menu

脚本家を養成する
シナリオ・センターの
オンラインマガジン

シナリオ・センター

代表 小林幸恵が毎日更新!
表参道シナリオ日記

シナリオ・センターの代表・小林幸恵が、出身ライターの活躍や業界動向から感じたことなど、2006年からほぼ毎日更新している日記です。

真実

汚名~九大生体解剖事件の真相~(文藝春秋刊行)

上書き

シナリオ・センター代表の小林です。冷たい空気ですが空は真っ青な東京です。
東京今日の感染者792人。大阪1208人。青空も何もあったもんじゃないというかんじですが、人の流れはあまり変わったようには見えません。
国民の誰もが、「大変だぁ、どうなるのかぁ」と思うばかりで、お上から発表があっても具体的な動きが取りようもないことばかりなので、なんとなく過ごしてしまうのでしょうね。
小池都知事の要請を受けて、個人ができることと言えば買い物を3日に1回にするくらい。もちろんマスク・手洗い・消毒・検温はありで。
テレワークにとか言われても、県をまたいで通勤しないでと言われても、会社が決断しなくてはできないわけだし・・・。
休んでしまったら、食べていけない人が続出するわけだし・・・。
口先だけでなく、具体的な方策と仕事を休んでも生きていける状況を作ることしかないです。

色々な方々が、医師会や分科会でも危ない、蔓延している、爆発的に増えるなど言っているのに、検査も医療体制も十分でない日本で、世界中の8割がオリンピックを開催して欲しくないと言っているのに、まともに聴いて、頭を使ってほしいものです。
そういえば、今週月曜日に放映された出身ライター本田隆明さんが描かれた「脳科学弁護士海堂茜 ダウト」(テレ東)の中で、脳は上書きするという話があり、コロナでの都合の良い発言も、何かしている感も脳の仕組みを聞くとわかるような気がしてきました。
勝手に上書き、やっちゃったんだねと。(笑)
いやいや、それをしちゃ、ダメでしょう。お上たる者が。
ちゃんと見ましょうよ、きちんと聴きましょうよ、都合よく書き換えないで。

真実

真実はどこにあるのか、誰もがみな違うのですから、見方や考え方、おかれた立場によって、見えてくるものは違ってくるのだとは思います。
上書きもそうだけれど、真実に蓋というのもあります。
「九州大生体解剖事件」、最後の生き証人と言われた東野利夫さんが95歳で13日に亡くなられました。
ご存じでしょうか。第二次世界大戦末期に起きた「九州大生体解剖事件」。
1945年、九大の医学部で、九大の教授らが軍監視の下、墜落したB29の乗務員8人を生体解剖したとして、のちに23人が有罪判決となり関係者軍部と医学教授5名が死刑となった事件です。

東野さんは、その事件に関わった体験を語り続けていらっしゃいました。
当時、東野さんは医学生で、九州大学で生体解剖に関わりました。そして、軍事裁判では検察側証人となって、真実を伝えようとしてきました。
東野さんは、戦後も罪の意識は消えず、ご自分の体験だけでなく、関係者から取材をしたり、裁判資料を読み込んで、1979年「汚名『九大生体解剖事件』の真相」(文集文庫)を書かれて、反響を呼びました。
産婦人科医として医療に従事する傍ら、資料展などを毎年開催して語り続け、大分県竹田市の墜落現場そばに、私財で石碑を建て、晩年まで慰霊し続けられました。

東野さんが「汚名」を書かれた後か前か、もうその頃を知る者はほとんどが鬼籍に入ってしまい、しかとはわからないのですが、1980年前後ともかくシナリオ・センター福岡教室で、東野さんは、シナリオを学ばれ、映画化に全精力を賭けていらっしゃいました。
当時、新井一も、講師でもあった大木舜二プロデューサーもお手伝いをしていたようです。
新井が亡くなるまで親交は続いており、今日に至るまでシナリオ・センターとも交流がありました。
2018年2月5日の表参道シナリオ日記に、東野利夫さんが自費出版した戦争の真実の本のお話を書かせていただいています。

昭和は遠く、戦争の過去を知る方々は次々と逝ってしまいます。
「九大生体解剖事件」もすべてが明るみに出ないまま、真実が見えないまま、人々の記憶から消えていくのかもしれません。
東野さんのご冥福をお祈りするととも、真実を探し続けるという、消してはいけない火を灯し続けて行きたいと念じています。合掌。

小説家遠藤周作さんの「海と毒薬」は、この東野さんの本を基に書かれており、「海と毒薬」(19896年)は熊井啓監督が映画化されています。

過去記事一覧

  • 表参道シナリオ日記
  • シナリオTIPS
  • 開講のお知らせ
  • 日本中にシナリオを!
  • 背のびしてしゃれおつ