ジェームス三木さんのこと
シナリオ・センター代表の小林です。ジェームス三木さんがお亡くなりになりました。
91歳、御歳を聞けばむべなるかなとは思いますが、私の中ではまさかで、大ショックです。
ジェームス三木さんとは、シナリオ・センター創設前からのお付き合いです。
長いお付き合いをさせていただきました。ありがとうございました。
私が始めてジェームス三木さんとお会いしたのは14歳の時、新井一の「シナリオの基礎技術」の出版記念パーティーの時でした。
大勢の方にお祝いをいただき、ジェームス三木さんは、お祝いにナット・キング・コールの「ランブリング・ローズ」を歌ってくださいました。
彼はご存じのように、歌手でしたから。そのカッコよさに痺れたことを覚えています。(笑)
南青山に教室があった時、ジェームス三木さんは脳腫瘍で大手術をされました。
退院後しばらくはリハビリを兼ねた散歩がてら、よくお立ち寄りになって一休みされ、新井と仲良く談笑されていました。
隣に向田邦子さんがお住まいのマンションがあり、向田さんのところとシナリオ・センターを交互のお休みどころにされて・・・。そんな懐かしい思い出もあります。
シナリオ・センターが創設してからは、様々な局面でお力添えをしてくださいました
講義はもちろんのこと、毎年行っていた夏期合宿には必ずお顔出ししてくださり、受講生とざっくばらんにお話ししてくださり、ジェームス三木トークを楽しませていただきました。
また、「ジェームス三木と行くアメリカ西海岸の旅」という海外研修では、「霧のサンフランシスコ」を本場サンフランシスコで歌ってくださったことを昨日のように思い出します。
創立45周年の時はジェームス三木さんの傘寿のお祝いもさせていただきました。
いつも快く講義を引き受けてくださり、大阪校にもわざわざおいでくださり、新井が亡き後は、「新井一賞」の審査委員長をしてくださり、シナリオライターの卵たちにシナリオの奥義を教えてくださいました。
「闘争と愛、生き物の本能はこの二つ、それを書くのがドラマ」と。
そして一番強く常にお話しされていたのは、自分の見方、作家の目に対してです。
「言葉って怖い。正義に見せようとしたら、そういう言葉を使えばいい。正義の戦い。
日本という国は、昔から外国に侵略されたことがない。たった一度、「元寇」っていうのがありました。以来、日本が起こした戦争というのは、全部日本が侵略している。一度も攻められたことがない国なんです。
今、世界のマスコミに私が言いたいのは、自分の国は、戦争で何人殺されたっていうのは言うけど、何人殺したっていうのは、どこの国も言わない。そのワースト10を発表したらどうなんだと。
そうしたら、アメリカ、ドイツ、日本もそこに入るかもしれない。東南アジアでも日本は1000万人くらい殺してます。
世界中が隠している。どの国も自分のところが悪かったっていうことは絶対に言わない。
神国日本が負けるわけがない、日本人は神の子孫である、それに刃向かうやつらはみんな悪だと言って戦争してきました。我々は、そういうところから考えていかなければいけないんです。」
自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の心で想い、自分の頭で考えろと。
発想に対して「小学校の理科の試験で、『氷が溶けたら何になりますか』っていう問題で、みんな『水になります』って書く中で、1人だけ『春になります』って書いた子がいた。
理科の試験だからペケですけど、僕は二重丸をつけてあげたい。違う見方をしたらどうなるか。皆さんにはそういう発想をしてほしい。」
「私は満州から戦争難民になって引き上げてきた。満州で玉音放送を聞いたんですが、戦争をやめるって言う、敗戦とは言わない。ポツダム宣言を受諾したって言う。
でも、戦争に負けて、天皇陛下が『私は神ではありません、私は人間です』って言ったんです。
私は10才過ぎるまで完全に騙されていた。親にも先生にも騙されていたんです。
そういう時代に生きてきた。
桃太郎は鬼退治をした。でも鬼なんているわけがない。あれは漂流してきた外国人です。目が青いし、彫りが深いから鬼に見えたんでしょう。それをみんな殺しちゃった。
でも悪い鬼をやっつけたことになっている。そうやって世の中で起きていることを誤魔化していく。
政治家は国民を守るって言っているけど、国を守る。実は自分の政権を守っている。そう考えたほうがいい。」
ジェームス三木さんは、大河ドラマ「独眼竜正宗」(87)、「八代将軍吉宗」(95)「葵徳川三代」(2000)と3本も大河ドラマをお書きになりましたが、ここでも権力に懐疑的でいらっしゃった。
新日本憲法を作った人権条項担当のベアテ・シロタさんを主人公にした芝居「真珠の首飾り」(98)を書かれ、「憲法改正の是非を問う前に、今の〔日本国憲法〕が、誰の手でどのようにつくられたのかを、みんなに知らせたくて、観客の心の畠に、せっせとタネつけをしたつもりだ。 さァ、花よ咲け。」とプログラムに書かれています。
ジェームス三木さんは、マスコミ九条の会の呼びかけ人でもあり、常に日本を深く憂慮されていました。
いつも軽妙洒脱な会話の中に、面白いドラマの中に、三木さんは、平和のタネを植えつけようとしていらしたと私は思っています。
私は、NHKでもう一度「憲法はまだか」を再放送してもらいたいと思うのです。
タモリにも負けないフランス語風の訳の分からないダジャレを聞きたい。
好きなだけ煙草を吸ってもらいたい。
今年も「生きています」という葉書をもらいたい。
笑顔のジェームス三木さんに会いたい。合掌