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落語家 兼 医師の立川らく朝さんに聞く 働きながら夢を追う

2013.06.25 開催 THEミソ帳倶楽部「立川らく朝さん 落語家の根っこ~二足のわらじの履き心地~」
ゲスト 立川らく朝さん(落語家・医師)

シナリオ・センターでは、ライター志望の皆さんの“引き出し=ミソ帳”を増やすために、様々なジャンルの達人から“その達人たる根っこ=基本”をお聞きする公開講座「ミソ帳倶楽部 達人の根っこ」を実施しています。そのダイジェスト版を『月刊シナリオ教室』(2013年11月号)よりご紹介。
ゲストは、落語家であり医師でもある立川らく朝さん。2つのプロフェッショナルな“顔”をおもちです。落語家の道を目指すまでの道のりについてや、医師としての立場が落語にどう生きているのかなど、お話いただきました。「自分が今やっていることがもしかしたら、違う道で活躍するときの最高の“武器”になるかもしれない」と感じると思いますよ!

落語家になりたかった!

立川らく朝でございます。

いやぁ、出囃子がないと出づらいものですね。これだけ地味に出てきたのは初めてです。

北海道から沖縄まで、色々なところから呼ばれて「健康落語」というオリジナルの落語をやっております。ずっと東京にいるとイライラするタイプですから、遠くから呼んでいただくと嬉しいものです。非日常、という感じでね。ですから、こういう風に呼んでいただく場合、遠ければ遠いほど嬉しいんです。

一番つまんないのは、東京都内ね。中でも一番つまんないのは、表参道。だって、私のクリニック、表参道にあるんですよ(笑)。シナリオ・センターが表参道にあるって聞いた時は、来るのやめようかなって思いましたね(笑)。

今日は、自分の話をしろってことでね。自分の話をしたい落語家なんていないから、災難ですね。はっきり申し上げておきますけど、役には立たないですよ。役に立たない話を90分聴かなきゃならない皆さんの顔を見ていると、お気の毒でしょうがない。

この前も、医師会の講演に呼ばれました。普段は、医学情報を笑いと共に提供する「ヘルシートーク」という漫談をやっていますが、医者に向けて健康情報やったってしょうがないし、ヘンなことを言うと「キミ、あそこ間違ってたよ」なんて言われかねない。「じゃあ、医者と落語家の二足のわらじを履くことになった経緯を」と言われ、話をしました。

すると最後に司会の方が「らく朝さん、ありがとうございました。皆さん、今日のお話をぜひ参考になさってください」。思わず「やめてください」と言いましたね、医者がみんな落語家になったら、たまったもんじゃありませんからね。よく言うじゃないですか、「良い子の皆さんは決して真似をしないでください」。今日の話はまさにこれですから。皆さん、覚悟して聴いてくださいね。

私は今、立川流にいるんですが、これは立川談志が落語協会を脱退して自分で立ち上げた協会です。落語界には、「落語協会」「落語芸術協会」「円楽党」「立川流」の四つがある。

そして立川流には3種類の弟子があって、Aコースは本来の弟子。Bコースが社会人の弟子、実際にはビートたけしさんやミッキー・カーチスさんのような有名人です。Cコースはいわゆる素人向けのファンクラブです。私の師匠は、談志の弟子の立川志らく。つまり私は談志の孫弟子ということになります。

私の母校は杏林大学の医学部です。本当は演劇部に入りたかったんだけれどもなくて、作るにしても人数の少ない医学部ではとても無理だと思い、考えた末に落語研究会を立ち上げたんです。落語はお金がかからなくていいですよ。机の上に座布団乗っけたら、すぐに独りでできますから。それで6年間落語をやったら、完璧にハマりました。

6年生になると医師国家試験があって、その試験の後、合否発表まで10日間ほど何もしなくていい期間があります。その10日間、ずーっと真剣に悩んでいました。このまま医者になるか、それとも落語家になるか……。

