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代表 小林幸恵が毎日更新!
表参道シナリオ日記

シナリオ・センターの代表・小林幸恵が、出身ライターの活躍や業界動向から感じたことなど、2006年からほぼ毎日更新している日記です。

若戸大橋物語

シナリオ・センター代表の小林です。熊本大分の地震は衰えを見せないかんじで、地震情報がでるたびに暗い気持ちになります。
申し訳ないことに、今は祈るしかない、嘆くしか力がないのですが、近々義援金活動を始めたいと思っています。
若戸大橋物語

このころは、おさまってくれるでしょうか。少しでも気持ちが明るくなっていただけるお芝居が上演されます。5月21・22日北九州芸術劇場で劇団青春座公演「若戸大橋物語」。
作家集団の葉月けめこさんの初戯曲です。
毎年秋は、柏田講師が執筆したお芝居を上演している劇団青春座ですが、この春は、葉月けめこさんを抜擢。 葉月さんは、自治は若戸大橋のある戸畑高校の出身、地元のお話を地元の作家に書いてもらいたいと実現したものです。
お近くの方は是非ごおでかけください。 

若戸大橋は、昭和37年東洋一のつり橋として生まれました。
このお芝居は、若戸大橋を架けることに奔走し実現した若松市長吉田敬太郎さんを描いたものです。

昭和5年、春の大祭若松のおえべっさんに詰めかけた人たちを乗せた若戸渡船が転覆、73人の犠牲者を出しました。
救助にあたった吉田敬太郎は、若松・戸畑をつなぐ大動脈の必要性を痛感。トンネルを創ることを考えるのですが、おりしも昭和6年満州事変勃発。太平洋戦争が始まり、頓挫。
戦後になって、昭和27年に若松市長になった吉田敬太郎は、サンフランシスコの金門橋のような橋を洞海湾に架けることを決意し、ついに10年後の37年、東洋一のつり橋「若戸大橋」が実現し、翌年北九州市の誕生に華を添えました。
若戸大橋を架けるために、半生を賭けた男の物語です。

劇団青春座は、1945年に設立した歴史のある劇団で、「郷土シリーズ」「現代シリーズ」の2シリーズを柱に226回の公演実績を持っています。常に、地元を大切にしながらチャレンジを続けている劇団ですが、アマチュア劇団でこれほど長い歴史と実績を持っている劇団は少ないと思います。
公演は、常に連日盛況満員で、そんな劇団で初戯曲を上演していただく葉月けめこさん、地元とのお友達やご親戚も喜んで駆けつけてくださるとか。楽しみですね。演出も、劇団の看板女優馬淵理麻さんの初演出。
気鋭の女性作家と女性演出家が織り成すお芝居、
新しい舞台が生まれてくることでしょう。

人間はなにがあっても、どんな困難にあっても、また立ち上がっていきます。そんな人間の強さ弱さを描いたこのお芝居を通して、明日の九州の復興を信じたいと思います。

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