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本打ち の実際:脚本家と監督とプロデューサーと

2014.12.08 開催 THEミソ帳倶楽部「映画『日々ロック』のシナリオができるまで」
ゲスト 写真左から石塚慶生さん(松竹プロデューサー)入江悠さん(映画監督)吹原幸太さん(シナリオライター)

シナリオ・センターでは、ライター志望の皆さんの“引き出し=ミソ帳”を増やすために、様々なジャンルの達人から“その達人たる根っこ=基本”をお聞きする公開講座「ミソ帳倶楽部 達人の根っこ」を実施しています。そのダイジェスト版を『月刊シナリオ教室』(今回は2015年4月号)よりご紹介。
今回は、2014年12月に公開された映画『日々ロック』の脚本・監督をされた入江悠さんと脚本の吹原幸太さん、そしてプロデュースをされた松竹のプロデューサー石塚慶生さんにおいでいただきました。お話によると今回のシナリオ作りは、お三方が中心となり、『日々ロック』の製作が開始するまでの2年間行ってきたと言います。映画のシナリオは、一体どのようにしてできていくのか。普段皆さんがなかなか知ることができない本打ちの実際を忌憚なく語っていただきました。

原作のどこを切り取ればいいのか

石塚:松竹のプロデューサーの石塚です。『日々ロック』の製作が始まるまでの2年間、主に僕ら3人で打ち合わせを重ねてきました。今日はよろしくお願いします。

入江:『日々ロック』の脚本と監督をしました、入江です。よろしくお願いします。

吹原:共同脚本の吹原幸太です。普段は「ポップンマッシュルームチキン野郎」という劇団を主宰して演劇をやっています。

石塚:一番最初に『日々ロック』を映画にしようと思ったのは僕です。「ヤングジャンプ」で2010年から連載している作品で、現在もまだ最終編が続いているんですけれども、完結する前に「映画化したい」と集英社さんにお願いしたのがキッカケでした。

なので、原作の終わり方がまったく見えていない状態で、試行錯誤しながら映画オリジナルの終わり方をしています。監督、最初に原作を読まれてどういう印象でしたか?

入江:僕は、映画で原作ものをやるのが初めてでした。マンガの『日々ロック』は知っていましたが、初めに思ったのが「終わってないぞ」と(笑)。

音楽映画のノウハウはあるけれども、終わっていないマンガを脚色するにはどうすればいいんだろうなぁと。それが最初の印象です。

石塚:ここから僕のムチャぶりが始まりましたね(笑)。

入江:ボンクラな主人公がロックだけを頼りに生きていくというこの原作は、僕の好きな世界観です。ただ、どこを切り取って2時間の映画にすればいいのかというのは悩んで、紆余曲折がありましたね。

最初「好きに書いて」と言われて、僕は原作第1巻の高校生編を書いたんです。3人のボンクラなロックバカが「よし、一旗揚げてやるぜ」っていうところ。

そうしたら、「ヒロインがいない」「男しか出てこない」とダメ出しを受けまして。というか、ここにいる石塚プロデューサーからなんですけど(笑)。メジャー映画では、ヒロインがいないと厳しいというのは、正直目からウロコでした。

石塚:プロデューサーとしては、いわゆる「作品のスケール」を気にしていたんです。配給にはサイズがあって、松竹で製作するからには、全国規模で公開する作品を作る、というのが会社から課せられているミッション。つまり、ある程度、万人に受けるように作らなければならないんですね。

作りながら決めたテーマとゴール

入江:ちょっとムッとはしましたが(笑)、よーしやってやろうと思いました。この段階くらいから吹原さんに入ってもらったのかな?

