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代表 小林幸恵が毎日更新!
表参道シナリオ日記

シナリオ・センターの代表・小林幸恵が、出身ライターの活躍や業界動向から感じたことなど、2006年からほぼ毎日更新している日記です。

思索

コロナ時代の身体コミュニケーション(勁草書房刊)

想像力

シナリオ・センター代表の小林です。今日から9月シナリオ8週間講座が開講されました。
シナリオ・センターの講座は、ライブ&オンラインのハイブリッドで行っているのですが、暑さとコロナ蔓延のせいでしょうか8月、9月はオンラインが圧倒的になりました。
時期によって、またはコロナによって、どちらかを選んで受講できるというのは便利なようで、うまく利用されてくださっているようです。
コロナ前は、ライブ(通学)だけでしたから、遠方の方は通信でしか受講できなかったものが、今は海外の方まで受講できるようになりました。そのおかげで、北は北海道から南は沖縄まで、日本のにならず世界各国からご参加いただけるようになりました。
夜の講座を朝早く受講されている地球の裏側(?)の方もおいでになるなど、多種多様な受講体制になりました。
今はゼミナールもハイブリッドで行われ、教室で受けていらっしゃる方とオンラインで画面の向こう側で受けていらっしゃる方とが、仲良くコミュニケーションをとっている姿は、わずか2年半前には考えられないことでした。
どこも、コロナで色々な形を模索し変化、進歩していっています。
なのに、進歩しないのはお上のコロナ対策。医療体制も検査体制もいまだに同じことを繰り返し、なにも変化も進歩もしていない、なんなのでしょうね。
どうも想像力というものが微塵もない輩ばかりのように見えます。
こうやったら、どうなるのか、ちょっと想像すればやるべきことなどわかるはず。想像できないのなら、簡単に諸外国の情報や過去に学ぶこともできる時代なのに。
何からも学べず、想像力もない方に託しているって、私達の将来はどうなるのでしょう。こわーい。
ちなみに想像力とは、他人(ひと)を想う心です。

コロナ時代の身体コミュニケーション

通信で学ばれている中央大学研究開発機構助教、日本女子大学人間社会学部学術研究員の小谷弥生さんが共著で「コロナ時代の身体コミュニケーション」(勁草書房刊)を上梓されました。
小谷さんがお書きになっているのは「隠された身体・隠しえぬ身体性~「眼差し」によって触れることのできる世界とその変貌、そして可能性」

浅学の徒である私にとっては哲学は難しいですが、おぼろげながら、想いは近いのではと思いつつ読ませていただきました。
「かっては一堂に会すること、互いの顔を見ながらともに過ごすことに重きを置いていた世界も、生身の交流を手放すことを余儀なくされた。
代わりにリモートの実現によって、画面越しではあるものの離れていても即座に繋がり、互いの顔を見ながら声を聴くことのできる対話が可能化しつつある。
バーチャルリアリティはいまや仮想にとどまらず、生身の人間が生きるリアルな社会の延長上に構築されようとしている。(略)
こうした変化によって、私達の存在、とりわけ顔、身体という概念もまた、急速に変貌しつつある。」
「もはや『マスク』は半顔と化し、常に顔半分を仮面で隠しているような状態である。」
「このような顔の大変を覆う生活の中で、それでも隠すことはできず、自身も用いる必要があり、少なくとも多くの人が他者に明け渡さなくてはいけないもの。それは眼であり、そして『眼差し』ではないだろうか。」
「他者に触れることは憚られ、かろうじて自由なのは眼と脳。
すなわち眼差しと思索だけであるかのような時代。
だが、『眼差し』はこの世界へと這い出し、見えない触手となって、他者の元へとむかうこともできる。
そしてこの世界になお意識を伸ばし、傷ついたものを察知し、そっと触れることで、その傷を癒そうと試みることもできる。
触角を失いつつあるような世界において、私達は眼差すことによって、私達とは別の存在に『触れる』ことができるはずである。
それは究極的には、この世界に『眼で触れる』ことに他ならない。」
「人は誰しも、各々の『物語』を生きている。
そしてその物語を語りだすこともまた、誰かとそのささやかな世界を共有し、時には友愛が生まれ、たとえ変わらず孤独でありながらともに生きることができるかもしれない。」

私達はこのコロナ禍で失ったものばかりではなく、今迄とは別のコミュニケーション方法を構築しつつあるのかもしれません。
コロナ禍で、ともすればマイナス部分ばかり見て、ネガティブ思考になることが多かった私ですが、新たなことを拒否することなく、古き良き本質へ向かうことは可能なのかもしれないと小谷さんのご著書から希望をいただいた気がしました。
どんなときにも必要なのは思索であり、単純に言えば自分の想い、考えこそがすべての道を開くのだと思います。
創作の道こそ、ここから始まるのです。輝く明日へ。

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