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代表 小林幸恵が毎日更新!
表参道シナリオ日記

シナリオ・センターの代表・小林幸恵が、出身ライターの活躍や業界動向から感じたことなど、2006年からほぼ毎日更新している日記です。

気合

紫陽花

梅雨空

シナリオ・センター代表の小林です。今日も雨空です。空も泣いているのでしょうか。
田村正和さんが亡くなられ、昭和のスターがまたひとつ消えてしまいました。
作家集団の新井講師は、同じ学校で同級生でした。だから?・・・って話ではありますが。(笑)
それにしても寂しい。古畑任三郎は、もういなくなってしまいました。
名プロデューサー澤田隆治さんが亡くなられました。
「スチャラカ社員」「てなもんや三度笠」「新婚さんいらっしゃい」などコメディ・バラエティをヒットさせ、「花王名人劇場」で1980年代の漫才ブームを牽引された方です。
過日、池井戸ドラマの制作のお話をしていただいた内丸摂子プロデューサーがいらっしゃる東阪企画の創設者でもあり、名作「裸の大将」等を生み出しました。
「てなもんや三度笠」の映画版は新井一が描いています。
毎日のように著名な方々のご逝去の報が届き、「昭和は遠くなりにけり」が私の常套句になりそうです。

オリンピックのボランティアのユニフォームの受け渡しが始まったそうですが、このコロナ禍で県外に行き来をするなと言っている東京でありながら、ユニフォームはとりいかなくてはいけないとか。
東京の方にとどまらず全国各地にボランティア希望者がいらっしゃるわけで、県をまたいで取りに来ていただくより、送った方が安全な気がしますが。
どうも「ボランティアだから」らしいです。
どんなお知らせが来たかは知りませんが、遠方の方だって交通費も自分持ちでとりに行くわけですから、ちょっとでも「ただ働きは、自分が望んだことだろう」って感じが見受けられたら、辞めた方がいいです。
上から目線の組織は、何かあったときに何もしてくれませんから。自己責任といわれるのがオチです。
なんだか、日本全国うっとおしい梅雨空が続きそうです。

今も昔も

1980年代の月刊シナリオ教室を読み返しています。何故今頃古い冊子を読んでいるかというと、創作ととても真摯に向き合っていることがビシビシと感じるからです。
思わず姿勢を、襟を正したくなる言葉と出会います。
コロナ禍になって、ふと逃げたくなる気持ちを、そんな先人たちの言葉に助けられることが多い今日この頃です。
80年代の映像と言えば、映画かテレビしかなかった時代ですから、世に出ていくことも今以上の大変なことだったのです。
現在だって、もちろん簡単ではありませんが、ライターズバンクにオファーが引きも切らずにいただけるのは、40年前とは全く違います。
ハードがたくさんでき、ハードが増えればソフトも必要になる、なので、ずいぶんとデビューしやすくなっています。
でも、やはり、デビューすることやコンクールに入選するには、地道な努力が必要なのは変わりがありません。
城戸賞の審査にあたって、故野村芳太郎監督がシナリオ教室で、応募される方々へ素晴らしいアドバイスをされていらっしゃるのをみつけました。。
ご存じのように巨匠野村監督は松竹の監督の草分け的存在で、「ゼロの焦点」「張り込み」「砂の器」「八つ墓村」「疑惑」など多くの名作を創られてきた方です。
ジェームス三木さんもデビュー作から、野村監督にたくさん教わってきたとおっしゃっていらっしゃいました。

城戸賞の審査にあたって、野村監督は、
「新しさと出会いたくて新人のシナリオを読むわけです。
その新しさとは何かと言えば、やはり我々に、こんな世界があったのか、こんな見方、考え方があったのかと感じさせてくれるシナリオなわけです。
要するに発見させてくれるシナリオがいいのです。
それには描く人も発見しなくてはいけないわけです。それが読ませる力となるのです。
その新しさを誤解して、奇をてらってみたり、映像のとうていできないものであっては意味がない。
やはりどこか楽しているというか、なれ合いで書いているというか、書く方は楽しんで、意気込んで書いているかもしれないけれど、読む方はうんざりなわけです。
10の材料で10のことを書いても決して面白くはならないわけです。
100の材料を持っていて、10のことを書いて初めて面白いものができる。
それにシナリオはあくまで映像の手段であることを忘れてはいけません。
言葉は便利ですから、そのまま説明しなくても伝わるけれど、映像はそうではないのです。
シナリオは言語で書かれているけれども、映像は普遍的なものであるということです。
シナリオにそうした普遍性がないと読む側に伝わってきません。
それは個人だけの感性では描き尽くせないことです。足で書くということは、そうした普遍性をシナリオに植え付けることにもなるわけです。
完成するための努力を惜しまないということが、もっとも大切なことなのです。
そうした努力で磨かれた新しい感性に会うことを願いつつ、我々は審査を続けているのです。」
創作への向き合い方は、今も昔も、変わりはありません。

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