吹原:そうですね。

石塚:入江さんと僕の2人だけでは正直ちょっと煮詰まっていたので、途中から参加してもらったのが吹原さんでした。

吹原:僕が新風を吹き込んだ、と(笑)。入江さんの書いた脚本を拝見して、すっごく面白かったんですけど、一方で石塚さんがおっしゃることもわかるなぁと思って。

それなら、上京後の話にシフトして、宇田川咲という女の子を登場させてはどうかと提案しました。

入江:そこからですね、今の話の原型が出来上がってきたのは。

吹原:そこからも長かったです(笑)。丸1年以上、たしか23稿までいきましたっけ。

石塚:原作の第3巻で登場する宇田川咲という子は、主人公に大きな影響を与えるキャラクターですね。

入江:マンガの中では、咲はずっと主人公たちと関わっていく、そういう重要なキャラクターでした。でも脚本を考えている時点では、原作の中で登場してからまだそんなに経っていない時でしたね……。

石塚:咲のキャラクターが、この先どうなっていくかよく見えないという状態で、この時に、ヒロイン像や物語全体のイメージについて、結構話し合ったような覚えがあります。「ボーイミーツガール」感というか。

入江:吹原さんが書いたホンで、僕にはなかったところが、まさにその「ボーイミーツガール」的な部分です。「ガールミーツボーイ」なのかもしれないですけど。

まったく別の価値観の人とぶつかって、上位のレイヤーに行く、ちょっと世界が広がるという話になればいいんだなと。腑に落ちました。僕の中では『ローマの休日』を意識していました、一番近いモデルケースとして。

吹原:それ、よく言っていましたね。

入江:どん底の日々沼くんと、王女の宇田川咲。天と地の存在が出会って、物語が転がり出すという構造が出来るんじゃないかと。それが見えたのは割と早い段階じゃないかな。

吹原:そうですね、その流れは最初の方で既に見えていましたね。あとは、2人の感情がどうやってつながっていくのか。恋愛なのか、そういう感じではないのか。そこを決めなきゃいけないなというのはありました。

石塚:結局2人の関係は、恋愛までは至っていないですが、それは監督の中ではどうだったんですか?

入江:それはたぶん、僕が男兄弟で育って、男子校だったというだけですね(笑)。恋愛が苦手っていうか。高校時代も、共学のやつは死ねと思ってましたから(笑)。

吹原:僕もなんですよ。できることなら恋愛は描かないで済ませたい(笑)。そのことは、早い段階で2人で話し合いをしましたよね。

入江:そう、恋愛は他にもっとうまい方がいるので。僕は最初に男3人の高校生編を書いたくらいですから、恋愛じゃないところで2人が影響し合うようにしたいと思ったんです。

石塚:そういう意味では、作りながらテーマを探っていったというか、ゴールも決めていったという気がします。

※You Tube
シネマトゥデイ
映画『日々ロック』予告編

歌で化学反応が起きるように

入江:あと、これは音楽映画でもあるので、歌をどう聴かせるかということについて結構悩みました。一番悩んだのが、クライマックスのライブをどう見せるか。

石塚:自分で言うのもナンですけど、結果的にはミュージカル映画に近いという気がしました。作品の中では5~6曲の歌が歌われるわけですけど、歌詞が登場人物の心情とシンクロしている。

これほどまでにシンクロしている日本映画はあんまりないんじゃないかな。昨今の日本の音楽映画では、音楽がツール化していますよね。

吹原:アイコンのように使われています。

石塚:そういったものとは真逆な映画になったと思っています。歌詞に対する思い入れや、歌詞の描き方については、どう脚本に反映させていったんでしょう?

入江:『SR サイタマノラッパー』という自主映画のシリーズを撮っていた時から思っていたことですけど、歌詞はメッセージだと。抽象的な歌詞であっても、物語の中で1曲3分とか歌うわけじゃないですか、それが誰かに対するセリフになっていないと面白くないなと。

ただ「歌っている」現象を描くだけではつまらない。3分間分の化学反応が起きてくれないとイヤなんです。今回の作品でも、登場人物の成長と共に歌詞も深まっていく、誰に向けて歌っているのかも明確になっていく、という構造にしたんです。

石塚:そういう意味では、曲のセレクトと歌詞の作り方っていうのは、大変だったんじゃないですか。『SR~』と比べてどうですか?

