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映画監督 沖田修一さん/映画『南極料理人』の脚本はこう生まれた

2013.04.24 開催 「沖田修一さん 映画監督の根っこ~二人の沖田修一がいる~」
ゲスト 沖田修一さん(映画監督)

シナリオ・センターでは、ライター志望の皆さんの“引き出し=ミソ帳”を増やすために、様々なジャンルの達人から“その達人たる根っこ=基本”をお聞きする公開講座「ミソ帳倶楽部 達人の根っこ」を実施しています。そのダイジェスト版を『月刊シナリオ教室』(今回は2013年8月号)よりご紹介。
ゲストは映画監督の沖田修一さん。商業映画デビューとなった『南極料理人』で2009年度新藤兼人賞金賞、第29回藤本賞新人賞を受賞。その後も『キツツキと雨』『横道世之介』と話題作を発表。講演当時、次回作のシナリオ執筆の最中だった沖田監督に、脚本と演出の両面から、映画作りの根っこについてお話いただきました。ダイジェスト版をご紹介。

自主映画から商業映画へ

簡単に自己紹介させていただきますと、劇場公開やレンタルで皆さんの目に触れる作品としては、『南極料理人』『キツツキと雨』、最近『横道世之介』が公開されたばかりです。

初めは、家にあったカメラを使って、遊びで撮っていました。映画と言っていいのかわからないくらいのものですね。

『横道世之介』の脚本を書いた前田司郎くんとは幼なじみで、中学時代に彼の別荘にスキーに行きました。そこに小型のビデオカメラがあって、「映画を撮ろう!」なんて話になった。

遊びで撮ったら面白かったんです。それがキッカケで、自分の家にあったカメラでも遊ぶようになりました。

大学に入ってから作品という形で撮ってみようと思い、脚本を書いたのが『オレガノキッチン』という40分くらいの8ミリ作品です。

僕は最初は自分が監督をできるとは思っていなくて、脚本ならひとりで書けるし……と思って書いてみたんですね。

内容は、母親が亡くなって、葬儀もすべて済んだあと、家に帰ってきた家族がその日の夕飯を作るという内容。最初に撮る映画にしてはかなり年寄り臭い(笑)。

以前母が入院した際に、家に母がいないと、誰も何もできないのが面白かった。

どれだけ母親に頼ってるんだと、小学生ながらに実感した体験が元になっています。

この作品は大学の友達とかに手伝ってもらって作ったんですけれども、技術はないし、あまり面白くなかったんですよね。

面白がってくれた人もいたんですが、僕としては全く納得できなくて。それで「もうダメだろう」と思ってしまいました。

大学卒業後は、ポジフィルムの現像のアルバイトをしていました。

ある時、友達の家で鍋を食べようということになった。鍋を囲みながら、「友達が多い人は鍋に詳しいよね」「友達がいない人って鍋が作れるのか」という話になり、ふと思いついたのが、「先生が登校拒否児3人を無理矢理友達にさせようと企て、鍋を囲ませる」というストーリー。

撮ることが前提だったので、あまりお金がかからないよう20分くらいの短編にして製作しました。ブラックユーモアの塊みたいな作品でした。

教師がいる間はぎこちない子供たちが、教師が席を外した途端にコミュニケーションを取り出すという流れは、脚本を書いている最中に思いつきました。
最初はまったく考えていなかったのに、自然とそういうエンディングに結びついたというか。

その感覚が、すごく僕としては面白かった。いい話を作ろうとして書くと大概失敗するんですよね。
自分が面白いと思うことは身の周りにしかなくて、身近な世界を短編映画にして残してきました。

初めて撮った長編映画は『このすばらしきせかい』という作品です。
ちょっと変わったいとこの叔父さんをモデルにして、フィクションにして書いていったら超面白かった。
このように、僕の自主映画は毎回自分の家が舞台になっていました。

そういう風に作っては人に見せ、作っては見せ……と繰り返しているうち、だんだん周りの人が仕事をくれるようになりました。
そのうち、幸運にもお金を出してくれる人が出てきて。

初めて撮ったのは『南極料理人』という作品です。
自主映画を観に来てくれたプロデューサーが、この映画の原作本を持ってきて「これ脚本にしてみてよ」と。
これはチャンスだと思いました。

ただですね、これまで自分の身近な世界を描いてきたのに、いきなり南極ドーム基地の話を書けと言われても、どう考えても無理なんですね(笑)。

仕事になると、自分と違う世界のことを書かなきゃいけないことが多くて、取材が必要になります。
取材はすごく楽しいし、好きですね。南極に実際に行った方にお会いして、いろんな話を聞いたんです。

