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代表 小林幸恵が毎日更新!
表参道シナリオ日記

シナリオ・センターの代表・小林幸恵が、出身ライターの活躍や業界動向から感じたことなど、2006年からほぼ毎日更新している日記です。

コミュニケーション

ドラマ誌11月号

してあげない

シナリオ・センター代表の小林です。週末は台風15・19号の被災地もまた雨だとの予報。表参道で、ただただ心配するしか能がないのですが、本当に心配です。
いらない学校には150億も出したのに、このめちゃめちゃ大規模で広範囲の台風被害に平然と7億円しか出さないお上は当たり前?疑問に思う、腹をたててしまう私がおかしいですか。
まともな人だったらできない、言えないと思うことを、あまりにもたくさんの方々が平然とおやりになるので、もう最近は、なにが正常なのかわからなくなってしまいました。(笑)
急に東京オリンピックのマラソンと競歩が札幌開催になるとか。
東京都知事の小池さんが「北方領土でおやりになったら」とやけくそ発言していたのが笑えます。
真夏の東京でオリンピックができると思ったこと自体どうかと思いますが、これほど災害に見舞われている日本で、なにがあってもおかしくない昨今、色々と無理がでてきそうです。
それにしても、何故、こうも上に立つ方々は、目先のことしか考えずに突っ走るのか、計画性というものがないのか、想像力がないのか、本当に疑問です。
そして、それを見過ごしている(?)私たちも・・・おかしい・・???

させていただく

出身ライターの森下佳子さんが担当されるドラマ11月号の新しく始まったリレーエッセイ「で?」で、「させていただく」という敬語について書かれていて、森下さんの考察に脱帽。さすがです。
私自身、この日記で「させていただく」を使うことがあります。
考えてというより自然に書いてしまっているのですが、森下さんが書いていらっしゃるように敬語としてというより、周りを慮って使っていることに気がつきました。
どのような方が読んでくださるのかがわからないのでということもあるのですが、「『させていただく』と気遣い合う世界は、無用な衝突は生まれなさそうだけれど、かといって予期せぬ親密さも生まれなさそうだからだ。
そして、そんな遠慮の塊みたいな距離感が人間関係のデフォルトになってしまったら、果たして世の中回っていくのだろうかと心配になる。」(一部抜粋)
と森下さんが書かれていらっしゃることは、まさにその通りで、一線を引くことで防御しているにほかなりません。
コミュニケーションは、いつの世もとても大事なものですが、昨今特に一線を引かざるを得ないことが多くなっているような気がします。
それは、顔を合わせて話す機会が減っているからではないでしょうか。
声すら聴かせない(電話)で、メールだのラインだので、絵文字だのスタンプだのを多用してそれをコミュニケーションとしている・・・本当のところどうなのだろうと森下さんのエッセイを読んで(読ませていただいて)(笑)改めて思いました。
昭和育ちの私は、近所のおばちゃんおじちゃんに怒られたり、世話してもらったりしながら育ったので、ドア1枚に隔てられて「隣は何をする人ぞ」はとても寂しいです。
私は、10年以上前から、コミュニケーションを広げるためのひとつとして、縁側文化を提唱しているのですが、今の若い方は縁側そのものをご存じない方が多くて、話が通じない。まさに、コミュニケーション不足。(笑)
一軒家が少なくなっているのでご存じないのかもしれませんが、縁側は和室との境にある廊下のことで、広縁(家の内側にある)、濡縁(外側にある)の2通りがあります。
ようは、家の中までは入らないけれど、ちょっと腰かけてお茶したり、おしゃべりしたりできる空間でした。
ある意味、開かれた家になるので、個人情報がうるさい今には合わないのかもしれませんが。
でも、ご近所のちょっとしたコミュニケーション広場として活用されてきたのが縁側でした。
そんな縁側での付き合いみたいな、ちょっとしたコミュニケーションがとれたら、また違った考え方や人間関係が生まれる気がして、縁側文化を提唱しているのです。
シナリオ・センターも、出身ライターの方はもちろん、今はやめちゃった方も、通信の方も、もちろん通学されている方も、みんなが気軽にお顔を出してくれたり、おしゃべりしにきてくれたらいいなと、そんな場所でありたいなあと思っています。
アクション・リアクションを描くシナリオだからこそ、コミュニケーションのあり方、とり方に敏感でありたいと思います。

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