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「いい仕事はいい出会いを生む」市川森一流、脚本家の生き方

2011.04.23 開催 脚本家の根っこ~信念を貫く~
ゲスト 市川森一さん

シナリオ・センターでは、ライター志望の皆さんの“引き出し=ミソ帳”を増やすために、様々なジャンルの達人から“その達人たる根っこ=基本”をお聞きする公開講座「ミソ帳倶楽部 達人の根っこ」を実施しています。そのダイジェスト版を『月刊シナリオ教室』よりご紹介。
今回の達人は、2011年に逝去された脚本家の市川森一さん。シナリオ・ライターになったキッカケから、妥協しない脚本家としての姿勢まで、脚本家になりたい人、必見です。

フェリーニの『道』

僕がシナリオライターを志したきっかけは、高校生の時に出会ったフェデリコ・フェリーニの映画『道』です。普段、田舎の映画館で掛かるのは『旗本退屈男』のような娯楽作ばかり。

『道』を観たときは、それまでのただ痛快とか楽しいとかではない、人生の切なさとか辛さを映画から味わいました。映画に、こんなに人の心を揺さぶる力があるのなら、あのスクリーンの中に行ってみたいと思いました。

当時の日記に、「シナリオライターになりたい」と書いているんです。監督じゃなくシナリオライターだったのは、物を書くことが好きだったせいもあるでしょうね。

フェリーニは、その後も僕の青春と共にいてくれました。夢を抱いて上京した都会で、次第に堕落していった頃、『甘い生活』を観てショックを受けました。フェリーニは僕の人生を先回りして、この作品を作ったんじゃないだろうか、なんてね(笑)。天使のような少女が微笑みかけてくる海辺のラストシーンが、どんなに僕の心の支えになったか。

堕落を創作のエネルギーに転化できたのもフェリーニ作品のおかげでした。人はなにと出会うかによって、人生の方向性を決められてしまうんですね。

僕が第一回の「向田邦子賞」を受賞したテレビドラマ『淋しいのはお前だけじゃない』(1982年・TBS)が、今年の6月に舞台化されることになりました。舞台のスタッフは皆思い入れを持って取り組んでくれていますし、この作品がテレビドラマの世界に入るキッカケになったと言ってくれる若い人もいて、僕としてもとても嬉しく思っています。

しかし、ドラマのときの『淋しいのは~』の打ち上げは、それこそ淋しかったんですねえ。なぜかというと、視聴率が振るわなかった。数字が悪いと、打ち上げに参加する人数が少ないんですね(笑)

30年近く経ってから、あのドラマを見て感動してくれた人たちの手によって、舞台として復活するなんてこと、当時、誰が想像できたでしょう。

「今この瞬間にレーティング(視聴率)を取ることがすべて」というテレビ局の価値観に、脚本家が振り回される構図はいまもむかしも同じです。脚本家はそんな業界の価値観と戦わなければならない。

そしてたいていは叩きのめされるのですが、ただ、本当の勝敗は時間が経ってみないと分からないという希望を、今度の舞台化は与えてくれました。

今回の『淋しいのは~』だけでなく、NHK銀河テレビ小説『黄色い涙』(1974年)も、最近、人気グループ「嵐」の主演で、犬童一心監督によって映画化されました。

思いもよらなかったものが巡り巡って復活する、そんな魔法のようなことがフィクションの世界にはあるんですね。

とっさに破った台本

皆さんがプロになって遭遇するかもしれない、人間関係についての話をしましょう。新しい私的な関係が生まれる仕事は、作家にとって生涯のものになります。

円谷プロのウルトラ・シリーズを卒業した後、「火曜日の女」という六回シリーズの連続ドラマを、同じ駆け出し同士だった鎌田敏夫さんと交代で書くことになり、最終回を僕が担当した時のことです。

僕は信念として「ハッピーエンドの嘘は許せない」と思ってきていたので、いつも奥歯にモノがはさまったようなラストになることが多いんです。その最終回も、いつも通りに暗いラスト・・・本人は余韻と思っているわけですが、アン・ハッピーエンドを書いて出しました。

で、印刷された準備稿を読んでみたら、ラストがすごいハッピーエンドに変身していた(笑)。監督がプロデューサーと相談して、勝手に書き変えちゃったんですね。

プロデューサーは「市川くん、監督がこういう風に変えてくれた、勉強になっただろう」と言わんばかりにニコニコしている。そこで「わぁ、勉強になりました!」と明るく言えば、すべてが丸く収まったでしょうね。

でも僕は、とっさにその場でビリッと台本を破ってしまった。そうなると次の行動ももう流れにのるしかない(笑)。次は台本をテーブルに叩きつける。
そして「これは僕のホンじゃない!」と言って席を立つ。

そのとおりにしてしまったんです(笑)。エレベーターに乗って初めて正気に戻りました。「今月の家賃、どうしよう(笑)」

その夜、鎌田さんから「市川くん、やってくれたじゃない!」(笑)と電話がありました。プロデューサーが鎌田さんに書き直しを頼んできたというので、「すみません、よろしくお願いします」と言いました。すると鎌田さんは「断ったよ」と……。

かの鎌田敏夫だって、この時はまだ新人ですよ。それが「読み比べたんだけど、僕は共同執筆者として、市川くんの書いたラストでなきゃいけないと思ったから」と言ってくれんです。

結局、本番は元通りの僕の台本で行われました。この時の鎌田さんの勇気というか、侠気には泣かされましたね。「彼は絶対に第一線に立つライターになる」と確信しました。そしてそのとおりになっていきましたね。

