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代表 小林幸恵が毎日更新!
表参道シナリオ日記

シナリオ・センターの代表・小林幸恵が、出身ライターの活躍や業界動向から感じたことなど、2006年からほぼ毎日更新している日記です。

生きる

潜水艦ろ号未だ浮上せず(DVD)・国際放映)

作家は時代の神経である

シナリオ・センター代表の小林です。東京は青空ですが、九州、西日本、東日本はまだ断続的に大雨に襲われています。
「やまない雨はない、明けない夜はない」とよく言われますが、最近の状況ではホントに?と思ってしまいます。
東京はコロナ感染者5534人、また増えています。
東京、日本医師会から野戦病院を作るべきと声が上がっているにも関わらず、国も都も動く気配がありません。
妊婦さんが入院できず、自宅で出産して赤ちゃんが亡くなったというニュースに痛ましさを感じる以上に、国や都の人の命への対応のひどさに怒りが湧きます。
オリ・パラなどにお金や時間を費やす暇があったら、何故医療体制を充実させない、6割も搬送を断られている現実を何故見ないのか。
救急車たらいまわしで亡くなった方、自宅で苦しんでいる方がたくさんいらっしゃるという話はもう今に始まったことでもないのに、なぜ今も尚対応できていない、できないのでしょうか。
オリ・パラの施設、集めた医療従事者の方々を駆使すれば、あっという間に野戦病院のひとつやふたつはできるのではないですか。何人の命を助けられることでしょうか。

小説家の高村薫さんが「作家は時代の神経である」というタイトルで、サンデー毎日で連載されている「サンデー時評」をまとめた本を出されました。
「作家は時代の神経である」と書かれたのは開高健さんです。
高村さんの描かれたものにピッタリだと思いました。
この時代を憂うるだけではなく、自分の感性で感じ、自分の視点でみつめていくことが作家、創作者のあるべき姿だと思います。
「表参道シナリオ日記」は、創作的な話を書く場所のはずだったのに、私は、この1年以上毎日毎日怒りをあらわにしています。不愉快な方もいらっしゃるかとは思います。
ですが、私は作家でも何でもありませんが、自分の名前でブログを書く以上、自分の感じたもの、みたものを自分の言葉で書き続けていきたいと思っています。

潜水艦ろ号未だ浮上せず

新井一が描いた映画「潜水艦ろ号未だ浮上せず」が「新東宝キネマノスタルジア」のひとつとしてDVD化されました。
1954年に公開されたもので、特攻をかける潜水艦のお話しです。
昭和20年4月、もはやほとんど武器もなくなってしまった日本。
索敵能力の脆弱な潜水艦で、島に取り残された友軍の食糧を運搬するという命令が下り、二度と帰れないことを知りながら艦長はじめ乗組員は過酷な戦況へと向かいます。
米艦との戦いで爆撃され、沈んでいく艦内で極限状態に追い込まれながらも最後まで必死に戦う乗組員たちの姿を描いています。

ですが、これは男たちが見事に散っていたという戦争讃美のきれいごと映画ではありません。
なにせ反戦を旨とする新井一が描いたのですから。(笑)
お話しとしては前述したあらすじですが、作戦本部では、防御装置を軽視し、一艦一機必殺の攻撃戦法をとり、兵士の命などのことは考えていません。
艦長は、できる限り部下たちの命を守りたいと思うのですが、上層部には通じず、失意のまま出港します。
病気の息子を妻に託して出港する艦長、恋人、家族を遺して出ていく乗組員たち。
日々の生活を描くことで、本来生きたかった人々が戦争へ駆り出されていく理不尽さを描いています。

乗組員と惚れ合った芸妓に、死んでしまう人をこれ以上好きにならないようにと会わせない女将、子供が病気で苦しんでいても黙って送りだす妻、それを見つめる医者、二度と帰らないことをわかっていながら「帰ってきたらまたここに来るのよ」と言って送りだす下宿屋のおばさん、可愛がっていたインコを沈没する潜水艦から解き放つ乗組員・・・。
誰も何も言わないのですが、それぞれの日常との対比で戦争のむごたらしさを感じさせます。
ネズミやインコ、指輪、モールス信号などが小道具として見事に生かされています。
なにしろ、戦後10年も経っていない時に創られた映画ですので、潜水艦が潜るとか戦闘シーンとか、今の映像と比べたらどう見てもチャチです。(失礼!すみません。)
でも、それぞれに家族や愛する人とともに過ごす日常があって、それがすべて壊されていく戦争、どんな想いがあっても心を置き去りにしなければならない兵士たちの姿は、声高ではありませんが戦争のむごたらしさを伝えています。

CGとかではないのでチャチな感じで録音もいまいちなのですが、モノクロで、昔のニュース映画を見ているような、実際の戦争末期の姿を見た気がしました。
沈んだ潜水艦、その海上に、波間に揺られながら壊れた鳥かごにとまっているインコの姿が印象的でした。

昔懐かしい映画ですが、このコロナ禍でお上のやっていることも、下々の生活もちっとも変っていないなと、76年経っても何の進歩もなかったのかと、改めて愕然とする思いにとらわれました。
それを変えるには、個々が声をあげなくてはいけないと、しみじみ思わされた映画でした。
新井一が天国から送ってくれたメッセージかもしれません。

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