリシャ語ですね。対立、葛藤、トラブル、揉め事、ケンカ。元々これを描くのがドラマで、ギリシャ時代からやっている。

対立のないドラマほどつまらないものはない。非常に幸せな家族が、みんな仲良く手を取り合って、誰も病気にならず、災害にも遭わず、無事安穏に一生を過ごしました――こんなドラマは誰も見ないです。

対立、トラブル、葛藤が面白いし、皆関心がある。世界が皆幸せになって平和になったら面白いか?って言われたら、疑問があります。我々は何を生きがいにすればいいのか。意外と危険なものが好きなんじゃないか……。

ドラマは、基本的に2通りしかない。
ひとつは勝ち負け。敵と戦って勝つか負けるか。
もうひとつは、愛が実るか。

闘争系ドラマの方は、戦争ドラマ、刑事ドラマ、犯罪系ドラマ、スポーツ根性もの。
愛が実るかどうかの方は、メロドラマ、ホームドラマ。

この2つはロマンとサスペンスとも言いかえられる。愛と死、エロと残酷。究極のところ食欲と性欲です。つまり、動物の2大本能である、生存本能と種族保存本能。私たちはこの2つを組み合わせてドラマを作っているんです。

動物の世界に、正邪善悪はありません。正邪善悪があるのは人間社会だけ。なぜそれができたかというと、人類は火を使うようになり、どんどん便利さを追い求めて、集団で暮らした方がいいということになった。

村ができ、町ができ、国ができたわけです。すると権力者が出てくる。権力者が正邪善悪を決める。権力を維持するために、都合のいいように掟を作った。掟が、その後倫理になり、道徳になり、今の憲法、法律、常識、良心というようなものになっていった。

つまり、人類は食欲と性欲の暴走を止めるための第三極を作ったということです。食欲、性欲、そして掟。人間の行動原理のすべては、この三角形の中にある。

しかし制御装置であるはずの掟、これが問題なんです。さっき言ったように、テロが正しいかどうか。戦争が正しいかどうか。人によって考えが違う。

いろんな三角形があります。傾いた三角形や、平べったい三角形もある。でも三角形の内角の和は、すべて180度と決まっている。三角形と三角形を重ね合わせた時に、ズレが生じる。そこを描くのがドラマです。

三角形のズレを強引に合わせようとすれば戦争になる。それぞれに違いがあることを楽しむ、それがドラマの面白さですね。普段の生活に照らし合わせれば、自分がどんな三角形を持っているかわかると思います。

変わってきた世の中

生存本能と種族保存本能と、その暴走をとどめるためのブレーキは、良心ですね。

つまり自分の考え、自分の立場。この三角形はなかなか一致しないけれども、一致すると、人類が進歩しすぎてしまう。文明の利器が、新しいものが出てくるたびに、世の中が変わってしまう。

まず世の中がガラッと変わったのは、電気が発明された時ですかね。生活様式が変わりました。電話もそうです。

昔は面と向かって話していたから、顔色をうかがいながら「今ちょっとこのことは言わない方がいいんじゃないか」とか「別の言い方をした方がいいんじゃないか」と考えていた。電話では顔色が見えないからズバリ言っちゃう。これで随分世の中が変わったと思います。

その次は、車。テレビ。今はインターネットが世の中を変えつつある。ひとりの意見を世界中に発表できたりする。このように、新しい文明の利器が出てくるたびに、世の中が変わっていきます。あまりにも早く変わるので、僕は怖くなってきます。

男性歌手の声がだんだん高くなっていることに、皆さん気付いていますか?フランク永井とかディック峰さんのような低音の歌手がいなくなりました。さだまさしとか平井堅のような高い声が普通になってきた。

男性が中性化しつつある。最近は草食系とか言われます。実は、立ちションベンを禁止されたのが大きいんですよ。

立ちションベンというのは、言うなればオスのマーキングです。いろんなところに臭いをつけて、縄張りを示すためにやってきたんです。他の動物を見てごらんなさい。外でションベンをして臭いを残しているでしょう。これを禁止したからじゃないかと、私は思っている訳です(笑)。

それからセクハラの過剰規制があります。男はどうやって女性を口説いていいかわからない。女性を口説こうとしたら、セクハラと言われる。だんだんと精子が減ってきたそうです。男性が情けなくなってきた。

