子どもこそ
シナリオ・・センター代表の小林です。広島は35度近くあるのでしょうか。気持ちの上ではそれ以上に暑い日でもあります。広島の平和祈念式典は世界120ヶ国の方々が参列されて行われました。
過去最高の参加国数だとの話ですが、それだけ核に対する恐怖があるのではと、勝手に想像しています。
広島知事は、「自信過剰な指導者の出現、突出したエゴ、高揚した民衆の圧力。あるいは誤解や錯誤により抑止は破られてきました。
我が国も、力の均衡では圧倒的に不利と知りながらも、自ら太平洋戦争の端緒を切ったように、人間は必ずしも抑止論、特に核抑止論が前提とする合理的判断が常に働くとは限らないことを、身を以て示しています。」と言っています。
今、日本でも核を持つべきだとか声高に言う議員が生まれている現状を嘆いている言葉でもあると思います。
大人たちがバカなことを言い出している中で、子どもたちは賢明です。
子どもたちの平和の誓いでは
「世界では今もどこかで戦争が起きています。大切な人を失い、生きることに絶望している人々がたくさんいます。
その事実を自分のこととして考え、平和について関心を持つこと。多様性を認め、相手のことを理解しようとすること。
一人一人が相手の考えに寄り添い、思いやりの心で話し合うことができれば、傷つき、悲しい思いをする人がいなくなるはずです。
周りの人たちのためにほんの少し行動することが、いずれ世界の平和につながるのではないでしょうか。
OneVoice。たとえ一つの声でも、学んだ事実に思いを込めて伝えれば、変化をもたらすことができるはずです。
大人だけでなく子どもである私たちも、平和のために行動することができます。」と。
この子どもたちがいる限り日本はかろうじて生き抜けるのかと思います。
石破総理が、歴代の総理には珍しくご自分の言葉を取り入れ、「太き骨は先生ならむ そのそばに 小さきあたまの骨 あつまれり」歌人・正田篠枝さんの歌で追悼の辞を締めくくったのもびっくりでした。
ちょっとだけ、半歩ほどでも平和に傾いた日だったかもしれません。8月9日は長崎です。
シナリオを描く
現在、創立パーティーの準備に余念がありません。
周年ごとに、シナリオ・センターではテーマを創って、そこに向かっているのですが、55周年のテーマは「つなぐ」、新井一賞の課題が「バトン」だったことも繋がっています。
創立パーティーは10月24日ですが、感謝とともに、色々な方に新しいシナリオ・センターの行く末も見ていただき、これからも繋がっていきたいと思っています。
半世紀、色々と変化がありました。まさに「ドラマとは変化である」です。
今は、親子だったり、夫婦だったり、兄弟姉妹だったり、友達同士だったり、会社の仲間同士だったりと一人ではなくどなたかとご一緒に学んでくださる方も多くいらっしゃいます。
ですが、創立当時は、家族に内緒、友達に内緒、会社に内緒。夫婦でも秘密。
ほとんどの方が内緒で、シナリオ・センターへ隠れるようにして(笑)、学んでいらっしゃいました。
コンクールで応募なさる時もペンネームを使う方がほとんどで。
創作をする、執筆をするということは、普通の人ができることではないという認識が強かった時代です。
シナリオ自体、一般には知られていませんでしたし、シナリオを勉強しているなんて言っても、「シナリオって何?」から始まり、「才能があるの?」と言われるのが当たり前。
家族であったら、「才能もないのに、バカなことをしていないでまじめに働きなさい」と一喝されるのがオチ。
創作というのは、バカなこと、まじめな人はやらないこと、才能がないとできないことだと思われていたのです。
隠れて、こそこそ学びながら、花開いた時の喜びはとても大きかったかと思います。
今は、隠すというよりは積極的にどんどん発信している方が増えていきました。子どもの夢がユーチューバーであったりするのですから。
シナリオ・センターではキッズシナリオも大評判で、小学校、中学校から講座の依頼がきています。
今年は、もう20校以上お伺いしたほどです。
学校で子どもたちが映像を創る時代です。時代が進んでいくのは、とても素敵なことですね。
創立パーティーには、シナリオの仲間だけでなく、ご自分のご家族や職場のお仲間、友人の方々もお誘いして、「私はこんなシナリオを描いています」「シナリオづくりって面白いよ」って胸張って楽しんでいただけたらと思っています。
みんながワクワクできるようなパーティー、シナリオを通じて色々な方と繋がっていけるような、世界観が広がるようなパーティーができたらいいなぁと。