でも結論が出ない。出ないまま、慶應義塾大学病院内科での研修が始まっちゃったんです。当時の研修医なんて、24時間勤務みたいなものです。で、気付いたら研修が終わってた。次に地方の病院に回されて、その次は論文……次から次へと現実が降るようにやってきて、悩んでいたんだけど結論が出ないうちに、気がついたら40過ぎていたという……寂しいですよねえ。

別に私は落語家になるのを諦めたわけじゃない、決心がつかないまま医者をやっていただけですから。普段は理性に蓋をしているんです。

でも、落研のOB会で酒を飲んで理性が飛ぶと、つい愚痴る。「俺は本当は落語家になりたかったんだよぉ」と。飲み会のたびに絡まれるから、たまらないと思っていたんでしょう、後輩の1人がある時1冊の本を持ってきてくれました。立川談志の本で、題名が『あなたも落語家になれる』(笑)。

そこには何と、社会人を弟子に採ると書いてあるじゃありませんか。すぐ談志の事務所に電話して、すごい勢いで尋ねました。「社会人を弟子に採るというのは、本当でしょうかぁ!?」。

すると出た人が「それねぇ、15年前の本なんですよ」。私が電話口でガッカリしたのがわかったのか、「談志の弟子の志らくが『らく塾』という素人向けの勉強会をやっているから行ってみては」と教えてくれました。

そうして出会ったのが、師匠の志らくです。当時参加者は15~16人いましたかね。最初の半分は講義を受け、残り半分で実技ということで、全員に少しずつやらせるんです。そこで10年ぶりくらいに小噺をやって、それでもう火に油注いじゃったというかね、たき火に手榴弾を放り込んだような状態。やりたくてやりたくてどうにもなんなくなっちゃった。

“Bコースの弟子”となって

「らく塾」には1年くらいいたかな。とうとう辛抱堪らなくなって、志らくに「弟子にしてください」と言っちゃったんですよ。志らくも驚いてね。自分より10歳も年上の、妻子持ちで仕事もあるオジさんに「弟子にしてくれ」と言われたら、驚くに決まってます。「とりあえず事務所の社長と相談しましょうか」という話になって、三者面談をしたところ、「無理ですね」という話になった。

ところが、私があまりにもガッカリしているんで、志らくが気の毒に思ったらしく、助け船を出してくれました。「じゃあ、志らくのBコースを作りますよ」。つまり、客分の弟子としてどうですか?ということです。

客分ですからプロではありません。「落語は教えます、名前もあげます、だけど高座に上がることはできません、レッスン料は頂戴します、それでどうですか?」と訊かれたんですね。どうですか?って言われてもこちらには選択肢はありませんから、「お願いします」って言って弟子になり、らく朝という名前をいただきました。それが44歳の時のことです。

「らく」は志らくから、「朝」は当時の私の落語の語り口が古今亭志ん朝師匠によく似てたもので、そこから無断でいただきました。一度志ん朝師匠にお断りしなくちゃと思ってたけど、お亡くなりになってしまったので、もうこっちのもんですね。

そうして週1回、志らくの自宅での稽古が始まりました。プロの稽古というのは、マンツーマン、師匠が目の前でやってくれるのを、正座して聴く。それを録音して持って帰り、自分で稽古をして、翌週に師匠の前でやってみせる。一言一句コピーしなければいけないんです。もし師匠が間違えたら、同じ箇所を間違えて持っていくくらいの気概がないといけない。芸事というのは、最初は模倣から始まるわけですから。

コピーするのは、そう簡単なことではないんですね。当時の私は人間ドックの医者をやり、別に健康管理のベンチャー企業も立ち上げ、更にNGOとしてエイズ対策企業懇話会も主宰し、産業医もやっていて、そのうえ家に帰れば家事育児。これに落語の稽古が加わりました。

