ありがとう
シナリオ・センター代表の小林です。先週金曜日は、創立55周年記念パーティーでした。
準備のために22日から授業をお休みさせていただき、受講生の皆様にはご迷惑をおかけしました。5週目に代講をさせていただきますのでご容赦くださいませ。
お蔭様で、東京會舘に業界、出身ライター、受講生の方々800名を優に超えてご臨席をいただきました。
1500名は入る一番大きな会場でしたが、かくもこんなに大賑わいな雰囲気になってしまうものなのかとびっくり。
お祭り騒ぎだとご勘弁ください。
私は、これほどの方々にお集まりいただけたこと、ありがたく本当に嬉しく、感謝感謝です。何とかやってきて、本当に良かったとしみじみ思っています。
今日は、ちょっと昔話をさせてください。
思えば、55年前、140名の新井一を慕ってくださっているシナリオ同人の方々がシナリオの学校を創りたいと願って、始まったシナリオ・センターです。
学校法人を取りたかったけれど、当時、どっかの首相みたいな人がいなかったので、裏から手を回すことができず(笑)、学校法人化はあえなくダウン。
そこで、新井が退職金をつぎ込み、受講生の皆さんが一株株主になり、株式会社という形で立ち上げました。
なので、シナリオ・センターは株式会社だけれど、営利目的はひとつもないのです。
創立の時から、生徒さんとともにある・・・というのがシナリオ・センターなのです。
その上、「日本中の人のシナリオを書いてもらいたい」と願う新井一は、授業料は廉価でなくてはシナリオを書いてもらえないと。
だから、お月謝は8800円。この物価高も値上げしない。
55年の間、まったく儲からない赤字会社として過ごしてきました。
毎年いつ潰れるかとドキドキしながら、続けられるのか悩み、思い切って占いに行ったこともあります。
そうしたら、「軒先で行き惑う旅人のようです。でも、あなたならどこへ行っても大丈夫です」と言われました。え~、いくところをしっかりと示して欲しかったのに~。(笑)
結局、自分で自転車操業でも続ける決断をしました。
世の中は、めげずに前向いていると案外転がるものです。
新井一が亡くなった時もそうでした。
予兆もなく突然死でしたから、センターすべての人が呆然としました。
シナリオ・センターも終わりだと。
借金しか残さなかった新井ですが、気がついたらとっても大きな遺産を遺してくれていました。
「シナリオ基礎技術」。
全講師がシナリオ基礎技術を学んでいて、跡を継いだ後藤所長が新井イズム継承の徹底を図りました。
シナリオ・センターが、カリスマが消えても続いたのは、この「シナリオ基礎技術」があったからこそです。
そして、今。コロナ禍を、オンラインで凌ぎ、世界中と繋がるようにした三代目の新井一樹は、「シナリオ・センター式物語のつくり方」、続いて「シナリオ・センター式物語のみがき方」を上梓しました。
「物語のつくり方」は5万部も売れ、読まれた方がたくさんシナリオ・センターに受講してくれました。
その昔「シナリオ基礎技術」を読んでシナリオ・センターに来てくれたように。
新井一オタクと呼ばれる新井一樹は、シナリオ基礎技術を書き写し、何度も何度も読み込んで、新たな表現の形で、「シナリオ・センター式も物語のつくり方」を創りました。
もっとたくさんの人にシナリオを書いてもらいたいと。
第二弾の10月発売の「シナリオ・センター式物語のみがき方」は、パーティーのお土産にもさせていただきましたが、作品をより良くするための技術です。
新井一樹は、新井一の孫です。
子どもの頃はおもちゃを買ってくれ、お小遣いをくれて色々なところへ連れて行ってくれる大好きなお祖父ちゃんでしたが、今は、シナリオを徹底的に授けてくれたシナリオの神様に変わりました。
新井一樹は、祖父の跡をきちんと継承してくれることでしょう。
そして、「シナリオの基礎技術」はシナリオにとどまらず、企業研修やキッズシナリオなど等様々なところへと広がっていきます。
ご一緒に、シナリオの力を世の中に広げていってくだされば嬉しいです。
世の中は変わりつつあります。こういう時こそシナリオの出番だと思っています。
新井一が掲げた「日本中の人にシナリオを書いてもらいたい」というミッションは、一人ひとりが自分の頭で考え、自分の心で想い、伝えるための表現力を持って欲しいという気持ちから生まれたものです。
他人を想う心、想像力を広げてほしいと願ってのことです。
そして、自分なりの想いを、声をあげていきましょう。未来に繋げるために。
次の半世紀、100年へと繋げていってほしいと願っています。












