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代表 小林幸恵が毎日更新!
表参道シナリオ日記

シナリオ・センターの代表・小林幸恵が、出身ライターの活躍や業界動向から感じたことなど、2006年からほぼ毎日更新している日記です。

文章表現

おもいやり

マルハラ

シナリオ・センター代表の小林です。ようやく心に余裕のある日々に戻ってきました。
1月は、正月明けすぐにシナリオ作家養成講座開講があるため、説明会や参加者皆さんへのフォローに明け暮れて時間的余裕がないのですが、それはいつものことといつも通りにやっていたつもりでした。
10日ほど前から「体調やば~!」って感じになり、どうしたもんかと思っていたら、立春も過ぎ、大雪も体験して一息ついたらなんとか正常な状態に。
年の癖にすっ飛ばし過ぎていたようで、そろそろちゃんと考えて動かないといけない歳なのだと思い知らされました。
でも・・・やっぱり、どうせ生きるなら、激しく生きたいです(笑)

LINEの文末に句点が付くと、若者が恐怖心を抱く「マルハラ」というのがあるということを知りました。
句点は威圧感を感じ、相手が怒っていると解釈する傾向が若者にあるのだそうです。で、「マル(。)ハラスメント」。
これはLINEに限ったことのようですが、句読点というものは文章を読みやすくするために大事なものだと教育されてきた身には、???ばかりがついて、句点に威圧感があるということ自体がわかりません。
それでも句点に恐怖心を抱くのであれば、絵文字でもなんでもつけることはいいですけれど、日本語の文章のあり方として、文章が終わるときは句点(。)をつける。
それ以上の意味はないということを若い方は教わっていないのでしょうか。それもちょっと疑問です。

俵万智さんが、「マルハラ」を受けて、すばらしい短歌を作られました。なんてやさしい。
「優しさにひとつ気づく ×ではなく〇で 必ず終わる日本語」
若者の皆さん句点は〇ですから、怖がらないでね。
本当に日本語の解釈も、文章の書き方も難しくなってきました。
時代によって変化していくことは当たり前ですが、その過渡期にいると右往左往してしまいます。

形式

シナリオにはシナリオ形式というものがあります。原稿用紙への書き方です。
柱は、大きな〇を描いて、場所を指定する。ト書は3字(3マス)下げて4字(4マス)目から描く。セリフの2行目からは1字(1マス)下げる。
「形式にこだわるのはおかしい、創作は自由でいいのでは」というご意見もあります。
形式主義といわれるように形式にうるさいとどうも悪いように思われがちですが、このシナリオの形式は、どなたにでもわかっていただくためです。
シナリオ形式の本質は、誰が読んでも、柱とト書とセリフが明確にわかるようにするということです。

シナリオを描く時に男性は姓(苗字)、女性は名(下の名前)でという基本を講義すると、今の時代にそぐわない、時代錯誤だ、男女差別だという声をいただくこともあります。そうみえるかもしれませんね。
でも、これは、あくまで誰にでもわかりやすくというところから生まれています。
男性(男優が演じるか)か女性(女優が演じるか)わかりやすいようにということだけです。
ジェンダーとか差別とかは全く別のものです。
別に差別をしているわけではなく、男性か女性かわかりにくいお名前、例えば、薫とか優とかがどちらの性かわかりやすく区別するためのことです。
しかもあくまで基本なので、男性も名前で、女性も苗字で書いても構いませんが、配役するときにわかるようにすることは必要ですね。

昨今は、ちょっとしたことでも、時代錯誤とか、差別だとかにつなげてしまうことが多いですが、言葉尻を捕らえるのではなく何のためにこうなっているのか、こういう言葉を使うのかということも考えながら向き合っていきたいものです。
私たち夫婦は、昨年金婚式を迎えましたが、奥様でも女房でも細君でもカミさんでもない私は、ご主人でも旦那様でもご亭主でもない人とともに「連れ合い」として50年暮らしています。
でも、目上の方に紹介するときは「主人です」ということもありますし「うちの女房」と呼ばれることもあります。
そこは臨機応変、相手あってのことですから。 
言葉の持つ意味は、相手に(不特定多数にも)何が一番伝わりやすいかではないかと私は思っています。

過去記事一覧

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