入江:基本的に歌詞作りに関しては同じでした。『SR~』はラップなので、楽器の演奏がある分、『日々ロック』の方が大変でしたね。

あと、映画の中で何回ライブをするかというのも、相談しながら決めていきましたよね。多すぎたらライブDVDを観ているみたいになっちゃうし、少なすぎても物足りない。

吹原:入江さんがよくおっしゃっていたのは、ライブシーンを経て主人公たちに何か劇的な変化がないなら、やらない方がいいって。成長を表現するためにあるから。

石塚:本当にそういうところもまさにミュージカル映画ですよね。『アナと雪の女王』なんて、最初の姉妹の葛藤、両親の死をたった3分間でやっちゃう。

あのダイナミックさはミュージカル映画の良さでもある。『日々ロック』でも、ライブシーンがあることで、前後の主人公たちの動きが変わってきている。

入江:一番イメージしていたのがアクション映画。アクションをしたら、そこで何かが起こっていないと。ヤンキー映画でも、ケンカして仲良くなってというジャンプ的な構造あるじゃないですか。それに近いことがライブシーンにもある。

今話していて思ったんですけど、たぶん映画『海猿』も同じで、無駄な救護活動に行くなら、それを描く必要はない。

石塚:救護に行ったからには、大事な人を助けられたとか、助けられなかったとか、つまりそういうことですね。今までに観たアクション映画で、影響を受けた作品はあります?

入江:僕はジャッキー・チェン世代なので、『プロジェクトA』ですね。アクションを通して3人が仲間になっていき、最大の敵を倒すという構造が、僕の中での原体験で、アクションシーンも香港映画の影響がありますね。

吹原:僕もほぼ同世代なので、『プロジェクトA』や『ポリスストーリー』です。

悩んだクライマックスのライブ

入江:一番悩んだのが、クライマックスのライブです。石塚さんがおっしゃっていた、音楽映画のクライマックスって、ライブでしかないじゃないですか。あえてそれを外すって手もありますけど、今回は直球の映画なので。

石塚:ほんとにむずかしかったですよね。しかも原作ではまだ帰結点が見えていないので、我々サイドで、誰も見たことのないライブシーンをどう作るか、考えなきゃいけなかった。そこだけで半年以上かかっていますよね。

入江:富士山にシナハンに行きましたね。

石塚:そうそう、「富士山の頂上でライブをする」っていうシーンを、一度書いたんですね。

吹原:打ち合わせでそういう話になったので、じゃあ書きましょうって。結構良かったんですよね、あれはあれで成立していましたよ。

入江:なんで富士山になったんでしたっけ?

吹原:咲がフジロックに出たいっていう設定を思いついて、フジロックに出られないなら僕たちだけの「富士」ロックをやろう……ってことだったんですよ、たしか。

石塚:しかも今のフジロックは富士の麓じゃなくて苗場でやるから、それにも引っかけて。フジロックの関係者に会いに行きましたから。「フジロックの名前を使ってもいいですか?」って。割と簡単にOKが出て。それで3人でシナハンで5合目まで行きましたっけ。

入江:富士登山のスペシャリストの方に話を聞いてね。あの人、あのあと映画の話が来るの、待っていたと思いますよ(笑)。出来てみたら全然違うじゃないかっていう(笑)。過酷すぎて、『剱岳』並みの装備が必要っていうことで、だいぶ舐めていたことが分かりました。

吹原:ラストシーンのためだけに、なぜ『剱岳』並みの撮影をしなきゃいけないのかっていう……(笑)。

石塚:話を聞いたら、富士山で撮影するためには7月と8月しかできないってこともわかった。僕ら、何も考えてなかった……(笑)。

入江:富士山に行ったら、その日のうちに頂上まで行けないことを知って、衝撃でしたね。高山病になるから、途中で1泊して体を慣らさなきゃいけないと。撮影には不向きすぎましたね。文字で書くのは楽ですけどね。