稽古する時間なんてないですよ。子供を寝かしつけるために添い寝をしながら、落語のテープを聴いていたんだけれど、子どもより先に私が寝ちゃう。そうすると子供が私を起こすんですね。でもまたすぐ寝ちゃう。落語は最初の方しか聴けないという状態が続きました。でも次の週にはまた稽古がありますから、なんとかやらなきゃならない。

私のやり方は、とにかくテープを聴きまくる。何度も聴いていると、吐き気がしてきます。志らくの声が聴こえてくるだけで吐き気がする(笑)。それが合図。そうすると、自分でもできるようになるんです。落語を覚えるのは暗記じゃないんですね。

例えてみると、毛糸玉が丸ごと一個頭に入っているようなもの。糸をダーッとたぐっていくうちに、いつの間にか最後まで話ができていた、という感じです。糸が途中で切れていれば、先には進めないんですね。

そうして1週間で必ず1本あげて、師匠の前で一席やり、「いいよ」ということになると次の噺を教えてくれる。それをテープに録音し、次週までに覚えてくる。今考えると、とんでもないペースでした。どんな長い噺でも1週間で上げていきました。

子供を公園に連れて行くついでに、落語を覚えました。ブランコに乗る子供の背を押しながらとか、ジャングルジムのてっぺんに登って子供を監視しながら、ブツブツと稽古していた。しばらくしたら、子供の学校から不審者情報が回ってきました。「最近、公園に不審な中年男が出没しています」(笑)。それで止めましたけどね。

46歳からの前座修行

50何本上がった頃、事務所の社長に呼ばれて、「本格的にプロでやりませんか?」と言うんです。以前「ダメです」って言った張本人が。でも収入がゼロになる、現実問題として妻子を抱えてそれはできないですよ、20代の独り者ならともかくね。

私はしばらく返事が出来なかった。1か月くらい経った頃、楽屋で志らくとすれ違った時に、「ところであの話どうするの?」と訊かれた。その瞬間、頭が真っ白になって、反射的に「お願いします!」。

言った途端に「待てよ、収入ゼロは困ったぞ」と気づき、「すみません、午前中だけ医者やらせてください。午後から前座やります」と言っちゃった。

前座というのは24時間勤務です。カバン持ちから始めて、ずーっと師匠について回る。他の仕事なんかしていられないし、そんなことは絶対に許される世界ではありません。客分とはいえ2年間くらい落語界にいましたから、私自身十分わかっていました。

別の仕事を持って落語をやるのは、つまり「ながら」でしょ。師匠に対して、こんな失礼な話はない。落語は相撲とか歌舞伎と同じ、300年以上も歴史がある、めちゃくちゃやかましい世界ですから、仕事をしながら片手間に弟子になるなんて、許されるわけがない。

ですから、私より背の低い志らくを下から見上げるようにして、恐る恐る「よろしいでしょうか?」と訊いたんです。そしたら志らくが何と言ったか。「いいよ」。軽いんですね、あの人(笑)。

「社会人としての修業はできているだろうから、カバン持ちは免除しましょう。その代わり、それ以外の前座の仕事はちゃんとやってください」と言ってくれたんです。

志らくという人は凄い人です。私が客分の弟子になった時も、「落語ってのはプロかアマかじゃないですよ。自分の芸で客を呼べて、お金をもらえたら、もうプロでしょう」と言ってくれました。そういう柔軟な考えができる人なんですね。

そうして前座としての修業が始まりました。芸人というのは基本的に午前中は仕事しないので、その間に私はバイトで食いつないでました。落語家は前座、二つ目、真打という風に進んでいきますが、前座には人権がないんです。立ってりゃ壁と同じ、蹴飛ばそうが何しようが上の勝手。寄席に一番先に入って、一番最後に出てくるという仕事です。私はこの前座を4年務めました。

3年目の時に表参道にクリニックを開業したんですが、16時にはクリニックを閉めて赤坂の演芸場にすっ飛んでいく。ブレザーにネクタイを締めた、この老け顔のおっさんが舞台袖をウロウロしていると、取材に来た人なんかはエライ人だと勘違いして、「おはようございます!」なんて最敬礼してくる。

