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アニメと実写を撮影するときの違いとは/映画監督・原恵一さんに聞く

シナリオ・センターでは、ライター志望の皆さんの“引き出し=ミソ帳”を増やすために、様々なジャンルの達人から“その達人たる根っこ=基本”をお聞きする公開講座「ミソ帳倶楽部 達人の根っこ」を実施しています。そのダイジェスト版を『月刊シナリオ教室』(今回は2013年11月号)よりご紹介。
ゲストは『クレヨンしんちゃん』などのアニメーション監督として、高い評価を受けている原恵一さん。木下恵介生誕100周年記念映画『はじまりのみち』を監督し、2013年6月に公開されました。講座当日は、初の実写映画を撮られた原監督においでいただき、アニメと実写の違いや共通点について、そして木下恵介監督に対する想いについてもお話いただきました。

「脚本を書いてほしい」と依頼を受けて

『はじまりのみち』の企画の初めは、「脚本を書いてほしい」という依頼からでした。

木下惠介監督が戦時中に、脳溢血で倒れた母をリヤカーで運んで疎開させたという実話で、木下監督が毎日新聞に寄せた短いエッセイが基になっています。

これだけの情報しかない原案を、1本の映画にしたいと言われ、長編にするにはどうしたらいいのだろうと、正直なところ最初は困惑しました。

内容的にも「親孝行の息子」「息子想いの母」という美談じゃないですか。でもそれだけで終わらせたくなかったんですね。当時は木下監督にとって特別な時期だったということも考えて、話を膨らませていきました。

その頃、木下監督は『陸軍』という戦意高揚映画を撮ったんですね。国策映画ならではのエキストラ大量動員で、出征する部隊を見送る人々を描きました。ラストには10分近く行進を映していて圧巻です。

ところがそのシーンの母の描き方が、軍から「女々しい」と評され、次の作品を撮れなくなってしまったことから、木下監督は松竹に辞表を出しました。その時期が、このリヤカーで疎開させる時期と重なっていたわけです。

また、評論家の長部日出雄さんの『天才監督 木下惠介』という本の中でも、疎開時のエピソードが書かれています。途中で一行が宿泊した「沢田屋」という宿の主人らが、惠介が泥だらけの母の顔をていねいに拭い、髪を梳った様子を見て、「世の中にはこれだけ母想いで、心優しい男の人がいるのか」と驚いたと。映画の中でも、これはひとつのハイライトシーンとなっています。

このように、木下惠介という人は、父母を何の衒いもなく尊敬していて、長部さんは「木下惠介の生涯は、一面において母恋の一生であったのではないか」と書いています。

※You Tube
松竹チャンネル/SHOCHIKUch
映画『はじまりのみち』予告編

評価されていない木下惠介監督

私は元々木下惠介作品が好きで、あちこちでその話をしていたおかげで、今回の脚本の話が来たのですね。脚本を書いてみたら、思っていた以上に上手く行った気がしたので、ここまででお役御免になるのはイヤだと思い、自分から「監督もやらせてほしい」と申し出ました。

脚本の依頼があった時点ではまだ製作できるかどうかも決まっていなかったので、私が手を挙げた時にはまだ他の監督候補はいなかったと思います。

私はこれまで『クレヨンしんちゃん』シリーズや『カラフル』、『河童のクゥと夏休み』などアニメ映画では何本も監督してきましたが、実写は今回が初めてでした。果たして実写で撮れるのか、自信があったわけではなかったんです。

ただ、私はずっと「なんで木下監督は世の中で評価されていないんだろう」と怒っていた。「なんでみんな観てくれないんだろう、観てくれればわかるのに」と。世界でも評価の高い黒澤明や小津安二郎と同列に並べて遜色のない監督です。

そう信じて個人的にキャンペーンをしてきたのですが、それを仕事で大々的にやれと言われたら、ちょっとビビった(笑)。責任重大です。自分が言っていたことが正しいと証明しなければいけないわけですからね。ということで、非常に緊張感を持ってこの仕事に臨みました。

濱田岳さんが演じた「便利屋」は、木下監督が母を疎開させた時に、実際に同行したという記録があります。でも、彼についての情報がほとんどなく、苦労しました。初めは寡黙な初老のオジさんというイメージで考えていたんですが、どうにも邪魔くさくて。