そうしたら原作にないエピソードをたくさん聞くことができて、自分も詳しくなって、「こういうシーンを映画にしたい」と考えるようになりました。

『キツツキと雨』で林業従事者の方に話を聞いた時もそうでしたね。
取材を進めると話が膨らんで、キャラクターもできていくんです。

『南極料理人』は自分の家族がモデル

『南極料理人』の主人公の西村は、最初は「言葉でなく料理で表現する」というキャラにしてみました。
そうしたら、セリフが一言もなくなってしまい、失敗でした(笑)。

自分の製作ノートに「南極観測隊のコメディ映画」と書いてあります。
ザックリしてるでしょう。

原作はエッセイですから、ストーリーはないんです。
「マイナス58度の世界で生きている、それ以上のドラマはあるだろうか」と思ったので、人が死ぬとか、クライマックスにありがちなシーンを入れるよりは、「食にまつわる越冬記」というところに派生していった方がよいだろうと考えました。

料理人西村が、その場に馴染んでいく姿だけでドラマになるだろうと。
この作品で「ほっこり食べ物系」なイメージがついてしまいましたが(笑)、むしろ自分では南極という環境下で笑っていないと生きていけない男たちのブラックコメディを描いたつもりなんです。

オリジナルだろうが原作ものだろうが、結局は自分は出てしまうんです。
何を書いていても自分のことしか書けないんだなと思ったんです。
『南極料理人』も自分の家族をモデルにしていました。

例えば映画に登場する、美味くなさそうな唐揚げ。
映画では「我が家の味」ということなのですが、これは、僕の母親が作った唐揚げがモデルです。

中高生の時なんか、出てくる料理を黙って食べるだけで、母親に「美味しい」なんて言ったことがなかった。
だから、今回の作品ではどの登場人物も「美味しい」と言わないようにしています。
食事シーンは、母に対するイメージと、我が家の食卓が反映していると思います。

発想は、生活していく中で自分が面白いと感じたこと。
それは一番最初に撮った『オレガノキッチン』以来、ずっと変わらない。
何をやっても一貫している。

「俺はシナリオライターになるぞ」と部屋に籠って書き続けるより、人に会って話をして酒を飲んだ方がずっと世界は広がります。
自分が面白いと思う発想は、人生のすぐ横にあるものなのかなと思います。

例えば僕に子供ができたら、子供が出てくる映画を撮りたくなるとか。
自分が生きていく中で発想は生まれてくるものなんだろうなぁと思います。

脚本はそんなにうまく書けるものじゃない

僕は、監督もして、自分で脚本も書きます。

監督によっては脚本は他の方にお任せするというタイプと、自分で脚本を書かないと気が済まないというタイプと、僕のように自分でも書き、人とも一緒に書き、というタイプとあります。

いつもファミレスで脚本を書いているんですけれども、なかなか書けないとタバコの量も増えるし、悲惨な状態になるんですよね。

「起承転結」と書いてみるものの全く身が入らない。「そうだ、倉本聰先生は人物の履歴書を書けと言ってたな」って思い出して、でも10歳くらいまで書いたところで飽きてしまう(笑)。

そうしてハコ書きを書いていくんですが、自分が何をやりたかったんだろうと、その時になって考える。
僕の脚本の書き方は、まず大学ノートにアイデアだけバーッと箇条書きで書いていきます。
ノートの冒頭に「自分が何をやりたかったのか」を1行で書いておくんです。

 例えばいつも行っている美容室で、美容師さんにカットしてもらいながら、「今どんな話を考えてるんですか?」と訊かれた時に、果たして自分は、この一文を、自信を持って美容師さんに伝えられるんだろうか(笑)。そこが分かれ道のような気がします。

美容師さんじゃなくてもいいんですけど、身近な人にこの一文を説明して、「それ面白いっすね!」と言ってもらえるかどうかっていうのは、大きな問題だと思います。
それさえ上手く行っていれば、あとはみんな許してくれるって、自分に言い訳しています(笑)。

でも脚本って、そんなに書けないですよ。ほんと、忍耐と根性で書くものだなあと思います。
脚本を書いていると、自分が一番何をやりたかったのか、何を面白がっていて、人に何を面白がってほしいのかを、忘れてしまうことがあります。