ところが、そんな彼らが楽屋に入ると、彼らの下足を揃えてお茶を出すのが、この私という訳。みんなびっくりするわけです。そんな矛盾に満ちた前座時代でした。

二つ目で一人前

二つ目というのは落語家として一人前になったということです。自分で自由に営業して仕事を取り、紋付き袴を着て、自分の手拭いを配ってもいいよという立場です。前座とは雲泥の差ですから、前座から二つ目に上がることは、真打に上がる時の何倍も嬉しい。これは、皆が口を揃えて言うことです。

他の団体は、年数で二つ目に上がれるのですが、立川流は「二つ目昇進試験」でボスがウンと言わなきゃ昇進できない。忘れもしない、暮れに「正月の新年会で昇進試験をやるぞ」と急に言われました。試験の科目は歌・踊り・講談。都都逸や小唄が歌えて、日本舞踊が踊れて、講談を一席語れるのが条件。落語はできて当たり前なので審査もしません。

睨んでいる談志の目の前で都都逸を歌いました。すると談志が途中で止めて「おい、俺の顔を見てやれ」。いやですよ、睨んでるんだもん(笑)。でもまぁ、最後には「合格だ」と言ってもらえてね。それが50歳の時でした。

お客さんというのはありがたいもので、私が二つ目になると早速「落語会をやりましょうよ」と声をかけてくれました。スーツを着て、丸の内のオフィスビルで、企業の人たちを相手に一席やったところ、最後に花束を下さった。「どうもお世話になりました」なんて頭を下げていたら、同年輩の男性が声をかけてきた。「いやぁ、あなたもやっぱり今日定年ですか?」。定年と間違えられるような歳になって、ようやく二つ目ですからね。

客分の弟子として2年、前座で4年。時間に拘束される仕事だったら続けられなかったでしょう。医者の将来の選択肢はあまり多くありません。勤務医になるか、開業医になるか、研究者になるか、役人になるか。あとはホームレスになるくらい。どの選択肢を取っても、私は落語家になれなかったと思います。

逆に言えば、自分の時間を自由に決められる立場にあったということです。落語家になりたいという気持ちがずっとあったので、何かあった時にいつでも時間の調節ができるよう、無意識のうちにそういう道を選んできたのかな。偶然、ひょんなことから落語家になったように聞こえるかもしれませんが、私としては、潜在意識の中でプログラムされていたという気がしています。

仕事と落語、両立させているように聞こえるかもしれないけれど、今の私は95%落語で、両立なんてしていないんです。修業時代も、色々なことをやっていたにもかかわらず全部が中途半端だった。自分の人生で、何かを「両立させた」という瞬間はないですね。

だから、2つのことを同時にやりたいと思っている人は、両立させることができるって思わない方がいい。片方を犠牲にするっていう感覚も間違ってる。その時に自分がどっちに情熱を注げられるか、どっちをやることにウキウキしているか。それだけの問題ですよ。気付いたら2つの専門性を持っていたっていう方がいいんじゃないかと思います。

オリジナルの「健康落語」と「ヘルシートーク」

「健康落語」とは、落語で健康を語っちゃおうという、オリジナル落語です。これを始めたのも本当にひょんなキッカケでしてね。以前、企業の健康管理の仕事をしていた時に知り合った、ある大企業の健康管理室の婦長さんと一緒に飲んでいました。その席で、「健康教育ってつまんないわよねぇ」という話になり、私は「そうですねぇ。落語みたいに楽しくできたらいいですね」と応えました。

すると数日後に電話があり、「この前、落語で健康教育をやるって言ってたわよね?」と言うんです。「いや、言ってません。落語みたいに楽しく、と言っただけです」「そんなこと言われても困る、もう日にち決めちゃったから」と、まぁ、気の早い人なんですね。断ればよかったんですけど、私も内心ちょっとやってみたいという気持ちがあったので、じゃあやっちゃえ!と思って、引き受けちゃった。

