南京事件
シナリオ・センター代表の小林です。8月は気候が暑いだけでなく、今年は特に戦後80年ということもあって、戦争について語られることが多いようです。
わずか80年前の記憶や記録をこんなにあいまいにして、否定をしてしまうことができるのか不思議で仕方がありません。
『「南京大虐殺」はわが国の研究者らによってなかったことが証明済みだ。』と断言された櫻井よしこさんの言葉が大きな反響を呼んでいます。
「南京大虐殺(南京事件)」は、日中戦争の最中の1937年12月、日本軍が南京を陥落させ、南京の都市部や農村部で中国兵捕虜や一般市民らを殺害し、略奪行為などを重ねたとされている事件です。
日本人にとっては、とても恥ずかしく認めたくないことですし、なかったことにしたいかもしれません。
ですが、外務省でも「日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できない」ときちんと名言していますし、東京裁判では20万人以上、中国では30万人以上とされ、日本側の研究では数万~20万人などと犠牲者数は不明ですが、なかったことではありません。
現実に行ったという方の証言もありますし、何を根拠になかったものにしようとしているのでしょうか。
本当にない方がよいとは思いますが、なかったことにしていいわけではありません。
日本はドイツのように加害者としての歴史も学ぶべきだと思います。
平気でなかったことにできる意識は、いじめの加害者と同じ体質のような気がして、とても怖いです。
走ってくれ、メロス。
5作の名作をリブートした「走ってくれ、メロス。」(Gakken刊)が出版されました。
この本は、ミソ帳倶楽部でもお話ししていただいたGakkenの編集者目黒さんが、ライターズバンクに出してくれたお仕事で、表題の「走ってくれ、メロス。」を海野さやかさんが、「トム・ソーヤという、男の子のこと。」を蜂八優月さんが執筆されています。
リブートってとても創作意欲を刺激するものだと思います。リメイクとちょっと違って、原作の核となる部分は残しつつ、整合性や時系列を廃して、新たな作品を創造するものです。オマージュとも違うのでしょうか。
今回のリブート版は、原作の主人公ではなく「脇役」が主人公になっています。
この視点を変える作法というのは、とても面白いですね。
海野さんの「走ってくれ、メロス。」は、メロスを描くのではなく、メロスの代わりに人質になったセリヌンティウスが主人公です。
原作では親友を信じ、疑ってしまったことを恥じるセリヌンティウスですが、正義感ぶって、能天気に親友を人質にしてしまうメロスに対する気持ちと親友を信じない自分との葛藤が見事に描かれて、メロスの単細胞さも面白いです。
蜂八さんの「トム・ソーヤという、男の子のこと。」は、主人公はトムの恋の相手のクラスメートベッキー・サッチャーが主人公です。
トム・ソーヤの冒険ではなく、自由奔放なトム・ソーヤに振り回される女の子の恋心を描いています。
トム・ソーヤ、ハックルベリー・フィンの冒険物語は、子ども心をワクワクさせられましたけれど、なるほど恋心という描き方もありなんだなぁと楽しく拝読しました。
このリブートというのは、とても勉強になるなぁと思いました。
基本、主人公を決めたら、主人公を中心に主人公の想いを描きます。
でも、ライバル、恋人、友だち、上司・同僚などなど脇の人の想いをしっかりと考えると、全く違うものにもなりますが、もっと深く描けるような気がします。
スピンオフも似たような感じですが、ちょっと視点を外して見るというのは、創作にとって大切なことなんですね。
行き詰った時、相手(脇役)はどう思っているのかって考えてみるのも打開策になるかもしれません。