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小説家になりたい人へのメッセージ/原田ひ香さん

2012.04.15 開催 THEミソ帳倶楽部スペシャル「エンタテイメントにできること」
ゲスト 原田ひ香さん

シナリオ・センターでは、ライター志望の皆さんの“引き出し=ミソ帳”を増やすために、様々なジャンルの達人から“その達人たる根っこ=基本”をお聞きする公開講座「ミソ帳倶楽部 達人の根っこ」を実施しています。そのダイジェスト版を『月刊シナリオ教室』よりご紹介。
今回のゲストは出身ライターの原田ひ香さん。小説家になるまでのこと、小説家になってからのこと、そして、小説家になりたい人へのメッセージやアドバイスが満載です。

「やりたくないこと」を明確にするのもいい

20代の頃は普通のOLをやっていたのですが、夫の転勤で北海道に移住して時間が出来たので、以前から興味のあった小説を書いて、「すばる文学賞」に応募しました。

応募はしたものの、自分では「これは全然ダメだな」と……。1次審査も通りませんでした。

ネットでシナリオの書き方を公開しているページを見つけたので、見よう見まねでシナリオを書いてヤングシナリオ大賞に出したところ、運よく最終選考に残ったんですね。その後、フジテレビのコンペに参加したり、プロットを書いたりするようになりました。

そんな状態で始めたので、シナリオの書き方には自信がなかったんです。そこで、シナリオ・センターに入学しました。

当時ラジオドラマの賞を取ってドラマ誌などに載っていたのが、山本むつみさんです。こういうジャンルもあるんだなと思い、「オーディオドラマ講座」にも参加しました。

複数のテレビ局と制作会社からの仕事を請けるようになりましたが、その頃の主な仕事というのは、ドラマの原作を探すこと。

本屋に通って良さそうな新刊本やマンガを見つけ、毎週1本は企画書にして会議で提案する。「いけるかも!」と思って読んでみたら、映像化が難しかったり、思っていた内容と違ったりもします。だから週2~3冊は本を読んでいました。

そうして企画書を出して、「いいね」ということになると、上の方々に見せるために更に詳しいプロットを提出しなければならない。そんな生活を2年くらい続けていました。

でも、なかなかシナリオの仕事にはつながらないし、どうも自分には合っていないのではと思い始めたんです。

私はその後純文学系の賞をいただくことになるのですが、ドラマの原作に向いているのは推理小説や冒険もののようなエンタメ系で、あまり好きなジャンルではなかった。

それに、ずらっと並んだプロデューサーの前で「この原作はどうでしょうか」とプレゼンするのも苦手だったんですね。今、こうして大勢の皆さんの前で話してるじゃないかと言われそうですが……(笑)。

これは、シナリオや小説を仕事にしようとして、どちらがいいのか迷っている人、また、これからどんな仕事につこうと迷っている人、すべてに言いたいのですが、自分が本当にやりたいことを考えるのも大切ですが、「やりたくないこと」を明確にするのもいいですよ。

意外と本当にやりたいことがはっきり見えてくることがありますので。今は一人二人の、気心知れた編集者と話すだけでいいので本当にストレスがなくなりました。

そこで、一度NHK以外のすべての仕事を辞めることにしました。

引き留めてくださった方もいましたが、きっぱりと小説に転向。ちょうど2か月後に「すばる文学賞」の締め切りがあったので応募して、その年の秋に受賞が発表されました。それから5年、なんとか小説家としてやっています。

3.11を経験しなかった罪悪感を小説に

私は昨年の東日本大震災の時、夫の転勤先であるシンガポールにいました。あいにく夫は出張中で、家に独りでいました。震災に気がついたのは、一時間後ぐらいでした。

その後、2日間家に籠ってNHKで震災の映像をずっと見ていました。日本はどうなってしまうのか、とあの時はとても不安でした。

新聞を買うためにスーパーに行ったところ、私が日本人だとわかると、まわりの欧米人は皆「家族は無事か?」とか「日本は大丈夫」などと励ましの声をかけてくれたのを覚えています。