さぁそれから落語を作んなきゃなんない。披露するのは3カ月後だったんですが、全然できないんですね。3日前くらいになって、困ったなぁとトイレに座っていたところ、突然スゥッと一席できたんです。

それで当日会場に行く直前までずっと頭の中で作っていて、まさにぶっつけ本番です。やってみたら、ドッカンドッカンうけた。それに気分を良くして、独演会でもやってみたところ、評判が良くて。「これ、シリーズ化しちゃおうかな」って。そうして始まったのが、今の健康落語なんです。

でも、「落語に健康情報を入れて楽しく聴いてもらおう」というコンセプトで始めたのに、健康情報が多すぎると面白くなくなるんです。だから健康情報をどんどん減らして、ギャグをどんどん増やしていったんですが、健康情報がなければ「健康落語」とはいえない。このバランスが非常に難しい。健康情報を落語で提供するのは限界があるなと思い、漫談で提供しようと思い立ちました。これが「ヘルシートーク」と呼んでいるものです。

ガンは日本人の死亡原因の第1位。3人に1人がガンで亡くなっている時代です。これはどういうことかというと、今皆さんの両隣に座っている人がガンにならなければ、自分がガンになる。こういう確率です。

健康情報っていうのは、ビジュアルがないでしょう。持ってる物は扇子と手ぬぐいだけ。最初はこれが辛くてね。だから、ホワイトボードに書いて説明しながら、振り向いてギャグを言うようにしてみました。

でも待てよ、これじゃケーシー高峰だと。パクリはまずいですから、ホワイトボードを使うスタイルは止めて、プリントを配るようにしたんです。これが失敗だということは、始めて30秒でわかりましたね。みんな、下向いちゃう(笑)。

つまり、さっきの「3人に1人」のように、数字じゃなく身体でわからせるようにしなきゃいけない。「両隣の人がガンにならなければ」と言えば、単なる数字じゃなくて自分の問題になります。ここんとこが重要で、自分の問題だと思ってもらわないと、誰も聴いてくれないし、理解もしてくれないんですね。

観客の頭の中をホワイトボードにして、イマジネーションを広げてもらう。そのために例え話を使います。糖尿病を回転ずしに例えるとか、コレステロールを宅急便に例えるとかね。これだけじゃどういうことかわからないと思うけど、知りたい人は私の本を買ってください(笑)。

イメージして、笑ってもらって、ちゃんと情報を伝える。先日は観客の一人が「らく朝さん、私は今までコレステロールの仕組みがよくわからなかったけど、今日聴いて初めて理解できました」と言ってくれました。その人、眼科の先生でしたけどね。

このように健康情報はヘルシートークで提供するようになったので、じゃあ健康落語は病気に関する啓発にしようと考えました。「心筋梗塞にはストレスがいけないから、楽に生きようよ」とか、「睡眠時無呼吸症候群は肥満がよくないから痩せようよ」とか、ワンポイントに絞って啓発する。その手段として落語を使うというように変わってきました。

だから、今の私の健康落語って、「不健康落語」ですね。病気の側面を捉えて、それにまつわる人間の真理だとか、愚かさ、滑稽さを落語にしています。毎月定期独演会をやっているんですが、そこで古典落語と共に披露しています。

 

オリジナル落語の作り方

これから一番参考にならない話をします。私がどうやって健康落語を作っているかについて。皆さんの中で、落語の上手な作り方を知っている方がいたら、ぜひ教えてください。

皆さんが物語を創作する場合、キャラクターを設定して、どういう事件が起きて、どんなドラマになって、どういう結末になるかという構成を決めてから書き始めるでしょう。そういうこと、私、一切やらない。

やらないというより、できないと言った方が正しいですね。一応、やろうとしたことはあるんですよ、最初にストーリーを決めて、そこにセリフを入れ込んでいく。そうしたら、ギャグが作れなくて、まったく面白くなかった。