それで話が変わっていったりして、それでもいいやと思ってると、「あれ、全然面白くねぇ」となる。
だから今まで書いたものを全部消して、前に進んで行ったりもする。

なので、最低限「行き着くところはここだ」というのをノートに書いておくのが、僕のやり方なんですね。

『キツツキと雨』の脚本を書いたのは、大学の同期の守屋文雄くんです。
ある日守屋くんの家に行ったら、壁に黄色い染みがある。
何かと思ったら、「昨日台本を書いていたら書けなくなって、ウワーッってなって、食べていたカレーうどんを壁に投げつけた」って(笑)。気持ちわかるなぁって思って。

脚本って、そんなにうまく書けるもんじゃないと思うんですよね。
書けたところで、それは本当に面白いのかと自問自答して……書く、寝る、何か思いつき、書く、書けない、寝る。その繰り返し。
僕はそうやって書いています。

本当に面白いものを書こうと思ったら、そう簡単には書けない。
面白いものを書くために必要なのは、「締め切り」「体力」「途中でもうダメだと思っても、諦めずに最後まで書いてみようと思うこと」。
この3つで脚本って出来ているんじゃないでしょうか。

シナリオ・センターで根性論を説いて申し訳ない(笑)。

でも、シナリオ・センターの回し者じゃないですが、僕は書けなくなった時には『シナリオの基礎技術』(新井一著)の本を読み返して、自分が何をやりたいのかを整理するようにしています。

僕は起承転結を整理するのは、書いている途中でもいいと思っています。最初からやってよかったためしがない。

脚本には数学的な要素があるのかもしれないけれど、「自分が何を面白がっているか」が何より重要。

まずはそれに向かって悪戦苦闘してみて、それを伝えるためにどうしたらいいのかを考えるために、本を読んだり、同じような映画を観たりして考え直していけばいいと思う。僕はそうしています。

書き直しでやりたいことが明確になる

僕が苦手なのは、書き直しです。

最初に書いたもの、そのままで行こうなんてことはまずない。書き直しは必要です。
僕は人に読んでもらうことが重要だと思っていて、書き上がったら周りの人に読んでもらうようにしています。

これがまぁ、怖いんですよね。「つまんねぇ」と一言で言われちゃったら、今までの苦労は何だったかと思う。でも、自分を信じて読んでもらいます。

その上でどこかおかしいところが見つかったら、そこだけ直すのは無理なので、一度全部データを消して、イチから全部書き直します。
部分部分で直そうとすると、自分がラクしちゃうんですよ。
3稿目くらいまでは、そうやって書いています。

だんだん形が見えてきたかなぁと思ったら、そこからは箇所ごとに直していくんですね。
だから僕は書き直しが大っ嫌いで……(笑)。

でも、書き直していくうちに自分が何をやりたかったのかが明確になっていきます。
何度書き直しても、結局は初稿に戻っていきますね。ですから初稿は大事にしています。

映画を撮る場合、スタッフが入ってくるまでに準備稿ができていないといけないんですが、そこまでに『南極料理人』は10稿くらい、『キツツキと雨』では6~7稿まで、『横道世之介』は5稿までいきました。

ストーリーよりキャラクターを優先すると、話が転がっていきやすいという実感があります。
その人物はこんなことを言いそうだというイメージがあれば、会話が展開していくんですね。
ちゃんと人間を描いて、自分が面白いと思えれば、それは普遍的なものになるのではないかと思います。

セリフを書いたら、自分で声に出して読んでみた方がいいですよ。
俳優さんが言いづらいセリフって何かおかしい。

僕の場合、立って実際に演じてみます。
それで違和感があると、「これ、人間の話すセリフじゃない」と気づく。ちゃんとした話し言葉かどうかで、俳優さんのノリが違いますし。
セリフを言って演じてみるというのは、重要だなと思います。

2人の沖田修一

ここからは演出の話になってきます。

脚本家はホンを監督に渡したら終わりじゃないですか。
ロケハンをしたり役者と話をしたりするのは、もう監督の仕事ですから、バトンタッチですね。

僕は自分の中に脚本家と監督の2人がいるような感覚があります。
「脚本の沖田さん」はすごい細かいんですよ。
「あんだけ書いたんだからちゃんとやれよ」みたいに、すごいプレッシャーをかけてくる(笑)。