石塚:夢と現実というか、思い付きと現実的なことに齟齬が出てきたところで、さぁどうしようと。振り出しに戻った(笑)。一回、武道館説というのもありましたね。

吹原:そういえば、“あの世説”もありました! 咲の夢を叶えるために、あの世に行ってライブするっていう(笑)。彼女の死に間に合わなくて、拓郎が自分の首を絞めて仮死状態になって彼女を追いかけるという(笑)。結構好きでしたけどね。

入江:今考えると、そんなに無茶な設定ではないですよね。マンガの器が大きいんで、そのくらいぶっ飛んだ設定もできるかなって。結局、もうちょっと現実的なところで落ち着きましたけど、クライマックスについては、一番最後まで悩んでいた気がしています。

ロックミュージシャンからアイドルへ

入江:主人公のキャラクターは、原作があるのでブレなかったですが、咲の方は、原作ではロックミュージシャンですが、映画ではアイドルにさせてもらいました。

石塚:これは監督のアイデアでしたね。

入江:両方ともロックミュージシャンだと、音を聴いた時に、単純に優劣が出来ちゃうなと思って。上手い下手っていう優劣と、売れてる売れてないっていう優劣。

明らかに宇田川咲の方が上になってしまう。また、音に多様性があった方が音楽映画として楽しいだろうなという考えもありました。

石塚:監督は、AKBやももクロの仕事をした時にインパクトを受けたとおっしゃっていましたね。今20歳くらいでアイドルをやっている女の子たちのライブを実際に見ると、ロックのソウルを感じるって。今しかないから燃え尽きようとしていると思うって。その言葉は強烈に覚えています。

入江:カート・コバーンやジミヘンのような往年のロックスターって、若くして夭折しています。今は、アイドルの子たちがそうなっているんじゃないかと。自分の寿命を自覚しながら活動している感じがある。

石塚:現代においては、彼女たちが一番パンクっぽい精神を持っていると。逆に、今ロックバンドをやっている男の子の方が安定路線だったりするんだよね(笑)。

入江:一生やろうとしてますよね。僕の周りの音楽やっている友達も、割とそういう感じで。男女の違いなのかな。

『SR サイタマノラッパー2』では女性の姿を描いたんですが、年齢に対する焦りが強い。売れ残る、売れ残らないっていう。僕が女性ヒロインを出すのならば、そういうところを描きたいなと。

原作ものの脚色とは

石塚:咲はまさにお二人が作り上げた独自のヒロイン像ですね。吹原さんは入江さんの話を聞いてどうコミットしていったんですか?

吹原:咲の造形に関してはまったく同感でした。あと、この話は最後のライブに向かっていく話なので、そのためにはどんな女の子にしたらいいのかなっていうことを考えました。

書いている時、僕は『ロッキー』を想定していたんです。『ロッキー』って、最後の試合シーンに向けてすべてが進む。それ以外のキャラクターは絶対出てこない。

登場人物たちはラストの試合にどういう心理状態でいるかということだけ。すごくストイックな映画です。

それと同じように、咲という子がどういう女の子で、どういう境遇を経て、ラストのライブシーンにたどり着くのか。そのことだけを考えていました。

石塚:原作でも、咲は酒飲みで凶暴な女の子です。そこを活かしつつ、あとは二階堂ふみさんという強烈な女優を得たことによって、より加速化していったというところがありますね。

入江:キャラクターの造形はあまり原作と変わっていないなと思っていて。彼女の環境と職業が変わっているだけなんです。

石塚:つまりマインドは変わっていない。

入江:シナリオの講座なので少し真面目なことを言います。黒澤明の映画に参加していた脚本家の橋本忍さんが、著書『複眼の映像』の中で、原作を脚色する際の心得としてこんな風に言っていました。

牛を1頭連れて来て、その牛を解体して描くのではなく、ずっと牛を見つめた後に、おもむろにブスッと刺す。そこで出てきた血を描くのが脚色なんですって。牛を加工するんじゃないんです。