受け止めてくれる役者さんたち

僕の方はというと、そんな事件を起こしたので、「ホンを直さないライター」という評判が広まってしまいました。だから仕事も減ってしまった。

ところが捨てる神あれば拾う神ありです。とあるプロデューサーから「君のような偏屈な作家を探していた」と連絡がありました。

それで書いたのが、ショーケン(萩原健一)と水谷豊の『傷だらけの天使』(1974年・NTV)です。こんな生き方もあるということです。

そう、こんなこともありました。銀河テレビ小説『黄色い涙』の最終回で、僕はやっぱり暗いラストを書きました。夢を抱いてきた若者たちが、挫折して平凡な生活者に成り果てて再会するというラストです。当時NHK名古屋で制作していたので、台本がどうなったかまで目が届かなかった。

そうしたら現場の役者から「あのラストは、本当に市川サンが書いたの?」という電話が掛かってきた。出演者たちが「市川があんなラストシーンを書くわけない」と話し合ったというのです。

電話口で台本を読み上げてもらったら、全然違う夢と希望にあふれる大ハッピーエンドになってたんですね。そこでまたひと騒動です(笑)。

僕は名古屋に向かう電車の中で密かに泣きました。信頼できる役者と組めば、ちゃんと受け止めて、こうやって助けてくれるんだと。これも、もちろん元にもどして収まりました。

同じようなことがNHK『新・坊っちゃん』(1975年)の時にもありました。夏目漱石の『坊っちゃん』を下敷きにしてはいましたが、まったくの書き下ろしの作品です。

僕は筆が遅く、その時もかなり台本が遅れて、生原稿を現場で役者に渡すというような有様でした。見かねたプロデューサーは、僕の知らないところでリリーフライターを入れることにしました。

しかし、当時はまだ新人だった西田敏行が役者たちをまとめて、「自分たちは徹夜してでもセリフを覚えるから、最後まで市川に書き通させてください」と直談判してくれたんです。

僕がその話を知ったのは半年後の収録も終わった打ち上げ会の席ででした。西田は「すいません、出過ぎたことをしまして」なんて頭を掻いて笑っていましたが、僕はまたまた男泣きしてしまいましたね。

いい仕事といい出会い

こうして振り返ると、ずいぶん危ない橋も渡ってきましたが、なにはともあれ自分と自分が生み出した世界を信じていけば、お話ししてきたような友情、信頼関係も生まれてくるのだという体験談です。

今のテレビ業界ではなかなかそういう熱い人間関係は生まれにくいかもしれませんが、でも、何か心に浸みるいい仕事をしたい、誰もまだ描いていない世界を発見したい、素敵な感性と出会いたい。

ドラマを志すクリエーターたちであれば同じ夢を追いかけているはずなんですね。自分を信じるように、そういう本物の仲間との出会いを信じて、理想を高くかかげて書き続けてもらいたいんです。

次元の低い妥協を自分に命じてはいけません。テレビって所詮はこんなものだと諦める必要はありません。自分を安く見積もってしまったら、天から与えられたせっかくの才能が可哀相じゃありませんか。

いい仕事はいい出会いを生みます。そのときは報われなくても、いつかどこかで、思いがけない見返りがくることもあります。

見境なく誰とでも仲良くしていく必要はありませんし、そんなことは無理な相談です。相性のいい人とだけつき合えばいいんです。要するに、自分の作品を愛してくれる人とだけつき合えばいいということです。

十人のうち、一人でも理解者がいればそれでも多すぎるくらいなものです。九人が分かってくれなくても失望には及ばないということでもあります。

私たちの仕事は、どこか祭りに似ています。太鼓を叩くのが脚本の役目だとすれば、参加する人たちが集まってくる、人々が踊る、しばし祭りを楽しみ、そして別れていく。

祭りが終わる寂しさというのは、プロになれば味わうものです。その寂しさを何とか紛らわすために、また次の仕事を始めるんですね。

人生も仕事も出会いと別れの繰り返しです。その中で、永遠の人間関係も生まれてくる。皆さんには、周りに人が寄ってくるような、信頼される作家になってほしいと思います。

こうして皆さんのきらきらとした顔を見ていると、新人の頃に戻ったような気がして、いてもたってもいられない。「何とかみんな頑張って」という気持ちになります。自分を売り出していくという大変な仕事を志している皆さんに敬意を表さずにはいられない。

苦労もするでしょうが、すべてが報われます。人生は決して裏切りません。
孤独の中にこそ、かけがえのない出会いも生まれます。
とにかく出会いです。

今日は、僕も久しぶりにいい出会いをしたようです。

出典:『月刊シナリオ教室』(2011年7月号)より
ダイジェスト「ミソ帳倶楽部 達人の根っこ」
市川森一さん 脚本家の根っこ 信念を貫く 2011年4月23日採録

プロフィール:市川森一(いちかわ・しんいち)

脚本家(当時、日本放送作家協会会長)。1941年長崎県生まれ。

1966年テレビドラマ「快獣ブースカ」でデビュー。1979年舞台『黄金の日日』の戯曲により大谷竹次郎賞を受賞。1981年『港町純情シネマ』などにより芸術選奨新人賞を受賞。1983年『淋しいのはお前だけじゃない』により第1回向田邦子賞を受賞。1989年『異人たちとの夏』により日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。同年『明日 – 1945年8月8日・長崎』『もどり橋』『伝言』により芸術選奨文部大臣賞を受賞。1999年『幽婚』によりモンテカルロ・テレビ祭最優秀脚本賞を受賞。2003年紫綬褒章を受章。2011年旭日小綬章を受章。2011年逝去。

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