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代表 小林幸恵が毎日更新!
表参道シナリオ日記

シナリオ・センターの代表・小林幸恵が、出身ライターの活躍や業界動向から感じたことなど、2006年からほぼ毎日更新している日記です。

存在

千鳥ヶ淵の桜

名前

シナリオ・センター会長の小林です。東京は明日が桜開花の予想ですが、さて?
東京の開花宣言の桜は靖国神社。我が家から15分ほどのところですが、千鳥ヶ淵、皇居とお花見場所は限りなくあり、今年もお花見の人であふれるでしょう。

桜の季節になると、西行法師の「願わくは花の下にて春死なんその如月の望月の頃」を思い出します。
人の死は色々ですが、家族や友達などと共に生きた人間としてきちんと存在したことをわかっていて欲しいです。
一晩で10万人近くの人々が犠牲になった3月10日の東京大空襲から81年経ちました。
今回追悼集会では、遺族らが犠牲者の名簿を遺族会などの団体の許可を得て、独自に犠牲者のお名前を集めて名簿を作り、お名前をひとりひとり読み上げたそうです。
犠牲者のお名前を読みあげるというのは、今までなかなかなかったことで、2021年から始めて、今年は4218人なったとか。
私はこの試みを始めて知りましたが、犠牲者を「数」で考えるのではなく一人一人に名前があり、家族、兄弟姉妹、友達とともに暮らしていた存在であることを示すことはとても大事なことですね。
数でしか見ないお上は、想像すべきだと思うのです。
想像できないのであれば、自分の家族や子どもをいの一番に戦場に送ってみてください。
そうすれば、人の命がどんなに大切か、誰にも生きている証があるのだということ「数」や「駒」ではなく、家族や友達にとって大事な一人の人間なのだということを感じることができるのではありませんか。
実行委員長の河合節子さんは「空襲から81年経ち、忘れられそうになっている。戦争を繰り返さないためにも、犠牲者を『数』にせず、名前を読むことで若い方にも実感を持ってもらいたい」と。
私たちは、一人ひとり、自我のある人間で名前もあります。
どうか、そのことを忘れないで欲しいと思います。

横浜校

今月いっぱいで、横浜校を閉めることにいたしました。
1975年に横浜・関内に、教室を開いて以来51年経ちました。
その前に2年ほど、横浜の私学会館で教室を開いていた時を入れると、53年近くなるでしょうか。
横浜校ができた大きなきっかけは、横浜市の成人教室でした。
横浜市役所の職員の方もたくさん学んでくださって、横浜に教室創りましょう、お手伝いしますと言ってくださったのです。

75年に横浜市役所の真ん前の島田ビルの一角を借りて、開校しました。
開所式には、時の横浜市長飛鳥田市長がテープカットしてくださり、にぎにぎしく始まったのです。
その後、横浜校は受講人数が減り、教室を閉鎖して市の施設をお借りして、週3回のゼミを開くことで今日に至っています。
開校に尽力してくださった柴崎講師も亡くなり、今は相川講師が担っていました。

我らの大先輩、内館牧子さんも横浜校出身。シナリオ仲間と野毛の居酒屋で飲んだくれていた時期もおありだとか。
今でも神奈川新聞の服部宏さんなど、共に学ばれた方と親しくお付き合いをされていらしたようです。
横浜で、新井先生、後藤所長と出会わなかったら、今はなかったとよくおっしゃってく出さっていました。
そんな内館さんも、昨年12月鬼籍に。合掌。
過日NHKでの内館さんの追悼特集では、シナリオ・センターに入ったきっかけの新聞広告や、後藤所長の授業風景も出してくださって、びっくりしました。
もしお元気でいらしたら、横浜閉校と申し上げたら、怒られたかも。

生徒数も30人を切り、それでも横浜生の皆さんの熱意に支えられて、ここ10年以上頑張ってきたのですが、受講する方が増えず、残念ながら閉めることにいたしました。
長い間、横浜校で学んでくださった皆様には心から感謝しております。
そして、閉校に際して、現在学んでくださっている横浜生の皆さんには申し訳ありませんが、東京校へのご移動をお願いいたしました。
描き続ける場所のひとつでありたいと頑張ってきた横浜校ですが、その心意気だけは繋いでいきたいと心から願っています。
どうか、勝手なお願いですが、横浜生の皆さん、描き続けることで繋いでいってくださいね。
ありがとう、横浜校。楽しく素晴らしい52年でした。

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