エッセンスだけを、マインドだけをもらえばいいのだと。だからマインドさえブレていなければ映画にできるのだろうなと思います。

僕が最初に読んだ時の面白ささえ忘れなければ、原作から変えてしまうことにそれほどためらいはないです。原作ファンの人の中には批判する人もいますけど。

そもそもマンガと映画では表現媒体が違うので。あとマンガの中に出てくる歌、あれをどう映像に載せていくか、これが予想以上に難しい作業でした。

石塚:ここで第4の戦力、音楽プロデューサーのいしわたり淳治さんに入っていただいたことでも、だいぶ変化がありました。原作の持っている歌詞の素晴らしさもあるけれど、今回は監督がオリジナルで付け加えたり、脚色した歌詞がかなりありますね。

入江:歌はセリフと同義なので、ちゃんと聞き取れるかどうかを考えました。メロディーに乗っちゃうと、サッと流れちゃうので。

いろんなミュージシャンの方たちが楽曲提供してくださっているんですけど、上がってきた曲の歌詞に対して注文を入れなかったのは、冒頭の曲だけでしたね。2曲目以降は主人公の成長とリンクしていなければならないので。

石塚:いしわたりさんに参加していただいたことは非常にラッキーでした。彼は20歳で作詞家としてデビューしている方なんですね。だから詞に対するこだわりがあった。

入江:ちょっと脚本家に近いなと思った点は、音として残るかどうかに対して繊細なんです。字面だけで音として聞いた時のイメージが出来る。

脚本でも、印刷された文字はいいけれど、俳優がセリフを発した時に、本当にいいセリフかというのは、ちょっと違いますよね。

石塚:自分が書いた脚本を、声に出して読みますか?

吹原:僕は読みます。僕自身が演者もやるので。肌感覚として、読んでみてしっくりくる言葉と、しっくりこない言葉があります。

入江:僕は読まないです。

石塚:今回現場でセリフは直しました?

入江:僕は、現場で足すことはほとんどない。今回でいえば、足したのは蛭子能収さんのアドリブ部分くらい(笑)。

石塚:脚本至上主義というか、一回決めたホンはブレさせたくない、と。

入江:脚本至上主義ですね。建築の設計図と一緒だと思ってるんで。

石塚:でも現場で、「あ、足りない」って思うこと、あるんじゃないですか?

入江:いや、僕はどちらかというと「多すぎかな」くらいのところで脚本を作っておくんです。どんどん削っていく作業の方が好き。

編集でも短くしていく。足すとどうしても説明的になっていく可能性があるので。現場で足すとしたら、笑いの部分とか、面白いところをもっと面白くするとか、悲しいところをもっと悲しくするとか。

石塚:吹原さんは?

吹原:僕も増やすことは基本的にはないです。削った方が絶対に良くなるんです。一回仕上がったものを削ると、悪くなったためしがない。

増やすと蛇足になることの方が多い。考え過ぎで足りない気がしているだけで、むしろ減らさなきゃいけないことの方が多いです。

入江:僕は日本の脚本のフォーマットに関しては絶対的な信頼を置いています。尺はブレない。ページ数が多いものはどうしても説明し過ぎている。いくらト書をていねいに書いたとしても、そんなに変わらないと思うんで。

批判性と普遍性

石塚:ライブシーンは、現場ではカット割りしてないじゃないですか。感覚だったわけですよね。

入江:僕、基本的にはカット割りをするタイプなので、この歌詞の時はこの人を撮るって頭の中で計算はしているんです。

歌詞が今回のお話の伏線をすべて回収していくっていう構造で、お菓子のひよこや干物、それまでに拓郎が歌った曲のタイトル、咲との思い出、そういったものがすべて入っている。

