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代表 小林幸恵が毎日更新!
表参道シナリオ日記

シナリオ・センターの代表・小林幸恵が、出身ライターの活躍や業界動向から感じたことなど、2006年からほぼ毎日更新している日記です。

見えるかな

シナリオいろは

世の中は

シナリオ・センター代表の小林です。少し感染者数が減ってきているようですが、マスコミはよかったではなく、亡くなる方、重症者が減らない今、感染者の現場を見せて、自宅療養者をゼロにすべく医療体制を作れと、もっとお上に訴えてほしいです。

アフガニスタンでは、女性を人格的存在とみなさないイスラム法を遵守するタリバンが制圧し、女性の教育、仕事を認めない社会に逆戻りになりそうで、世界中が危惧しています。
タリバンに頭を打ち抜かれた女性人権家のマララさんのようなことがまた起こるのではと思うと、ゾッとしますが、もはやそういう事態が始まっているようです。
私は、女性が活躍・行動できない社会はあるべきではないと思っていますし、女性の力のすごさは男性以上だと思っている男性差別主義者(?)です。(笑)

シナリオ・センターで働く女性たちは、すべて男性と伍していますし、それは当たり前のことで、結婚しても子供ができても一生仕事をもつべきですし、応援しています。
特にこれから社会に出ようとしている女性に対しては、バックアップしていきたいと思っています。
私自身、色々な人の協力を得ながらですが、家庭も子供も持ちましたが、大学を卒業して以来ずーっと齢70になる今も50年近く働いています。
なので、選択制夫婦別姓制度には賛同しています。
地方議会までに賛同するなと圧力をかける女性議員は、おかしいと思います。
女性が、自分の姓を変えなくてはいけない意味が全く分かりません。

独身であろうが、子どもをもたなかろうが、男であろうが女であろうが、障害があろうがなかろうが、その人間の生き方がすべてです。
根底は、人は皆誰もが違うというところにあるのだと思います。
男だから女だからこうあるべきという考えを持ちません。
なので、同性カップルは区別すべきだなどという女性議員に同じ女性でとして驚かされます。
日本版タリバンが生まれそうです。

暮らし方も生き方も人それぞれです。
よく知りもしないで「さもしい顔してもらえるものはもらい、弱者のふりして少しでも得をしようとする国民」と平気でいう女性議員は信じません。
その言葉はそっくりおっしゃった方にお返しします。
人はみな違うので、考え方も思いも違いますから、同じ考えである必要もないですが人を根底からバカにしてはいけませんし、愚弄してはいけません。

意見が分かれれば、考え方が違えばとことん話し合い、お互いを理解しよう、知ろうとすればいいのです。
自分と相容れない国には先制攻撃をしてつぶしてしまえなどという考え方はもってのほかです。
女性を応援し続けたい私ですが、女性ならどんな方でもいいわけではありません。少なくとも女性の足を引っ張る女性はダメです。

井の中の蛙たちが外の様子も知らないままの大言壮語を吐いている姿は、日本の未来を暗くします。
そのせいか、子供たちに想像力、創造力を持ってほしい、もっと広い視野を持ってほしいと強く強く思う日々です。

際もの

「コロナ禍は、創作者として色々なものがわかるチャンスだから、目を凝らし耳を澄まして、アンテナを張りましょう」とこの1年半折あるごとに言わせていただきました。

新井一が、40年近く前に面白いことをいっています。
「人間性を追求する際もののすすめ」です。
際ものとは時流に媚びた浅ましいことのよう思われています。
藝術とは悠久の流れの中に真実を追求するもので、時流にのったやっつけ仕事、際ものはだめだと言われます。
例えば、ウイルスで森中の命が危うい時に小さな猿山でボス争いをしているお猿さんの話を書くと、あまりに良くある話でつまらないと言われるかと思います。
今、講義をしている柏田講師の企画書講座でも、きっとこのままでは企画としてだめ、通らないと言われるでしょうね。

新井は言います。
「時流に背を向けようが向けまいが、永遠のものは真実の追求なのです。
人間を描くことは永遠のテーマです。
人間の上っ面でなく、真実を追求することは、今も昔も同じです。
近松心中ものの人間は現在まで生きています。
しかし、これはご存じのように当時の瓦版からとった際ものです。
つまり、話題を取り上げることがよいか悪いかではなく、人間性を追求するかどうかで作品は決まります。
その意味で、広く今日性をみつめて、人間を追求する芝居書きがあってもいいと思います。
際ものをすすめる所以です。」

たぶん、今の政治や社会現象を見える部分だけで描いたら、際もの中の際ものだと言われるでしょう。
どう描くかは作者のものです。
上っ面の言葉や、見えているものに翻弄されることなく、どう人間性を追求するかは、作者の視点にかかってきます。
際ものを描いてみると、自分の視点の在り方がよくみえてくるのではないかと思います。
描いてみたら、コンクールに挑戦するのもいいかと思います。
自分の視点が、作者の目がどこまで他人に通じるのか、伝わるのか、もし通じないとしたら何が足りないのか、今こそ己を知るいいチャンスなのかもしれません。

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