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シナリオ・センター

代表 小林幸恵が毎日更新!
表参道シナリオ日記

シナリオ・センターの代表・小林幸恵が、出身ライターの活躍や業界動向から感じたことなど、2006年からほぼ毎日更新している日記です。

さじ加減

45周年のはじめちゃん

なんとかなるさ

シナリオ・センター代表の小林です。今日の東京の感染者185名。感染者数に一喜一憂しなくなってしまっている自分に、これはとても怖いことだと、十分気を抜かないようにしなくては言い聞かせています。
馴れというのは、身体も心も麻痺させます。
どうも日本人のDNAは、悪いことを見ないようにして通り抜ける、なかったことにするのが得意な気がするのです。
困ったときには神風が吹く・・・鎌倉幕府の話しじゃないですよ、つい75年前にも言われていたことです。
あ、あれ~、今も同じかも。お上はコロナも神風が撃退してくれると思っている節がありますね。検査しない、医療援助しない、GOTOトラベル促進、でも、大丈夫。(笑)

シナリオ・センターは、もちろん神風は信じていませんが、若干ゆるいところがあって、赤字続きでも今日までやってこられたのは「なんとかなるさ」精神だったような気がします。
今も面々と繋がっているのかな。(笑)
コロナ禍で、受講生の方々にはおいでいただけず、当然ように創立50周年記念パーティーもできず、急にやらなければいけなくなったオンライン講座だ、zoomゼミだとか、ものすごく焦りまくりましたけれど、どっかで「なんとかなるさ」というDNAが動いていた気がします。
ふと思ったのは、この「なんとかなるさ」は新井一が脚本家だったからかなと思うのです。
シナリオって、最初は準備稿。たたき台としてまな板に乗せられて、色々な人に色々言われながら切り刻まれ、直していく。実際に撮影に入ったら、もう脚本家は蚊帳の外。監督さん、役者さん、スタッフに託すしかない。
現場サイドでありながら、人に託すしかないって脚本家だけはないでしょうか。
なので「なんとかなるさ」精神が生まれたのかも。(笑)

ま、ともかく、日々なんとか無事に過ぎていっています。

まあいいや

着々と「新井一賞」授賞式の準備が始められています。
いつもならもっと早く準備するのですが、なにしろコロナがどうなるかわからない中なので、ギリギリのところの準備になってしまっています。
しかも、たくさんの方においでいただけるのは、やはり今のところ無理なのでオンライン併用で行うような形になりそうです。
決定するまで今しばらくお待ちください。

新井一賞の応募作品、たくさんの20枚シナリオを読んでいて気が付いたことがあります。
柱が非常に大雑把だということです。本当にここでこのお芝居描いていいの、セリフ言わせていいの、この場所が効果的なの?というものが多いのです。
新井一は言っていました。
「柱とはただ場所の指定だけでなく、指定するための発想の原点、とでもいえるかもしれません。
公園でのラブシーンもいいけれど、屋根の上もいいかもしれません。
しかし、この場合考えてもらいたいのは、物珍しいからいいやというのではなく、それなりの動機づけがなくてはいけません。
花火のある時で見物をするとか、屋根の雨漏りを直すとか、雪下ろしをしながらとか動機づけが欲しいですね。
なにしろシナリオライターは、全知全能の神様と同じで、世界中、宇宙中どこでも、ここで芝居しようとする時は、柱にその場所を描けばいいのですからね。
それだけに理由(動機づけ)だけはちゃんとつけておきましょう。」

ついでですが、初歩の方に一言。新井が口を酸っぱくして言っていたことです。
「柱の下に(20年後)とか(数日後)(日替わり)と書く人がいますが、カメラには時間経過は全く映りませんので、書いてはいけません。
柱は、シーンの場所の指定です。
シーンはカットの積み重ねでできています。
カットは例えば「ハッとする花子の顔」「時計は2時を指している」というような一番小さい場面です。
これはシーンではなくカットと言います。カットは柱に書いたりせずト書で表現します。
〇ハッとする花子の顔、〇時計は2時を指しているは、柱にしてはいけません。」

技術をしっかり知り、使いこなすことでシナリオはグーンと変わっていきます。
これは「なんとかなるさ」とは違います、シナリオは具象ですから「まあいいか」では描けません。

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