それを歌っている時、聴いている時で2倍の時間がかかりますよね。それで曲を3番まで増やしてもらったので、歌詞もその分作らなきゃいけないということになった。

石塚:僕が吹原さんに「東映スタジオに来てくれ」ってお願いして。監督がスタジオで撮影している横で、こっちは吹原さんをカンヅメにして、1日くらいで書いてもらった。

入江:僕が撮っている最中に、吹原さんがどんどんアイデアを出していくっていう。

吹原:あんなギリギリなことがあるんだって思って(笑)。昔の脚本家はずっと現場に張り付いてやっていたらしいですけどね。

入江:特に最後の歌っていうのは、告白というか、ラブレターのようなものじゃないですか。ていねいに考えなきゃいけないですよね。

石塚:イントロが流れて最初の歌詞が「どうせ僕はギターを手にして歌います」っていうフレーズ。

入江:そう、文法的にはおかしいんですよ。その方が引っ掛かるんじゃないかと。「全然大丈夫です」って言い方あるじゃないですか。

これも文法的におかしいですよね。最初にそれを使ったのは芥川龍之介らしいんです。それが今になっても使われている。

それと同じで「どうせ僕は」。吹原さんから出てきたアイデアだと思いますけど、あ、いいなと思って。

石塚:お2人は日常的にそういう日本語の気になる表現を、チェックしてメモったりしています?

入江:僕は一応、阿久悠の歌詞作りの本とか読みましたよ(笑)。勉強しとこうと思って。時代の感覚をどうつかむかってこと。一周目で出てきた言葉はあんまり使わないとか。ちゃんと引っくり返す。これ大丈夫か?って言葉の方が残る。

石塚:映画の中での「もっと翼広げていこうぜ」っていう名セリフ、あれは真逆なところを狙っているんですね。

入江:J-POPの記号化した歌詞ってあるじゃないですか。お笑い芸人でミュージシャンのマキタスポーツさんが、以前ライブで、クラシック曲の「カノン」に乗せて記号化した歌詞だけで歌を作るっていうことをやったら、それがすっごく感動的でヒットしそうで。

「翼広げて」とか「瞳閉じて」とか。脚本作りも同じで、テンプレートでできちゃう部分ってある。その戒めとして書いたんです。だからこれは「翼広げていこうぜ」って曲を書いてる人に対して、ケンカ売ってるわけ(笑)。

石塚:記憶に残る名シーンになりましたよね(笑)。

入江:僕は映画を作る時に批評性がないとイヤで。この時代の何かが刻まれていないと。

石塚:時代性や流行と普遍性のバランスを、映画を作る時には考えますよね。監督は今回はJ-POPという流行のものを取り上げた。

入江:拓郎が宇田川咲に惹かれていくところや、なぜ歌うのかということは普遍的。この普遍性が無ければ、お客さんの感情を動かせない。それ以外のことはどんどん好きにやっちゃっていいと思っています。

例えば脚本家の福田雄一さんは、バラエティじゃないかってくらい旬なものをぶち込んできます。それはそれで、ひとつの脚本作りだと思うんですよ。ちゃんと普遍性のあるものに落とし込んでいる。それが作家性だという気がする。

旬なものを入れていくのも作家性、逆に排除するのも作家性。それが、なぜその人に仕事を依頼するのかという理由になってくると思う。

石塚:そういう意味では、「入江悠」たるスタンスは?