今の若い人は、思い切って口説いてフラれるのがすごく恥ずかしいらしい。絶対に大丈夫と思わないと口説かない。それじゃあダメです。私なんか昔、10人口説いて1人口説けたら上々と思っていた。皆そうだったと思いますよ。どうやって女性を口説くのか、若い頃は皆苦心していましたね。

歳を取ってから分かったんですが、女性を口説くのに最高の言葉は、「この次、口説くぞ」。今は口説かないけど、期間を置く。相手に下駄を預ける。そうすると女性は「何言ってんの?」と言いながらも、その次会うまでの間に、いろいろと考えるわけです。

男性からすれば、女性はその気が無かったら次に来ませんから、ムダな金を遣う必要がない(笑)。

来る時は何か含みを持たせてくるわけですから、女性に覚悟があるのか、それとも「お応えできないわ」となるのか。何かしらつながりが出来てくる。

だから「この次、口説くぞ」というのが非常に効果的です。この中に未婚の男性いますか? ノートに書いといた方がいいですよ(笑)。

人間はこういう時になんて言うのか。いろんなセリフがありますが、ありきたりの言葉で書かないこと。テレビを見ていればわかるでしょう。人間はほとんどのセリフで嘘を言う、大げさに言っている。「あーら、可愛い赤ちゃんね~」って、絶対そうは思ってない(笑)。

そういうセリフを書いてください。「実はこの人、裏では反対のことを思っているな」というセリフがほしい。人間は真っ当にモノを言わないものなのです。どうでしょう、お世辞とか遠まわしとかも含めると、普段の言葉の3分の1くらいは嘘をついていませんか?

自分で考えるということ

今、大騒ぎを起こしている「イスラム国」というのは国ではないですが、国になろうとしている。アラーの神のために命を捨てるのは当たり前、そのために自爆テロもやる、人質をとって身代金を要求する。とんでもないやつらだと言われています。

私は満州で生まれ育っています。満州は一種のイスラム国だったと思います。日本は朝鮮を併合して満州に入って行って、「満州国」というのを作っちゃった。

国連は認めない。世界中で満州国を認めたのはエルサルバドルとローマ教皇庁の2国だけです。実際には存在しなかったけれども、13年間満州国って言っていた。いろんな人を暗殺したり、乱暴なことをやってましたが、私はその真っ只中で生まれたんです。

イスラム国は満州国と同じじゃないかって、最近は思います。日本人にも天皇教、つまり天皇陛下は神様だから、神様のために命を捧げるのは当たり前、忠義だという考えがあった。

満州国を含めた日本という国は、世界中から見たら、今の「イスラム国」だったんじゃないか。不気味な変な国。天皇に対する信仰から、戦地に行って死ぬのが当たり前、捕虜になるより死ねっていうのが当時の日本でした。歴史は繰り返しているんですね。

安倍首相は「テロはいけない」って言います。「テロくらい卑劣で残虐な行為はない」と。果たしてそうでしょうか。

空から爆弾を落とす方が、はるかに卑劣で残虐でしょう。原子爆弾1発で広島では9万人の人が死にました。長崎では6万人が死んでいる。こっちの方がよっぽど残虐でしょう。戦争よりもテロがいけないかというと、絶対にそうじゃない。

弱者が強者に向かって行くには、テロしかないんです。忠臣蔵はテロです。赤穂浪士はテロだったんです。本当は将軍を殺したかったんだけど、とても敵わないから吉良上野介を殺してしまった。ちょっと道間違っちゃったんだけど、テロです。

新撰組、あれもテロです。勤王の志士なんてのも、随分テロをやっている。テロから始まり、戦争になっていく。だから、テロは悪である、残虐である、卑劣である、そういう言葉を鵜呑みにしないように。

本当かどうか、自分でちゃんと考えてみる。自分で考えることが一番大事です。人が考えないようなことも考える。常識、そんなものはないです。世の中いろんなことが起きますから、それを自分の見方で考える。

小学校の理科の試験で、「氷が解けたら何になりますか?」という問題がありました。氷が解けたら水になりますね。水という回答が並ぶ中、ひとりだけ「春になります」と書いた子がいた。

理科の試験だから、これはバツになりますね。だけど私は二重丸をあげたい。ものの考え方は、世の中に流されないように、自分がどう思うかが大事です。これが、シナリオライター、ものを書く人の基本です。