私はその2週間後の3月26日に、シナリオ・センターで「THEミソ帳倶楽部」の講演をする約束をしていました。小林代表と連絡を取り合い、帰国することを決めました。

日本に戻って皆さんの前で話をしたことが、今でもすごく思い出に残っていますし、参加した方々が熱心に聴いてくださったおかげで大変な力をいただきました。あの時の参加者の方には、心からお礼を言いたいです。

でも、その講演で、私は自分が震災当時にシンガポールにいて、地震に遭わなかったことを言えなかったんです。みんなと一緒に震災を体験できなかった、一緒に苦しめなかった罪悪感とでも言いましょうか。それがつらくてたまりませんでした。

そして、数か月経つうちに、小説家の職業病かもしれませんが、この気持ちを小説の題材にしたらどうかと考えるようになったんです。

海外で独り、3.11を迎えた女性が、部屋に籠ってテレビの被害映像を観ながら、第2次世界大戦を何らかの理由で経験しなかった祖母の気持ちを考えるという、内向的な物語でした。

私は2~3年後に小説として発表できればいいかなと考えていたのですが、NHK大阪局のディレクターに雑談として話したところ、それをラジオドラマとして書いてほしいと言われました。

色々と話し合った結果、大阪局から発表するには阪神淡路大震災を絡めようということが決まり、第2次大戦を経験できなかったお婆さんはハワイ移民だったという設定になりました。

生き残ってしまった人が感じる苦しみや罪悪感を意味する『サバイバーズ・ギルト 私のいない街で』というタイトルで、震災から約半年後の10月1日に50分の作品としてOAされました。

大阪出身のキャストを中心に、素晴らしいスタッフで制作されました。私も夢中で書きましたし、ハワイ移民についてもたくさん調べました。

ただ放送が終わった今の気持ちは「自分の力不足だったな」という思いです。たった半年でこういう話を発表することは、大変、難しい取り組みだったと感じています。私の力足らずで関係者にも申し訳ないことをしてしまった。この気持ちを、私は一生背負っていくことになると思います。

もし震災について書こうと考えている方がいたら、一度よく考えて、後悔のないようにしてほしいですね。私も、自分の気持ちを消化できた時に、この物語を小説として発表するかもしれませんが、それは先の話で、まったく違う形になるだろうと思っています。

小説を受け止める側の変化

文芸誌の中では『新潮』が一番震災を意識しているという印象がありますが、東日本大震災を取り上げた作品はまだあまり多く出てきていないというのが現状です。別に雑誌側が書くのを止めているというわけではなく、「書きたい」という作家が出て来るのを待っている状況ではないでしょうか。

なぜ作家にためらいがあるのか。震災を物語として書くためには、その作家の中である程度「震災は終わったこと」として片付けられているのではないかと読者に受け取られるのを恐れているからかもしれません。まだ何も終わっていないし、現在進行形の問題です。それを物語にするのは難しい。

私は去年『東京ロンダリング』と『人生オークション』という小説を出しました。

どちらも、震災前に書いた作品ですが、取材のインタビューで「これは震災を意識して書かれたんですか?」と聞かれることが多く、作者としては意外でした。「読者はそういうふうにとらえるんだな」と驚きました。書いたものは変わってなくても、読む側が変わっているのです。

仙台出身の伊坂幸太郎さんが去年5月に「群像」で発表した『PK』という作品には「勇気は伝染する」という印象的な一文があり、読んだ方から「元気が出た」という感想が多かったようです。

しかし、伊坂さんがこの作品を書かれたのは震災よりずっと前のこと。震災後、受け止める側が変わってきているので、書く側が変わらなくても、たとえ震災のことを描いていなくても、何かそう受け止められる面はあるのかもしれません。

