81年前
シナリオ・センター会長の小林です。1945年3月10日未明、300機を超す米軍の大型爆撃機が東京下町を中心に、38万発1,700トンもの焼夷弾を投下しました。
東京大空襲です。防空壕、公園や隅田川にかかる橋なども炎が飲み込み、わずか一晩で10万人もの方が命を落としました。
今起こっている戦争を見てもわかるように、あっという間に、簡単に人々を、街を消滅させるのです。
戦争は、相手が屈しない限りどんどんエスカレートしていくものです。
実際にそれまで軍事施設を標的にした攻撃をしてきた米軍は、東京大空襲では、住宅街を無差別に空襲する作戦に変えたのですから。
過日、自分史講座を千代田区で頼まれた時に、一人の男性が空襲にあって大変だったことを遺しておきたいとおっしゃいました。
私は、空襲に合って大変だったというだけでは伝わらないので、どういう目にあい、どう大変だったか具体的に表現してみて欲しいですとお願いしました。
彼は、小学1年生で母親におんぶされて焼夷弾の間を逃げまわったそうです。
その時、頭はちりちりに焼き焦げ続け、おんぶされていた靴に火がついて、熱くて熱くて母親のお尻にぶつけながら消そうとしたら、母親が倒れ、おんぶの時にかぶっていたねんねこ(綿の入った着物のようなもの)に火が回って、二人とも焼け死にそうになり、周りの人が水をかけながら、川に入れてくれてやっと助かったそうです。
頭は大やけど、母親は背中と足が真っ赤にやけただれ、服の半分以上はなくなっていたと。
その細かい状況を思い出すことはとてもつらかったとは思うのですが、戦争も空襲も知らない私たちに、その具体的な描写こそが、はじめて空襲のすごさ、むごさを感じさせてくれたのでした。
こんなことを感じている国会議員はどれほどいるのでしょうか。今日、東京大空襲に心を寄せている国会議員はどのくらいいるのでしょうか。大空襲で亡くなった方へ心から哀悼の意を表していますか。野球は見にいっても、追悼会には出ていないなんてことはないですよね。
この東京大空襲一つを見ても、簡単に第9条をなし崩しにしようとすることは具の骨頂だと思います。
憲法第9条の戦争放棄は、戦争ができないのではなく、日本は二度と戦争をしないと国民が決めたことなのです。
日本は地震国の上、原発14基もあるのです。どこかからミサイルが飛んでくれば、日本そのものが汚染列島になり、それだけで死に絶えます。
3月はとてもつらい日です。
ジューシー
日曜日は、四国・愛媛の公益財団法人えひめ女性財団の主催で、「日常をドラマ化して、人生を100倍楽しもう!~シナリオ作りの視点から高めるコミュニケーション能力~」というワーク付きの講演会をやらせていただきました。
昨年は、愛媛・八幡浜で女性を対象にやらせていただきましたが、今回は男女交えて40名の定員のところ67名も参加してくださって、大賑わいになりました。
松山は俳句王国のせいでしょうか、皆さん創作にとても意欲的です。
はじめに、シナリオとはどういうものか、ドラマのシナリオ作りを使うことで、コミュニケーション能力がなぜアップするのかと言うお話しをさせていただき、男女脳の違い、人は皆違うことを前提に自分を知り、他人を知ることをお伝えしていこうと思いました。
グループワークを通して、まさに初めての人同士がシナリオを書くことで繋がっていく様子は圧巻でした。
キャラクターづくりで、己を知り他人を知ることを、観察を通して実感してもらい、それぞれが作ったキャラクターが、再会した時にどうするかをシナリオにしてもらいました。
さすがに2時間半の中では、全員発表をしてもらうことはできませんので、挙手をお願いしたら、まあ、挙げる挙げる、ちょっと困ってしまうほどでした。(笑)
キャラクターも様々に創られて、表参道交差点で青信号を渡り損ねて、二人とも轢かれちゃったというすごいシナリオまで・・・(やる~っ!)
20代から80代まで様々な年代の方々が楽しんでくださり、とても嬉しかったです。
書いていただいたシナリオは、添削してお返しします。読むのがたのしみ。
講座とは関係ないけれど、理事長さん自ら剝いてくださった新種のみかんもかんぺい(甘平)もめちゃ美味しくって、感涙ものでした。(笑)
松山サイコー!また行きたーい。