テロが正しいなんて言うつもりはないけど、争いには必ず双方に正義があります。夫婦ゲンカもそうでしょう。夫も妻も、自分が正しいと思っている。戦争も同じで、両方に正義がある。宗教の正義だったり、倫理の正義だったり色々ですが、簡単には割り切れない。

物事を考えるときは、人に惑わされないように、世の中の流れに飲み込まれないように。これはライターの基本的な立場です。

相対的に物事を見る

世の中が変わる、ということでいうと、戦争の形が変わってきた。大昔は、戦争といっても刀と槍でした。大将同士の一騎打ちで決着をつけたりしていた。

その後、鉄砲とか弓矢という飛び道具が出てきた。侍は「卑怯だ」と言って、鉄砲や弓矢を足軽に持たせて、自分たちはあくまで刀と槍。そういうプライドを持っていた。

それがどうでしょう、中世から文明のあらゆる利器を武力に使うというふうになってきて、軍艦ができて、戦車ができた。人を殺しやすくなった。

で、ついに原子爆弾で、何万人もを一発で殺せるようになった。文明の利器の進歩は、敵に負けられないという一心からです。

関ヶ原の戦いの戦死者は東西合わせて8千人です。これでも相当でしょう?日清戦争の日本人の戦死者は1万人ちょっと。日露戦争は8万人。それが日支事変から太平洋戦争にかけて、日本人の戦死者は軍人240万。一般国民70万。合計310万人が死んだ。

ところが日本も、中国で1千万人近い人を殺している。東南アジアでも、すごい数の人を殺している。これは文明の利器のせいです。

今、私は、世界の戦争で相手国の人を殺したワースト10のランキングを作ろうと思って調べたんです。自分の国が何人死んだということは言うけれど、よその国の人を何人殺したかは言わない。

これ、発表したら絶対に日本はランキングに入ります。ドイツもアメリカもロシアも入るでしょう。私、20世紀以降の数字を調べて、ワースト10を作りたいんですが、どこも隠している。

相対的に物事を考える、ということで言えば、日本は靖国神社に、日本のために死んだ兵隊さんの魂を祀って神様にしている。なぜ中国は不愉快か。中国人を何百万人も殺した人たちがそこに祀られているからです。

向こうから見れば、とんでもない連中を、首相以下日本人が拝んでいる。それはどうしても許せない。おじいちゃんやお父さんを殺された人は、中国には山ほどいるわけです。

日本がアメリカと戦争をしていた時、北朝鮮の人たちは何人でしたか?今の人はほとんど知らない。日本人だったんです。朝鮮半島は日本の植民地だったんですから。朝鮮人は小学校から日本語を学び、天皇に向かって毎日遥拝し、日本の軍隊にも入って特攻隊にも行った。これが北朝鮮の人たちです。そこがわかってないと。

北朝鮮から見たらどうなるか。我々は日本人としてアメリカと戦ったのに、今、日本はアメリカとくっついて北朝鮮と対立している。とんでもない裏切りだと見える。

相対的にモノを見ないとね。片っぽだけで見ていたんでは、物書きにはなれない。奥さんとケンカしたら、奥さんの側に立って考えてみる。実際はそんなことできませんけどね。よく考えてみると、向こうの言うことがわかってくる。

言葉というのは、自分が思った通りには伝わらない。私たちの普段の会話は、25%くらいしか相手に伝わってない。文章にして50パーセント。名文でやっと60%です。喋り言葉なんて伝わらない。伝わったと思っていることが間違い。「伝えたはずじゃないか」「いや、聞いてない」、このトラブルは結構ありますね。

2万年くらい前、ネアンデルタール人とホモサピエンスが両方いた時代があります。ネアンデルタール人が先に滅びて、ホモサピエンスが生き残った。これはなぜか。言葉を作ったからです。言葉を持つことによって、先祖の言い伝えを子孫に伝えられた。意識を広められた。情報を伝えられた。それでホモサピエンスが今も生き延びているんです。

戦争の元も言葉ですけどね。争いの元は被害者意識から始まる。人は自分が加害者であることに気づかない。だから権力者は「日本はこのままだとひどいことになるよ」と被害者意識を駆り立てて戦争に持っていく。権力者の常です。