落語は小説と違ってセリフの連続です。だからストーリー、事件、ドラマありきじゃ、つまんない落語しかできない。もちろん私の場合、ですが。じゃあどうやって作るか。何にもないところに、まずは「掴み」を作ります。

例えば睡眠時無呼吸症候群の落語を作るとしますね。一番大切なのは掴みのギャグです。これでうけなかったら最悪ですから、ものすごく面白いギャグを作らなきゃならない。これにセリフを乗っけていく。ただ、ある程度方向がないと、どこにいっちゃうかわからない。

そこで、誰が睡眠時無呼吸症候群になったら一番面白くなるかということを考えます。バスの運転手とか、パイロットなんて考えていくうちに、お坊さんを思いつく。お経を読みながら寝ちゃったりしてね、うんそうしよう、と。

それだけ。最初はそれしか決まってません。ギャグを入れてセリフを乗っけて言って、お坊さんがお経を読みながら寝ちゃう。「南無阿弥陀仏……南無妙法蓮華経……って、ちょっと! 宗派が違ってきちゃってるよ」という具合。

この話はどこに向かうか、自分でもわからないけれども、起承転結になるようにブツブツ試行錯誤で考えていく。といってもストーリーを決めていませんから、大体壁にぶつかってどうにもならなくなる。そこでの選択肢は、ボツネタにするか、壁を超えるか、違う場所に行くか。そこまで来てボツネタにするのは悔しいじゃないですか。色々考えていると、フッと壁の穴が見つかることがある。そういう風にして、なんとか最後までたどり着くという訳です。

私の場合、オチを考えるのは最後ですね。さぁどうしようと。スパーンと出る時もあれば、全然思いつかない時もある。作った落語を通してみて、その中の要素を引っ張り出して、その中にオチがないか考えていく。そうすると見つかるんですね。でも散々悩んで作ったオチは、大抵出来が良くなくて、パーンと思いついたオチは面白いものです。

こういうやり方なので、書くという作業はしないで、寝ながら作ってます。落語だからこういう方法ができるわけで、小説とかドラマのシナリオでは無理でしょう。10本創っても、使えるのはそのうちの1本。「これは絶対にうけるだろう」と思ってやると、客席がシーンとしていることなんてしょっちゅう。

駄作の山を築いてますよ。今持っている健康落語は50~60本あるけれど、どこに出しても笑ってくれるだろうというのが5~6本。今度、健康落語のCDを出すことになって、20本必要なんですが、どう考えても足りない。なんとか「2軍」の作品を鍛え直して、使えるようにしようとは思っています。

これが今の私の現状で、本当に暗中模索という感じで落語を作っています。今日は、ものを作ったり書いたりすることに悩んでいる仲間の愚痴を聞いた、と思っていただければと思います。このあたりでお開きとさせていただきます。ありがとうございました。

出典:『月刊シナリオ教室』(2013年11月号)より
〈採録★ダイジェスト〉THEミソ帳倶楽部――達人の根っこ
「立川らく朝さん 落語家の根っこ~二足のわらじの履き心地~」
ゲスト:立川らく朝(落語家・医師)
2013年6月25日採録

次回は7月9日に更新予定です

プロフィール:立川らく朝(たてかわ・らくちょう)

落語家・医学博士。笑いと健康学会理事。日本ペンクラブ会員。杏林大学医学部卒業後、慶応義塾大学医学部内科学教室へ入局。主として脂質異常症の臨床と研究に従事。慶応健康相談センター(人間ドック)医長を勤める。2000年、46歳のときに立川志らく門下に入門、プロの落語家として活動を開始。2002年、都内に内科クリニックを開設。2004年、二つ目昇進。2015年落語立川流真打トライアルにて優勝、10月真打昇進。健康教育と落語をミックスした「ヘルシートーク」、「健康落語」、「落語&一人芝居」という新ジャンルを開拓。「健康情報を笑いを交えて提供する」というコンセプトのもと、講演会を精力的に開催している。

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