入江:僕は、流行っているものとか言葉は入れたくない。だから今回、〝ひよこ〟とか干物を出しているわけですけど。

吹原:楽屋に差し入れを持ってくるシーンで、僕が最初にひよこって書いたんですよ。僕自身がひよこ好きだったんで(笑)。

入江:それがすごくよくて。その後もひよこを出すことにしました。

吹原:そこでしか出てこない一言ネタのはずだったのに、ラストシーンにもひよこが出てきて、「あっ、入江さん回収してくれた!」と。

入江:フリは回収したかったんです。ひよこという、忘れかけていたようなお菓子をあえて出すことがよかった。

吹原:ちょっとした思い付きが、重要な小道具になった。

石塚:これがなければ、最後のカタルシスにはたどりつけなかったと思う。

入江:あと、僕は最近、食べ物を出すのが好きなんですね。血を通わせられる気がして。

主人公はどん底から這い上がる

石塚:干物といえば思い出しました。拓郎が干物工場で働くシーンがあるんですが、初めはマグロ漁船だったんですよね。

入江:僕は脚本を書く時に必ず主人公のボトムを作るんです。底辺、どん底のところから這い上がる。

今回でいえば、音楽を諦めてどこに落ちるか。色々考えました。音楽から一番遠いところということで、途中まではインド洋でマグロ漁船ということにしていた。

石塚:この3人が揃うと、とんでもないことを考えちゃうんですよね(笑)。富士山とかマグロ漁船とかね。

入江:でも予算的に厳しいということで。脚本と現実とのギャップですね。そういえば、冒頭で主人公たちが家を失ってライブハウスに住むことになるじゃないですか。それも最初は下水道に住む設定だったんですよ。

吹原 『アメージングスパイダーマン2』とか『ダークナイト・ライジング』を見て、いま時代は下水道だぞと(笑)。下水道で、ホームレスの人に一緒に住ませてもらうっていうシーンでした。それもボトム感ですよね。

石塚:干物工場では、主人公が一緒に働く外国人とコミュニケーションが取れず、音楽を通じて心を通わせていきます。

吹原:松竹さんでカンヅメになった時に書いた覚えがあります。入江さんが「完璧です」って言ってくださった。

入江:インド洋のマグロ漁船だった時も、まったく音楽に興味のない人たちとなぜか音楽を作ることになってしまって、呼び戻されるという話にしていたんです。

底辺なんだけど、再び音楽と巡り合ってしまう。離れたかったのに離れられないという。そこを描きたかった。

石塚:何がやりたいかという点は3人の間で共通認識があったんだけれども、具体的な案がなかなか思いつかない。現実的に撮影できるかどうかも含めて、試行錯誤が続きました。

入江 僕は生物を出したかったので、アジの干物工場ということになって。普通ならギターの練習をしなきゃいけないところ、アジをさばいているという(笑)。

二人のキャッチボール

石塚:入江さんは最初から監督になりたいと思っていた訳でしょう? 脚本はどういう形でやり始めたんですか?

入江:優秀な監督はみんな自分で脚本を書いているって、日芸の先生が言っていて。自分で書かない人もいるけど、その人たちは実は書けるんだと。

自主映画を作るにはお金がかかるけど、脚本はタダだから書けよって言われて、ひたすら書いたんですよね。大学卒業してからもコンクールとか応募していて。

石塚:苦にはならなかったですか?

入江:学校の先生や友達に言われて直す作業は苦になりましたね。プライドが傷つく。でも、途中で放棄するとクセになるから、エンドマークまで書くべしとは言われていました。

石塚:他人の脚本でも撮ろうと思ってました?

入江:思ってないです。今回映画では吹原さんと初めて共同脚本をさせてもらいましたが。

石塚:吹原さんはそもそも脚本家になりたかったのか、演出家になりたかったんでしょうか?

吹原:子供の頃は映画監督になりたいと思っていて。高校では演劇部しかなかったので、ずっと演劇やってたんですけど、大学の劇団で、脚本担当だった奴が逃げちゃって、仕方なく書いたんです。それが最初。楽しかったし、お客さんの評判も良く、劇団が走り出したので、そのまま今に至るって感じです。

石塚:演出と脚本が一心同体になってる?

吹原:なってます。脚本だけというのは、こうして仕事としてやり始めてからです。

石塚:脚本家として仕事を請けるようになったキッカケは?

吹原:やっていた舞台をフジテレビの方が見てくださっていて、連ドラ『オトメン』に起用してくださったんですよね。映像の脚本は書いたことがなかったのに、いきなり連ドラって言われて、最初は訳が分からなかった。

12話中、6~7本書いたかな。柱を立てるってことも知らなかった。ワンシチュエーションの舞台しかやったことがなかったんで。そうしたらプロデューサーに「ハリウッドリライティングバイブル」という本を渡されて。必死に読み込んで勉強したって感じです。

石塚:自分のホンが予想外の演出になることもあるでしょう? どういう心境でした?