ふと「情報がないなら勝手にキャラクターを作れるな」と思い、年齢を思い切り若く設定して、木下監督とは真逆の、軽薄で下品なキャラクターにしてみたんです。「大事なお母さんを、なんでこんなガサツな奴と一緒に運ばなきゃいけないんだ」と木下監督が思うような。

「でも彼は実は~」という設定を思いついたところで、これは上手く行くと確信しました。松竹映画なので、寅さんのイメージにならないようにという点だけ、気を付けましたけど(笑)。

脚本の直しはそれなりにしました。分量とか、予算的なことで実現できないシーンを欠番にしたり……。これはアニメではほとんどないことです。絵を描けばどんなシーンでも実現しますからね。今の日本で時代劇を撮るのがこんなに大変なのかと実感しました。

どこに行っても現代物が多すぎて。電信柱とガードレールには参りました。それさえなければすごくいい景色が撮れたのにと、ロケハン中に何度も残念に思いました。

最終的には多少ガードレールや電線を画面処理で消したりはしましたけれど、大幅にCGで景色を加工するということは予算的にできませんでした。季節の問題もアニメにはないので、今回が初めての経験でしたね。夏の話なのに、撮影は11月。セリフでは「暑い暑い」と言っていますが、現場ではみんな「寒い寒い」と言ってました(笑)。

映画の途中に『陸軍』の問題のラストシーンを挿入するというアイデアは、プロットの段階で思いつきました。これで作品に魂が入ったような気がしたんです。若い時にこれをテレビで初めて見た時、ビックリしてね。こんな映画が昭和19年に公開されたなんて信じられなかった。戦意高揚映画としては歪んだ作品ではあります。ラストの10分でまったく変わってくる。でもその

10分のすさまじさたるや。「これを知らない人に見せなきゃ」と思ったんですよ。「よし、みんなに見せてやるぞ!」と。

木下監督の生誕100年記念映画でしたので、旧作の断片を入れる発想はありましたが、それをどうやって見せるかまでは考えていなかったので、編集には苦労しました。映像をどれだけ見せるのか、オリジナルの音声を入れるのか。最終的には、映画の最後に木下作品をダーッと並べて、音楽でくるんで見せることにしました。

戸惑った初めての実写

アニメって、基本的には個人作業なんですよね。仕事が完全に分業化されていて、監督は各パートの人との打ち合わせにすべて立ち会う。打ち合わせの後は、担当の人が各自で仕事を進めていくという形です。

スタッフがみんな朝から晩まで顔を合わせて仕事をするってことは、まずありません。でも今回の現場で、初めて体験しました。アニメでは声優さんが後からアフレコしますが、実写だとその場で役者さんがセリフを喋ります。その演技を1回見ただけで、いいかどうか判断しなくちゃならない。これはすごくプレッシャーでした。

アニメでは絵コンテを書く作業の中で、どんな表情で、どんなセリフを言うかを考えます。脚本と違って、絵コンテには秒数まで監督が指定するんですね。秒数をどうするかで、話のテンポまで違ってくる。

ここがアニメと実写の大きな違いだと思います。実写の場合はカメラを回す前の「段取り」で初めて役者さんの演技を見て、違和感があったらすぐに言わなきゃいけないし、良ければ「今の感じで本番行きましょう」。その場その場で何かしらジャッジをしなければならない。今までやってこなかったことだったので、戸惑いましたね。

これまで、とか社員教育VTR、企業PRビデオなど、実写の現場は経験してきましたが、本格的な劇映画は初めて。慣れてはいませんでしたけれど、同じシーンを何度もやり直してもらったりは特にしていないです。見ていて何の違和感もなければ一発OKも出していましたし。ボーッとしているわけにはいかないので、ちゃんと集中してました。

カット割りが最大の悩み

役者さんが、セリフに書かれていないアドリブの動きをしてくれるというのはアニメではないことです。私がカットを掛けるまで、ずっと動いてくれているんですよね。それが観ていてすごく楽しかったし、新鮮でした。

シナリオが決定稿になってから製作決定になるまで少し時間が空いて、決まってからはすぐに撮影に入らなければいけなかったので、絵コンテを描く時間がなかった。なので、カット割りをどうしようかというのが最大の悩みでした。自分なりに考えてはいたんですが、どうも割り過ぎだったようなんです。