でも相対的にモノを見ると違ってくる。相対的にモノを見ることが大事です。

想像させるのがドラマの楽しみ

シナリオの書き方ですが、コンクールに出すシナリオと、テレビ局に頼まれて書くシナリオでは、書き方が違います。

コンクールに出す場合は、ていねいに書かないといけません。審査員はそんなに本気で読みませんからね。たくさん読まないといけないから、最初のほうを読んで、面白くなければやめてしまいます。途中で訳がわからなくなると、もう読まなかったりします。

あと冒頭が面白くないとね。「エッ!」というのがないと。争いや動きがあるのがいいというわけじゃなくて、2人きりで淡々としゃべっている中に、ものすごい敵意がある、そういうのが最高。見ている人は、一言一言に目が離せなくなります。

ていねいに書くというのは、例えば「馬鹿たれ」というセリフを書いたら、(愛をこめて)とカッコ書きを入れるとかね。コンクールの審査員は、それほど親切じゃないですから。

ただ、現場でこういう書き方をすると、プロデューサーや演出家は怒ります。「わかってるよ、そんなこと!」「いちいち書くな!」ってね。だからスッキリ仕上げる。

例えば「てめー、ぶっ殺すぞ!」より「あんた、死にたいの?」って言った方が恐いでしょ。単純すぎるセリフはダメ。できれば含みを残すこと。ナレーションや回想が多いのもダメです。

私が皆さんのコンクール応募作を読んで思うことは、登場人物に男か女かわからない名前をつけるな、ということ。「薫」なんて、男か女かわからない。そんなことで、途中で読まれなくなったら損でしょう?

大河ドラマや朝ドラではナレーションは多いけれども、朝ドラはドラマじゃなく「テレビ小説」ですから、必要です。ナレーションで説明している。ナレーションで説明するのは楽ですから、だったらナレーションだけでいいじゃないかということになりますね。

でもドラマを見る視聴者は、自分の中で想像することが楽しいんです。ドラマっていうのは、考える楽しみがある。「こいつ、ひょっとしたら犯人だぞ」「こいつ、嘘言ってるな」、それが面白い。だから一生懸命見る。

テレビを見ながら家族でどうのこうの言う、これが視聴者の楽しみです。ところがテレビ局はそれを忘れていて、全部説明しようとする。

野球やサッカーの解説、面白くないでしょう。2時間の試合のうち、1時間半はつまらない。ドキドキハラハラするのは10分くらい。でも我慢して見ているのは、想像力で見ているから。

「このピッチャー、そろそろ疲れが出る」「このバッターがヒットを打ちそうだ」「代わりにあいつがピンチヒッターに出ればいいのに」。いろんな想像をしながら見る。これを解説者が全部しゃべっちゃったら、こんなにつまらないことはない。

マラソン中継に、なんで解説者がいるんですか。「苦しそうにしています」「もう1人抜けば2位に上がります」、わかってるんだよ(笑)。アナウンサーはしゃべりっぱなしじゃなきゃいけないと思っている。

自分が主役だと勘違いしていので、黙ってる訳にはいかない。しかしあんなに馬鹿げた放送はない。視聴者っていうのは、いろんな見方をしていますから、一々説明するなということです。

セリフで説明するのが一番愚かしい。セリフは逆を言った方がいい。「こいつ、こんなことを言ってるけど、たぶんそうはならないぞ」、それが見る人にとってドラマの醍醐味です。

橋田壽賀子さんのドラマは、1時間で大体18シーンくらいしかありません。橋田さんのドラマには風景は出てこないでしょう? 飯食ってるところとか、食堂とか。同じ人が集まっている。でも退屈しない。

それは、自分の身に染みるセリフ、会話があるから。橋田さんは、同じことを形を変えて3回くらいやる。橋田さんの考え方は、テレビを見る人は連続ドラマの3回に1回くらいしか見ないから、忘れるから、ていねいに描いた方がいいと。これもひとつの考え方ですね。

私には、ちょっとそれは我慢できないですが。同じことを繰り返したくない。映画なんか特に、省略して省略して、間は観る人が埋めるんだという考え方です。

人間には喜怒哀楽の感情があります。喜びと楽しみはどう違うかわかりますか? 喜びは達成感。「東大に受かった」とか「甲子園に出られた」というような、やったーっていう気持ちが喜びです。

