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小説の一人称と三人称

「シナリオのテクニック・手法を身につけると小説だって書ける!」というおいしい話を、脚本家・作家であるシナリオ・センター講師柏田道夫の『シナリオ技術(スキル)で小説を書こう!』(「月刊シナリオ教室」)からご紹介。
今回は、小説の一人称と三人称について。特に三人称は、シナリオを書いていた人が三人称で書くと、小説としてのクオリティを下げてしまう場合があります。まずは一人称の“おさらい”からしていきましょう。

一人称おさらい

小説を書く際の「人称」について、まず初心者が入りやすい一人称について述べてきました。

一人称は語り手を「私」「僕」とすることで、書いている作者自身の思いや感慨を重ねやすい。

反面、いわゆる「自分語り」となるために、日記やエッセイ、ブログ的になりがちです。一人の人物だけの行動なり視点で展開しなくてはならないので、ストーリー展開が限定されたり、視点者以外の人物の感情や状況の描き方(伝え方)が難しくなることもあります。

入りやすさの反面、実は難しい手法でもあるわけです。

ショートショートや400字で30~60枚くらいまでの短編、あるいは私小説的な作品を志向されるのでしたら、一人称が書きやすいかもしれません。

ある程度の長さの小説、さらにはエンタメ系の小説を書きたいと思う方は、一人称はあまりオススメしません。

ともあれ、一人称でおもしろく物語を展開させ、読者を引っ張っていくのは、書き手の力量が求められます。

それでも一人称で書こうとされる方は、まず心得として、あなたの「自分語りで、赤の他人である読者をおもしろいと思わせることができるか?」と問いかけてから書き始めてほしい。

神視点小説はすべて落選?

さて、これに対するのが三人称ですが、三人称を理解するために、神視点(多視点)について述べておきます。

というのは、シナリオは三人称多視点で書かれるため、シナリオを書いていた人が三人称で小説を書くと、ともすると神的な視点で書いてしまい、小説としてのクオリティを下げてしまうケースが見られるからです。

まずは「神視点ではない三人称」をしっかりと理解した上で小説とすることが、脚本から小説にするための必須条件でもあるのです。

神視点とはどういうふうに書かれるものか。以前サンプルとした九州から上京してきた18歳の少女の物語。

【日野真美は人混みに揉まれながら渋谷の交差点を渡った。喜びを通りこして圧倒されている。歩きスマホの女子高生にぶつかり、ガン見された。怖い。

そんな真美に職業的な嗅覚で接近してきたのが佐倉徹だ。24歳のキャバクラのスカウトマンの佐倉からすると、まだ18歳の真美なんてウブな羊にしか見えない。

渋谷は若者の街、聖地でもあるが、危険な落とし穴や罠が仕掛けられたジャングルでもあるのだ。】

お分かりでしょうか。こうした書き方が三人称多視点、いわゆる神視点の書き方です。作者自身が神的なポジションで、それぞれの人物たちの動きや心情、情報などを述べてしまう。

実はこうした神視点小説も昔からあって、間違った書き方ということではありません。

例えば、芥川龍之介の諸短編『鼻』『芋粥』『蜘蛛の糸』などは、作者が客観的に人物を紹介しつつ、彼らについての物語を綴るという神的視点で書かれています。

ただ芥川の短編は、そこからその人物の物語として展開させており、むしろ意図的な神視点となっていて、寓話、小説としての完成度を高めています。

ですが、神視点は日本のエンタメ系小説ではほとんど認められていません。

大沢在昌著『小説講座 売れる作家の全技術』(角川書店)の中で、受講生の質問に答えて、大沢氏は「もしも私が新人賞の選考委員なら、神視点の作品はすべて落選にします」と断言しています。

ただし、この指南書は、大沢さんの専門のミステリー小説を書くことを想定しています。その場合はという但し書きがつきますが。神視点の続きはまた次回。

出典:柏田道夫 著『シナリオ技術(スキル)で小説を書こう!』(月刊シナリオ教室2015年1月号)より

次回は12月の第4土曜日に更新予定です

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