一方、「監督の沖田さん」はまるっきりダメなんです。
自分で脚本を書かないと演出できない。
人様の脚本の意図を汲み取る自信がないんですね。

「脚本の沖田さん」は一々うるさくて、例えば、台本に印刷されている「…」と「‥」は違うからな!と言ってくる。点を使い分ける沖田さん、ムカつきます(笑)。

だけど「監督の沖田さん」はあんまり深く考えていないので、ロケハンをしていくうちに脚本を変えていく。
だから、自分の中で2人がケンカしているような感じになります。

「賞とかもらってるけど、ひとりで獲ったと思うなよ。脚本の沖田さんがいたからだぞ」って声が聞こえてきて……もはや別人格ですね(笑)。やべ、セリフ変えたら「脚本の沖田さん」に怒られる!って、沖田修一は思っているっていう。

監督としては、一生懸命脚本家と戦ってるということなんですね。

でも、現場に入ってみないとわからないことって多いんです。

『横道世之介』で、大学生の世之介が恋人の祥子を撮った写真が、16年後に出てくるというシーンがあります。

その写真の包み紙は、当時の祥子が何気なくイラストを描いた包装紙なんですが、そんなアイデアは脚本段階ではまず思いつきません。

現場で準備をしている時に美術スタッフから「どういう紙、使いましょうか」って訊かれて。世之介の部屋にあったっぽい紙って何だろうと考えていくうちに、クリスマスケーキの包装紙を思いつきました。

このように具体的に演出しようとすると、たくさんアイデアを思いつく。
その時に、脚本をどこまで壊していくか。監督の領分と、脚本家の領分を、僕はいまだに掴みかねています。

「面白い」とはどういうことか

「面白い」って何だろうって考えるんですが、「面白い」って人それぞれだけど、10人中8人が「面白い!」という表現ってあると思うんです。
それは「ちゃんと面白い」ってことで、それを僕は目指しているつもりなんです。

たとえば『水戸黄門』を観ていると、ちりめん問屋だったお爺ちゃんが、最後に水戸光圀公だとわかる瞬間がありますよね。
それを知った登場人物の「えぇ!?」って顔って、誰が見ても面白いじゃないですか(笑)。
こういう要素はすごく大事です。

僕は自分でもオリジナルの企画を考えるし、プロデューサーから企画をいただくこともあります。
どちらをやったとしても、結局「自分」というものは出てしまう。
お世話になったプロデューサーの方にそう言われて、最初はあまり意味が分からなかったんですが、作品を作っていくうちに、なるほどそうだなと思うようになりました。

だから僕はオリジナル、原作にこだわらず、自分がワクワクするものをやりたいし、ワクワクするものとは「ちゃんと面白いもの」だろうと。

その「ちゃんと面白いもの」とは……ざっくばらんに言うと、今でもよくわかりません。
わからないまま、ずっと戦っていくしかないような気がします。
自分が何を面白いと思うかを感覚としてつかんでおくことが必要。

僕は「皮肉」と「痛快」なんじゃないかと考えています。
人によって違うとは思いますが、自分はその2つを画にして描いていきたいのだろうなと、思っているところです。

短編映画を撮っていた時代から、「脚本書けない」とか「つまんない」とか言いつつ、心の奥には根拠のない自信があった。
この自信があるうちは続けようと思い、ここまでやってきました。

それを失くしかけた時に、人から「面白いよ」と言ってもらって立ち直ることができて、そうやって危うい線を渡ってきたという感じです。

普段なかなかものを言えない「脚本の沖田さん」が、今日は皆さんに何かを伝えたかった。それで少しでも皆さんのお役に立てたら嬉しいです。 

出典:『月刊シナリオ教室』(2013年8月号)より
〈採録★ダイジェスト〉THEミソ帳倶楽部――達人の根っこ
「沖田修一さん 映画監督の根っこ~二人の沖田修一がいる~」
ゲスト:沖田修一さん(映画監督)
2013年4月24日採録
次回は4月9日に更新予定です

プロフィール

沖田修一(おきた・しゅういち)
2002年、短編『鍋と友達』が第7回水戸短編映像祭にてグランプリを受賞。2006年、初の長編映画『このすばらしきせかい』を発表。2008年、TVドラマ「後楽園の母」などの脚本・演出を手掛ける。2009年、『南極料理人』が公開。2009年度新藤兼人賞金賞、第29回藤本賞新人賞を受賞。2012年公開の『キツツキと雨』が第24回東京国際映画祭にて審査員特別賞を受賞し、ドバイ国際映画祭では日本映画初の3冠受賞を達成。2013年、吉田修一原作の『横道世之介』が公開。第56回ブルーリボン賞最優秀作品賞などを受賞。

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