楽しみとは、まだ起きていないことに対する期待感。達成感を目標にすると人生辛くなります。期待感は外れてもいい。宝くじを持っている間は楽しかったじゃないかって考えることもできる。

入院する人は退院する楽しみがある。刑務所にいる人は出所する楽しみがある。離婚した人は再婚する楽しみがある。心の中に楽しみの種を持っている人が幸せなのです。今、どんなに不幸であってもね。

ドラマもそう。「こうしたら、こうなるぞ」という楽しみの種を感じさせる。これがドラマを見る楽しみです。綺麗事ばかりじゃないんですよ、人の足を引っ張る楽しみとかね。私も内心では、この中からシナリオライターが出てこないように願っています(笑)。私だってそうそう追い出されたくないからね。

落とし穴を掘る楽しみもあれば、テレビを見てタレントを罵倒する楽しみもあります。喜びより楽しみが大事。「この次どうなる?」という楽しみを、お客さんに伝えられるホンを書いてほしいと思います。

脚本家の三大条件

長く作家であり続けるためには、体が丈夫でないとね。脚本家の条件は、まず胃が丈夫であること。嘘つきであること。おしゃべりであること。おしゃべりな人でないと、なかなかセリフが書けない。普段からいろいろしゃべっていると、しゃべり方を考えるでしょう?

新人のライターは、書き直しを命じられたり、議論に負けたりして胃を悪くして辞めていきますから。おしゃべりは議論に負けないためにも必要です。

嘘つきについては、毎日嘘を書いているから。胃が丈夫になるためには、大きな声でしゃべることです。大きい声でしゃべれば腹を使いますから、胃が丈夫になりますよ。

脚本家というのは、さっきから申し上げているように、いろんな方向から物事を考えなくてはならない。相対的に相手の気持ちを汲んで考えなきゃならない。警官のセリフも、泥棒のセリフも考えなくてはいけない。視聴者は警官と泥棒、どっちを応援すると思います?

どっちとも言えないんです。視聴者は必ず、よく知っている人の方を応援します。最初に警官の家庭の状況を描いておけば、警官を応援する。泥棒の家庭状況を描いておくと、泥棒を応援します。見る人は内情を知っている方を応援します。脚本家の書き方によって、応援する人物が変わってくる。

アイデアはいろんなところから出てきます。新聞の三面記事。突飛なことでなくても、心の中のちっちゃいことでも構わない。ネタは尽きないです。

公園でベンチに座っていた若い女性が、シクシク泣いていたんですよ。失恋でもしたんですかね。ベンチの横に水道があって、そこから水がポタポタ落ちていた。そうしたらその女性が泣きながら、蛇口を締めるんです。やっていることが全然別でしょう?

人間ってこういう面白いところがある。不思議で奇妙なんです。そういうシーンを、僕はいつか書きたいと思っています。皆さんも、普段の生活の中からそういう発見をしてください。

人間の不思議さ、訳のわからなさが面白い。こういうキャラクターですってハッキリ言っちゃうのは論文書いているのと同じでつまらない。ドラマというのは、よくわからないところがあって、それを視聴者が想像して、視聴者の数だけ結論がある。すぐに結論が出てしまうドラマなんて、大したことないんです。

皆さんはこれからの人たちですから、期待していますよ。

〈採録★ダイジェスト〉

THEミソ帳倶楽部「新井一生誕100年機縁シリーズ(1)~ジェームス三木さん編~」
ゲスト:ジェームス三木さん(脚本家・作家)
2015年2月13日採録
ダイジェスト版を動画でもご覧になれます。
次回は11月12日に更新予定です

プロフィール:ジェームス三木(じぇーむす・みき)

大阪府立市岡高校を経て、劇団俳優座養成所に。1955年テイチク新人コンクールに合格、歌手生活を13年送る。1967年「月刊シナリオ」のコンクールに入選。野村芳太郎監督に師事、脚本家となり現在に至る。テレビドラマ『父の詫び状』(1987/プラハ国際テレビ祭グランプリ受賞)『独眼竜政宗』(1988/プロデューサ-協会特別賞受賞)『八代将軍吉宗』(1996/第16回日本文芸大賞)『弟』(2005年/第13回橋田賞大賞受賞)の脚本など手掛けた作品および受賞歴も多数。

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