これもアニメと大きく異なる点です。実写でカット数が増えるということは、それだけ時間がかかるということ。撮影が終わってから言われて気付いたんですが、役者さんやスタッフにとって、今回は相当タイトなスケジュールだったようです。だから、時間的に無理で撮りこぼしたシーンもありました。そのせいか、どんどん消化していかなければいけないという空気が、現場にありましたね。

普段私は、絵コンテ用紙に向かって書いたり消したりしながら作っている。その場で考えるということはしたことがないので、急にやれと言われても無理だなと思いました。現場ではカメラマンがカット割りの提案をしてくれて、その通りに撮ってラッシュを見てみたら非常に映画的だった。

なので、ほとんどカメラマンさんにお任せして、時間的に余裕がないシーンなどは部分的には絵コンテを描くという方法で撮りました。

アニメーション『クレヨンしんちゃん』

『クレヨンしんちゃん』で言うと、1本目の『アクション仮面VSハイグレ魔王』については脚本があったんですね。この時は監督ではなく、演出や絵コンテで参加していました。

まさかの2本目をやることになり、脚本を書いている時間がなかったので、監督が書いたプロットを基にして、いきなり絵コンテを描くという方法を取りました。

以降、私が監督した作品は全部同じやり方です。脚本がない状態で、絵コンテを文字にすればそれが脚本になるということです。

基本的には監督が絵コンテを描きますが、スケジュールがタイトだったりすると、他の人に頼むこともあります。とにかく監督としての一番重要な仕事が絵コンテ。絵コンテをきちんと作っておけば、そうそう変な方向にはいかない。

絵コンテは、秒数、セリフや表情だけでなく、画面にどういう処理を施すかという演出も含まれます。現場の人がそれを見れば、どういうものになるかわかるというものです。アニメにおける絵コンテは、編集作業も含まれていると考えていいですね。

プロットに関してはあまり綿密に考えるというわけでもないです。絵コンテにする段階で頭をギュウギュウに絞る。セリフも絵コンテの時に一生懸命考えます。

『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』のストーリーは、絵コンテを描いている最中に、大人びた映画のアイデアが生まれました。でもすごく悩んだんですよね。このまま映画にしたら、「クレヨンしんちゃん」失格になってしまう。

でも、映画としてどちらがいいか考えたら、大人びたストーリーの方がいい。もうクビ覚悟でそちらを選びました。幸い、公開してみたらお客さんの反応が良かったんですよね。それで気付いたんです、こういう映画を作らなきゃいけないなと。私自身、しんちゃんの世界を小さく考えすぎていたんだなと思いました。

『嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』でも、結末についてすごく賛否両論がありました。メインキャラクターの武将が、最後に死ななくてもいいんじゃないかと。でも『オトナ帝国』で発見があったので、死ぬ方向でやらせてもらいました。そのジャッジも、最終的には原作者の臼井儀人さんにお任せしたところ、このプロットでいいと言ってくれたので、そのまま作品にしました。

『河童のクゥと夏休み』と『カラフル』

『河童のクゥと夏休み』では、一応クレジットでは「脚本」となっていますけれど、脚本の形にはせずに先ほど言ったように絵コンテを描いたという意味です。

1980年代の後半くらい、日本のアニメのほとんどが人気マンガの原作もののみでした。人気マンガありきでしかアニメを作れないのはイヤだなと思い、それまであまり読んだことがなかった日本の児童文学を漁ったんです。

色々読んだり買ったりしましたが、ほとんどがガッカリでした。現代が生かされておらず、面白いと思わなかったんですよ。『河童のクゥ~』の原作である「かっぱ大さわぎ」「かっぱびっくり旅」に関しては、子どもで未熟な河童が江戸時代から現代によみがえるという発想が面白いと思いました。ハードルは高いと思いましたが、これが一番やりたい作品でした。

プロデューサーが企画書を持ってあちこち回ったら、ある人に「この企画は金の匂いがしないよ」と言われたとか(笑)。プロットにして、まだ作れるかどうかわからないうちに絵コンテを描き始めたんですね。描き終えたら分量が3時間ちょっとあって、単発公開のアニメでそれは長すぎるでしょう。短くするのが大変でしたね。

