街宣車
シナリオ・センター会長の小林です。ミラノ冬季オリンピックでは、日本勢が頑張っているようで、しかも若い人の活躍が目覚ましく頼もしい限りです。
オリンピックは、平和の祭典。その裏で世界のそこここで終わりの見えない戦争を続けていることは悲しいですが、選手たちの頑張りは美しいです。
11日は建国記念日だったせいか、右翼街宣車が大音響で軍歌を流しているのをあちこちで見かけました。
街宣車を見送りながら、市ヶ谷の橋の上で、思わずあたりを見回してしまいました。静かな街並みが、焼夷弾にみまわれ、人々が逃げ惑う姿が、ふと目に浮かんでしまったのです。
それは、決して遠い世界ではなく、世界にあちらこちらで見られる姿です。
人はそれぞれだけれど、戦争を勇ましく語ることには違和感を持ちます。
世界が不安な時代だからこそ、憲法改正に反対だし、非核三原則は順守すべきだと思うのです。
選挙が終わって、首相が人気を盾に極端な政策を進めないかとても心配です。
私が一番懸念することは、子どもたちの未来があるかどうかということです。
今ですら、子ども食堂やフードバンクなどでも支援しきれないくらい子どもたちの生活環境は悪くなっています。
本当に消費税減税をしたとしても、どこまで踏みとどまれるのかわかりませんし、何よりも子どもたちが戦争の渦に巻き込まれないかと思うと怖くなります。
どうか、大人たちよ、自分のことばかりでなく子どもたちのことを考えてください。
創作への道
本屋で立ち読みしていたら、雑誌ダヴィンチで「新人作家の道」という特集を組んでいたので、思わず買ってしまいました。
小説の新人賞が大きなものだけでも30もあることを知りました。
あ、この賞は〇〇さんが受賞されたものだなぁとか思いながら、読んでいたのですが、最初の一歩を踏み出すにはやはりコンクールなのですね。
先日、出身作家の鈴木光司さんが、コンクールで最終に残っただけではだめで、大賞をもらって、初めて小説家の道が開けたというお話しをされていましたが、登竜門というだけあってまずはコンクールを狙うことのようです。
選考委員の小川哲さんと金原ひとみさんとの対談の中で、金原さんが、デビュー前、創作ゼミで小説を読み合ったりして、誰かに自分の小説を読んでもらったり、友達と読書会をしたりしたことが糧になっていると、出来不出来だけでなく読み手としての視点も学べたことが有効だとおっしゃっていました。
一番大事なのは、「自分にしか描けない作品かどうか」ですが、それを知るにも他人の目というは必要なのです。
シナリオ・センターが、講座で基礎を学んでいただいた後に、ゼミナールを設けている一つの理由は「他人の目=客観性」を養うということがあります。
良きにつけ悪しきにつけ、自分の想いとは裏腹な評価を知るということが、作家性を磨く大切なものだと思うのです。
それと、より大事なことは、書き続けたいと思わせる場所を創るということ。
一人では気がつかないこと気づけせてくれる仲間がいて、一緒に書き続ける仲間がいる、そして伴走してくれる講師がいるゼミナールは、ともすれば折れそうになる「書く」というモチベーションを支えてくれるのです。
小説でも、シナリオでも書き続けるしか道はないのです。
どんな環境を創れば、「書く」モチベーションを保つことができるのか、そのお手伝いができるのか、もっと良い環境づくりをと改めて思っています。












