menu

脚本家を養成する
シナリオ・センターの
オンラインマガジン

シナリオ・センター

代表 小林幸恵が毎日更新!
表参道シナリオ日記

シナリオ・センターの代表・小林幸恵が、出身ライターの活躍や業界動向から感じたことなど、2006年からほぼ毎日更新している日記です。

ハート♡

シナリオ・センター代表の小林です。秋の陽はつるべ落とし・・・人恋しい季節ですね。
子供を保育園に預けていた頃、心細そうに待っていた子供の顔をフト思い出します。夕闇が早いと気持ちがせきます。
今もそんな気持ちで迎えに行くおかあさんいっぱいいらっしゃるのでしょう。
女性が輝く世の中にするには、男社会を180度転換しない限り、変わらないのだろうと思います。
みんなが誰かを応援する社会になれたらいいなあと思う秋の夕暮です。

わが町

明日から、大阪校40周年記念映画祭&パーティーに行って参ります。
本校も46年、来年はシナ(47)リオの年(笑)を迎えます。
東京と大阪二人三脚で、シナリオを一人でも多くの人に書いてもらいたいと頑張ってきました。
シナリオ・センターのHPで、通信担当の紺野さんが「私、がんばれ」のコーナーで昔のシナリオ・センター、新井一の思い出を語られていますけれど、創立当時から、今日に至るまで、新井イズムは一貫していて、「シナリオをたくさんの人の書いてもらいたい」ことだけなのです。
新井の言い方としては「一億総シナリオライター化」、今は「一億人のシナリオ。」
20161102c

紺野さんのお話の中に、「紺野さんが仙台へ転勤になって、もうシナリオ・センターに通えないって嘆いたら、新井が仙台に教室を作ればいいって言って、毎週仙台へ通ってきた」と。
そういう人間だったんですね。新井一は。
大阪校の始まりもそうでした。 宝塚映画のプロデューサーでいらした沖原さんの「先生、大阪でも教えませんか」の一言に「おう、やろう!」です。
新井は、「シナリオを教えられる」ただそれだけで、なんでもOKの人でした。
家計的には母が、経営的には私が、「どんなに大変だったんだ!」と時々腹が立ちます。(笑)
それでも、母はまったく給料が入らなくても父に文句ひとつ言わずに、生活程度も変えずに毅然としていました。
私は、家賃が払えずにオーナーに土下座して待ってもらったこともあります。
スタッフの給料だって遅払いばかりだったし、所長の後藤など3年分くらいたまっていましたから。(笑)
それでも、みんなついてきてくれた。新井一を信頼してくれていた。
これって、なんなのかなあと思っていましたが、紺野さんの一言で合点がいきました「ハート♡」。

そうか、創作ってハートですもの。作品にかけるのもハートなら、人にかけるのもハート。
新井の邪魔くさいくらい熱いシナリオへのハートが、あちらこちらで振り舞いてきたハートが、時を経て色々なところで花を咲かせてくれているようです。ありがたいことです。 

大阪校は、沖原さん、倉田さんと歴代の代表のおふたりは亡くなり、小島さんが3代目代表で頑張っています。 小島さんはアイデアマンで、色々な楽しい仕掛けを作っています。
この40周年も、映画祭&パーティーという1日がかりの催し。
映画祭は「わが町上方」をテーマに、それぞれのクラスの仲間が町の人たちとコラボして10分前後のドラマを創って、町おこしにも役に立てるというすごいアイデアなのです。
ジェームス三木先生にもお越しいただき、講演をしていただきます。
どんな映画祭、創立パーティーになるか今から楽しみです。

月曜日に帰京なので「表参道シナリオ日記」はお休みさせていただき、火曜日にご報告させていただきます。

過去記事一覧

  • 表参道シナリオ日記
  • シナリオTIPS
  • 開講のお知らせ
  • 日本中にシナリオを!
  • 背のびしてしゃれおつ