真摯に書いた物語であれば、それが震災前とか震災後とかいうことは関係なく、読者を動かすのではないかと思います。

また、伊坂さんは『仙台ぐらし』というエッセイ集を出されていますが、その中に、震災後に喫茶店でパソコンを開いていたら、ファンに声を掛けられた話が紹介されています。

その人は「また前みたいに面白いものを書いてくださいよー」と言われたそうです。伊坂さんは「そっか、面白いものでいいんだ」と気が楽になったそうです。

伊坂さんの『仙台ぐらし』には、震災後のことについて書かれたエッセイが数編と短編が1つ載せられています。いずれも短いものですが、それを読むと不思議と心が休まるすばらしい作品です。それは伊坂さんのお人柄によるものもあるのかもしれません。

作家の視点も変わった

私自身は、今年「群像」5月号に『アイビーハウス』という小説を書きました。安く売りだされた二世帯住宅に2組の夫婦が住み始めて、そこに変わった女性が訪ねてくるというストーリーです。

また「すばる」6月号では『来星』を発表します。

こちらは50代の女性がシンガポールに行って自分の人生について考えるという話です。私自身はっきりと意識して明確に示したのは、いずれも2010年の話だということ。

どちらも震災には関係ない物語なので、2011年にしてもよかったんです。でも、そうした場合は登場人物が震災にどう向き合ったのか、どういう気持ちになったのかを描かない訳にはいかないですよね。

私の震災以前の作品と、この2作品の違いは、「この登場人物たちは2011年3月に震災を迎える」ことを、作者は知っていることです。もちろん読者の皆さんも。それが、これまでの物語とは、大きく違う点です。

震災と関係ない物語であっても、作家の視点は震災前後で確実に変わってきているだろうし、読む側も同じだと思います。

「日本、気を付けて」

立川志の輔さんが去年夏に、シンガポールでの落語会にいらした時に、空港職員から書類の不備を注意されたそうです。

すぐに書類を出して事なきを得て、ハァと安心していたら、その職員に日本語で「気を付けて」と言われたそうなんですね。志の輔さんがびっくりして現地のコーディネーターに訊いたところ、震災後に空港職員が何かできることはないかと相談して、日本語の勉強を始めたというんです。

それを聞いて私は思ったんですが、きっと世界中の人が今「日本、気を付けて」と思ってくれていると思うんです。「転ばないで、まっすく歩いて行って」と。私たちは世界中の人たちから応援されているんだということを忘れないで欲しいですね。

ひとつ宣伝をさせてください。皆さん、あまり文芸誌(文学界、群像、すばる、新潮、文藝)を読むことはないかもしれません。でも、ぜひ一度、書店で手に取ってみてください。

こうした文芸誌を作っている編集者や作家たちは、新しいものを作っていこう、文学の最先端であろうとしているのではないかなと思うんです。小説だけでなく、エッセイや評論なども載っていて、非常に読み応えがあります。文芸誌を読むことがカッコイイというふうになれば、私も嬉しいです。

最後にもうひとつ。

1年前の講演で受講者から「アイデアのメモを、小説の形に持っていくにはどうしたらいいか」という質問を受けました。その時は「毎日小説を読んで、愚直にやっていくしかないと思う」と答えたのですが、その後もうまく答えられなかったことが、ずっと気になっていました。

アイデアには2種類あります。
それだけで1冊の本の題材になり得るような大きなアイデア。
ちょっとした1シーンやキャラ設定にのみ使えるような小さいアイデア。

この、大きいアイデアと小さいアイデアを分けておくといいと思います。
色分けしてもいいですね。そうすると、後から見直した時にそこから着想しやすい。

1年越しになってしまいましたが、この質問をしてくれた方に伝わればいいなと思います。

出典:『月刊シナリオ教室』(2012年7月号)より
THEミソ帳倶楽部スペシャル「エンタテイメントにできること」
原田ひ香(小説家) 2012年4月15日採録

プロフィール:原田ひ香(小説家)

2006年、NHK 創作ラジオドラマ脚本懸賞公募にて最優秀作受賞。2007年には「はじまらないティータイム」ですばる文学賞受賞。『母親ウエスタン』『虫たちの家』『ラジオ・ガガガ』『三千円の使いかた』『まずはこれ食べて』『口福のレシピ』『一橋桐子(76)の犯罪日記』『古本食堂』『ランチ酒』シリーズ『三人屋』シリーズなど著書多数。

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