だいぶ原作から変えた部分もありますが、原作者の木暮正夫さんは、「どんな形でも映像化されるのであれば任せます」と言ってくれました。製作に時間がかかったため、完成前に木暮さんが亡くなってしまったのが残念です。

その次の『カラフル』の脚本は丸尾みほさん。初めはそんなに長くないアニメーション映画として出来上がる予定だったんですが、脚本から絵コンテを描いているうちに色々なアイデアを思いついて膨らませていったら、2時間超えの長さになってしまいました。

原作の森絵都さんの小説はアニメ向きの原作ではないんです。でも、作るなら原作の良さを活かしたいと思った。アニメならではの要素をなるべく入れず、原作に沿って作りたいと思いました。それは非常に勇気のいることでしたけどね。アニメでは現実から瞬時に非現実の場面に移るという演出もできるわけですが、そうせずに我慢して。現実にカメラを据えて役者を撮るという感覚で作りました。

この映画のクライマックスは家族の食事のシーンです。普通のアニメーションでは、そのアイデアは通らないと思いますが、結果的に、それで正解だったなと思いますね。

映画作りのお手本は木下作品

高校卒業後、大学の普通の学科に行くのはイヤで、絵を描くのが好きだったので、美大に入りたかったのですが、学力が悲惨だったため(笑)、アニメーションの専門学校に入りました。子供の頃から親の影響で映画はよく観ていたんですよ。

テレビで毎日のように洋画劇場を観ていた。専門学校に行き始めてから、「東京ではこんなにたくさん映画をやっているのか!」と驚いて、映画館通いを始めたんです。生涯で一番映画を観た時期。それが今役に立っていると思いますね。黒澤に出会い、小津に出会い、木下惠介に出会った。

他の人と同じく、木下監督と言えば『二十四の瞳』くらいしか印象になかったんです。ところが色々な作品を観てビックリです。コメディは上手いし、『永遠の人』なんて観たら印象変わりますよ。私にとって、映画作りの一番のお手本が木下監督です。それくらい、初めて木下作品を観た時には驚きました。弱い感情の積み重ねで、これだけ大きな感動になるというお手本ですね。

昨今、東京都の条例などで表現が制限される動きがありますが、木下監督が戦時中に受けていたほどの検閲はないですよね。でもその経験があったからこそ、戦後にあれだけの作品を作れたのかもしれません。プロの人で、作りたいものを作れている人なんて、いませんよ。何らかの成果を期待されたり、制約をかけられたり。他人のお金でモノを作る限り、そういうことは常にあります。

ただ、戦中じゃないので、私たちが受ける制約なんて大したものじゃないですよ。頭をひねって考えるしかない。制約が新しいアイデアを生むキッカケになることもあります。意外と「あの時否定されたおかげで良いアイデアが浮かんだよ」ということも、たまにはある。そういう気持ちでやった方がいいんじゃないかと思います。

「シナリオ」誌で桂千穂さんが「映像の世界で間違いなく成功する方法がある。それは骨絡み尊敬し、私淑する映画人を持つことだと思う」と書いたコラムの中で、以前お会いした時に私が「木下惠介が好きだ」と言ったエピソードを紹介してくださっています。

まさにその通りだと思います。誰かを好きになること、それがプロになるひとつの近道じゃないかと思いますね。その「誰か」は木下惠介じゃなくてもいいですが、よかったらぜひ、木下作品も観てください。

出典:『月刊シナリオ教室』(2013年11月号)より
〈採録★ダイジェスト〉THEミソ帳倶楽部――達人の根っこ
「映画監督の根っこ~映画『はじまりのみち』を撮って~」
ゲスト:原 恵一さん(映画監督)
2013年6月11日採録

次回は6月25日に更新予定です

プロフィール:原 恵一(はら・けいいち)

映画監督。『ドラえもん』『エスパー魔美』『クレヨンしんちゃん』など、数々の人気アニメの演出を手がけ、『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』(2001)、『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』(2002)では、大人も楽しめるアニメを確立。『嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』で、第6回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞を受賞。『百日紅~Miss HOKUSAI~』(2015)で第 39 回アヌシー国際アニメーション映画祭長編部門審査員賞を受賞。また、東京アニメアワードフェスティバル2015では、『特別賞・アニメドール~Anime d’or』を受賞している。

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