吹原:正直いっぱいありました。なんでこんなことに?ってことも……。

入江:監督と脚本家でいい関係を作れることもあると思いますが、僕はむしろケンカ腰に書いてほしいという気持ちがあります。

これどうやって演出する?っていうくらいの。そういう脚本を見ると、オッて思う。読んだ瞬間に演出が思いつくようなものは、あまり面白くない。

そういう意味では、福田雄一さんのホンは意味が分からない(笑)。そういう挑戦状みたいなホンはワクワクします。

一言一句変えずに撮ってやろうという気になります。今回の『日々ロック』も、あまりセリフは変えてないと思います。

吹原:そうですね。

石塚:お二人がキャッチボールした感じ、やってみてどうでしたか?

入江:構成も大事ですけど、やっぱりセリフだと思うんです。吹原さんの書いたセリフは、僕の中から出てこないものがすごく多かったんで、面白かったですね。

セリフって、その人が生きてきた中でのものなので、「こういう話し方が好きだ」っていう脚本家の方のセンスだと思うんです。それが長いセリフの人もいれば短い人もいる。それが見たいなと。特に昔のドラマなんて、ト書すっ飛ばしてセリフだけのホンってありますから。

でも、ある制作会社の人が、最近オリジナルの脚本を持ち込まれることが減ったって言っていました。

僕は以前、「常にカバンの中にオリジナルのホンを入れとけ」って言われて。チャンスがどこにあるかわからないから。そういう人って最近いなくなったなと。でもオリジナルを書ける人が一番強いと思います。

石塚:いやぁ、僕もそう思いますね。オリジナルを書くには相当の根性が必要ですから。

入江:脚色や原作ものを書く作業とはまったく違うので、オリジナルを書ける人は、たぶんどんな脚色もできると思うんです。

石塚:城戸賞を受賞した『超高速!参勤交代』は、オリジナリティが圧倒的でした。ストーリーラインは完璧、それを裏付けてる事実も説得力がある。だから満場一致で大賞になった。

こういう力強い脚本は絶対的に求められているはずですよ。入江さんのおっしゃった、「オリジナル脚本を常にカバンに入れておけ」ということばは、まさに脚本家を目指す皆さんにとって、参考になったのではないでしょうか。

〈採録★ダイジェスト〉THEミソ帳倶楽部――達人の根っこ
ゲスト:入江悠さん(映画監督)、吹原幸太さん(シナリオライター)、石塚慶生さん(松竹プロデューサー)
2014年12月8日採録
次回は10月8日に更新予定です

プロフィール

■入江 悠 (いりえ・ゆう)
2009年、自主制作による『SR サイタマノラッパー』が大きな話題を呼び、ゆうばり国際ファンタスティック映画オフシアター・コンペティション部門グランプリ、第50回映画監督協会新人賞など多数受賞。その後、同シリーズ『SR サイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム』 (2010)『SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』 (2012)を制作。『劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ』 (2011)で高崎映画祭新進監督賞。その他に『日々ロック』 (2014)、『ジョーカー・ゲーム』(2015)、『太陽』 (2016)など。ドラマ演出はWOWOW時代劇『ふたがしら』 (2015)、TX連続ドラマ『クローバー』(2011)、『みんな!エスパーだよ!』 (2013)等。

■吹原幸太(ふきはら・こうた)
シナリオライター。2005年にポップンマッシュルームチキン野郎を旗揚げ。以来、同劇団の主宰・脚本・演出を担当する。脚本家としてTVドラマや映画等、多方面で活動を続ける傍ら、俳優・声優・構成作家としても活動

■石塚慶生(いしづか・よしたか)
映画プロデューサー。2003年に松竹に入社。プロデューサーとして『子ぎつねヘレン』、実写版『ゲゲゲの鬼太郎』、『ひまわりと子犬の7日間』、『はじまりのみち』『武士の献立』などを手掛ける。原田眞人監督作『わが母の記』はモントリオール世界映画祭で審査員特別グランプリ、日本アカデミー賞の12部門で優秀賞を受賞。同作品で、藤本賞・奨励賞を受賞。

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