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代表 小林幸恵が毎日更新!
表参道シナリオ日記

シナリオ・センターの代表・小林幸恵が、出身ライターの活躍や業界動向から感じたことなど、2006年からほぼ毎日更新している日記です。

配慮

説明台詞 を防ぐにはセリフにも構成を

新井一語録

発信

シナリオ・センター会長の小林です。台風の被害は、いかがでしたでしょうか。
幸いに表参道はたいしたこともなく、ほぼ通常通りに動くことができました。
前日にゼミナールは基本的にはオンラインを推奨していますとのコメントを出したせいか、通学の方はさほど多くなく、無事においでいただけたのでほっとしました。
夜の小説講座は、雨にも風にも負けず柏田講師が頑張って講義。
鈴木光司さんのように壮大なスケールの作家に、原田ひ香さんのようにベストセラー作家に、兵藤るりさんのように脚本と小説家の二刀流の方が生まれたら嬉しいなぁ。

最近のお上は、記者会見とかぶら下がり会見とかほぼしませんね。
Xで発信しているからとおっしゃっていますが、それはまったく違うんじゃないかなぁと思います。
Xって、自分が言いたいことを言うだけですものね、私から見るとただの一方的な宣言にしか思えません。トランプさんもそうですよね。
国民に本当に発信するつもりなら、一方通行ではなく、質疑応答を重ねることで、わかりやすく訴えることが必要なのではないかと思うのです。
文脈から察することができるのは100%ではないのですから、生の声で双方向でやりとりをする機会こそが大事ではないでしょうか。
記者会見の質疑応答というのは、物事の本質や問題の核心が浮き彫りになることが多いです。
本気で言っているのか、ちゃんと考えてのことなのか、本人の話し方や態度、また訊かれた時の反応を見ることで、真意がわかることが沢山あるように思います。
そこから国民の信頼を得ていくことがお上のあるべき姿だと思うのです。
他人とまともに目を見合って話せない人が国民の上に立って物事を決めていくなんて、とても怖いことです。
ま、とはいえ、記者会見も大した質疑などはしないジャーナリストの風上にも置けない情けない記者ばかりなので、お上は心配しなくても大丈夫だから、出てきてください、逃げないで。(笑)

言葉の重さ

言葉の捉え方というのはとても難しい、それは、シナリオのセリフにも言えることですね。
昨日の続きになりますが、内館牧子さんの「朝ごはん、食べた?」(週刊ポスト)で、脚本家の仕事で一番ストレスを感じるのは「配慮」だと書かれています。放送禁止用語や差別語の域ではなくちょっとしたことなのですが、難しい。
大河ドラマの「毛利元就」を描かれた時、内館さんは松坂慶子さん演じるお杉の方にこういわせました。
「おなごは顔じゃ。顔と肌を磨かねばならぬ。心なんぞというものは、顔の悪い女が磨くものじゃ」
で、内館さんは「女は容姿がすべていう捉え方は困ります。容姿にコンプレックスを持つ女性への差別になります」と言われないよう伏線を張ったと言います。
お杉の方に「私は持って生まれた美醜をいうておるのではない。美しう生まれても紅一つささぬ女より、醜う生まれても化粧をし、美しう見せる勤めを怠らぬ女の方が上なのじゃ」
と、今度は「肌が弱くて化粧ができない人のことも考えてください。差別ですよ。」こうなるとさすがに脚本家は何も書けなくなる。
結果「女は姿形ではござらぬ。心が何よりも大切じゃ。陰ひなたなく、清らかな心を持つ女こそ美しい」
内館さん曰く、「こんな女どこが面白いものか。友だちにもなりとうござらぬ。」(笑)
幸い、お杉の方のキャラが出ているということで最初のセリフで通ったそうです。めでたし、めでたし。

息子にも娘にも優しい言葉一つかけてもらえない老母のセリフ。
「子どもなんてこんなものですよ。でも、私は生まれ変わったら時は子どもを持ちません。その代わり一生を賭けられる仕事を持ちたいわ」
このセリフには、「少子化を促進し、仕事をしていない女を差別している匂いがある」とスタッフ。
また別のドラマでは若い男女のセリフにこう書いた。
女「プラトニックラブというのは高級な愛情なんだよね」
男「ああ、俺とお前は会ったその日に低級になったけどな」
すると、肉体関係があることを低級と定義してはまずいとスタッフ。
「若い男女が『高級』に引っかけてジョークで言っているよ」と説明したが通らない。
スタッフは考えた末に言った。「それじゃあ、こう書くはどうでしょう。『俺とお前は会ったその日にああなったけどな』って」
これではシャレにならない。「低級になったけどな」という言葉は共犯者意識やちょっぴりの自嘲や、高級よりさらに奥に入っている高揚感と優越感などが匂うと私は思っているのだが、「ああなったけどな」では単に重いだけだ。」
内館さんはあえて書き直さずセリフを全部カットしたという、「書き直してゆるくなるくらいなら、いっそない方がいい」同感です!
1990年代は、今よりはもっとコンプライアンスは緩かった気がしますが、それでも色々難しかったようですね。
他人の捉え方は千差万別ですから、自分はこう言ったつもりが、相手にはそうは捉えられないことは良くある話です。
まして、今の時代は一方的にものが言える時代、あっと言う間に叩かれたりするかもしれません。
でも、でもです。そんなこと言ったらなーんにも言葉に出せなくなっちゃう。
ドラマも小説も物語の中のことですから、最低限の配慮はするにしても、全方向に〇なんてありえない。毒があるからいいセリフであったりするし、物語を面白くさせるのです。
この判断って確かに難しいけれど、物語の中ですら言いたいことも言えなかったら・・・なんだかなぁ~。つまらん!
人を傷つけることを良しとはしないけれど、とはいえ、言葉って、実際に言葉に出した時は、その言葉のみを意味するのでなくて、その場の状況、雰囲気や言い方、そして、その前の背景・事情で変わります。
脚本は、セリフ命です。
だからこそ、背景・事情、状況をきちっと描いて、キャラクターをしっかり作ることが大切なんですよね、そうすれば、面白いドラマが描ける、いいセリフが生まれるんですよね、内館さん!

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